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皇国影響国

読み返すともっとじっくり話しを進めたほうがよかったかもしれません。

 米国と異なり、地域大国と称される日本皇国であるが、亜細亜だけに影響力を有するのかというとそうでもなかった。亜細亜といっても皇国が関与しているのは東亜細亜と東南亜細亜、西亜細亜の沿岸部であり、中央アジアや中東には関与することはなかった。そのためもあって地域大国と称されるのかもしれない。


 とはいえ、中央亜細亜では戦乱が渦巻き、中東ではイスラム圏対キリスト圏という争いが続いており、アフリカや南米は政情不安から内戦が多発しているため、英仏からは軍を派遣する要請があるのも事実である。そういう場合は多くはないにしても軍を派遣している。ただ、軍は派遣するが主導権を握ることはない。自らの命を危険にさらすことがないといわれるのはそのためであろう。しかし、皇国が主導権を握ることを良く思わない国があるのも事実である、それは米国であり、露西亜であった。


 米国はともかくとして、露西亜にしてみれば、皇国軍のために前大戦で権益を得ることができなかったと思われているし、東露西亜などという前時代的な国家の出現により、自国領土が危険に脅かされているという認識もあるだろう。さらには中国動乱において露西亜の影響力が薄れていく中華人民共和国が誕生した、ということも皇国が原因とも思っている節があった。事実、新生中華人民共和国と露西亜の関係は年を経るごとに悪化していったといわれる。


 現状で中国動乱を除けば、もっとも安定していたのは東亜細亜や東南亜細亜、西部太平洋域であり、欧州中原であり、北米であったといえる。それは欧州でも認識されており、多数の欧州企業が政情が安定している満州国や中華共和国に進出していることからも判ることである。


 かって南洋領として皇国の統治下にあった地域も独立を果たし、内政的にはともかくとして外政的には安定していた。当然として、これら地域での皇国の影響力は遥かに強いものがあった。多くの企業、とりわけて多いのが水産業界の現地進出であろう。例外的にマリアナ連邦共和国は皇国の影響力は薄れていた。グアムという米国の一大根拠地が存在し、民間交流が盛んに行われた結果であるかもしれなかった。


 世界が驚くほど例外的に安定していたのは東欧と北欧であった。ここでいう東欧とはバルカン半島諸国をさす。トルコのヨーロッパ部分、ギリシア、アルバニア、ブルガリア、マケドニア共和国、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ルーマニア、スロベニアといった国々である。


 東欧では第二次世界大戦後の当時は今世紀最大の暴挙、と称されていた強制的な民族移動により、民族間闘争は遥かに少なく、そのすべてが西側に属していたため、ソ連崩壊による影響も少なかったとされる。また、北欧は別として、東欧での紛争には皇国が積極的に介入を行い、政治的にも経済的にもはるかにまともな状況であった。


 当然といえば当然であるが、これら地域での皇国の影響力は強いといえた。皇国としては近隣に有益な市場が存在したことから、当初は経済的になるべく関わらないようにしていた。しかし、現在では積極的に関与しているといえたし、バルカン諸国は軍事的に皇国製の装備であったといわれる。それはこれらの国の軍備を見れば一目瞭然であった。九〇パーセント以上が皇国製なのである。陸軍装備を見ても皇国製の装備が八〇パーセント以上を占める。


 皇国は結局のところ、第二次世界大戦末期に皇国軍が滞在したことの後始末をしているつもりなのかもしれない。あの当時、皇国軍が行った強制的民族移動は皇国にとって大戦中の最大の過ちととの認識があるのかもしれない。これをみても地域大国であるかどうか疑問であるが、あえて地域大国であり続けているのかもしれない。


 東西冷戦中、ソ連あるいは東側と国境を接していたのはルーマニアであり、スロベニア、ポーランドなどであるが、ソ連崩壊後は多くの国が独立をしている。彼らは露西亜連邦ではなく、ソ連邦当時国境を接していた民主主義国家と交流を深めることとなる。東欧ではウクライナとモルドバ共和国がそうであった。彼らはルーマニアと交流を深めることとなった。


 東欧で皇国が対処に最も力を入れていたのが、ルーマニアとスロベニアである。当時、ソ連を盟主とする東側と国境を接しており、共産圏包囲網のの完成には欠かせない地域であったからである。当然ながら、他の国よりも発展しており、イタリアよりも上位になる経済力を有していた。その他の地域、ギリシア、アルバニア、ブルガリア、マケドニア共和国、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナではイタリアと同等かそれに近い経済力を有していたといわれる。


 ウクライナとモルドバ共和国はソビエト連邦から独立すると、当然これらの国に歩み寄ることとなった。皇国もこれに応じている。これはどういうことであろうか、露西亜を経済的に追い詰めようとしているかのようである。かってのソ連邦形成国が独立後露西亜より工業力や経済力で上に立つことで露西亜の権威を地に落とそうとしていたのかもしれない。


 つまるところ、ソ連が崩壊したといっても政治的にはすぐに変わることはなかった。経済的にいえば西側の中流国と同程度であり、政治的にも共産勢力が色濃く残っていた。露西亜自体が経済的にも内政的にも問題を抱えており、旧連邦構成国への援助など到底できるものではなかった。結局旧西側国に頼らざるを得なかった。そういった地域への皇国の援助は多く行われることとなった。


 基本的に皇国人(瑞穂州や秋津州、扶桑州、山城州を含めて)は農耕民族であり、育成することに長けていたといえる。古くは中華共和国や満州国、台湾州などでも実践していることであり、近くではポーランドやフィンランド、東南亜細亜諸国や東欧諸国がそうである。これがうまく行かなかったのは大韓民国だけである。この場合の育成とは作物と違い、市場のことをいう。皇国好みに熟成した市場は皇国の製品を必要とする。結果的にそれが皇国にとって有益になる。


 皇国が地域大国でありながら世界中に影響力があるのはそれであった。そういうわけで、ウクライナやモルドバ共和国、バルト三国に手を伸ばすことになる。いずれにしても近隣に皇国の影響の強い国があることがその原因であった。もっとも必ずしもうまく行くかといえばそうではないことは大韓民国の例を見てもわかる。最も大きいのはその民族性であるとされる。


 少なくとも第二次世界大戦終結後、東欧の工業地帯をソ連に手渡さなかったことでソ連の工業化は若干遅れていた。宇宙開発もそれほど大々的に進んでいたわけではない。同じことは米国にも言えた。独逸の兵器や技術を入手できなかったことで若干の遅れは出ていた。戦後もっとも技術力が進んでいたのは英国であり、皇国であった。


 その結果、新興国でも皇国の技術導入は第一目標とされている。ではあるが、ある程度の基礎技術力がなければそれも不可能であった。アフリカ諸国や中南米諸国がそれに当てはまる。ウクライナとモルドバ共和国はそれに近い状態であった。どれくらいの時間がかかるかはわからないが、ある程度の工業化と発展は可能であった。


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