第一話 「灰炎の魔法男子」 Bパート
Bパート
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艶やかな音楽、軽い興奮を促す香水の匂い、慎まし気な笑い声。舞踏会場は、燕尾服の紳士とドレスアップした淑女で賑わっていた。
コーディリアはホールの端で椅子に腰を掛けたまま、さしのべられた幾人もの紳士の手をつんと拒み、動こうとはしなかった。じっと獲物の出方を待つラプタのように、彼女はある男の誘いを待っているのだ。
そうしていると、隠れる気もなく真正面から堂々と男が近づいてきた。肩口で切りそろえた黒髪が目印の青年だ。
「踊らないのですか、姫様」エドマンドである。
「およびじゃないの。しっ、あっちいってなさい」
「知り合いがいなくて」
「子供か」
「相手がいないのです。踊ってくれませんか」
「そんな誘い方あるか」
「椅子をいつまでも温められてはいませんよ。みな姫様に注目しています。出ざるを得ません」
中央で踊っている男女はべつに、壁際で控えている者達はちらちらとコーディリアを盗み見していた。
「そう、相手も誘わざるを得なくなる。そら、言ったそばから」コーディリアは口の端を持ち上げた。
「踊りましょう、レディ」
コーディリアは立ち上がり、すっと背筋を伸ばして男の手を取った。
「よろこんで」
二人は手を取り合い、ホールの中央に足を運ぶ。すると、みなそれが当然かのように、二人のために道をあけた。
コーディリアは男の瞳を見据え、話しかけた。
「ご承諾、ありがとうございます。ハムレット王子」
「いや、こちらこそ。お迎えが遅くなりました。ようこそ、我がエルシノア城へ」〈鍛冶の世界ムーライト・セレネード〉の王子ハムレット・セブンスソードは、女性受けしそうな柔和な微笑みで答えた。
コーディリアは、ハムレットから女のような甘い香りを感じていた。たぶん、ほかの女の移り香だろう。この男とは馬が合わないな、というのが彼女のハムレットに対する第一印象だった。
「前任のケントから話を聞かされたときは、正直、驚きましたわ。バグフィルタ計画。わたしもご招待いただけるのよね」
「コーディリア姫様がお望みなら」
「しかし第一世界の魔法使いを捕らえるなんて、無謀な話。科学技術ではあまりにも劣る我々第二世界が、どうやって灰炎のジュリエットを捕らえるのかしら」
「勝算はありますよ。運がよければさっそく今宵、お見せいたしましょう」
「さすが数多の宇宙にその知性の高さを轟かせる王子様」コーディリアはねっとりと蜜のように笑う。男心をくすぐる手段、数ある女の技工の一つだ。「ねえ、聞いてもいいかしら。剣の王子様は、なぜこの計画に参加なさるの」
意外な質問だったのか、わずかにハムレットは瞳に迷いを写す。
「そう――、では足を踏みながらご説明いたしましょうか」
音楽がフェードアウトし、ホールに静寂がそっと行き渡った。
二人は抱き合ったまま、たださりげなく一歩目を踏み出す姿勢を整え、手を握り直す。
一瞬の静寂。
そして、ぱっと輝きを取り戻すように音の流れがホールに届き渡り、二人は円を描くように舞った。
「わたしの父、先王ハムレットは世界の隅々まで名を轟かせた剛勇無双な人物でした」ハムレットはコーディリアから目を離さず、踊りながら話し始めた。「しかし、不覚にも毒蛇に噛まれ命を落としてしまった」
「ええ、それは耳にしています」
「どんな悲しみも時の流れのなかに溶け込み薄れゆくもの、それが生きる力……、正常な人間ならばね。ただし、わたしは父の死をどうやらべつのものに宛がってやりたいらしい」
「というと」
「先王ハムレットは毒蛇にやられたのではない。いや、王の熱い血液に紛れ全身を走ったのはまぎれもなく毒汁。ただし、それが蛇によるものかといえば、否」
「他殺、とおっしゃるのね」オフィーリアは声を落として、表面上は何事もないように舞い続ける。「根拠は。そんな国家的な大事。おありなのでしょう」
「ないのですよ」
「あっ――」オフィーリアの吐息が漏れる。腰にハムレットの手が回り、不意に強く抱き寄せられた。身長差から、彼女の踵が僅かに浮く。
