chapter 9
9
夕暮れの赤い空に向かって、兎田軍曹は口から煙をはき出した。
穏やかな風に乗って運ばれる煙の様をぼんやりと眺めながら彼は考える。穏やかに分散する煙の粒子。それは確率的な原理によって世界に均一に広まろうとするが、魔法使いはこれを任意に集結させられるらしい。
あんな脳天気でお調子者の、極々普通の娘らしいジュリエットですら、それが可能である。
果てしなく遠い科学力の差を思いだし、兎田軍曹は短く笑った。
そのとき、わずかながら人の気配を感じる。
ほんの数メートル背後。
ここまで接近されなければ気づかないあたり、そして月明かりが雲に隠れたタイミングを計って真後ろから接近するあたり、これは職業病だなと彼は呆れた。
「よう、姐さん。今夜は月がきれいだぜ」
「煙、こっちに、流れてる」歯切れの悪さはいつもの調子。現れたのは、黒髪美女の猫山曹長だった。
「そう言わさんな。ちょっと相棒の悩みでも聞いてくれんかね」
「あんたの、悩み」猫山は不思議そうに目をぱちくりする。「そういう、キャラ、だった」
「俺もそう思う。だがすっきりしねぇ」兎田が鋭い橫目で彼女を捕らえる。「姐さんのことで、ちょっとな」
猫山は腕を組み、腰を軽く傾ける。
「いいわ。聞いて、あげる」。
「コンビを組んで三年弱。はじめは寡黙な美人でラッキー、くらいに思ってたけど、とんだ地雷姐さん。どんな人生送ったらそんなんになるんだか頭を傾げたもんだが、特技兵は仲間内でも経歴は秘匿事項だからな。歳に関しても、本人から聞いた以上はわからん」
そこまで話して、兎田はずっと小脇に抱えていたある本を見せた。
「これ。この間、赤毛に連れられて図書館に行ったろ。あのとき借りたもんだ」兎田軍曹が手にするハードカバーは、B4サイズの郷土資料。そのとあるページを開き、彼女に渡す。
「注目はそのページの写真。豊穣を祝う祭りを写したもんだ」
粗いカラー写真だった。
老若男女がフレームのいっぱいに、ざっと数十人が写っている。集合写真というわけでもなく、ただ祭りの一場面を捕らえただけの画像で、彼らは背中を向けていたり、横を向いていたり、むしろカメラと視線を合わせている人物のほうがすくない。
兎田軍曹は、そんな写真のある一点を指さした。
「この無愛想で長身の女。姐さんにそっくりじゃあないか」
横向きで写る女性だった。
当時にしては背が高く、だから人混みのなかでも彼女はほかの影にならずに顔が写っていた。
ワンピースを着ていて、歳は二十代後半ほど。
切れ長な目が涼しげで、たとえば歌劇なら男役が似合いそうな美人である。
画像は粗く、その女性も指の爪ほどの小ささでしか写っていないが、たしかに猫山曹長とも見られる一枚であった。
上目遣いで迫る兎田。
彼女は兵士特有の警戒の眼光で睨み返した。
だがその睨み合いも一瞬だった。
「他人の、空似」
それだけ言って、彼女は両目と本を閉じる。
「だいたい、これ、半世紀以上も昔の写真。わたし、いくつに見えるっての」
「今年で三十……、姐さんの話が実話だったらだが」
兎田の答えに、彼女はむっとわずかに頬を膨らませ、ハードカバーを乱暴に返す。
「そこは、お世辞でも、二十と言って」
「お世辞過ぎるだろ」
サービスタイムは終わり、とばかりに猫山曹長は背を向ける。
「もう一枚あるんだ」兎田は彼女の背中に向かって投げかける。「いつだったか、じいさんが死んだとき、身辺整理の際に発見した写真だ。隠すように、ばあさんとの写真の裏に二重で挟めていたもんで、よく覚えていた」
「それも、他人の、空似」
「しかし共通点がある」
「……なんですって」猫山の足が止まる。
「郷土資料の写真と、じいさんの家で見つけた写真の共通点。どちらも、問題の女性の隣にはじいさんが写ってる。まさかじいさんまで他人の空似なんて言ってくれるよな」
嫌な沈黙が流れた。
背を向けたまま、猫山曹長は観念したのかため息を吐いた。
「たばこ、やめなさい。あなたのおじいさんも、それで亡くなったでしょ」
「……姐さん。やっぱあんたナニモンなんだ」
猫山曹長は、しかしその問いには答えず、すっと視線を遠く空を眺めた。
「……光った」
「は……。いや答えろよ。なに惚けてんだか」
「ほら」
確かに、空高く、日が落ちて暗くなった西の空が一瞬だけぱっと小さい光の点が見えた。
「なんの光だ……」
「あんな不自然な光は、赤毛の娘以外にいない、でしょう」
「一人遊びか。それとも、どこのどいつと戦ってやがる」
「この世界で彼女の相手を、務められる人なんて、ただ、一人」
「まさか――」兎田は空を見上げたまま息をのんだ。
「どうやら、先走った娘に、待ったが入ったようね」
「……で、姐さん、この写真についてだが」
「ちぃ――、しつこい男(小声)」




