chapter 9
9
結局、観月智一が授業に参加したのは午後になってからだった。
意識を取り戻さないジュリエットのそばに、執事のように控えていたところで、できることはなにもない。だからといって、学校にも特段、用はないのだが……。
意識の片隅で壇上の教諭の数学論(もちろん観月には釈迦に説法)を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
すると、隣の席からノートの切れっ端が回ってくる。
『放課後。屋上な』
天宮羽衣からの手紙だった。
恐喝する昔の不良かよ――。
観月は心でツッコミながら手紙の差出人を見ると、彼女は顔だけは真面目そうに授業を受けていた。
そして放課後――。
「ジュリエットなら、ちょっと、寝込んでる」歯切れ悪そうに答える観月に、羽衣は感情表現豊かに応じる。
「なに病気」
「病気……、というわけでも、たぶんないけれど……」
「はっきりしなさいよ」羽衣は平手で観月の腹を叩く。ばちん、という音が響く。
「痛いよ。なんでちょっと本気目で叩くんだよ。やめてくれ」
天宮羽衣の用件は、ここ三日間、連続で学校を休んだジュリエットを案じてのことだった。それ以前から元気のないジュリエットだったから、とうとう姿を見せなくなると、羽衣は黙っていられなくなったようだ。
しかし、観月にも答えようがない。
「こっちだって、はっきりできればどんなに助かるか」
まさか天女様の魔法で眠りにつかされている、とは答えられようもない。
「軍事機密」羽衣は観月を呪うように呟く。
「……そうだ」
「トモはさ。隠し事ばっかり」羽衣は遠くを見つめている。視線の先は、湖か、中島か、あるいはその地下に眠るジュリエットだろうか。
「いつからだっけ。こんなふうに二人っきりでおしゃべりするような仲になったのって」
「中学三年間一緒だったら、自然と話す機会も多かったんじゃないの」
「ふーん」羽衣は、ふだんは大きな瞳を半分くらいにして、ジーッと観月を静かに睨んでやった。「天体観測の夜のこと、覚えてないんだ」
「なんだっけ」
「やっぱり忘れたんだ、この脂肪の塊ッ」
「なんだよ。突然怒るなよ」
「中一のキャンプ。夜、星の見方を教えてくれたじゃん。あれからよ、あれから……」羽衣の語気が、だんだんと小さくなっていき、ついには聞き取れないくらい小声で呟く。「あれから、あたし、星空に興味を持つようになったんだから。あんたの、おかげよ」
「え、なんだって」
「なんでもない」羽衣はふくれっ面で背を向ける。「あしたには、ジュリエット、学校くるの」
「なんとも言えない」観月は首を振る。
「そう」
「ごめん」
「あんたが謝ることでもないでしょう」羽衣が顔だけ振り返る。「ところで、基地にはさ、ジュリエット意外にも、似たような変な子がいたりしないでしょうね」
「もちろん、いな――」言いかけて、天女様が脳裏をよぎった。正直者の観月はぎこちなく答える。「うん、いないよ」
「いるんかい……。まあ、どうせ軍事機密とやらで教えてくれないんだら、それ以上は突っこみませんけれど」
「どーも……」
「なーんかね。このところ中島のほうから、誰かに呼ばれている気がしてさ。これがかの有名な、ハゴロモ伝説の天女様だったり。あたしが羽衣だけにね――、ってなにそのめっちゃ動揺のしぐあいは……」
「ハハハー。な、なんだよ。天宮もそんな都市伝説好きなタイプかよー。これだから女子はなあ……」
「無理矢理具合が半端ない……」
とそこで、
「羽衣ちゃーん」ちょっと舌足らずな声が羽衣を呼ぶ。その特徴的な声色は、一度聞いたら間違えない。クラスメイトのウェスカーである。
「そんじゃね。明日、待ってるわ」
「ああ。明日はな、一限目から出る」
「あんたじゃなくて、ジュリエットよ」
「そうか……」
「ごっめーん。待たせたー」羽衣は、観月相手には絶対使わない高い声で駆けていった。
一人だけになった屋上で、観月は独りごちる。
「あなたがなにをしたいのか、俺にはわかりませんよ。天女様……」




