chapter 6
6
さて、湖公園で一眠りしたジュリエットはその後、温泉街のラーメン屋にいた。コテコテの豚骨臭が店内に充満し、油で床やテーブルが自然とワックス替わりになっているラーメン屋だ。そんな店内には不釣り合いな赤毛の美少女は、慣れない手つきで箸を使い、無心でラーメンを食べている。
大盛りである。
「大丈夫。ウチのラーメン、量多いよ」と忠告されていたのに頼んじゃうのがジュリエット。いやむしろ大丈夫と聞かれたら応じてしまう。まさに『押すなよ、絶対押すなよ』の精神である。
一言も発せず、ただただ手を動かす。たぶん、途中で箸を止めたら食べられなくなる。なにも考えず、麺を口に運ぶマシーンにならなければならないのである。それくらいの量があった。
「無理しなくていいよ」
カウンタの向こう側から、店主夫人のおばちゃんが声をかける。
「食べきれるよ。なんたって、ぼくは七つの世界を敵にまわす赤の魔女さ。ライドー、じゃなくて味変」野菜をかき分け、やっと麺が見えてきたところで、ジュリエットは一味をどっぷりかけた。そのあとも辛子ニンニク、酢、コショウなどで味に変化を加えながら、どうにかこうにか完食に成功した。
小さなお腹ははち切れんばかり。引き締めなければ食道を登って口から噴射しそうである。
「食べたー、あふぅ……」
厳しい戦いを終えたジュリエットは、おしぼりで額から顎の下、首回り、胸元まで拭う。かわいい顔しておじさんだなぁ、と呆れるおばちゃんの視線には、おしぼりを広げて顔を拭くジュリエットは気づかない。
「あっつぅ」
さらに両手でスカートをウチワ替わりに煽って股間を冷やす。これはおじさんもやらない。
「あんたちょっと慎みってのを覚えなさいな」
「え、なにが」
「それより学校は」
「自主休業」
「サボりって言うのよ、それ」
「でもぼく、そもそもこの世界の住人じゃないし」
「コスプレかい」
「制服だけど私服だよ」
「ウチの店の臭い、移っちゃうかもねぇ」
「大丈夫。まだぼくの躰のほうが臭いから」
通じているのかいないのか、よくわからないトークを交える二人である。
百二十パーセントの満腹で、しばらく動けそうにもないから、ジュリエットはおばちゃんに謎の機械について、試しに尋ねてみた。
「ねえ、これってなんの道具かわかる」
意外なことに、答えはすぐに返ってきた。
「懐かしいねえ。テープレコーダだよ」
「なんなーん」
「音楽聴いたりするのよ。最近の若者は知らないのかい。やだよう、あたしらも年取ったねぇ、あんた」といって店主の夫に向かってガハハと笑う。
「どうやって使うの」
「中にカセット入ってない。ほら、そこ、端のボタン押してみなさい。開くから」
言われたとおりのボタンを押すと、ぱかりと機械ががま口のように開く。しかし、中は空だった。
と、ここでジュリエットはひらめく。
「もしかして、これがレコーダなら」ジュリエットはポケットからプレスティックの板をだす。「ぱんぱぱパーン。こっちがストレージ」
ジュリエットの感は当たっていた。スカートに入っていたプラスティックは、カセットテープという記録媒体であり、下駄箱に入っていた機械が再生機。二つで一セットの機械である。
しかし不思議だ。
ならばなぜ、両方を同時に下駄箱にいれなかったのか。
おばちゃんに言われたとおり、カセットをレコーダに挿入。
イヤホンを耳にはめ、意を込めて再生ボタンを押す。
すると――、
「……あのー、なにも聞こえなんだけどー」
「裏表逆なんじゃないの」おばちゃんが教えてくれる。
「ああー」妙に納得して、ジュリエットはカセットを反転させて再セット。「ぼくってば二分の一の確率に弱いんだよねー」
おばちゃんの指摘は正しかった。
イヤホンを耳に再生ボタンを押すと、声が聞こえた。
『わーびっくりした』
ジュリエットはその声の主がだれかすぐに理解した。
元気なソプラノ――、天宮羽衣である。
そして、登場人物はもう一人。
『ぼくは邪悪な妖精パック・ロビン=グッドウェロウ。気軽にパックって呼んでね』
