表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/47

大戦後の東南亜細亜2

東南アジアは史実とは異なり、特にマレーシアとインドネシアは異なります。史実ではいずれもボルネオ島とニューギニア島西部を領有しているからです。この世界ではそれはありえません。また、皇国はインドネシアに関しては影響力を残す方策を採ります。

 一九五〇年に独立を果たしたインドネシア共和国と皇国の間では五二年から五四年にかけて紛争がおきていた。それは瑞穂州のあるボルネオ島、秋津州のあるニューギニア島西部周辺の島を巡っての領土紛争であった。この原因はインドネシア独立戦争において皇国が中立であったことが起因しているといわれている。


 瑞穂州はボルネオ島の北部と東側二/三を領土としていた。残る地域は後にブルネイ王国とカリマンタン国として独立している。インドネシア側はそのボルネオ島の東側は自国領であると主張したのである。皇国側(瑞穂州)はそれを突っぱねていた。しかし、皇国側は武力衝突を割け、インドネシア側が主張する地域での選挙を行ったのである。その結果、瑞穂州残留が民意で決定する。


 日本人が入植から三〇〇年以上かけて開発してきた地域はここ五〇年で急速に発達し、いまさら他の国家への帰属が決まるはずがなかったのである。この当時、島の西端まで既に鉄道が通り、最大の都市である三田冠には遠く及ばないが、それなりに発展していたのである。結局、周辺の島を除いてボルネオ島は瑞穂州であるとされた。


 秋津州はニューギニア島西半分と北部の島をその勢力下においていた。内陸部はそれほど開発されてはいなかったが、沿岸部、特に北部は開発が進んでいたのである。西部の蘇論ソロンから者藪羅ジャヤブラまで鉄道が通っており、途中の間野句割マノクワリ菜日礼ナビレは大都市と言えるほどであった。北部に比べて南部は未だ開発が進んでいないが、布良有卦メラウケは最大の街で知られている状況であった。


 皇国側はここでも瑞穂州と同様の対応をし、秋津州の領土であるとされた。瑞穂州ほどではないにしても、日本人が二〇〇年以上かけて開発した地域である。瑞穂州と同様にここ五〇年で急速に発展している。ここでも西部の幾つかの島を除いて皇国側は放棄している。なかにはそれなりに開発の進んだ島もあったとされている。


 なぜこのようなことをしたかといえば、民意による決定的な状況をインドネシアに突きつけたわけで、これ以降はインドネシアに有無を言わせないためであった。逆に、近隣の島を放棄することで、後々にインドネシア政府への影響力を持つことを狙ったと思われる。これら島々には瑞穂州なり秋津州なりで教育を受けた人間が多く、後にインドネシア政府上層部に加わることで影響力を残そうとしたのではないだろうか。実際にそうなっていたのだが、それは後年になってわかることであったといわれる。


 これら二州は民族的には単一とはいえないが、言語はほぼ単一であったとされる。両州とも皇国人であるなしに関わらず、教育を行ってきていたのである。そのため、ニューギニア島では同じ部族でありながら西と東では言葉が通じない、ということが起こっている。両地域とも識字率も高く、当時の東南亜細亜からすれば驚異的ともいえたのである。


 もうひとつ、皇国人が宗教には寛容であったことも理由かもしれない。八百万の神というように、皇国人はあらゆる宗教を受け入れていたからである。どのような宗教であっても、自らにそれを押し付けられない限りは容認していたということもあっただろう。基本的に仏教徒とされてはいるが、相手が仏教徒以外であってもそれによって宗教上の差別はないといえた。台湾州などでは儒教徒が多かったし、瑞穂州ではイスラム教徒が多く、秋津州ではキリスト教徒が、扶桑州や山城州ではロシア正教徒が多かったにもかかわらず、共存していた。そう、自らに強要されない限りにおいては受け入れていたことも理由だったといえるだろう。


 これ以後、インドネシアとの間で紛争がおきることはなかった。また、インドネシアは多くの島からなる国であるため、皇国海軍を手本とした海軍を設立、その多くを皇国に依存しているともいえた。「吹雪」型駆逐艦、「択捉」型海防艦、「鴻」型海防艦などを多数購入している。一九九八年にはヘリコプター空母を持つに至る。これは史実の海上自衛隊「ひゅうが」型に似たものであり、同国海軍は四隻所有することとなる。


