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銀河舞踏会 ガンマ・ジュリエット  作者: やまなし
第一話 「灰炎の魔法男子 : vs. Edmund」
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第一話 「灰炎の魔法男子」 Aパート

   Aパート



 石畳の廊下に響くのは、底に鉄の板を引いたブーツの足音。開放的なアーチ戸から注ぐ朝日は、なんの心配にも犯されぬ道化のような陽気。空間の大半を占めるのは、静謐さを演出する、朝づゆを含んだ空気分子たち。その邪魔と承知しつつも、エドマンドは、はやる気持ちを抑えることなく足早に離宮の廊下を進んでいた。

 一つ目の角を曲がり、緩やかなスロープを登り始める。

 権力者という奴はまったく、高いところに好んで住みたがる。

 一瞬、暗がりの通路を歩いた。

 それもつかの間。

 刺すような光に襲われる。

 頭を伸ばしてみると、視界いっぱに花の園が広がった。

 少女の声が聞こえる。

 大人の女にもなりきれず、かといってなにも知らぬ無垢な幼女でもなく、その狭間に身を遊ばせる十代半ばの女特有の笑い声だ。猫のように無邪気で、かつ狡猾な気性を感じる。それに混じるのは、複数の男の声。

 まぶしさから眼を守るように片手を添えてエドマンドは見た。

 少女は五人の男に取り囲まれていた。いずれも容姿に優れた男子たちだ。

 彼女は楽しげに眼を細め、美男子たちにふざけ半分に躰をゆだね戯れているようだ。

 エドマンドは一度、気合いを入れるように鼻から息を噴射させてから声をかけた。

「姫様」

 ところが、とうの少女どころか取り巻きの男子たちにも気付かれない。

 エドマンドは、邪険にされるのも覚悟で――、というよりもそれが自らの立ち回りと心得て、無遠慮に少女に近寄った。

「姫様、お時間いただけますか」エドマンドは多少、語気を強める。

「あげなぁい」少女は甘い声色で断り、眼も合わせようとしない。「ふふふ、ねえ、こっちは違う色、塗ってよ。あたしに似合う色をね」

 一人の男子が、少女が伸ばした長い左足を両手で包む。その足の爪に、小さな刷毛で色を塗った。そういう流行の装飾を、男どもにやらせているらしい。見ると右足の爪は、すでに塗りおえてある。自分ではやらない。が、それでいて似合う色を選べ、と傲慢知己なところが彼女らしい。自分ならむっつりとした態度で断ってみせるが、彼ら――どうせどこかの貴族男子だろう――は、喜んで少女の言いなりになっていた。それは構わぬが、一人の男子が、彼女のブロンドに手櫛を駆けているのは、どうもしゃくに障った。

 その気持ちもよそに捨て、エドマンドはさらに言葉を強く言い放つ。

「お遊びが過ぎるようで、姫様。パーティは終いです」

「あたし動けないからぁ、またあとにして欲しいのう。わかる」少女は塗りおえたばかりの長い足をエドマンドに向けて、蠱惑的な視線を送った。「まだ乾いてないから歩けない」

「ならば」エドマンドは強引に、少女の背と両足に手をまわす。そして、彼女を抱えたまま、もと来た道を歩いた。

「ちょっと、騎士の分際をわきまえなさい」少女はエドマンドの胸に細い拳で叩いて抗議する。「なんの許可があっての非礼かしら」

「ケント伯がお呼びです」エドマンドは、少女にそっと耳打ちした。

「おじさま」少女は小首を傾げる。「担ぎ上げてでもつれてこいって、命令なの」

 エドマンドは口をひらかなかった。

「あぁあ……、ケントおじさまの騎士って、随分、仕事熱心なのね」

「恐縮です」

「褒めてないなぁい」少女は閑念したのか、吐息を漏らす。「で、用件は」

「ケント伯が、倒れられました」

 わずかな沈黙。

 もちろん、エドマンドの足はとまらない。

「いつの話だ」彼女の口調は、まるで貴族男子を侍らせていた少女と同一人物とは思えぬ鋭いものに変わっていた。

「今朝方。日が昇っても現れぬ主を不審に思ったメードが寝室を覗くと……、床を這うように倒れたままだったとか」

「怒るぞ」

「報告が遅れました。しかし、用件が用件だけに、こちらに耳を貸す気配のない姫様になりますれば――」

「ちがう。手が尻に触れている」

「……そちらですか」

「ほかになにか」

「いくらでも」エドマンドは、ちらりと胸の中の少女に眼を向ける。「驚かれないのですね」

「相応の歳だもの。こればかりは致し方ないわ。くわえ昨今、なにやらヴェロナ事件関連に手を出しているらしいし。そちらに生気を注ぎすぎたのでしょう……。そのあたり、おじさまの筆頭騎士・エドマンドとしてはどうなの」

