chapter 4
4
コーディリアが〈スーパシー〉へ留学に経ったのは、ヴェロナ事件が起こる、ちょうど一年ほどまえのことだった。
その日コーディリアは、ボストンバッグ一つぶら下げて、〈エレガント・キメラ〉のゲートへ向かっていた。ターミナルは、彼女のように留学であったり、仕事であったり、あるいは旅行目的の家族ずれなどで賑わっていた。
「しつこい男。嫌われるわよ」コーディリアはこの日のために整えた長い金髪を優雅に払いながらも、ねちねちと小言を言い続ける男にうんざりしていた。
「ということは、まだ嫌われていないと」
「いま嫌った」
「では、恐れるものはなくなりました」にこりともせず、男はつまらないジョークを一つ。そして小言を再開した。
コーディリアはそれに鼻息を漏らし、せっせと早く歩くことにした。
彼はケント伯の騎士にして、トリプルエクセレントの鬼石の登録者。そして、ときには第三王女のお節介な執事にもなる、鬼神エドマンドである。
彼は見てくれはよいが、飾り気もなく、実用性重視な性格が顔に現れているような人物だ。歳が十ほど離れていて、幼少期から使えていたこともあり、毎日の小言は兄様気取りなのである。
コーディリアが彼の話を半分以上まともに耳を傾けるのは、剣の指導を賜っているときだけだ。
いまだって、婦人にあるまじき大股歩きだと、エドマンドはコーディリアの背中に向かってお節介を投げつけている。だれのせいで急いでいるのか、わかっているのだろうか、この騎士は。
「もうこのあたりでよろしいわ」コーディリアがくるりと振り返る。「子供のお使いでもあるまいし」
「姫様……」
「言いたいことがあるなら最後に一つだけ許してあげる」コーディリアは口を開き掛けたエドマンドに、先制攻撃を仕掛ける。
彼は置いて行かれる犬のような目をして、
「どうぞ、一生のご学友をおつくりなされ」
と言った。
「ちょっと意外ね」
コーディリアがしばらくしてから振り返ると、エドマンドはまだ背筋を伸ばし、見送りの姿勢を崩していなかった。きっと、主人の背中が見えなくなっても、ややしばらくはそうしているのだろう。
――さて、〈スーパシー〉の学生生活は、若者のだれもが夢見る憧れの舞台である。人類最高の文明へ遂げた世界で若き日に己を鍛えられる、そのなんと素晴らしいことか。医療、軍事、自然科学に政治・経済――、どれをとっても第二世界より洗練され発展している。しかし、めざましい発展のその影で、実は特記すべきはむしろ一人々々に教養の高さであった。
コーディリアは、自国では秀逸な学問を修める才女でとおるが、ここ第一世界では平均よりもやや早熟、という程度なのだから恐ろしい。
もちろん、ただ勉強ができる、というだけだはだれからも相手にされない。教育に熱心な兄様なのか家庭教師なのかよくわからない、本職は騎士であるエドマンドが「第一世界では、学問と同等以上にホビィをもたない人間は侮られます」としつこく言う。
だからコーディリアは、学友に「ご趣味は」と訪ねられると、とりあえず「剣術を少々」と答えることにしている。それで手合わせしてみると、少々以上の腕前を披露するものだから、気後れすることもなく第一世界出身者と肩を並べて歩くことができた。勉学だけに必至でついていこうとする第二世界の秀才達は、こういうところで総合的な力の差を見せつけられ、挫折してしまうようである。
では、コーディリアの第一世界の留学は順風満帆かといえば、けっしてそうではなかった。はじめから、第二世界には開かざる門があるのだ。
「これも、だめ……、か」コーディリアは緑豊かな空中庭園のベンチに座り、履修講義をディスプレイしたままため息をついた。
快晴の空の下、噴水が勢いよく飛沫を上げる。
見事な虹がかかった。
