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満州国

昔の話ですが、満州国が存在したら朝鮮半島はどうなっていたか考えていました。それは今も変わりませんが、史実では満州が存在しえたかといえば、ソ連参戦の時点で限りなくゼロに近いと思います。たとえ、日中戦争を戦っていなくてもです。満州に力を付けさせておけば、また変わったかもしれません。

 一九二九年の建国以来、満州国は順調に発展していたといえる。史実ほどのものではなかったが、工業が発展し、中国大陸では一番の工業化を達成していた。日本人の流入こそ少なかったが、秋津州や瑞穂州からの日本資本の流入はあった。史実との大きな違いはすべてが日本主導ではなかったということである。英国や仏蘭西などの海外資本が多く流入し、それなりの国際化も達成していたといえる。何よりも国民の意識が違ったといえるだろう。


 建国当初は軍閥内の闘争もあったといわれるが、一九三二年、史実の建国時には国情は安定、内陸部の農地開発や黄海沿岸の工業化も進み、軍需品(小銃や弾薬程度)の量産は可能であった。皇国が間に入ることで中華民国南京政府や国民党政府への輸出も行っていた。それほどに皇国の影響を受けていたといえるだろう。史実のように皇国が主導しているわけではないが、それなりの影響力を皇国は持っていたといわれる。


 建国当時、未だ議会は開かれておらず、国の実権は国家元首である愛新覚羅溥儀ではなく、張作霖ら軍閥出身者が掌握していたといわれる。一九三二年、議会が開かれ(これには皇国が関与していたといわれる)、内閣総理大臣には清朝最後の総理内務府大臣鄭孝胥ていこうしょが就任してからは名実とともに独立国たる体裁をなすようになったとされる。


 鄭孝胥総理大臣はそれまでの皇国べったりの政治から脱却を目指し、皇国の仲介による英国や仏蘭西、米国などと交渉を行い、資本の導入を図っている。当初、鄭孝胥はこれを拒否していたといわれる。清国滅亡を見てきた鄭孝胥にとって、あの悪夢がよみがえるのではないかという思いがあったのかもしれない。しかし、独立国としての承認を得るには諸外国との交渉も必要である、という皇国の主張に折れたといわれている。


 もっとも皇国には別の思惑もあったのかもしれない。この当時、皇国は瑞穂州や秋津州、ニコラエフスク地方、扶桑州の開発に忙しく、満州国べったりというわけにはいかなかったといわれている。関東州や満州鉄道とその他という権益を持つ日本にとって、満州国が暴動や内部紛争などで政情不安になられては困るわけである。ある程度は安定し、発展してもらわなければ権益を持つ意味がないからであろう。


 ではあるが、皇国も影響力を完全に放棄しているわけではなかった。それがもっとも現れているのが満州国軍であった。当初、馬賊と変わらない装備で始まった軍装備は、一九三二年には皇国軍と同じ三八小銃、軽機関銃、野砲まで有する近代軍隊へと変貌を遂げていた。もちろん、すべてにおいて皇国製の武器(一世代前のものがほとんどであったといわれる)を装備した正規部隊が五個師団一〇万人、装備が不十分であるが武装民兵が一〇個師団二○万人が編成され、ソ連との国境に多く配備されていた。


 この軍備の売却は皇国にとっても必要なものであった。古い武器を廃棄することなく、収益になるからである。これにより、皇国陸軍の装備は常に最新のものを装備することが可能であり、武器の開発研究速度が早くなり、史実のように三八小銃を終戦年まで使い続けるということはなくなるからである。関東軍が満州国の皇国以外の資本の導入などに意義を唱えず、おとなしいのもこのためであったといわれる。中華中央の軍備よりも数段上の兵器を装備することにより、自らの安全性を確保できるからである。


 史実との大きな違い、それは第二次日ソ戦終結後の一九四一年に瑞穂州の資源開発会社による大慶油田の発見であっただろう。一九四三年四月に産油が開始されている。油質が重くて軽質油には向かないが、それでも近代工業の血液と称される石油が自国内で産出したことが満州を含め、中華中央に与えた影響は大きいといえた。


