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昭和革命

古くから欧州の影響を受けている地域が存在したら起こるであろうと思うのですが、、どうでしょうか。人口は多すぎるかもしれませんが・・・・


 一九二七年一月七日、富山新一内閣総理大臣(史実では若槻禮次郎)の下、大規模な改革が実行された。それは政治だけではなく、あらゆる分野におよび、後に昭和革命と称される一大改革であった。その最たるものが皇国軍であり、軍備であった。さらに後の日本皇国工業規格の元となった陸海軍工業規格の制定であった。


 富山新一内閣総理大臣は史上初めての外様議員(瑞穂州選出)から選ばれた内閣総理大臣であった。外様議員とは何であろうか、それは日本本土以外の地域から選ばれた議員のことをいう。扶桑州(樺太島および千島列島)、瑞穂州(ボルネオ島北東部)、秋津州(ニューギニア島西半分)、台湾州(台湾島および澎湖諸島)がそれである。


 外様議員は当時の皇国本土選出議員よりも民主性が強かったといわれ、彼らが皇国臣民たるを決めた一八九二年施行の日本皇国憲法も史実とは大幅に異なる。さらに、前年一二月末、大正天皇の崩御によってそれまで摂政として表舞台に出ていた皇太子が天皇位に就くことにより、さらにそれが加速することになる。摂政皇太子は瑞穂州や秋津州、扶桑州に幾度となく出向き、かの地での住民性をつぶさに見ていた。また、当時西欧列強が進出していた東南アジアに近いことから、列強の先進技術に触れられていた。


 そういったこともあってよく民意(主に議員の声)を聞かれていたともいわれている。そして、皇国が先進国に列するには技術力や工業力などの国力の充実が必要不可欠である、とする外様議員の意見に賛意を示されていた。それは一九二五年三月、富山新一ら外様議員(彼らは民憲党に属していた)が提出した統一工業規格制定、軍備改編を含めた大幅な改革案のことである。


 中でも、統一工業規格制定には多くの議員が賛同している。これは幾度か瑞穂州や秋津州、扶桑州に赴いた皇太子座乗艦の補修問題が関係していたからである。事実、瑞穂州に赴いた際、座乗艦がエンジン不調を起こし、瑞穂州のドックで修理しようとしたところ、同じ部品でありながら規格が合わずに修理できなかったといういきさつがあったのである。さらに、第一次世界大戦において派遣された陸海軍での経験も影響を与えていたといわれる。


 そのため、これは急務とされ、最終的に瑞穂州で採用していた規格に統一されることとなった。それならば瑞穂州で生産していた工業機械が短期間のうちに導入できるからであったといわれる。ちなみに、この工業規格は和蘭経由で入手した独逸の工業規格を基にしたものであり、いくつかの機械を比較検討した結果の採用であった。これによって日本の工業生産は一時大幅に低下するも一九三二年には二七年当時に戻り、かつ生産力は向上していたとされている。


 さらに、改革は交通網の整備、インフラ整備、農地改革、教育制度、法律整備などにも及んだ。一九二七年から三〇年にかけての改革は国の基盤たる憲法の改定まで及んだ大々的なものであった。そういう理由から、このときの改革を昭和革命と称することが多いのである。


 交通網の整備はまず鉄道網の整備から始められた。基本にあったのは陸軍部隊のより短期間での移動とされた。この当時、軍の移動は国内では鉄道を使ってのものがほとんどであった。例外的に北海道州や扶桑州、山城州、琉球州、台湾州、瑞穂州、秋津州、関東州への移動が船であった。もっとも、将校以外は上記各地に移動することはなく、固定化されていたといえる。部隊のより迅速な移動を主眼に鉄道網が整備されていくこととなる。


 関東大震災の経験から、東京市への一極集中は見送られ、国家中枢は東京市に、一般企業は大阪を中心にするように改められている。東京には各企業の出先機関は存在するが、本社は大阪に移されることが多かったとされる。このことがより鉄道網や道路網の整備が重視される原因のひとつでもあったとされる。


 自動車道路の整備は将来を見越してのものとされた。この時期、ようやく自動車というものが一般に知られており、軍の一部部隊、警察では採用され始めたばかりであった。西欧列強の状況をかんがみて整備するというものであり、鉄道網の整備ほど急がれてはいなかったとされている。本格的に道路網が整備されるのは一九三五年以降のことになる。