 一九五四年、インドネシアから独立するのがスマトラ島北西部のアチェ王国であった。この地域はインドネシア独立の際、アチェ王国として独立を宣言するが、インドネシアが認めず、これまで内戦が続いていた。皇国とインドネシアの対立を機に一気にその紛争が多発することとなった。皇国はインドネシア政府に、あまり長く続いたら国連が介入するだろう、として暗に独立を認めるよう迫っていた。結局、国内安定化という考えからインドネシア政府上層部はこれを受け入れることとなる。


 フィリピンは東南亜細亜にあって唯一米国から一九四六年に独立している国であり、米国の影響が強い国であった。皇国とのつながりはそれほどあるわけでもない。また、多くの島からなる国であり、経済状態はそう良いともいえない。現在においても米国とのつながりは強く、グアムに次ぐ米軍基地が存在することから、相対する台湾州高雄は皇国軍の重要拠点とされている。


 東南亜細亜で最も古くから独立国として存在していたのがタイ王国である。周辺国が欧米列強の支配を受け、戦後独立し、内乱などが発生したのとは異なる。また、非常に親日的であり、第二次世界大戦のおり、遣欧部隊に対する食料供給など少なくない協力を受けている。立憲君主制議会国家として皇国とよく似た政治形態ということもあり、王室と皇室の関係はかなり深いといえる。


 軍においても早くから皇国の影響を強く受けており、その装備はほとんど皇国軍と変わらないものを有する。なかでも海軍は影響力が強く、瑞穂州海軍下士官候補生学校には毎年数十人が入校し、これまでに二人だけとはいえ、皇国海軍兵学校卒業生が存在する。東南亜細亜で唯一皇国海軍が定期的に寄航する港が存在することで知られている。


 一九六五年にマレーシアから追放されるという形で独立したシンガポールはほぼ史実と同じ道を歩んだ。ただ、皇国との関係は良いものであった。シンガポールにとっての課題はなんといっても水資源に尽きるだろう。必ずしも良好とはいえない隣国マレーシアからの購入に頼らざるをえない。近年、秋津州からの輸入や海水淡水化装置の導入により、多少なりとも改善されている。軍事力はかなりのものを有するが、その多くは英国製や米国製が多い。


 一九五七年に独立を果たしたマレーシアであったが、 一九六五年にシンガポールを追放、一九六九年の民族暴動など相次いだが、それ以降は安定している。日本との関係は一時はボルネオ島のカリマンタン国独立の際、日本軍が介入したことで悪化したが、現在は良好である。


 一九五〇年に独立を果たしたカリマンタン国は当初、マラヤ連邦国の一員であったが、同年、マラヤ連邦から離脱を宣言している。その際、皇国軍が介入していた。それが原因で一時はマラヤ連邦との関係が悪化していたが、近年は修復の動きが現れている。皇国(瑞穂州)と直に国境を接しているが、皇国との関係は良好である。未だ、経済的にも軍事的にも皇国に依存しているが、徐々に自立を図っている。独立当時、スマトラ島やジャワ島からの移民が多くあったが、現在は少なくなっている。


 一九五九年に独立を果たしたブルネイ王国は皇国の影響を強く受け、立憲君主制議会国家として存在する。瑞穂州の枯淡油田に隣接する形で存在する小国である。カリマンタン国同様、経済的にも軍事的にも皇国に依存している。枯淡油田はブルネイの領土であったということで当初は衝突もあったとされるが、現在では国境は画定されている。


 これら二国はイスラム教勢力であったとされるが、現在では絶対的な一神教というよりも皇国に近いものとされている。ブルネイは軍事的には陸海空軍とも防衛的思想によるものであり、皇国の旧式装備が配備されている。カリマンタン国は陸海に力が注がれ、皇国の初期建造の「択捉」型海防艦、「鴻」型海防艦が配備されている。


 東南亜細亜に対する皇国軍の介入はあったものの皇国との関係は良好であったといえる。ラオス、カンボジア、ミャンマーといった介入国においても対日感情はそれほど悪くはないといえた。介入した国は皇国軍の撤退以後、国内が比較的安定していることもあり、対日感情はかえってよくなっていたといえる。軍事面においては皇国に依存することが多いといえた。それは軍備のすべてにおいて皇国製のものが多く配備されていることでわかるだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