chapter 3
3
コーディリアはケント伯の寝室の扉の前で覚悟を決めた。深く息を吸い込み、姿勢を正す。目に力を込めて、第一声をイメージ。
「おじさま、コーディリアです」
発声は、まあまあの及第点だった。
返事はない。
扉を開くと、キングサイズのベッドに育ての父親が横になっている。その傍らには、もっとも信頼厚い筆頭騎士の姿が見咎められる。
「エドマンド……」
彼は黙って、騎士独特の敬礼をする。
ケント伯の胸がゆっくりと上下している。
コーディリアはそっと足音を立てず彼に寄り添い、両膝をついて手を握った。
「チビさまか……」
「起きていらしたの」
「いいや」ケント伯はゆっくりとした口調だ。「いま起きた」
会うたびに細くなる親愛な育ての親に、コーディリアの胸も細く締め上げられる思いであった。
バグフィルタ計画にて、ケント伯は〈エレガントキメラ〉代表CEOの前任者である。もともと老いによる心身の落込みさなか、代表としての実務に身を削られ、なお銀河舞踏会での事故によって彼の衰弱は著しい。ケント伯は、銀河舞踏会へ踊れるほどの頭脳の処理能力が不足していたのである。
「進展を聞かせて貰ってもかまわんかね」ケント伯はゆっくりと喋った。
「つぎの舞踏会で、最後です。我々の急ごしらえの舞踏会が、やっとR3に絶えられるようになりました」
「そのわりには、浮かん顔だ」ケント伯が頭を向けた。「自分の手で功をあげたい――、そんな顔だの」
「おじさまはなんでも見通しですのね」
「欲をかかんことだ」
コーディリアがぴくりと反応する。
「エドマンドに任せ。それでバグフィルタ計画も、代表CEOの任も、終いにないさい。よもやアンドロメダさえあれば、などとは思わんことだ」
「なぜです」
ケント伯は黙秘した。
世界で唯一、応援してくれる人物にさえ否定された気分に、コーディリアが動揺しないわけがない。一言目を発したとたん、心の底に沈殿した感情が、とたんに舞い上がった。
「父を愛する娘の、いったいなにがおかしいのですか。これが最後の好機かもわからないのですよ。アンドロメダさえあれば、アンドロメダで失ったすべてを取り戻せます。とりもどしてみせます」
「しかしアンまでは戻らない」
コーディリアは絶句した。
死人は生き返らない。そんな当然の理すら、コーディリアは忘れてしまっていたかもしれない。
「神々に愛された才能と花をも恥じらう美貌をもって、単なる騎士出の娘が王妃へと駆け上がる物語――。これはいつの時代のどの世界でも、世界中の娘達を虜にしたシンデレラストーリだった。だが、実情はそれを見越したキング・リアの外交的婚姻でしかない」
ケント伯の言うとおり、コーディリアには父と母が仲むつまじい夫婦として肩を寄せていた記憶など皆無だった。
「キング・リアはもとより、女王陛下を疎んじていらした。否、それは恐れにも近い感情だったろう。自身にはない鬼石への高い適性に、国民からの厚い信頼……。畏怖と嫉妬が混じり合い、とても愛など入り余地もなかったのだ」ケント伯はゆっくりと呼吸を整えてから言った。「チビさまよ。キング・リアがあなたに向ける視線は、まさに、かつてのアンに向ける恐怖とかわりない」
「承知しております」コーディリアの絞り出すような声だった。「策略のため取り込んだ町娘に、逆に取り込まれかかったお父様。いつもお父様は、わたしを探るような目をしていました。まるで『お前もわたしを裏切るのか』と言わんばかりの……」
「アンも、ただキング・リアを振り向かせたかっただけだったのだ。その点では、彼女はふつう娘でしかなかったのだろうな。鬼石のリユース実験を自ら推し進めていたのも、夫のためでしかない。それが、あんな結末に……」