「いや、根拠ならある。ないのは、父と武勲をともにする最強のハムレット・ソードです」
吐息がかかるほど、顔を寄せ合った。
コーディリアは我に返ると、失礼でない程度に軽くハムレットの胸を押して離れる。相手が別世界の王子でなければ殴り倒していたところだ。
「つまり、殿下の御推察によれば、先王ハムレット暗殺の首謀者は、同時にハムレット・ソードの盗人でもあるわけね」
ハムレットは頷く。
「だから必要なのです。父を思う子の当然の義務とはいえ、わたしは至極私的な理由からも、第一世界が固有・占拠する超通信技術が欲しい。これさえあれば、憎き罪人も探し出せましょう」
そううまくいくだろうか、とコーディリアは訝しがる。超通信技術はたしかに魔法同然の力だが、あくまで人間が作りあげた科学技術。けして万能ではない。そんなこと、ハムレットとて承知のはずだ。
ならば、彼は超通信技術をたんなる犯人捜しに利用するつもりはないのでは。それどころか、犯人ならばすでに心得ている。が、なんらかの理由から現状では手が出せない。その障害が、超通信技術を使えば取り除ける。
そんな相手とは――。
女傑コーディリアの頭脳に、思考の煌めきが走った。
「まあ、灰炎のジュリエットの捕獲、そして超通信技術の獲得。この思いに一癖二癖あるのは、なにもわたしだけではありますまい」と言って、ハムレットは視線を遠く伸ばした。「たとえば、我々のほか三人の代表CEO」
ハムレットの視線を追うと、タキシードを見事に着こなした美男子に行き着く。決意と覚悟を宿した瞳、力強い眉、しかし顔の線は細く生娘のよう。流星のようにまっすぐに長い髪は一つに束ねてはいるが、ステップを踏むたびに一緒になって舞っていた。
「彼は〈螺旋の世界フィア・ノウ・モア〉の代表CEO、超人フィディーリ。取り戻したい人がいるのだとか。つぎにあちらは――」
続いて、長身に細身、縁なしの眼鏡をかけた理知的な青年を紹介する。
「あちらは〈思念の世界テンペスト〉の代表CEO、ドクタ・プロスペロ。通信技術に関して、我々の切り札。最後に、彼は……、まあ、一番の謎です」
三人目は女の子のような少年だった。数人の淑女に囲まれ、踊るよりもおしゃべりに夢中のようだ。無邪気そのもの、といった笑顔だが、あれで一つの世界を代表する人物である。そう思うと、その笑顔に秘めた裏の一面とやらを考えずにはいられない。
「〈黒衣の世界ダンシィング・ウィル〉代表CEO、妖精ロビン=グッドウェロウ。本人はパックと名乗っていますがね」
強者ぞろい、といったところだろうか。しかし、戦略家としての知性も、また武人としての武力も、このなかでハムレットが抜きんでているのだろう、とコーディリアは分析する。もしかしたら、うちの全力のエドマンドよりも、この男は強いのかもしれない。
それほどの男なのだ、このハムレット・セブンスソードとやらは。
「とはいえ――」ハムレットは思い返したように呟く。「そういう姫様もまた、胸に一物仕込んでいる口でしたね」
コーディリアは聞いて、眼を細める。
「ときに貞淑さってやつは、我が身を滅ぼしますな。〝悪夢の王女〟」
「わたしを、王女と呼ぶな」コーディリアは、低く、鋭い声をハムレットに向けた。彼女から伝播した殺気に敏感に反応した何名かの強者が、ちらりとこちらに目をやった。
「いや、失礼。非礼をわびましょう。さあ、踊り続けて」ハムレットがステップを踏む。それに仕様なく応じて、コーディリアの躰が動こうとしたちょうどそのとき、
「殿下」華やかなホールが瞬時に暗転し、その闇の中、だれかが厳かに告げた。
「網に掛かりましたよ、ええ」今度は別の男の声だ。
それを聞いて、ホールのあちこちで紳士・淑女が「おお……」と感嘆の吐息を漏らす。
「なにがはじまるの」
「3・5次元空間にて行われる真の舞踏会――、そう銀河舞踏会です」
「銀河……、舞踏会」
「だが、だれもが踊れるホールにあらず。炸裂する情報を逐次処理できる頭脳をお持ちでなければ、たちまち脳がクラッシュする」
「わたしが恐れるとでも」
