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緊張の黄海

ご指摘がありましたのでここでお答えします。『葛城』が巨費を投じて練習空母に改装された理由は皇国海軍は航空母艦四隻を所有するとしていた、そうお考えください。ただし、米国やロシア、中国問題もあって、乗員養成や母艦航空隊養成に四隻の正規空母を割り当てられないため、専用の空母を用意した、そういうことです。

 一九九九年九月、長崎県五島列島堀江島沖の東シナ海を西進する艦隊があった。指揮巡洋艦『金剛』、原子力航空母艦『蒼龍』、アイギス搭載防空巡洋艦「妙高」型『妙高』『那智』、アイギス搭載防空駆逐艦「島風」型『島風』『灘風』『矢風』『羽風』、「峯風」型駆逐艦『峯風』『野風』『波風』『沼風』を基幹とする佐世保軍港所属の第一艦隊である。


 第一艦隊は日本皇国海軍でもっとも最新鋭装備が成される艦隊である。原子力航空母艦『蒼龍』九〇年に竣工した「蒼龍」型一番艦であり、日本皇国海軍では原子力航空母艦としては二代目にあたる。現在、皇国海軍は正規空母四隻と練習空母(前級の「葛城」型一番艦『葛城』で蒸気タービン機関に換装済み)一隻を所有している。二番艦『飛龍』は横須賀を、三番艦『雲龍』は呉を、四番艦『翔龍』は三田冠を母港としている。第二艦隊の『飛龍』はグアム島の米軍に対する備えとして動かせず、第三艦隊の『雲龍』はオホーツク海に在り、第四艦隊の『翔龍』は南シナ海に在るため、稼動できるのは第一艦隊のみであった。


 第一艦隊を率いるのは指揮巡洋艦『金剛』に将旗を掲げる山口敏宗中将であった。指揮巡洋艦とは第二次世界大戦時に初めて採用された艦種である。何よりもリンク16などの通信能力が優れ、衛星通信を介して海軍司令部と常に繋がっている。そのため、自己防衛能力はかなり高いが艦隊防空能力はそう高くはない。アイギス防空駆逐艦「島風」型と同程度である。


 艦隊は今、満州国最大の軍港である旅順港に向かっていた。満州国と中華人民共和国間に紛争が発生する可能性が高いこと、大連を含めた遼東半島の邦人の安全確保のためであった。遼東半島には日本皇国が租借していた旧関東州があり、まだ多くの邦人が滞在していたからである。満州国には一個巡洋艦隊と三個の沿岸警備隊が在るのみであり、海軍の戦闘能力が高くないからである。対して中華人民共和国は天津他の軍港に露西亜製航空巡洋艦四隻をを含む六〇隻あまりの海軍力を有していたからである。皇国海軍の中では第一艦隊と第四艦隊実戦経験を持つが、第二艦隊と第三艦隊は実戦経験を持たない。対して中華人民共和国海軍は結果は別として実戦経験が豊富であった。


 第一艦隊が動くということはウラジオストックの第一〇駆逐隊と舞鶴の第八駆逐隊が動くこととなる。両隊ともに五五〇〇トンの「月」型駆逐艦一隻と二五〇〇トンの「花」型駆逐艦三隻からなる沿岸警備部隊である。しかし、対潜能力に関しては聯合艦隊よりも能力は上で、実戦経験もあった。第一から第四までの艦隊と潜水艦で編成される第六艦隊は非常時には聯合艦隊司令部所属となるが、それ以外の一二個駆逐隊は聯合艦隊には属さない。なお、聯合艦隊司令部は非常事態(他国との戦争の発生やそれに準じた出来事が起きた場合)時に創設されるが、常設ではないため、現在は創設されていない。


 第二次世界大戦後、聯合艦隊司令部が創設されたのは四七年の第三次日ソ戦争、五五年のマリアナ事変の二度しかない。とはいえ、四七年は第二次世界大戦勃発において創設された聯合艦隊司令部が解散されていなかったため、実質一度だけであった。特に核抑止力の主流が空軍の爆撃機から海軍の潜水艦に移行してからは創設されることは稀なことといえる。


 今回の旅順派遣は友好各国からの多国籍軍、いわゆる東亜細亜条約機構軍とされ、皇国以外に当の満州国、中華共和国、中華民国、華南共和国、大韓民国、東イスラエル国、東露西亜国の各国海軍と東亜細亜域で海軍を有する国家が集まっていた。この中で最も戦力を供出しているのが中華共和国であった。「南京」型ヘリコプター母艦二隻、「湖州」型巡洋艦四隻、「泉州」型駆逐艦一二隻と保有海軍力の半数を参加させている。中華民国は「漢口」型軽巡洋艦二隻、「花」型駆逐艦四隻とこちらも保有艦艇の半数を供出している。華南共和国は「雨」型駆逐艦二隻と保有艦艇の半分を供出していた。大韓民国は「霜」型駆逐艦四隻、「雨」型駆逐艦八隻と三分の一を供出している。東イスラエル国は「峯風」型駆逐艦四隻を供出していた。東露西亜国は露西亜海軍に備えるため、「峯風」型駆逐艦二隻のみ供出していた。


