アバンタイトル
アバンタイトル
ミランダは物語にしばしば登場する、典型的な孤高の天才だった。彼女の際立って秀でた才能による苦悩は、いつだって凡人の理解の到達範囲外にあるからだ。
超人的な身体能力と、その能力をコントロルする精神力。これをもってすれば、彼女はいかなる舞台においても頂を得る。エアリエル・ペロとて例外ではなかった。
そんなエアリエル・ペロの激しいトレーニング後の小休止のことだった。
ミランダがタオルで流れる汗を拭っていたとき、耳慣れない足音が近づいていた。
「だれ」
知らない男だった。長身痩躯で白衣姿。だれひとり他人を信用しないような陰気な瞳で、縁なし眼鏡の奥からミランダを観察している。プライベートなトレーニングルームで、こうも堂々と侵入されると、身の危険を通り越して気味悪さのほうを強く感じた。
「すばらしいマニューバだ。いつでもフィギュアに転向できそうだな」男は拍手しながら近寄ってくる。
「だれ。セキュリティはなにをやっているのかしら」ミランダは自然な素振りで男に背を向けて、警備室にコールためコントロールパネルを表示するが……、
「許可なら取ってある」男はミランダの行動は予測済み、と言いたげだ。
「わたしの許可は」
「それだけが、まだない」男は真顔だ。
「ジョークのつもり。笑えないわね。優しくしているうちに帰りなさい。さもないと、怪我じゃあすまないわよ」ミランダは競技用エアリエルを浮遊させ男を威嚇する。猛獣や重火器よりも、エアリエル一機のほうがはるかに驚異的な暴力である。使い手が世界選手権覇者ならなおのこと。
「そちらがその気なら話は早い」男は背負っていたエアリエルケースを解き放つと、中から青銅色をしたエアリエルが浮遊した。
イルカにも似た美しい流線的なフォルムで、エアリエルとしてはやや小型で、最大全長は一メートル強。どこにもメーカの刻印なかった。
「見たこともない機体……」
「俺が開発した」
「どこかのメーカさん。悪いけれど、コマーシャルの出演もアドバイザ契約も、広告塔にだってなるつもりもないわ。わたしが――」
「『わたしが耳を貸すのは強者の言葉』だったか」男はミランダの言葉を先読みする。「元学生チャンプのジャーナリストが専属取材を報酬に勝負を持ちかけ、フルスコアで負かしたあと、たった一つだけ質問に答えたそうだな。『プロに転向しなくて正解』と」
「どうだったかしら。古い話を持ち出されもね」
「先月の話だ」男は口元をわずかに持ち上げた。笑ったつもりかもしれない。「俺も試してもらえないだろうか。俺も君を試したい」
「ハッ。聞き間違いかしら。わたしを、試す」ミランダは引きつった顔で笑う。
「俺の機体の使い手として、不充分かもわからんからな。こいつは世界ランク一位よりも貴重な代物だ」
「へえ、言うじゃない。トレーニングあとのクールダウン・ストレッチ程度にはなるかしら。競技方法は」
「クローバ」男は用意した台詞を言った。さらに、青銅色のエアリエルを一機、また一機と飛ばし、合計五機を彼の背後にステイさせる。
「おもしろい。そのファイブフォールド・サケードが見かけ倒しじゃあなければね」ミランダは、はじめて自分から男に近づき手を伸ばす。「試合相手とは握手する主義なの。名は」
「ドクタ・プロスペロ」
陰気な白衣男――ドクタ・プロスペロの握手は堅く、まるで契約成立時のようだった。




