Aパート
Aパート
1
まばゆいほどの光量を向かいいれるガラス廊下。
どこまでも続くかと思えるまっすぐな通路のちょうど中間点で、息を切らせた男の声が彼の名を呼んでいた。
「おい待てよ。待てって、プロスぺロ」
バグフィルタ計画にて〈思念の世界テンペスト〉代表CEOを務めるドクタ・プロスぺロは、足を止めて振り返る。なんだお前か、と彼は目で語った。
「ファーディナント……」
「ちょっと付き合ってくれないか。コーヒー一杯も飲めないほど忙しいってわけじゃないだろう、代表CEO殿」ファーディナントは清潔感のある好青年らしく、白い歯を見せて笑った。
対してプロスペロは、相手の心の奥底まで覗き込んでなお他人を警戒する瞳で、陰気そうな空気を漂わす。
まったく対照的な二人だった。
「コーヒーなら自室でも飲める」プロスペロは理知的なノンフレームの眼鏡を直すと、他人との係わり合いを極力抑えているのか、不信感を隠そうともせずぼそっと短く答えて背を向けた。
「お前の部屋で飲もうって誘いだな、それは」
「どうしてそうなる」
「オッケイ。俺がうまい淹れ方教えてやるよ。お前のことだ、人に淹れてもらうコーヒーなんて、そうそうないだろう」
「そうそうのマイナス自乗くらいの確率だ」
「だよな」ふっと短く笑うと、ファーディナントは周囲に人がいないことを確認してから、声を潜めて話し出す。「つぎの舞台、やっとこちらに回ってくるんだってな」
「やっと。ちがうな。期待などしていない。むしろずっと出番を避け続けていたいが、他の世界の敗戦を理由に強引に背を押されてしまっただけだ」
〈思念の世界テンペスト〉内の会議では、灰炎のジュリエットとの次の踊り手になる案がとおされ、これがハムレットらの代表CEO会議で決議された。CEO本人は乗り気でないこの議案を、しかし上申しないわけにもいかず、まったく代表CEOなんてのは身内の決裁を他世界に代弁する人形でしかない損な役割だ、とプロスペロは煩っていた。
そんな肩が凝る役でも、ある権益がプロスペロをこの地位に止まらせる。
銀河舞踏会利用許可証の無条件発行。
この時空間の条件で試したい研究が山ほどある。
それで手に入れたい力もあった。
「そこで頼みなんだが。俺を指名してくれないか」ファーディナントは目をそらさず、その決意の眼差しを向けた。
プロスペロは答えず、眼鏡をすっと人差し指で直す。
「頼みついでにもう一つ。最新型の“アレ”を貸してくれ。攻撃一辺倒のスタイルで戦う灰炎のジュリエットには、お前の“アレ”を防ぐ手段はない。どうだろう、俺ならお前の手柄に花を添えてやることだって――」
「ファーディナント」プロスペロは彼の言葉を遮ると、冷たくささやいた。「お前はなんのためにバグフィルタ計画に参加したのだ。よもや俺のためとは言ってくれるなよ」
「お前のためさ。だめか」ファーディナントが微笑んで頭を傾ける。
初心な乙女なら瞬時に恋に落ちてしまうかもしれない甘い微笑だったが、あいにくとプロスペロは乙女でもなければ男色家でもなかった。
「まだ恨んでいるんだろう、キング・アロンゾを。だがこうして、お前はこんな国家計画のトップの椅子に座ることを許された。それでも足りないというのなら、俺がその椅子に勝利の栄光を飾ってやるよ。これでも不充分だってぼやくなよ。な、親友」ファーディナントは拳を作って、笑いながら小突くようにプロスペロの胸を突いた。だがプロスペロには、その冷徹なマスクが張り付いたままだった。
2
天気のよい、平日の朝のこと。
「遅刻、遅刻ぅ」と、どこかで見覚えのあるようなテンプレを披露しながら(さすがに食パンはくわえていなかった)、天宮羽衣は通学路を走っていた。
丁寧に寝かせる時間がなかった癖っ毛は、そっけない黒のピンで強引に押さえ込んだ。それは走ると風の抵抗を受け、寝技を掛けられた格闘家のように脱出を試みている。短めのスカートは羽ばたき、地面を叩く革靴の音は響き、淑女にあるまじき風との一体感を披露する彼女だが、あいにくとこの世界では、『お転婆』という単語はほぼ死滅していた。