「よろしい」ハムレットは一度手を叩く。「さあ、みなさまお待ちかね。今宵、幾億の星に照らされる幻想的な舞踏会の第一夜がはじまります。だれもが我こそは、と戦陣を切りたいところと存じるが、ここはそう、勇敢なる〈鬼石の世界エレガント・キメラ〉に任せましょう」
ハムレットはコーディリアから一歩距離を置く。
「さあ、準備は整いました。あとはコーディリア様しだい」
コーディリアは頷く。
ハムレットが目を光らせる。
二人は手と手を伸ばし、こう叫んだ。
「宇宙の鼓動は」
「銀河舞踏」
世界が白の闇に消えてなくなった。
気付くと、そこは宇宙。
そんな錯覚をするほど、天には幾億の光、すなわち幾億の星。
コーディリアは一瞬、我を忘れ、その美しさに心を奪われた。
「ここが3・5次元」
天井も床も、惜しげもなく星の煌めきがちりばめられた空間。そこにアリーナ状に客席を設け、コーディリアは特別眺めのよい最上段の席にいた。周囲には、コーディリア、ハムレットほか三人のCEOはむろん、さきほどまで踊っていたエルシノア城の紳士・淑女の姿が認められる。
「エルシノア城自体がゲートなの」
「順序が逆です。ゲートの上にエルシノアを建てたのです。コーディリア様。なんとも変わりないご様子。あなたはこの銀河舞踏会で踊る資格を十二分にお持ちのようだ。さて、肝心の相手役もご到着のよう……」
すると、ホールの中央のなにもない空間が水面のように波打った。ちょうど人間大の波紋だ。そこから、真っ赤な髪の少女が「とん」と小さな足音を立てて着地する。
赤髪少女は、顔をあげて舞踏会を見渡すと、まるではじめて舞踏会に招かれたシンデレラのように意外そうな顔をしていた。
「あらら」
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「これはこれはみなさん、こんなところで舞踏会かな」赤髪の少女は腰に手を宛てて、惚けたふうに問い掛けた。
「そうですね。今宵この場は、特別な客人を招いての舞踏会がまもなくひらかれるところなのです」ハムレットが答える。
「それは、どんなお客人」
「なに、なんてことはない。ただ五つの世界を敵に回した愚かな娘ですよ。燃えさかる炎のような赤い髪に、屈服や挫折を知らぬ大きな瞳。一流の彫刻家がモデルにしたいと懇願するような完璧な肢体。年の頃は、そう、ちょうどあなたくらい、十と五つ」
赤髪の少女を指して言っているかのように、そのすべてがぴたりと符合する。いや、実際ハムレットは、彼女を暗に名指ししているのだ。
「エドマンド」コーディリアが騎士の名を叫ぶ。
その声に合わせ、客席から舞踏のステージへ青年が飛び立った。
「こい、ペルセウス――、エーテル通信」エドマンドは赤髪少女に対峙すると、右手を伸ばして声をあげた。
それは3・5次元と通常宇宙との物質情報通信を開始するコマンドだ。
青白い光とともに、エドマンドの右手に黒い石が現れる。
「我が〈鬼石の世界エレガント・キメラ〉の国家機関技術は宇宙開発。この鬼石は遥か昔に滅んだ種族の化石だが、これを通じて、我々はその強靱な種族の力をトレースすることができる」エドマンドは鬼石をぎゅっと握りしめると、その石が黒い、十字の刃となる。「エドマンド・R1」
赤髪少女はじっと身構えるように顎を引いた。
「答えろ。貴様は我々が探す赤の魔女か」
「だったらどうする」
「捕らえるまでだ」
「ぼくはただ好きな人と一緒にいたいだけなのに、なぜそうまで邪魔をするんだろうね」すっと深く呼吸。「そこを通してくれないか」
「通ればいいさ。力ずくでな」
「君、燃えるよ」
ぱっと一瞬、赤髪少女の背後に火の手が上がる。
会場にいる皆が、目を疑った。
徐々に、それが錯覚でないことに気づき始め動揺が広る。
彼女の周囲の大気が熱で揺らぎはいでいたのだ。
「知らないみたいだね」
「なにを……、知らないだって」エドマンドの額に、いやな汗が流れた。
「女の子はね。こんな細い躰の中に、いろんな秘密を隠し持っているんだよ」
そしてもう一度、エドマンドは少女から発せられたかのようなフレアを目撃する。