コーディリアの脳裏に、人生でもっとも悲惨な一節が過ぎった。
あれはなにも知らなかった、まだコーディリアが五歳のころである。彼女は鬼石のリユース実験の被検体であった。
そもそも鬼石とは、登録された個人にしか力を引き出せない性質がある。単体戦では第一世界の魔法使いすら上回る戦闘力といわれながら、〈エレガントキメラ〉は鬼石の使い捨てとも言える資源問題を抱えていた。
この問題の解決の糸口に、DNA相似性による権利譲渡が見出された。つまり、母子ならば鬼石を譲渡できるのではないか――、という仮説による実験である。
思い出されるのは、二つの記憶。
一つは〝トリプルエクセレント・ウィング・アンド・ハロ〟という最上級の最上であるアンドロメダの美しさだ。幼児の手から零れ落ちるほどのカラット。飲み込まれるような漆黒のカラー。洗練されたカットに深く混じりけのないクラリティ。さらによく見えば、その石の中に羽ばたいた天使の翼と、その周囲には天使の輪のような、それぞれの模様が輝いているのがわかる。
二つ目は夢。自身が巨大な翼竜となってあらゆるものを破壊する夢――。それは夢ではなく現実で、彼女は研究施設を破壊し尽くした。愛する母のアンもろともに……。
「わたしには、チビ様がアンと同じ破滅の道を進もうとしているにしかみえないのだよ。これは願いだ。ただの娘に戻りなさい」
「どうして……」コーディリアは思わず立ち上がった。「父を愛するのは、ただの娘です」
「あのお方は成功など望んでおらん」ケント伯は弱った身体で声を張った。それは幼い娘を叱りつけるようでさえある。「むしろ強大な敵に打ち勝つほど、あなたが求める愛は遠ざかると、なぜわからぬのだ。コーディリア」
コーディリアはその場で崩れ落ちそうになる。頭を銃で撃たれたような衝撃に近い。
求めるほど遠ざかる――。
そんなこと言われなくともわかっていたはずなのに……。
「久しぶりですわね。おじさまのお説教は」
コーディリアはケント伯の手を握った。父よりも愛された手は、涙が出るほど細かった。
だが、その涙は呑み込んだ。
「おじさまがわたくしの父上ならば、どんなにか孝行娘でしょうに……」コーディリアはいつだってケント伯の前で被っていた淑やかな乙女の仮面を脱ぎ捨て、キング・リアをも悪夢に魘される仮面に付け替えた。「しかしわたくしは、キング・リアの末娘――、〝悪夢の王女・コーディリア〟なのです。ご期待には添えませんわ」
「量産品で挑むおつもりか」
「本当に、おじさまはなんでもお見通し」コーディリアは小さく笑う。「最終回ですもの」
その一言に、じっと置物のように黙っていたエドマンドが言葉を発した。
「姫さま……」
そう、コーディリアは代表CEO会議でエドマンドを踊らせる、と明言して勝ち取った手番ながら、コーディリア自身が舞台に立つつもりでいた。エドマンドがジュリエットを捕獲しても意味がないのだ。彼女は功労を挙げるよりも、不変の忠義と誠の愛をキング・リアに示したいのである。つまり、コーディリアの目的は、第一世界の魔法使いをも上回る戦力をもちながら、『わたしは安全安心』『すべてはお父様のために』と行動で証明することにある。
ケント伯は長いため息を吐き、首の裏に手を伸ばす。ネックレスのフックを外し、それをコーディリアに渡した。
受け取ったコーディリアは、手のひらの小さな輝きに見惚れると同時に驚いた。
「ダブルエクセレントの鬼石……。これ、おじさまの〝蒼穹のアトラス〟」
「付け加えるのなら未登録の、な」
コーディリアの悪い癖がでた。敬愛するケント伯を目の前に慎ましさも忘れ、悪い魔女のように低い声で笑った。
