chapter 1
Aパート
1
ここは〈思念の世界ダンシングウィル〉でも最上の聖域〝アーデンの森〟。
寒くもなく、熱くもない。
不自然なほど静寂で風もない。
ただあるのは、果てない先に天を貫く高さを持った木々が、さらに果てなく八方に広がる光景だ。だから光が差し込む隙間はないはずなのに、光子は充分に満ちていた。
どうやって支持されているのか不明な宙に浮かぶワインレッドのソファーは、この森で人工的な異質を放っており、反り返って座るあどけない少年はさらに異質だった。
バグフィルタ計画にて、この世界の代表CEOを務める少年。
彼の名は、邪悪な妖精パック・ロビン=グッドフェロウ。
グレーのボブカットにライトグリーンの瞳が印象的な、人目を惹く猫のような容姿。だが猫っぽいのはむしろ性格のほうで、世界最高峰の頭脳を持つイノベーションズの面々も彼の才能を持て余していた。
老齢の最上位神官はひざまずくと、恭しく頭を下げる。
「ごきげん麗しゅう。ロビン=グッドフェロウ様」
「パックって呼んでよね。これから昼寝する予定だったんだけど」
「大変お忙しい御身であるロビン=グッドフェロウ様と承知してはおりますが、案件が案件故――」
「あーはいはい。なにさ」パックはぞんざいに手を振って話を促す。
「わたくしから議会の決定事項を申し伝えます」
「そんなつまらないことまだ考えてたの」
「結論から申し上げます。やはり、我々〈ダンシングウィル〉は、今後一切の舞踏を辞退致します」
「ま、そうなるよね」パックはとうぜん、といった様子で興味もなく頭を掻いた。
神官は首を垂れたまま身動き一つせず、パックの嘲笑に身をさらした。
「『あちら側』のも含め、百八つある第二世界で文明レベル単独一位。もっとも第一世界に近い第二世界と評されながら、その実、いまにも死にかけた老人の世界ってね」
「返す言葉もありません。ロビン=グッドフェロウ様」
「〈黒衣の世界ダンシングウィル〉の国家基幹技術は〝スーパアリス・テクノロジ〟。つまり、エグゼとクェリからなる超通信技術の半分は獲得している。これによって、君らは人類の心的情動を深層から従僕に作り替え、有史以来耐えることのない戦争の根絶に成功した。そのほかもろもろ。飢餓、貧困、差別、疫病に虐待、無教養。あらゆる悪も淘汰して、人類が夢にまで見た楽園社会を築いたのであるぅ」
パックは愉快な人形劇を演じるように言った。
「だーけーど、代償は大きかった。種として永続繁栄に必須なある要素を失ってしまったんだよね」
「〝闘争心〟という歩み続ける力」最高位神官は頭を垂れたままつぶやいた。
「戦う必要がないから戦う技術も心もない。この世界は、緩やかながら確実に終焉へ向かう老人の世界だ。あとパックって呼んで」
「お恥ずかしい話、我々には他の第二世界のように灰炎のジュリエットの舞踏に耐えうる戦士がおりません」
「戦後処理の利益分配で不利になるよ」
「このヴェロナ事件という一大事に当事者として参加する。久しく忘れていた危機感というものを、この世界の人類の本能に刺激するそれこそが、我々〈ダンシングウィル〉がバグフィルタ計画に参加する唯一の目的。超通信技術など、無用の長物なのです」
「ふーん。まっ、そのところ口出しはしないさ。バグフィルタ計画も〈ダンシングウィル〉も、ぼくにとっては些末だよ。代表CEOだって好きでやってることじゃないしね。これは〝懲役〟なんだから」パックはライトグリーンの瞳を黒く光らせて言った。「あの威張りんぼなキング・オーベロンに命じられたね」
「承知しております。つきましては、辞退の申し出を我々から――」
「ちょい待ち。ただ断るだけじゃあつまらないよね。出番を譲る代わりに、なにかしらの要求をしてみたいもんだ」
「とおっしゃいますと」
「うーん……。そうだ。踊り手をぼくが指名するってのはどうだろう」
「他世界の、ですか。しかしながらそのような権限はありません」
「それがだよ。なんだかみんな顔を見合わせて彼女を放置してる様子でさぁ。勝つ気がないんだよ。だから案外、この要求はすんなりとおるかも」
さんざん邪悪な笑みを浮かべていたパックだが、やっと年相応な――といっても外見だけがだが――、悪戯な顔を見せた。
「当てならある。きっと滑稽なステップを踏んでくれるはずだよ」
「お言葉ですが、これは遊びではありません。我々にとっては種の存続を賭けた――」
「遊びさ」パックは表情を変えず断じた。「人生ってのは、もっとも無価値であるべきだ。それが高尚という意味だよ。わかるかな、下等な〝三次元生物〟君」
最高位神官は、しかし出かかった言葉を飲み込む。
「いずれにせよ、この戦が長期に続くほうが好都合。そのところの意図を汲んでいただけるのなら、ほかになんの望みもありませぬ。邪悪な妖精ロビン=グッドフェロウ様」
「だからパックって言ってんじゃん」
「はい、ロビン――」
「わざとかっ」