確信した。
「貴様が赤の魔女、灰炎のジュリエットか――」
「そう、ぼくはジュリエット。微笑み一つで第一世界を滅ぼしかけ、ただ一人で五つの世界から追われる少女。だが、それがどうした。王子様が捕らわれているなら救い出す。それが、ジュリエット・メアリ・キャピュレットなのです。ライドー」
これは開演の拍手。
ジュリエットは情報という概念の兵装をダウンロードする。
束ねる髪留めは外れ、燃えさかる焔のようにグラデーションがかかる長い髪。
赤を基調としたドレスは全身を包み込む。
踵の高いヒールをピンと履きこなし、胸におっきなリボンが花開く。
瞳に星が光るのは最後のおまけ。
そして決まりのセリフで締めくくる。
「不屈の光は赤の焔。魔法男子、ベータ・ジュリエット」
「ベータ版」客席の向こう側からコーディリアが口にする。
「無傷ではなかった、ということでしょう」ハムレットはやはりな、といった様子だ。「ヴェロナ事件、唯一の生還者の彼女だが、なるほど構築した兵装をほぼすべて犠牲にして生き延びたらしい。これは好機だ」
「ベータ版ごときで、よく戦う気になれたな」エドマンドはいっきに間を詰めると、その黒い十字の刃で斬りかかる――、が。
「ベータ版ごときでも、充分に戦えると思ったからさ」紙一重で、しかし余裕の表情でかわすジュリエット。
すれ違いざまに、エドマンドは立て続けに横なぎの太刀筋を与える、がかすりもしない。
「速い」
「いいや、君が遅い」戦闘機のバーナから排出される熱のように、ジュリエットのハイヒールから火の手があがる。その推進力を使い、氷のうえを滑るように高速で移動する。
ぐるりと半円を描くように会場を移動すると、その速力を落とさぬままエドマンドに突入する。
エドマンドはタイミングを合わせて腕を振り下ろすが、さらに加速するジュリエットには、数瞬、遅かった。
熱い風がエドマンドの髪を乱暴に撫でた。
「なんだあの動きは」
「ギルデン、ローゼン」ハムレットが技術者の名を呼ぶ。
「床を蹴る分子のベクトルを合わせているのです」太ったギルデンは、額の汗を拭いている。
「確率的にありえませんが、それも、超通信現象の一つです」顔色を青くしながらローゼンは説明する。彼らエンジニアにとって、それは自分たちの技能に完膚無きまでの劣等意識を与えるに充分な現実だった。
「ええい。もしかしたら、我々は雲を捕らえようとしていたのかもしれない」
「いいえ。それを言うのなら」コーディリアは舞台のジュリエットを睨みつける。「きっと、炎の揺らぎでしょう」
「こちらとて」エドマンドはペルセウスの出力をあげた。十字の刃が巨大化し、剣先は床にささる。それでもなお力を放出しつづけた結果、エドマンドは刃に躰を押されるようにして飛んだ。
会場を高速で滑り続けるジュリエット。
その速度に、エドマンドは完全に追い着いて斬りかかる。
しかし、軌道に柔軟性があったのはジュリエットのほうだった。
軽いステップで方向転換。
舞うように半身を捻り、ジャンプ。
空振りし、エドマンは床を斬りつけ、刃の強烈な威力を誇示するかのように床がわっと跳ね上がった。
追撃。
宙を漂うジュリエットに、エドマンドはやはり刃を伸ばし追従する。
「空中では避け切れまい」
今度こそ、と振りかぶる刃。
ジュリエットは刀身の峰を平手打ちしてそれを弾いた。
「馬鹿な。この魔法使いがぁ」エドマンドはペルセウスに、刃を巨大化せずに力を充填する。その結果、その形状に溜まりきない差分のエネルギが一気に放射された。
海面から覗かせる鮫の背びれのごとく、猛烈な速さで床を真っ二つに裂きながら黒い刃が泳いでいく。
それはジュリエットに向かっているが、その彼女の後ろには、ハムレットや、彼の主であるコーディリア姫もいた。
ジュリエットは、しかし避けようとはせず両手で受けとめ、真っ二つに、折った。
はっと会場全体が息を飲む。
「冷静になりなよ。頭脳はクールに、焔は胸に。そうだろう」ジュリエットは拳を胸に当ててこう叫んだ。「燃え上がれ、大志の焔」
すると灼熱の熱がジュリエットの拳から誕生する。