「どう、とは」

「あなた、女が苦手でしょう」

「得意でもありません」エドマンドは表情を変えずに言った。

「わかった。逃げないから放して」

 エドマンドは言うなり、彼女をそっとおろした。

 少女は素足で床に立つ。

「PDAを使わなかった理由はなに」少女はなぜ端末で呼び出さず、わざわざ屋上まで登ってきたか、と訪ねている。

「傍受の危険は避けよ、とはケント伯のご指示です」エドマンドは率直に答える。

「例の事業に絡んだ話題か」

「詳しくは、なんとも」

「ぼくの口からは話せませんって」少女は挑発的に言う。「ふん、まあ十中八九、それでしょうけれど。ただあたしを可愛い可愛いしたいだけなんてこと、あのケント伯にはありえないわけだし。読めぬおじさまね」少女は自分のカラフルな両足に視線を落とした。「そう、このセンスの欠片もないペディキュアなみに読めないおじさまだわ……。あいつ、もう誘うのよそうかしら」

 哀れ貴族男子。

 気まぐれ姫に似合わぬネールアートを施した彼は、どうやら遊び仲間から省かれるよう。もちろん、その名も顔も知らぬ男に同情する気もない、エドマンドではある。

「一つ聞くわ」すでに、一つも二つも聞いている少女が訪ねる。「お姉様方には、このことは」

「それが、キング・リアの勅命らしく……」

「はは、おもしろい」少女の笑みはもはや少女の笑みではなく、その顔に黒い、幾千の野心を伺わせた。「聞かせてもらおうか。自身に下った勅命をこのわたしに――、コーディリアに横流しするわけとやらを」



 まるで花から生まれた妙。

 第三王女・コーディリアは恵まれた容姿に生まれもつ。すくなむとも、そうエドマンドは思う。光にも負けぬブロンドは白のリボンによって頭の高い位置で二つに結われ、大きな瞳は曇りない青にして野心の塊。すらりと長い肢体は、得意の剣技を舞うにはちょうどよい。

 そんな彼女も、数えて十五になる。

 そろそろ身を乗り出して配下を作り、さきに生まれた姉たちとの玉座争いにも力を注がねばならぬというのにこの王女は宮廷から一歩も外に出ようとしない。これでは怠け者の町娘と変わらないだろう。

 王女の心はなにを求め、なにを憂うのか。

 それがエドマンドにはわからなかった。コーディリアの後援者・ケント伯に使える騎士、というワンクッション置いた間接的な関係であれど、彼女が幼いころから側にいたというのに。

 さて、二人は太陽が昇りきるよりも早くケント伯邸に到着した。

 出生が遅く、後援の期待値が小さい第三王女の後ろ盾は少なく、そのためコーディリア陣営の貴族は比較的一都市に集中している。王族専用のエアラインを使えば、コーヒーをゆるりと楽しむ時間もかからない。

 ケント伯邸の門扉をくぐると、出迎えたのは礼と義を身につけた優秀なメードたち。

 ここで、律儀に王女の後ろにずっと控え付いてたエドマンドは足をとめ、初めて彼女と距離を開ける。それに気づいたらしく、コーディリアは振り返った。

「わたしはここまで」エドマンドは聞かれるまえに答えた。

「ふん」と鼻から吐息を漏らし、コーディリアはロビーをすすみ、中央階段をあがっていった。



「失礼します、おじさま」コーディリアは二度扉を叩き、返事を待たず開いた。

 暗い。

 部屋は厚いカーテンで光を閉ざされ、その隙間から刃のような日光が刺している。

 内装は上等だがけして派手でなく、落ちついた雰囲気の部屋だ。まるで、ケント伯の内面を表しているようである。

 そのケント伯は、ベッドに横になっていた。

 目を閉じている。寝ているのかもしれない。

 コーディリアは努めて足音を消して近寄った。

「よう来て下さった……」ケント伯は目を閉じたまま言った。ゆっくりとした発音だ。頭髪は白く、豊かな頬か顎にかけて生える豊かな髭もまた白。歳のせいで年々衰えつつあった伯爵だが、また細くなったようだ。コーディリアは自分のことように気を落とした。文も武も、すべては彼から教わった。コーディリアにとって師匠というべき恩人――、それがアール・ケントである。