理工学部のコーディリアが選択できる必修科目は、高等数学の基礎、物理学概論から新古典、それに教養文系講義などなど。つまり、超通信の世界で、超通信の一切を学べないのである。これならば留学の意味は無い。自国のユニバーシティで充分事足りる。唯一、超通信に触れる分野として、双数計算機科学を選択できるのだが、第二世界出身者にはまったく無用の長物であった。
超通信現象を行使するためには、なによりも隣宇宙とエナジィの交換をしなくてはならない。この技術に双数計算は必須であるが、肝心の結果を出力するフレイムワークが、第二世界人には公開されていなければ、実装することも許されていないのだ。
そもそも一般に言われる魔法とは、おおくは超通信現象そのものであり、より適当には『超高速のクエリにより、弱値に時間展開する通信方法、ないしはその結果によって決定される系の振舞い』である。
いずれにせよ、コーディリアには第一世界の留学に意義を見いだせずにいた。
ため息以外に、でるものがなかった。
無作為な時間でしかない。
コーディリアは展開していたディスプレイをすべて閉じて、背もたれに体重を預ける。
こうしている間にも、二人の憎き姉は、父に取り入っているのだ。
「帰りたい……」
つい、本音が漏れてしまった。
まあ、いいか。
本国では決して口にできない弱音でも、こんな異国の地ではだれも耳にしていないのだから……、と油断していた彼女は驚きのあまり、飛び上がるようにベンチから尻をあげた。
たとえば、腰を下ろしたベンチに体長二メートルを超えるニシキヘビがくるくる巻き付いていたら、たいていの少女は同様のリアクションをするだろう。が、コーディリアの隣に座るのは、苦手なハ虫類ではなく、軽いウェーブのかかった栗毛の少女であった。
「貴女、いつからそこに」
栗毛の少女はぼんやりした顔で、反応の鈍そうに言う。
「あっ、ごめんなさい。隣、よろしい」
コーディリアは周囲を見渡す。開いているベンチはいくらでもるのに。そんなコーディリアの戸惑いもよそに、少女はバッグからなにかを取り出したかと思えば、丁寧に膝の上でハンカチを広げる。弁当箱だった。
「ええ、どうぞ……」少々あきれながらも、コーディリアは独特の空気感をもつ少女に了承した。
「ありがとう」にこっ、と少女は愛想よく笑った。「講義は決まった」
「そこから見ていらしたの」
「第二世界出身なのね。選択不可の講義が多かったから」
「無為に時間を浪費しているようだわ。だからといって、帰ってもやることはないのだけれど」
栗毛の少女はぱくぱく口に食べ物を運んでいた。動物園でエサをあげると喜んで近寄ってくる小動物のようである。
「魔法を使えるって、どんな気分」
ふいにコーディリアは呟いた。
留学してからしばらく経っても、一人として友人を作らなかった――。否、作れなかったコーディリアは、だれにも訪ねられなかった質問だった。第二世界出身者はアカデミックな場では総じて敬遠されるうえ、第二世界の王女様である。
「使えばいいのよ。魔法はどこにでもあるの」のんびりな割に、少女の残酷な答えだった。
「それができれば、苦労はないわ」
「苦労はするのよ」少女は出会って初めて、眉をひそめた。「わたしも、いま苦労して積み上げているスピルがあるし」
「苦労なら一生分は背負ってる。わたしはお父様の悪夢だもの」
「焔を凍らせるって大変なんだから」
二人の少女は、互いの瞳をじっと見つめ合った。栗毛の少女のターコイズブルーの瞳に、コーディリアが映る。その瞳はまた、コーディリアのネオンブルーの瞳を映していた。
背を叩かれたように、少女達が声を上げた。
「貴女、〝氷結のロザライン〟――」
「〝悪夢の王女様〟」
見つめ合いが睨み合いに変わって、
「それは禁句よ」
「いえ王女様こそ」
なんとなく、似たもの同士のようだった。