「爵位の継承と同時に賜ったアトラスだが、ついぞ名を刻むことはなかった。抜かずのケントはなんてことはない、そもそも帯刀すらしていかなったのだよ。若い頃から、どうも性にあわんだったが……、数十年の時を経て、ようやっとアトラスも力を見せる機会を得たというわけだ。いいや、ちがうな。鬼石は数万年眠っていたのだから、数十年など、誤差に過ぎんか」
「よろしいのですね」
「悪い顔だの、チビさま」
「返して、とおっしゃても譲りません。これ、もうわたくしのでしてよ」
「言わんよ。こいつならば、チビさまの強大な適正ですらR2までは持ちこたえられるだろう」
「R2――」コーディリアは、その言葉を確かめるように呟いた。「充分です。わたくしならばR2で、あの赤毛の娘を蹂躙できる」
「早まるな、話はまだ終わりでない」
腰を浮かすコーディリアに、ケント伯が制止する。
「オール・オア・シッフィング。すべてを得るか、失うか――。これが最後というのなら、考え得る最善と最悪の二股へ進みなさい」
「どういう、意味ですの……」
「王立宇宙研究機構グロスタ研究所……、翼竜のアンドロメダはそこにある」
「うそ……」
「隠していた。知ればお前は犠牲を顧みず取り戻すからだ」
「そのとおりです。ならばなぜ、この機で」
「アトラスは灰炎のジュリエットと戦うためでなく、アンドロメダを取り戻すために使いなされ。銀河舞踏会の最終回は、キング・リアのみならず、全世界の記憶に悪夢を刻むのだ、アンドロメダのR3によって。ただし――」
「ただし、再びアンドロメダを手にした悪夢の王女に、キング・リアがどう反応するか」
ケント伯は声を出さす、肯定的にわずかに首を動かした。
「とうぜん、お喜びいただけますわ、お父様は」コーディリアは子犬を胸に抱くように、慈しみの笑みを浮かべた。人生の半分以上を絶え続けていた彼女の念願が、やっと叶おうとしているのだ。心から幸福を感じないわけがない。
――だから見逃した、コーディリアは親愛なる養父が、〝心底落胆した顔〟に……。
「アンドロメダを手にしながら、それでも忠義を尽くすわたくしを目に、お父様の悪夢は悪魔のわざだとお気づきになりましょう。わたくしの愛が誠のものと届きましょう」
「なぜそこまで、愛を信じる」
「娘のとうぜんの義務として」
「いまならまだ、引き返せるぞ」
「確かめずにはいられません」
「お前はまだ若い」
「その若さ故に真実を」
ケント伯は、最後の問いを発した。
「コーディリア、お前の光はどこにある」
コーディリアは深く感謝の浮かべ、養父に言った。
「いま、この手のなかに」
ケント伯の視線がコーディリアから外れる。遠く、どことでもなく視線を向け、彼はつぶやく。
「コーディリア。お前は富を失ってこよなく豊かに、棄てられてはこよなく貴く、蔑ろにされては愛おしき優れた淑女へ成長された。だが、かような心さえ受け手次第だ。真実など、嵐のなかせわしなく裏から表、表から裏へと手のひらを続けざまに返す風見鶏のようなもの」
もはやコーディリアの心には、ケント伯の言葉は届かなかった。
「よろしい。進みなされ、己の道を。このケントの役目は終わりました、『コーディリア姫殿下』」
コーディリアはケントの頬に口づけをする。
「つぎお目にかかるときは、吉報をもって参上いたします」コーディリアはドレスの裾を宙に浮かし、急いた様子でドアを後ろ手に閉めて出て行った。
残されたケントが絶望に浸っていることとも知らず……。
「これが彼女が選んだ戯曲。我々は端役に過ぎぬなら、ただ大人しく従おう。のう、エドマンド」
「わたくしも、わたくしの戯曲を演じます。イノヴェーションズの面々も、この展開のによる終演を望んでいる様子。ええ、覚悟はできておりますとも」エドマンドで拳を胸を打つ。「すべては、わたしの小さな姫様のために」