 「泉州」型駆逐艦、「漢口」型軽巡洋艦を除けばすべて皇国で建造された艦艇であった。「南京」型ヘリコプター母艦、「湖州」型巡洋艦は中華共和国からの発注、輸出艦として建造されているため、皇国では配備されていない。「漢口」型軽巡洋艦は中華民国が米国に発注建造した艦艇であった。


 結局のところ、中華人民共和国は周辺国家にとってはた迷惑な国であったということになる。東亜細亜で中華思想に凝り固まった国は人民中国のみでであったということになる。中華共和国にしても中華民国、華南共和国、チベット国にしても自国の安定は望んでも領土拡大は望んでいなかった。ただ、自国の安定のみ望んでいたとされる。実のところ、人民中国と露西亜のみが異端であった、ということになる。


 黄海には多国籍海軍として五〇隻以上が集結することとなる。その原因は、満州船籍の上海発大連行きの貨客船が人民海軍による攻撃を受け、死傷者一〇〇人あまりが発生した事件に端を発する。死傷者の中には満州国人が五〇名、中華共和国人が二〇名、中華民国人が二〇名、華南共和国と東イスラエル国、東露西亜国がそれぞれ三名が含まれていたといわれる。中華人民共和国の発表では、領海侵犯および臨検拒否、さらに逃亡とされている。


 皇国海軍は中華人民共和国海軍に旧ソ連製ヴィクターIII級原子力攻撃潜水艦が四隻存在することを突き止めていた。もっとも最初に確認したのは満州国海軍であり、中華共和国海軍であったとされる。太平洋や大西洋ではあまり脅威ではなくても、黄海という狭い海では脅威であったからである。日本皇国はそれほど脅威とは考えてはいないが、最も恐れたのが核ミサイルが搭載されていたら、ということに尽きる。


 中華人民共和国主席となった家陝慈の政策は安定しているかに思えた。しかし、露西亜との結びつきが強かったためか、その影響は強かったといえる。経済面ではなく、軍事面での影響はより強かったのである。そして露西亜留学から帰国した一部軍人および経済官僚は家主席の対外政策のあり方について強い不満を表すものが多かったといわれる。中でも、山東軍区司令官の安細寧大将と人民委員長の温邦章がその筆頭であったといわれる。


 家主席を中心とする改革派と温を中心とする保守派との対立が表面化したのは露西亜からの最新鋭兵器の導入以後のことであったとされる。温を中心とする保守派には中華人民共和国唯一の海軍、中央水師司令官の呉邦林大将も属しており、彼の独断専行が今回の皇国を含めた多国籍海軍の旅順終結を引き起こしたといえる。さらに、満州国西部軍が満中国境に、中華共和国北部軍が山東省との国境に、華南共和国軍が四川省との国境にそれぞれ軍を集結させるという事態になっていた。


 この中華人民共和国首脳部の権力争いは皇国情報部が有するスパイにより、皇国にもたらされていたといわれる。そのため、旅順派遣艦隊には戦闘行動を起こすつもりはなかったといわれ、その目的は中央水師司令官に対する示威行動であったといわれている。また、艦艇の動きは偵察衛星によって皇国軍に把握されていたともいわれている。


 一九九九年一二月、中華人民共和国でクーデターが発生することとなった。これによって再び戦乱が起こるかと思われたが、家陝慈主席は北京軍区司令官である邦国民大将と図り、人民委員長の温邦章、山東軍区司令官の安細寧大将、中央水師司令官の呉邦林大将等ら保守派を拘束し、共産党上層部から保守派を一掃することになった。邦国民大将は当初、保守派に属すると思われていたが、保守急進派の安細寧大将や温邦章とは距離を置いており、故国の荒廃を憂えていたとされる。


 これによって陸海の戦闘は回避されることとなり、中華中央は再び偽りといえ、安定を取り戻すこととなった。家陝慈主席は先の艦船攻撃事件について、一軍の暴走であることを公表し、当事国に謝罪することで解決することとなった。家主席は黄海の制海権が失われれば、首都北京が丸裸であり、防衛が難しいことを知っていたと思われた。こうして黄海に集結していた多国籍軍艦艇は同海域を離れ、黄海での緊張は解決された。


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