「これは……、軍部が……」つい思ったことを声に出してしまうのはジュリエットの悪い癖。あわてて手で口を押さる。幸いにも、店内に軍関係者はいないようだったが、続けて言いたかったことは、『軍部が隠蔽する、羽衣とパックの邂逅の場面か』である。つい数時間前、ジュリエットが将軍と副官に問い詰めた内容だ。
ジュリエットはイヤホンから聞こえる音声に傾注した。
状況を察するに、屋外だ。二人の声以外が聞こえない。周りに人がいない状況で、校内だとすれば、昼の屋上だけである。
すると羽衣本人が証言するとおり、ウェスカーも含め三人でランチしただけなのだろうか……。が、ウェスカーの声はない。
二人の会話は続く。
銀色の乙女、羽衣伝説、7つの法具、思考潜入、キング・オーベロン――。
耳を疑うような単語の連続。
そのあとに、耳が痛くなるほどの轟音。
複数の男の声。
それが徐々に遠くなる。
突然、雑音が途切れた。
叫びだしたようなジュリエットの心境を無視して、レコーダはクライマックスを迎える。
「これが昨日の出来事です」はっきりとした、明瞭は発音の女性だった。まるでアナウンサや役者かのような、明らかに訓練を受けた発声だ。それも聞き覚えのある声だが、はっきりとは思い出せない。
情報提供者と思わしき女性は続ける。
「わたしに全容はわかりません。〈ツバメ〉が天宮羽衣に問いただした質問の内容も、そもそも天宮羽衣が軍部にとってどのような存在なのかも、そしてあなたの目的も。しかしこれが軍部にとって、あなたに流出すれば非常に不都合であり、かつ予想だにしない出来事だったことなのはたしかです。なぜなら、天宮羽衣の記憶を改変してまで隠したのですから。ご存じのとおり、彼女の記憶は『パックと平凡な昼食とした』という内容に置き換わりました。
「これをあなたに託したのは、すくなくともあなたが天宮羽衣の味方であると確信したからです。わたしにとって、だれが味方で敵かとは、天宮羽衣を中心に回っています。その配置のなかで、軍部は敵であり、唯一の味方があなたとなりました。
「守って下さい。天宮羽衣には恩があるのです。とても返しきれない御恩です。弱いわたしはあなたにすがるしかありません。
「近い将来、天宮羽衣に軍部が接触を図ります。それが明日なのか、来週なのか、一年後なのかはわかりません。が、〈ツバメ〉が時の歯車を大きく回してしまったようなのです。武運を祈ることしか出来ないわたしをお許し下さい。
「最後に、この陰謀に関わっているのは、軍部の中枢でもほんの一部のようで、中島部隊では、確実なのは宝亀将軍と平田大佐、観月博士も一枚噛んでいると考えて間違いないでしょうし……、それに猫山曹長。猫山曹長にはとくに気をつけて下さい。彼女は妙な〝術〟を使います。その術によって、天宮羽衣は記憶を書き換えられてしまったのですから」
女性の声が途絶えて、かすかに息づかいだけが聞こえる。
録音をこれでとめようか、悩んでいるような姿が想像される。
結局、彼女は最後のメッセージを加えることにした。
「また会えることがあれば、つぎは敵です。わたしはどうしようもなく弱虫で卑怯者。狡猾な嘘つきです。だれの前でも本音を許されないわたしの、これだけが本心です。わたしをお友達だと呼んでくれたこと、涙が出るほど嬉しかったわ。ありがとう、ジュリエットちゃん」
それで再生は終わった。
レコーダの軸だけは回り続けていたが、空回りするだけだった。
「どうしたの、顔色悪いわよ」
おばちゃんのかけられた声に、ジュリエットはすぐには気づかなかった。
「やっぱり食べ過ぎたんじゃないの、あんた。胃薬飲んでく」
「う、ううん。ちょっと腹ごなしに散歩すれば落ち着くよ。ごちそうさま」ぱっぱとレコーダをバッグに収め、ジュリエットは慌てて店を出た。
どうすればいいか、答えはすぐにでなかった。
でもこれだけは言いたい。
七つの世界でもっともジュリエットが言えた台詞でないが、しかし言わずにはいられない。
拳を強く握って、彼女は独り言つ。
「巧みな嘘つきほど、隠した本心はしょうもない」珍しく、ジュリエットは口惜しく舌打ちする。「ええい、ウェスカー――」