「元気そうでなによりですわ」

「そうみえるかね」

「思ったよりは」

「かわいらしさの欠片もないちびさまだ」ケント伯は眼を細める。第三王女をちび呼ばわりできるのは、世界でも彼だけだろう。「エドマンドから聞いたかね」

「彼がなにか先んじて口を滑らすような気の利いた男でした」

「そうだったな。単刀直入に……、そう、わたしの任を継いでいただきたい」

 ほらみたことか、とコーディリアは内心で手を打った。彼女はベッドに腰を下ろし、体勢を楽にする。

「第一世界との道が絶え、はやひと月。五つの世界が互いの科学技術と優秀な頭脳を合わせてはいるが、復興のめどは立たない。これに関して、主導的な立場にあるのが、知ってのとおり第一世界と傘下の我々第二世界による六世界技術連携協定だ」長く話すのがおっくうのなのか、ケント伯はここで一呼吸の間を置く。「これとは別に、秘密裏の活動がある」

「キング・リア勅命の、ね」

「正しくは、五つの世界、それぞれ五人の王によるものだ」ケント伯は眼だけをコーディリアに向ける。「バグフィルタ計画……」

 コーディリアは眉を顰めた。

「この計画にて務める、我が〈鬼石(きせき)の世界エレガント・キメラ〉代表CEOを譲ろう、コーディリア姫」

「わたくしに煤掃除をしろとおっしゃるの……」気を張っていただけに、コーディリアは思わず拍子抜けして肩の力が抜けてしまった。

「そう……、そういうことだ。ただし、相手は宇宙一強力な煤だがな」ケント伯は低い声で笑う。「なに、簡単な話だよ。ヴェロナ事件の犯人――、赤の魔女こと、灰炎(かいえん)のジュリエットを捕らえる。それがこのバグフィルタ計画だ」

 灰炎のジュリエット――。

 その言葉を聞いたとき、眠り掛けていたコーディリアの眼は力を取り戻す。

 これは遡ること一ヶ月まえ、第一世界〈スーパ・シー〉はヴェロナで起きたことだ。

 三次元生物である人類が認識する宇宙は一つだけしかない。だが、宇宙本来の構造は、歩んだ時間軸が違う無限の三次元空間が隣り合って成っている。当然、別の宇宙ではそれぞれの人々がそれぞれことなる進歩を重ね、違った知識と技術を手にしている。この宇宙の構図と、その隣人に気付いた人類――これを第一世界と呼ぶ――は、異なる宇宙間での交流を試みた。ここで必要になるのが、〝どこの宇宙へ〟という位置情報である。四次元的な宇宙のうち、三次元的な三軸の位置情報は取得可能であり、第一世界はその位置情報を、いわゆる〝世界地図〟として蓄積している。事件は、この世界地図を盗み出そうとした人物によって引き起こされた。

 名をロメオという。

 彼は<スーパ・シー>でも随一の情報処理技術者で、魔人とまで呼ばれた男だ。性格は実直にして温厚。だれも、祖国を裏切るような人物だとは思いもしなかったにちがいない。そして、愛した女のためならば、すべてを燃やし尽くすほどの情熱を胸に秘めた男であったことも、想像にし難かった。

 立場的に世界地図に近づきやすかったロメオは、この世界地図と解除キーの二つを手に、恋人のジュリエットとともに逃亡を図ろうとした。

 そこに立ちはばかったのが、氷結の焔・ロザライン。

 ロザラインは魔法使いクラスのハッカであった。それでも、ロメオとジュリエットの二人を同時相手にするのはさすがに酷だったようだ。ついに身の危険を感じた彼女は、ロメオ最後の一撃の間際――、狂乱。力を暴走させた彼女が放出する氷結の焔は、ロメオを氷の中に閉じこめた。