だから年頃の娘があわただしく町内を走り回ったところで珍しくもない光景なのだが、わざとらしく彼女に並走し、「遅刻、遅刻ぅ」と口にしたうえ、ニカッと目を合わせて「奇遇ですな。お手前もお急ぎで」なんて顔をされたら、さすがの羽衣も目が半開きになる。
「ジュリ恵……」しかもその娘が、RPGのモンスタより突拍子ないエンカウントを発動する赤髪少女ならば、もはや羽衣は朝から働く生気を奪われ、げんなりと年寄り臭く肩を落とすほかない。
ジュリエットは顔を半分暗くした羽衣にも気づかず追い抜くと、曲がり角に身を隠し――、かと思うと急に飛び出し、羽衣に体当たりを仕掛けてきた。
意味不明な赤髪少女の挙動にもなれはじめていた羽衣は、しかし持ち前の運動能力でこれを神回避。
支えを想定していたジュリエットは、けっこうな勢いで一回転と半捻りを加えて転がった。ボケを超えた大事故に、さすがに気の毒になった羽衣は急ぐ足を止めて声をかける。
「……あんた、朝からなにやってんの」
「痛て、いてて……。膝小僧すりむいた……。はっ」と顔を上げて羽衣を見ると、「ど、どこみてんのよ」となぜか無理矢理感が拭えない、どうにも棒読みな役者のような抗議。
「いや、あんたの、顔」
「きゃ、きゃー」
「なんだあいつ……」走り去る赤い髪の後ろ姿をげんなり眺めていたが、そんな場合でもない、遅刻間際の状況を思い出して羽衣は走り出した。
3
「で、朝のあれはなに」
「ウィー知らないの。おっくれてるぅ」
食堂のテーブルを挟んで向こう側には赤髪少女。彼女は片目をつむって、顔の前で人差し指を左右に振っている。
挑発されて、むっとした羽衣はその細い指を乱暴に掴んだ。
「あんた、指、反対側に曲げられたいの」
「痛たたた。やめ、ごめ。だって、え。本当に知らないの」
「いやなんとなくわかるけど。あんな古い少女漫画みたいな」
「そう、MANGAだよ。これでヒダカミドウの人たちは仲良くなるんだよね」
「意味わかんない」羽衣が眼を細くするのに対して、赤髪少女は眼を大きく見開き、熱っぽく頬を朱に染める。
「すてきだよね、印象最悪からはじまる恋の物語。教室で再会。転校生。乗り越える障害。次第に芽生える恋心に、そうとは知らず衝突を避けられぬ二人……。ああ、憎しみゆえの騒ぎも騒ぎだけど、まったく恋ゆえの騒ぎはひときわ苦しい」
「ラーメン、伸びるよ」
ここは羽衣が通う高校の食堂だ。
券売機に並ぶ学生や、自販機で飲み物だけを買って帰る弁当派の子たち。一日でもっとも熱量を伴う時間帯に奮闘するおばちゃんは活気があり、それ以上に騒がしいのはもちろん十代のありあまる体力を持つ生徒達だ。彼らの空腹を満たした胃袋から出る声は、食堂の空気を大きく振動させていた。
全国どこでも見かける、いたって普通の学食風景である。
もし特記すべき点があるとすれば、それは燃えさかる焔のような赤い髪を持つ美少女の存在と、その彼女の後ろで軍隊の『休め』の姿勢で控えている、明らかに生徒ではない男女の姿だろう。
その二人が、事の顛末を説明した。
朝からはじまる、この赤い髪のジュリエットの不可解な行動(日頃から常人の斜め上を行く彼女だが)の発端をおおむね理解した羽衣は、紙パックの苺ジュースを空にしてから話しかけた。
「もうあんたがいつどこで現れようが驚かないけど、つまり、今朝のあれは、少女漫画に触発されて、曲がり角でぶつかる出会いのシーンをやってみたかったと」
「うん」
「中○病かっ」
「だけじゃないよ。ヒダカミドウの文化を学ぶ意味もあるんだよ」
「覚え立ての流行ネタを使うオヤジかっ。てか、漫画で文化を覚えるって、誤解するパティーンじゃん。言っとくけど、忍者も侍もいませんからね」
「でも、魔法少女はいるんでしょ」
「いねーよ」
「眼鏡を外すと美少女になるんでしょ」
「うらやましいな」
「死亡率第一は切腹なんでしょ」
「死にすぎだ」
「魚を生で食べるんでしょ」
「食べねーよ。いや食べるよ」
「やっぱり生で食べちゃうんだ。しゅごい……」
「生っても、べつに泳いでた姿そのままかぶりつくわけじゃないからね。聞いてる……」
変な感心をされる羽衣。
「だれよ、この子にまた変なエサ与えたのは」
「わたし隠れ漫画ファン。コレクションは数百、千を超えるのよ。ペーパメディアで」理知的な教師のように、ふふっと大人の微笑みで応えたのは猫山曹長である。艶っぽい黒髪をシンプルなヘアピンで止めた彼女は、ジュリエットや羽衣など、十代の少女にはない大人の色香が感じられる。