 インフラ整備は一九二三年の関東大震災の経験を踏まえて大々的に行われた。また、都市整備はこれまでの木造をやめ、鉄筋入りのコンクリートが多用されたものへと変わっていった。結果的に関東大震災において都市が壊滅したことが教訓とされることになった。公共施設は軒並み西洋建築化され、一般住居に対しては特に指定されることはなかった。


 法整備にはもっとも力が注がれたといえる。その際たるものが徴兵法であったとされる。海軍の志願制とは異なり、陸軍では徴兵制度が適用されていたが、産業基盤を揺るがすような徴兵は明確に禁止され、一定の制限が課せられることとなった。これは第一次世界大戦の国家による総力戦を経験したことで適用されるようになった。


 普通選挙法も制定され、二五歳以上の男女がその権利を有すると制定された。国会議員、州知事、県知事選挙への投票は必須とされ、投票しなかった場合には罰則が科せられることとなった。病気や海外渡航中など、やむを得ない場合のみ免除された。これは後に改定され、必須という条件ははずされることになった。


 教育制度は明確に規定されることとなった。皇国本土はともかく、扶桑州や瑞穂州、秋津州、台湾州、山城州では識字率が五〇パーセント近くまでに落ち込んでいたからである。これら地域では単一民族とはいいがたく、現地先住民が混じっていたからと考えられていた。そのため、六・三・四という皇国本土の教育ではなく、皇国本土以外では八・三・四とされ、就学年齢が二年引き下げられている。


 陸海軍将校育成のための士官学校(海軍兵学校および陸軍士官学校)への入学には、中学校卒業の資格を有するものと定められた。当時、既に陸軍幼年学校が存在したが、皇国本土以外の地域からは入学すら難しい(学力的な問題ではなく、距離的な問題および経済的な問題)ため、廃止された。なお、士官学校は皇国本土にあったが、それとは別に、下仕官養成学校は各州に一ヶ所設けられることとなった。


 これらの改革は英国を手本にすすめられていったとされる。州制度は米国を手本とされていた。扶桑州や瑞穂州、秋津州、台湾州、山城州は日本民族による単一地域ではなく、多民族地域であったからである。ここで各州の日本民族の比率を挙げておこう。

扶桑州人口約八〇〇万人のうち九○パーセント(混血含む)

瑞穂州人口約二四〇〇万人のうち七○パーセント(混血含む)

秋津州人口約一八〇〇万人のうち六五パーセント(混血含む)

台湾州人口約五〇〇万人のうち四○パーセント(混血含む)

山城州人口約二〇〇万人のうち三○パーセント(混血含む)


 扶桑州は基本的に日本民族やアイヌ民族からなっており、他には露西亜系住民が多いが、混血化が進んでおり、言語は日本語であり、ほぼ単一地域といってよいだろう。瑞穂州や秋津州の比率が高いのは地域の覇権争いにおいて勝利し、征服者としての誤った行動の成せるところであると考えられた。言語は日本語でほぼ統一されており、今後、混血化が進めば単一民族といえるだろう。台湾州では混血化があまり進んでおらず、日本民族のほとんどは移民とその子孫によるものである。しかし、旧教育制度により、言語は全島で日本語が通じるようになっていた。山城州は日本民族のほとんどは移民とその子孫によるもので、近年混血化が進んでいる。五割が露西亜系、その他満州や朝鮮からの移民も多い。旧教育制度によって徐々に日本語が通じるようになっていた。


 これら地域では選挙権を有するのは皇国人とその混血者とされていたが、皇国国籍を会得すれば皇国人としてみなされる。ちなみに、扶桑州では二パーセント、瑞穂州では八パーセント、秋津州では五パーセント、台湾州では四五パーセント、山城州では四○パーセントが皇国国籍を有していないとされている。


 一九二九年一〇月二四日、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを発端として起こった世界恐慌は当然として皇国にも影響を及ぼした。しかし、扶桑州や瑞穂州、秋津州、台湾州、山城州ニコラエフスクなどの国内開発に邁進していた皇国は史実ほど大きい影響を受けなかった。史実とは異なり、中国への出兵や金開放政策を採っていなかったためでもある。内需拡大と尾羽および枯淡油田があったためだといわれている。これが後に米国での皇国に対する悪感情となった一因であるとされている。


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