 こうしてこの事件は終わりを告げたのである――、とはいかぬのが現実だった。

 恐るべき狂乱のロザライン、と言うべきほかあるまい。

 彼女の力はロメオを捕らえてもなお衰えをみせず、ヴェロナすべてを氷結の焔で飲み込もうと浸食を続けたのだ。

 ロザラインをとめなくては、街一つが凍らされてしまう。

 だが、分厚い氷結の焔に包まれたロザラインには、外部からはなんの干渉も与えられなかった。

 やむを得ず、〈スーパ・シー〉はある苦渋の作戦を決行した。

 狂乱のロザラインをロメオとともに別宇宙に廃棄したのだ。

 これによって、ヴェロナは危機を脱した――、と推察されている。

 断定はできない。

 なぜならば、その後のヴェロナの様子を知る者が界外にいないのだ。宇宙を繋ぐバイパスが、狂乱のロザラインという異物を無理に飲み込まされたため大破してしまったためである。

 こうして、第一世界〈スーパ・シー〉との交信は途絶えた。残された傘下五つの第二世界は力を合わせ、第二世界側からどうにか〈スーパ・シー〉への道を復旧中、というわけである。

 これが宇宙史に残るであろう、ヴェロナ事件として知られる一大事の顛末だった。 

「バイパスが破壊されるまえに3・5次元に逃れたただ一人の人物、灰炎のジュリエットは、封印されたロメオを救うために、世界移動を繰り返している」ケント伯は説明を続けた。

「世界移動の際、かならず通過する3・5次元空間で待ち構えていれば、いずれジュリエットと出くわすだろう、ということですか」コーディリアはケント伯の言わんとすることを先読みした。

「封印されたロザラインおよびロメオの両名も、3・5次元空間のどこかをまださまよっているはずだ。ジュリエットよりもさきに手に入れる。これがまずもっての急務」

「ついで、ロメオを人質にバイパスの復旧をジュリエットに手伝わせる……、いや、ジュリエットを通じて超通信技術をいただこう、というのが本命ね」

「推薦状は姫様のプライベートサーバに送った。あとは好きになさい……。ああ、喋りすぎたよ。わたしはすこし、休むとしよう」

「ふふふ、悪い人」コーディリアは口だけで笑った。

 ケント伯との用件を終えたコーディリアは、部屋の扉を後ろ手に占めた。

 おもしろいことになったな、と正直、胸が躍った。

 久々に燃えるではないか。

 頭脳は活性化し、沸き立った熱い血液が全身を巡る。

 華奢な躰に蓄えきれない熱は、不敵な笑いとなって排出された。

 エントランスに戻ると、エドマンドは律儀に踵を揃えて待っていた。その彼の前を通り過ぎると、彼は黙ってついてくる。

「どこまで知っている」コーディリアは振り向かず、歩きながら訪ねた。

「すくなくとも、姫様がご存じ以上のことは」

「ならば、説明はいらんな。すぐに用意いたせ」足をとめ、振り返り、コーディリアは大きく告げた。「エドマンド、パーティだ。パーティに出かけるわよ」

「会場はどちらにて」

「〈鍛冶(かじ)の世界ムーンライト・セレネード>」


     4


「ハムレット・ソード――、アルカイドライト」ハムレットは叫ぶと、右腕を横一文字に振った。刹那、ハムレットの右腕の〝見えないなにか〟が、身の丈の倍はある氷の塊を撃ち、一瞬、閃光が放たれた。

「おお、殿下。お気をつけください」

「割れてしまえば、どうなることか」

 ハムレットの後ろで控える二人の男が肝を潰した様子で声をかけた。

「打ったこちらのほうが痛めたよ」ハムレットは右腕を興味深そうに眺める。「熱するほどに凍てつく焔、とな……。恐ろしい。これが確率論を従える、魔法使いの力とやらか」

 ハムレットはもう一度、眼前の氷をまっすぐに見据えた。その氷は濁りなく透きとおり、氷の向こう側まで透かしてみせた。そのうえ、この3・5次元空間内を輝かせる幾億の星々の光の反射が見事な光沢を放ち、神秘的な美しさを見るものに与えている。

