chapter 3
3
そんなこんなで、天宮羽衣がジュリエットの異変に気づいて、彼女を一日中観察していた放課後のことである。
「ジュリ恵、なんかきょうは変ね。いやいつも変だから安心して」
「言っている意味がわからないよ、うぃー……」
二人は校舎を散歩しながら会話する。
誘ったのは羽衣のほうからだ。
どうにも今朝から、ジュリエットの様子が気になっていた。
パソコンで動画を見ていたらキーボードの上の踏み歩く猫のような彼女が、きょうに限って主人の顔をじっと見つめたまま伏せている犬のようである。
中庭のベンチで吹奏楽部による管楽器の音色に耳を傾けたり、グラウンドで部活動をはじめだした運動系の生徒たちを眺めたり、隊列してランニングをする「センパーイ、ファイオ、ファイオッ(空耳ではない)」のかけ声を聞きながら、すこしずつ羽衣は、ジュリエットの重りを探っていた。
散歩は世話焼きな羽衣が友人の悩みを聞き出すときのスタイルだ。静かな場所だったり、躰を動かさなかったりすると、自分の感情に感情移入しすぎる危険があるから、というのが理由である。
きょうはジュリエットの監視役を自称する猫山曹長と兎田軍曹の二人がいない。
というより、彼らはちょくちょく姿を消す。本当に監視役を遂行する気があるのが疑わしいが好都合だ。
邪魔者はいない。
羽衣はてはじめに軽いジャブを打つ。
「きょうのボケはさ、ずいぶん大人しいじゃん」
「ボケてないよ」
「言い方を変えましょう。きょうの天然はずいぶん大人しいじゃん」羽衣はゆっくりと、歩調と合わせたペースで話す。「どうしたの、このあいだ言ってた親友の悩みを聞いているうちに、自分まで気が滅入ってきたとか」
「いやロメオ様のことは、まあ自業自得というかなんというか……」
「ロメオ、だれそれ」
「ロメオ様は親友じゃなくて、ぼくの恋人で……。いや、なんでもない」ジュリエットの声には、あきらかに覇気が無かった。「たまにあるんだよ。心が飛んで行きそうな感じ。きょうは自己嫌悪な夢を見たから、朝からずっとさ。だから大丈夫」
「むしろ大丈夫に聞こえなくなってきた」
「心配してくれたの。ありがとう」
逆に励まされたような格好に、羽衣は照れくさくなって話題を変える。
「て、ていうか、なによ恋人って。聞いてないし。なに、どんな人なの。そのロメオってのは」
「えっ、ロメオ様」ジュリエットは目を丸くしたと思えば、すぐに碧眼を陰気に曇らせる。
彼女はぼんやりとした視線を斜め下に向けたまま、ボソボソと恨み言のようにつぶやく。
「ロメオって男はね、いい感じの幼なじみの子がいながら、もっと美しい子が現れたとたんに心変わりして、幼なじみの好意を知りながらも付き合っているわけでもないからって知らんフリして新しい美女の尻を追いかけに行った正真正銘の糞野郎だよ……」
「とても現在進行形の恋人とは思えない説明ッ――」
「すべてはヴィーナスおもひれ伏す、この絶世の美女が元凶なんだけどね……」
「っていまの説明、あんた振られそうになった幼なじみじゃなくて、男をたぶらかした美女のほうだったんかい」
「そうだよ」
「からの真顔ッ。ヤベエぇ、お似合いのカップルだゼ――」
流れるツッコミにひとしきり満足したのか、羽衣は肩で息をしながら呼吸を整える。
「うぃーのほうはどうなの」
まずい。矛先を自分に無からはじめたぞ。と思うも、ジュリエットがずずずっと顔を寄せる。
至近距離で見つめ合うも、羽衣は一瞬で耐えられなくなって目をそらす。薄暗い取調室で卓上照明を当てられ「さあ白状しちまいなっ」と迫られる警察ドラマのワンシーンにある刑事と容疑者のやりとりに似ている。
「いない。あたし正直、恋愛とか興味ないし」
「本当。年頃の女の子なのに」
「マジで。ていうか顔近っ。なんであんたはそうやってぐいぐい近づいてくんのよ」
「ああ、ごめん。なんか話に夢中になっちゃうと前のめりになっちゃっうんだよね、ぼく」と言いながらジュリエットが再接近。
「やっぱいるから。ちょっと気になる人いるから。白状するからちょっと距離とって」
「ほら、いるんじゃなぁい」
「ただ、どこのだれかわからないし。たぶん、だいぶ年上」
「えっ、なにそれ。どゆこと」ジュリエットが小首を傾げる。
「小さい頃からちょくちょく現れるのよ。あたしが困ったときに限って」羽衣は思い出す。「おっきなショッピングモールで迷子になったときとか、車にひかれそうになったときとか。あと、誕生日に、毎年、プレゼント送ってくれる。結構、高価なやつを」
「いわゆるスパイダーマンだね」
「いやたぶんちがうぞ。あんたなに言ってるんだ」
「親戚のおじさんじゃいの」
「うーん。たぶん、両親の知り合いかなって思う。うちの親さ、二人とも軍医なのよ。お母さんは退役したけど、それこそ親父なんて、中島の部隊よ」
「うぃーのお父さんが。そうだったんだー。こんど会ってみよう」
「いやべつにうちの親父に会ったって、なんも面白くないし」羽衣が顔のまえで手を振る。「でもプレゼントはホント謎。たとえ親父が世話になった医者だとしても、その娘に毎年誕生日プレゼントするかね。親に聞いても教えてくれないし」
「いまでも、もらってるの」
「うん。去年も」羽衣は頷く。
「じゃあ直接会って聞いたらいいじゃん」
「それが避けられてるのか、顔だってまともに見たことがないのよ」羽衣は幼い記憶を思い出す。「けれど、迷子になったとき、あのとき、おじさんに背負われたとき、お父さんよりも大きくて柔らかかった記憶があるわ……」
幼い頃の儚い記憶に、少なからず哀愁の情を感じている羽衣だが、そこで空気を読まないコメントをするのがジュリエットという人物である。
「熊のような」
「あんたは人の思い出にケチつけないとどうにかなるリアルネット弁慶か」
「リアルネット弁慶って矛盾してない」
「正しい誤用よ、ジュリ恵」
「おーい、ジュリエット」遠くから男の呼ぶ声がする。
地面と腹を揺らしながら、巨漢が走り寄ってきた。
「はぁ、はぁ……。うっ、ごく」観月智一はたいした距離でもないくせに、本人的には必死なようで呼吸も荒々しく喋る。「ジュリエット、そろそろ、帰るぞ。はぁ、はぁあ」
「あんたなに一人でフルマラソン走り終えてるの」と二人の少女に無言であきれられているが、観月智一は酸素に夢中でそれどころではなかった。
「熊っぽいっていったら、観月博士じゃない」
ジュリエットの発言に、羽衣はカチンと頭にきた。
こんなちょっと駆けただけで鼻水垂らして息も絶え絶えの肥満男が、あたしの謎のセクシー富豪おじさま(すくなくとも謎なのは確かだ)だと。そんなはずがないじゃないか。
とうぜん、羽衣の八つ当たりの対象は、酸素を求めて絶賛呼吸中の観月であった。
「なんかここ、空気薄くなぁい」
「酷っ。それ俺のせいって言いたいのかよ。ゼイ、ハーッ(呼吸音)」
「なに、気象操作の魔法か」
一人別の理由で警戒心を高める少女に、羽衣と観月は息の合ったツッコミを浴びせた。
「ちがう。そうじゃない」