あきらかに危険。
ここは退かなければ。エドマンドの戦士としての嗅覚が警告する。
「殿下、情報量が急激に増大しています」ギルデンが所持する計器が危険域を示していた。原因はむろん、ジュリエットがこれからはじめようとしている“大技”に起因する。
「このままでは――」
「銀河の産声」二本指で銃を作り、
そして、
「スター・バースト」
蓄えた大量の焔を打ち出した。
周囲の空気を焼き焦がしながら、巨大な焔の矢がエドマンドに直進する。
彼もまた全力をもってペルセウスで灼熱を受けとめた。
想像以上の力だった。
耐えきれるか。
否、
無理だ。
受け流さねば、と彼が判断したとき、すでに遅かった。
黒い刃と化したペルセウスの刀身に白い亀裂が走る。
「くっ……」刀身を滑らせ、スター・バーストをなんとか打ち上げる。
疾走する焔の矢が轟音と共に上空で爆散した。
代償として、ペルセウスは朽木のようにぼろぼろと身が欠け落ちていった。
「殿下、トラフィック・コンジェションです」ローゼンは落着きを失いながら情報過多を告げた。眼鏡がずれている。
「ええい。聞いてのとおりだ、痛みわけとしておこう、ジュリエット。ノイズで帰り道を失ってしまうなど、互いに望むところではないだろう」ハムレットは提案するが、これは賭けだった。実は、ハムレットら第二世界は、自分たちの帰り道を失わぬように、躰に糸を結びつけるように定期的にもとの世界と交信しつづけていた。この信号を失うことは、同時に帰り道を失うことである。情報過多という情報崩壊状態では、この帰り道の信号をまず失う。ジュリエットも同様に情報崩壊状態では満足に移動できない、という境遇でなければ、自分たちだけが撤退し、彼女だけは3・5次元に留まれる、となってしまう。
「実質的に勝利な、痛み分けかな」
ジュリエットの返答に、ハムレットは賭けに勝った、と安堵する。
「撤退だ」
舞踏会場全体が光りだした。
7
銀河舞踏会は閉会した。
集まったバグフィルタ計画の紳士・淑女は、自分達の世界へいったん戻っていた。エルシノア場もいまは照明を落とし、薄闇のなかしんと静まりかえっている。
残るのは、たった三人。
〈ムーンライト・セレネード〉のハムレット・セブンスソード。
〈エレガント・キメラ〉のコーディリア、そしてエドマンド。
ハムレットは戦闘を終えたエドマンドに話しかける。
「歯がゆいな。全力で戦えぬというのは」
「感嘆に値する力だったけど、こと戦闘能力に関してはどうということはない。ふふっ、R3状態ならば苦もなく勝てるわね、エドマンド」
エドマンドはふっと短く、口の端を持ち上げて不敵に微笑んだ。
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ジュリエットは宇宙の挾間にいた。
トラフィック・コンジェション後、彼女は銀河舞踏会の3・5次元から、とある目的の宇宙へ移動していた。もともと、その宇宙に行く途中でハムレットらと交戦になったのである。
「ん、なんだこりゃ」ジュリエットは違和感を覚える。どうも目的地のゲートに蓋がしまっているようだ。普通はありえない。現地の人類が、意図的に封鎖しているとしか考えられなかった。理由は不明。
「人見知りなのかな」と呟いてみるが、もちろんそんなわけでないだろう。
ともかくも、その蓋、ないし門を開かなければ通常空間へ出られない。
ジュリエットは自分を構築する物質的な情報よりもさききに、より小さな情報だけを先に飛ばした。ゲートを塞ぐ口をすり抜けて、その情報が解錠の情報を引っかけてジュリエットの手元に戻ってくる。彼女は手にした鍵をもとに、扉を開いた。
超通信現象を駆使する魔法使いにしてみれば、そのセキュリティは一桁の暗証番号で保護しているようなものだった。
こうして、ジュリエットはなんの苦もなくゲートをくぐり、「とん」と小さな足音を立てて着地する、が――。
「あらら」
出迎えたのは、迷彩柄の衣服を着用し、銃口と戦士の視線を向ける屈強な男達だった。
「デジャヴ」
第二話「信仰の世界 ヒダカミドウ」に、つづく。