chapter 2
2
パック戦から一週間後のことである。
このころになると、ジュリエットの躰に染みついた異臭もほぼほぼ取り除かれ、彼女は高校へ復学を果たした。
一週間ぶりの外の世界。ジュリエットは大空を飛び回りたいほどの開放感をいっぱいに感じながら、それこそ両手を羽ばたきながら登校していた。
表情は緩みに緩みきっており、真夏のソフトクリームよりもとろけている。その違和感たるや、劇画調のアニメで、なぜかヒロインだけデフォルメの二等親デザインで、キャラデザイナの正気を疑うような状態である。
「キラキラー」なんて擬音を自ら口にしながら、ジュリエットは通学路を駆け回る。ときには立ち止まり、ときには意味もなく路上でバレエを踊りだす。リアルでミュージカルをはじめだしたら、たぶん、こんな感じだろう、という世界観であった。
終いには、電柱に生える苔に話しかける始末。
「ごきげんよう、藻類さん。きょうはいい天気ね。でも、あなたにとっては悪い天気かも。だって、こんなに太陽は輝いているんですものっ」
赤毛の少女の謎テンションに、行き交う町民たちは恐怖を覚えたという……。
さて、そんな異様なテンションのジュリエットにツッコミを与えるのは、やはり天宮羽衣を置いて他にいまい。
疑惑の半目をした羽衣と、ジュリエットはちょうど校門で出会った。
「あんた、やっちゃあいけないお薬飲んだじゃないの……」
「うふふ。うぃーったら、性格ねじ曲がってるよ」
「余計なお世話だ。で、ジュリ恵。あんた一週間も休んでどうーしたん。あたしなんか、変なことに巻き込まれたんだから」
「ぼくだっていろいろ大変だったさあ」
「てかあんた、なんか臭わない……」
「うぃーのそういう正直なところ、大好きっ」
そう、まだ若干臭っているのである。公衆トイレの臭いがする絶世の美少女というのは、七つの宇宙を探してもなかなか見つからないだろう。
「で、ぼくが休んでいるあいだ、なんか面白いことあったの」
「あんたの弟みたいな子にからまれた」
「弟……」ジュリエットは小首を傾げる。
「ちょうどあんたが休みはじめた日にさ、小学生くらいの男の子が現れて――」
「パック――ッ」ジュリエットは叫びながら、頭突きするほどの勢いで羽衣に迫った。
「そ、そう……。パックくん。やっぱ親戚とかだった」
「まさか。ぼくはパックほど自由人じゃあないさ」
「いやあんた、自分で思うより小学生男子のノリだからな」
「それでパックがどうしたの」
「一緒にお昼食べた――って、そんな探していた眼鏡を尻で踏んづけたような顔されても……」
「聞いてない……」ジュリエットは深刻そうに顔色を曇らせる。そのまま、外靴で校内にあがろうとするから、彼女は羽衣に首根っこをつかまれる。「他には」
「べつになにも」羽衣の表情はいたって普通だ。ただ人なつっこい男の子と一緒にランチをしただけよ、という顔である。
パックの目的はそれだけなのか……。
「って、そんなわけないよね」ジュリエットが下駄箱の扉を開くと、ティッシュ箱ほどの大きさの包みが入っていた。「なんだこれ」
「なに。下駄箱に入ってたの」
「うん……」
「あっ……」羽衣はなにか感づいたように、開いた口を手で覆う。「プレゼント付きラブレター」
「ラブレター。恋人のいるぼくにラブレターって、あ……、その設定はやめたんだっけ」ジュリエットがぶつぶつと独り言をいいながら、その包みを開こうとするとき、柔らかい感触に背中から包み込まれた。
「おはよー」
「ウェスカー」
「はよ。あんまりジュリ恵に抱きつかんほうがいいよ。なんかきょう臭うから」
言われてウェスカーは鼻で肺いっぱい空気を吸う。
「ホントだー。洗ってない犬の臭いがするぅ。休んでる間、動物円でバイトでもしてた」
「そんなんじゃなよ。ただ臭い汁を浴びただけさ」
「そうなんだー」素直に信じるウェスカーに、
「それすごい気になる……」と反って訝しむ羽衣。
「で、下駄箱で立ち止まって、なにかあったのぅ」
「あ、なんかこの子、プレゼントもらったらしいの」羽衣が赤毛の『この子』を、冷やかし顔で指さす。
「まあー、ジュリエットちゃん、かわいいから」
「うーん。プレゼントならちょくせつ渡して欲しいなあ。お礼を言うのもあとあとになっちゃうじゃん……って、それどころじゃないよ」
「それどころって」
「ごめん、二人とも。ぼくやっぱり帰るよ。久しぶりにお友達に会えるのを楽しみにしてたけどさ、急用ができた」
ウェスカーは目を丸くして、すごいびっくりしたような顔だ。
逆に羽衣は半目になって、「はぁあ……。あんたってホント自由……」とぼやく。
それだけ言って、ジュリエットは一週間ぶりの学校に背を向けた。しかし、その後ろから呼び止める声に、彼女は足をとめた。
「ジュリエットちゃん。上履きのままだよぅ」ウェスカーが、ジュリエットの外用の靴を持って追いかけていた。
「ウェスカー。いまはそんなこと気にしている場合じゃないんだ」
「そんなにパック君が気になる」
「もしかして、ウェスカー事情知ってる。いつもランチタイムはうぃーと一緒だし」
「うん。ウチと羽衣ちゃんと、三人でお昼ご飯だったの。パック君ってね、とっても陽気な男の子だよ。まるでジュリエットちゃんが男の子になったような感じ。かわいい子だった」いつものほほんと機嫌のよいウェスカーだが、いまの表情はとくに穏やかだ。パックからなんらかの工作を受けた様子は感じられない。
「不思議だ……。あいつの目的がランチって、まさか。パック奴、うぃーになにかしなかった」
「ううん、なにも。それより」ウェスカーはジュリエットを見据えて言った。「羽衣ちゃんのこと、好き」
「……なにを突然」
「ウチは大好き。自分のことがこれくらい好きだとしたら――」ウェスカーは両手で、拳一つ分くらいの間隔で空間を作る。「羽衣ちゃんのことは、これくらーい、好き」その両手を、いっぱいに広げた。
「ウェスカー……」
「ジュリエットちゃんは」
ウェスカーの瞳の中の光が変わった。表情はかわらず、絶えない微笑を浮かべている。しかし、目だけが笑っていないどころか、むしろ切なげですらあって、ジュリエットはまっすぐな想いで彼女に答えた。
「こんなぼくが好きだと口にして許されるのなら、大好きだよ」
ウェスカーは満足そうに、満面の笑みを浮かべた。
「あっ、もちろん」ウェスカーが飛び込むようにジュリエットに抱きついた。「ジュリエットちゃんも大好きだよー」
「ぼくも」
彼女は離れると、手を振って校舎へ戻っていった。