「よく漫画なんて読めるよな。絵が邪魔じゃねえか」妙な発言をするのは、スーツ越しにも鍛え抜いた肉体を見て取れる兎田軍曹だった。尖った短髪が目印で、名前の兎とはまったく似ても似つかない風貌の青年だ。
「絵が邪魔って、絵がなきゃ漫画じゃないじゃん」羽衣の感想に、兎田軍曹は首を振った。
「絵を見るのか文字を読むのか困るだろ。だいたいフィクションの絵本をよ、そんな躰でっかくなってからも読むモンじゃねえよ。さっさと卒業しな。幼稚なんだよ」
「これだから脳みそが筋肉でできてる野郎は、文化と無縁な生活を送っているようね」どうやら漫画好きの猫山曹長の怒りに触れたらしく、彼女は目を合わさずしれっと嫌味を口にした。
「おいおい姐さん。俺が脳筋扱いされるのが一番嫌いなの、知ってるだろ」
「知ってる。だから言った」
「ぐっ……」奥歯を強く噛んで、なんとか耐えた兎田軍曹が反撃する。「言っとくが、俺、姐さんよりか上等な大学出なんで。勉学に忙しくてね、漫画なんて読んでる暇なかったんだわ」
「と脳筋が申しておりますが」
「姐さんの気持ちもわかるぜ。レッドマジシャンつってもただのわがままお嬢ちゃんで、任務はその監視。言ってみりゃ子守だ。でもな、だからってその鬱憤を同じ立場の俺にぶつけられてもよう」
「などと意味不明な供述を繰り返しており、当局はもっか聴取を続ける方針で――」
「いい加減にしろよ。大人しくしてればいつまでも。この能面ババアがっ」とうとう我慢に耐えかねた兎田軍曹が低く唸り声を上げて威嚇した。
「煽り耐性ゼロの坊やね。いいわ、遊んであげる」ふっと髪を後ろに靡かせて、猫山曹長が戦闘モードで全身を構えなおす。「あと、BBAなんて歳じゃない」
睨み合いと探りあい。
どっかの生徒が馬鹿みたいな大声のくしゃみが合図になって、兎田と猫山がほぼ同時に鋭い拳を突き出した。
まあ、後はカンフーアクション映画の要領である……。
走っては止まり、殴っては走り、二人は食堂を駆け回りながら手当たりしだいに生徒たちの食事を邪魔してまわった。どこで見たことがある、猫とネズミのアニメにも似た光景だ。
そんな喧騒にも慣れてしまったのか、羽衣はあきれて仲のよさそうな二人を指差した。
「ジュリ恵。なんでこんな変な軍人さんつれてきてんの。つれてくるなら、あのイケメン軍人つれてきてよ」
「イケメソ」
「メソじゃなくて……。ほら彼よ彼」
「だれよだれ」
「だから、す・る・が、少尉。ほら超美形のさ」駿河の名を口にするとき、羽衣の目はまるで少女漫画のヒロインで声のトーンも一つ高い。
「なんかウィー、声が気持ち悪い」
「恋する乙女になんてことを」
「それはきっと恋じゃないよ。ただのぼせてるだけ。たしかに少尉はきれいだけどさ」
「知った口を言ってくれるわね」
「ぼくなんて恋愛に関しちゃ、世界規模でやらかしてるからね。そこらの女の子が太刀打ちできる相手じゃないんだよ。ふふーん」どやっ、と鼻を高くするジュリエットだが、真実のほどは、笑えたものではなかったりする。
「あそースか。で、今度はなにを企んでるの」
「企む。なんのことかな」小鳥のように、頭を傾けるジュリエット。それがまたわざとらしい。
「急に少女漫画読みだして、真似もして。文化を学ぶですって。嘘おっしゃい。なーに悪戯しようとしてるんだか」
「なんにも隠してなんてないよう」無意識だろう――、羽衣から目をそらし、ジュリエットは小さく肩を寄せた。
羽衣にはその仕草が、彼女が嘘をつくときの癖だとすでに見抜いていた。
「ま、いいけど。トモにでも聞くから。って、そのトモ、今日は見ないわね。デヴの癖にお昼食べないのかしら」
「そえば駿河少尉も、朝に姿を見たきりかな」
二人の女の子がちょうど彼らを話題にしたとき、当の本人たちは、彼女らの頭上――、屋上にいた。
4
「ぼくらを売ろうとしている……、だって」観月博士は焼きそばパンをかじりつくのも忘れ、彼の言葉を疑った。
駿河少尉は女性もうらやむほど美しい髪を風に靡かせて、無言で小さく頷いた。