「灰炎のジュリエットを捜し出すはずが……。ふん、このヴィスティブルマルク・システム。処女起動で、まったく別の漂流物を照らし出しやがった」ハムレットは腕組みして、意味深に呟いた。「拾う神に、運命をちょいと指で弾かれたかな」

 見上げれば、天高く3・5次元の綺羅星に負けず輝くシャンデリアが吊ってある。これは3・5次元空間内を常時警戒するパッシヴなセンサだった。簡単な話、ヴィスティブルマルク・システムが機能しているあいだは、何者も無断でこの時空間を散策できない。灰炎(かいえん)のジュリエットといえども――、である。

「しかし好都合ではあります」眼鏡をかけたスーツの男が言った。神経質そうな表情でどこか落着きが欠けてみえるが、彼はこのヴィスティブルマルク・システムを開発した主任技術者の一人である。名をローゼンという。

「いづれは探し出さねばならいのですし。ええ」露骨にうわべだけの笑みをつくっているのは、ギルデン。背が低くたっぷりと腹に肉を蓄えて、縦横の比からさらに小さく見えた。彼もヴィスティブルマルク・システムの主任技術者である。

「まずは喜ぼう。首尾よくシャンデリアを飾れて、この手作りのホールも、第一世界製ほどでないにせよ踊れるほどには整った。これで当分、この牢獄からおさらばできるというわけだ」

「牢獄」ギルデンが聞き返す。

「どこへでも通じる3・5次元空間だが、地図を持たぬ我々はどこへにもゆけない。無限の世界の存在を知りながら羽ばたけないこの舞踏会場を、牢獄といわずなんと言おう」

「わたしはそんなふうに感じたこともありませんでしたが……」ローゼンは言って、同意を求めるように隣のギルデンに視線を配る。

「それなら二人にはそういうことだ。なんにしろ、善しも悪しも当人次第。考え方しだいさ。ただこのハムレットには牢獄だった――、それだけのこと」

「それは殿下が大志をいだいていらっしゃるからですね」とローゼン。

「なるほど、それではたった五つ世界では、いかにも狭すぎましょう」と続けてギルデン。

「なにを言う。俺はたとえクルミの殻に閉じこめられようとも、いずれは無限の宇宙を手中に収める王になる、と信じて疑わん男さ。ま、悪い夢さえみなければな」

「いずれにせよ、これでキング・クローディアスも一安心でしょう」ギルデンは大げさに頷く。

「そうそう、その叔父上。王には内緒だよ」ハムレットは人差し指を口元に添えた。

「どういうわけで」ローゼンは天然の縮れ毛頭を掻きながら訪ねた。

「なになに。叔父上も即位してから間も置かず、身辺整理もままならぬうちにこの一大事。心落ちつかせる暇もなく慌ただしかろう。そこに、あれだこれだと俺達が騒ぎ立てて、余計な仕事を増やすものじゃないよ。これは灰炎のジュリエットを捕らえる、希望の光の木漏れ日にすぎぬ。王に報告するなら、もっと大きく仕事を成功させてからでなくてはね」

「そういうものですか」ローゼンが眼鏡を直しながら首を垂らす。

「そういうものさ」

「しかし、さすがに同盟国には報告しなければ」ギルデンは笑顔のままだ。

「そう、同盟国にも秘密にしなければ」

 判断を躊躇する二人は顔を見合わせる。

「なあ。俺達は幼なじみじゃないか」ハムレットは渋る二人のあいだに入って、両腕で二人の肩を抱き寄せながら明るい声でしゃべった。「隠し事など重ねに重ね、隠し事の城を建ててしまうほどつくった仲だろう」

 そらからハムレットはこの場にいる、もう一人をはじめて気付いたように軽く戯けた視線を向けた。

 そんな眼を向けられたのは、まだ十四になったばかりの娘。床に引きずるほど長い髪は、まずだれもが美しさに見入ってしまうだろう。それは桔梗に染められたかのような淡い青みがかった紫色をしている。

 ハムレットは声のトーンを一つ下げて言った。

「お前も秘め事の仲間だよ、オフィーリア」

「この胸にしまい錠を掛け、鍵はそちらに差し上げます」オフィーリアは可憐な微笑みを王子にプレゼントした。「なにごともハムレット様の仰せのとおりに」

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