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世界大戦後の海軍

お決まりの原子力についてです。当然として皇国も装備するでしょう。ただ、あえて後発国としました。アメリカに対する装備ということになるでしょう。

 第二次大戦後、兵器は異常なほど発展するようになった。それは皇国のロケット技術であり、ジェット技術であった。しかし、皇国軍においては反応兵器は開発されてはいたが、どちらかといえば遅れていたといわれる。皇国軍の、というよりは皇国海軍の基本的戦略は、日露戦争以後変わらなかったためである。すなわち、襲来する敵を自らの領土近くで殲滅する、という防衛的なものであったからである。


 たしかに、第一次世界大戦や第二次世界大戦では、相手の領土に攻めるという作戦も行われている。しかし、戦後において攻撃的軍組織の保有を戒められていた。いわゆる戦費がかかることとそれが経済に与える影響を魔の三〇年や第二次世界大戦において学んでいたのである。だからこそ、政府や議会はそれを許さなかったのである。それが変わったのは国際連合常任理事国という地位であり、マリアナ事変であった。


 それが核反応爆弾であり、反応動力炉を搭載した艦艇の開発であった。後に原子力と称されることの多い反応動力炉を搭載した艦艇は、二種類に限られることとなった。出力が大きくなるほど反応動力炉も大きくなってしまうことから、大型艦とそう大きい出力を必要としない艦艇、航空母艦と潜水艦である。しかし、艦艇用反応動力炉の開発では皇国は米国に先を越されていたのである。


 何故反応動力潜水艦なのかといえば、皇国と米国の間には太平洋という広大な海が存在し、なおかつ、中間に補給基地となる島を有していなかったため、通常動力潜水艦では長期間の滞在は無理があったからである。さらに、通常動力潜水艦では酸素や真水の問題もあり、補給が不可欠であった。そのため、潜水母艦による公海上での洋上補給は隠密性を重視される潜水艦にとって、自らの位置をさらしてしまうという危険性が在ったのである。


 反応動力潜水艦であれば、その豊富な電力によって海水から酸素や真水を作り出すことが可能であり、隠密性が増すこととなる。また、浮上することなく水上艦の追跡が可能なこともあり、哨戒や監視などこれまで以上に役立つと考えられたからであった。


 一九五四年、米国は世界初の反応動力潜水艦『ノーチラス』を完成させることに成功している。当然、米国を仮想敵とする皇国海軍も反応動力潜水艦建造を急ぐこととなった。米国に遅れること五年、一九五九年一○月に反応動力潜水艦『渦潮』を完成させた。もちろん原子炉などすべて自国開発であった。


 反応動力潜水艦『渦潮』の要目は次の通りであった。排水量水上三一〇〇トン、水中三五〇〇トン、全長七七m、全幅一〇m、吃水七.九m、機関原子力ギアード・タービン、MSC製J二W型加圧水型原子炉×一基、蒸気タービン×二基、六翼スクリュー×一軸推進、出力一万馬力、電池MDC一二八個、最大速力水上一五kt、水中二四kt、潜航深度二四〇m、航続力炉心交換まで一五年、乗員九〇名、武装五三三mm水圧式魚雷発射管×六門魚雷×二四というものであった。


 艦体は第二次世界大戦後に建造された「潮」型を元に設計、完全な涙滴型をしていた。史実の海上自衛隊の『うずしお』に似た艦形であり、違いは艦後部が太いことであった。公式には初めての建艦とされているが、実は試験艦が二隻作られており、一隻は原子炉搭載のために改造された「潮」型で、もう一隻は「魚」型であったとされる。その「潮」型は不幸にも原子炉の事故により、五八名が犠牲になっている。この事故が放射能の恐ろしさを皇国軍が理解する事件となった。


 この六年後、皇国海軍は水中発射核ミサイル搭載原子力潜水艦「竜」型を四隻建造することになる。皇国のロケット技術は当時において世界一であり、既に各種のロケット兵器が誕生していた。皇国の戦略核ミサイルは長射程であったとされている。「竜」型は核ミサイルを四発搭載していた。


 もう一種類の艦艇、航空母艦は大型化しており、皇国海軍初の反応動力炉搭載航空母艦「葛城」型航空母艦は排水量七万トン近い大型艦であった。艦載機のジェット化に伴い、大型化してゆく中、母艦である空母もそれなりに大型化してゆくこととなったのがその理由である。搭載されている反応動力炉の出力は二○万馬力であり、艦の必要とする電力をまかない、なおかつ、七万トンを超える艦を三〇ktの速度まで持ってゆくにはそれくらいの出力が必要とされたのである。


 「葛城」型航空母艦の要目は次のようになっていた。排水量六万八四〇〇トン、全長三二○m、飛行甲板長三二○m、全幅三八m、飛行甲板幅五八m、昇降機四基(三基は舷側式)、吃水一〇m、機関原子力ギアード・タービン、MSC製J四W型加圧水型原子炉×二基、蒸気タービン×四基、四軸推進、出力二〇万馬力、武装対空誘導弾四連装発射機一〇基、二五mm連装機銃一六基、航空機七二機(艦戦二四、艦攻三六、哨戒機六、ヘリコプター六)最大速力三○kt、航続距離炉心交換まで二〇年というものであった。


 本来、皇国海軍の予定では四個機動艦隊と沿岸警備隊、それに海上保安隊の編成予定であったといわれる。しかし、マリアナ事変において一個機動艦隊が増備され、五個機動艦隊が常備されることとなった。日本海の安定化に伴い、航空母艦の配備は取りやめとなり、当初予定通り、四個機動艦隊体制へと移行することになったが、小笠原の重要性はさらに増すこととなった。結果的には、南シナ海と東シナ海、中部太平洋、インド洋に皇国海軍機動艦隊が存在することとなった。


 航空母艦を有する機動部隊は攻撃的軍事力の代表ともいわれるが、皇国海軍にはその意思はなかったといわれている。あくまでも拠点防衛のためのひとつの手段として運用されている。ただ、時としてそのときの情勢により、攻撃的運用も成されている、というだけに過ぎない。常時の機動部隊は長く洋上に滞在することはなく、洋上にあるのは訓練のためであり、母港に滞在することが多い。


 一九九〇年までは洋上哨戒任務が加わることで常に洋上にあったが、それ以降は訓練や訓練航海、砲艦外交などが多くなっている。少なくとも、東亜細亜や東南亜細亜は南米やアフリカ、中東に比べればはるかに安定していたのである。そして、皇国軍はパキスタン以西(東欧への航海時の通過は除く)や布哇以東に進出することはほとんどないといえた。


 一九六〇年代には常任理事国のうち、仏蘭西は空母三隻、英国は空母四隻、皇国は五隻(最終的には四隻)、米国は八隻、ソ連は二隻(建造中)を有する。他にインドや中華共和国、布哇王国、ブラジル、アルゼンチンなどが第二次世界大戦時に建造された空母を持っていた。既に、戦艦は用済みとされ、記念艦として残されるか解体されている。現役あるいは予備役として保有されているのは米国の『アイオワ』『ニュージャージー』、皇国の『大和』のみであった。


 ともあれ、一九七〇年には常任理事国所有航空母艦はすべて反応動力炉搭載となり、二〇隻が存在する。潜水艦については定かではないが、米国四〇隻、皇国一六隻、英国二〇隻、仏蘭西一二隻、ソ連四〇隻以上とされ、いずれも反応動力炉搭載だとされている。核ミサイルは常任理事国すべてが数の差こそあれ所有しているといわれる。


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