「博士も不可解にお思いでしょう。先日の逆探知作戦の失敗にも動じぬジュリエット嬢の態度。彼女の愛らしい白い肌の裏に、どんな黒い野望を隠していることか」駿河少尉は貫くような視線を観月に向けて言い放った。「お忘れですか。彼女は、第一世界を破壊し、第二世界から追われる大罪人です」
「ああ、もちろん、わかっているよ。うん」観月は昼食を完全にあきらめて、彼の話に最後まで付き合うことにした。
観月が駿河に呼び止められたのは、ちょうど昼休みがはじまったところだった。手持ちの焼きそばパンはつまみのお菓子程度のもので、腹を満たすには少なすぎる。すぐに終わるだろう、とたかをくくっていたが、どうも少尉の話は深刻で退席するわけにもいかず、彼は肥えた腹を撫でながらさきに食事を済ませなかったのを後悔した。
「じゃあ、その結論に達した経緯を話してくれないか」
「イノベーションズの対応が不可解だと、博士は思わないのですか」
「彼らがかい」
「我々はジュリエット嬢とともに、二度、銀河舞踏会へ参じました。博士はその対戦相手に、どういった印象を抱きました」
「最初は、オフィーリアという青い髪のきれいな少女だったよね。次がキザったらしい男で……、ああ、そうだ」観月は駿河の意図を察した。肉の付いた顎を指で撫でながら言う。「第二世界の軍事技術にばかり目を奪われていたが、その彼ら自身は、けして戦闘のプロじゃない。ジュリエットがそうだったから、まったくぼくらは盲目だった」
「そうです。イノベーションズは本気でジュリエット嬢を捕らえようなどと、少なくともこれまでは動いていないのです。彼女の説明によれば、あの銀河舞踏会は情報処理が間に合わぬため、一度に一人しか戦闘に参加できない。つまり、灰炎のジュリエットを捕らえる手柄は順番待ちの状態です。常に最大戦力を投入すべき戦局で、なぜ彼らは素人を躍らせるのでしょうか。あれは戦っている振り。茶番なのです」
「だがなんの理由があって。イノベーションズだって、ジュリエットが持つ魔法使いの技術――、超通信現象が欲しいだろう。手加減をする意味がない」
「彼女以上に希少価値のある存在に、網を張っているからです」
もう答えは決まっていた。
観月は黙って、事件のトリックと犯人を名指しする名探偵の前の聴衆のように、駿河少尉の推理ショウに耳を傾けた。
「わたしははじめから疑問でした。ジュリエット嬢の最大の目的は、狂乱のロザラインによって氷付けにされた恋人ロメオの救出です。運よくロメオを見つけたとして、ではどうやって氷を溶かすのでしょうか。彼女には不可能です。『氷結の焔』に対抗できなかったから、ヴェロナ事件はおきたはずなのに。
「ならば彼らも、わたしと同様にこう考えたでしょう。灰炎のジュリエットは行方不明の恋人とともに、その彼を覆う『氷結の焔』を溶かす手段も探している。それはきっと、ヒダカミドウで見つけたか、あるいは手がかりを掴んだかだ。ロメオを発見した際には、その手段をのこのこと銀河舞踏会につれてくるだろう。それまではせいぜい泳がせよう。
「そうと知るジュリエット嬢は、この隙に実は安全な銀河舞踏会でロメオを探しだす算段です。イノベーションズの茶番と体よく付き合い、ヒダカミドウからは秘宝を奪い、自分は目的を着実に進める。その後、我々の秘宝がイノベーションズに奪われようが知ったことではない。これがジュリエット嬢が書いた脚本です。この戯曲で我々は、みすみす秘宝を奪われる愚か者役といったところでしょう」
二人の間を、静かに風が流れていった。
誰かに盗み聞かれていないか、と観月は周囲に軽く目を渡してから、声を殺して喋りだした。
「この話、将軍には」
「いいえまだ。まずはともに銀河舞踏会に参じた博士に相談すべきだと」
「信用してくれたことには感謝するよ、少尉。けど、ぼくはたぶん、少尉ほどにはジュリエットを疑ってはいないようだ。推測に過ぎない」
「ならばこうしましょう。つぎの対戦相手にまた職業軍人等が現れなければ――」駿河少尉は一呼吸置いてから、実に軍人らしい実直な提案した。「ヒダカミドウの威信に賭け、我々が灰炎のジュリエットを捕らえましょう。天女様は渡さない。だれの手にも」
そう誓う駿河少尉の瞳は、一軍人の義務・使命を超えた決意を宿していた。




