第一話 アバンタイトル
アバンタイトル
月光がまぶしい夜だった。
花の都・ヴェロナが眠りについたころ、しかし彼の瞳は閉じることなく、噴水の水面に揺らぐ美しい少女を見詰めるために働いていた。
その美しさたるや、言葉に表すに難し。
恐るべき闇夜が光よりも速く駆けめぐろうとも、彼女の白い肌のまえには引き立て役。思うばかりに、彼はその肌に触れる光景を夢にまで見る始末。ただし、彼女のひときわ眼を惹く焔のごとし頭髪は、赤のなかの赤。うっかり手を伸ばせば、たちまち灰に還される。それでも構わない。彼女に触れられるのならば、耐えてみせよう、その業火。
「ああ――、しかし、耐えられぬのはこの宿世」彼はだれにでもなく独りごちる。「まったく、さしものキューピットも的を外したとみた。そう、これは微塵も叶わぬ恋。ならば、君の焔で、わたしの心を燃やしてしまえジュリエット」
「それが叶うとすれば」
「だれだ」彼はふいに呼ばれ、背後を振り返る。
「むろん、君にもいくらばかりか協力してもらうが」
甘美な誘いに、彼は瞬く間に心奪われてゆくのを感じていた。
引用および参考文献
白水ブックス小田島雄志訳『シンベリン』
新潮文庫福田恒存訳『ロミオとジュリエット』『ハムレット』『リア王』『夏の夜の夢・あらし』