 まず目を付けたのが共産党勢力であったといえる。それまで蒋介石の国民党や汪兆銘の南京政府との戦闘が主であった共産党勢力、その矛先が満州国に向けられることとなった。それまでほとんどなかった満州国対共産党勢力の戦闘が多発することとなったのである。それまで、満ソ国境に軍の七割を割いていた満州国軍はあわてて長城に目を向けることとなる。幸いにして、第二次日ソ戦の停戦ラインが北に移動したことで対応が可能であったといわれる。


 時の満州国総理大臣張景恵は蒋介石と汪兆銘に共産党勢力に対する共闘を打診することになり、これに応じたのが汪兆銘の南京国民党政府であった。結果として満州国は南京国民党政府と防共協定を結び、これが満州国防衛の一助となったといえる。なぜなら、共産党勢力が東進すれば南から南京国民党政府が攻めあがることができるからである。このころには南京国民党政府は山東省を掌握していたため、北京までは一直線で指呼の距離であった。


 関東州の皇国軍はこの当時、わずかに二個師団に過ぎなかったといわれる。うち一個旅団は大慶油田にあり、一個旅団は南満州鉄道沿線に展開していたので、共産党勢力に対応できるのは一個師団のみであった。装備においても、戦車や野砲は極東軍に比べれば一世代前の装備しかもっていなかった。それほどに山城州ハバロフスク方面を重視していたといえる。


 軍の規模が小さいとはいえ、装備する兵器には格段の差があり、一個師団で相手の四個師団に対応できるとされていた。これは陸上兵力のみの運用ではなく、航空戦力の有機的な運用、空地一対とする戦法にあったとされる。もっとも、備蓄している弾薬には限りがあるため、共産党勢力が採る人海戦術に対処するには限界があるのも事実であった。


 結局のところ、大慶油田の発見と開発は皇国に恩恵をもたらすだけではなく、役災ももたらすことになった。油質が尾羽油田や枯淡油田と同じであれば、また違ったかもしれないが、油質の重い大慶油田は精製が難しく、皇国での利用方法は限られていたといえる。しかし、思わぬ福音もあった。それは米国との国交安定化に繋がることとなった。史実のように日本独自の開発だけではなく、米英資本の導入を容認したことで亜細亜での限定貿易すら行われるようになったからである。


 これまで米国は太平洋を渡るためには、アリューシャン列島沿いの北太平洋を利用してグアム島を経由するか、中部太平洋からグアム島経由、布哇王国経由などの方法であったが、いずれにしても船舶の燃料である重油の入手が問題であったといわれる。これまでは尾羽油田や枯淡油田からの提供を行っていたが、高価格であるため、問題とされていたのである。それが、大慶油田の重油を安く提供することで、打開できたのである。


 また、中華民国に米国が提供する重油をわざわざ本国から運ぶことなく、大慶油田の重油を利用できることになり、経費が安くなることや米国が亜細亜に唯一持っていたフィリピンへの日常品や石油の売却も行われ、米国のフィリピンやグアム島の維持費が大幅に軽減されることも双方の国交安定化に繋がったとされる。


 大慶油田の皇国の取り分は六割、残り四割を満州国の取り分とすることで、油田の開発と土地獲得費用が相殺(五○年間)されることになっていた。この大慶油田の存在が東亜細亜の状況を一変させたといっても過言ではない。特に蒋介石率いる国民党政府は満州国は中華民国の一地域である、ということを強く主張し、満州国の建国を承認することはなかった。対して汪兆銘の南京政府は満州国を独立国と認め、第二次世界大戦後の一九四六年には国交すら樹立し、首都新京には大使館すら設置している。


 ともあれ、満州国は一九三二年には三六九三万三二○六人という人口を有する国家であると主張し、鄭孝胥総理大臣は人口すら把握していない中華民国や共産党勢力とは異なる、という点を当時の国際機関である国際連盟に強く訴えている。


 第二次世界大戦が勃発した一九三九年から第三次日ソ戦終結の一九四七年までは中華中央でも紛争は激化し、満州国は比較的安定していたものの、南京政府は新たに中華共和国の建国を宣言している。共産党支配息は拡大し、中華民国国民党政府の支配域は減少することになる。


 戦後、北方領域は新たに建国された東露西亜国と東イスラエル国、そして仇敵であるソ連と国境を接することとなる。東露西亜国と東イスラエル国は領土的野心は持たないことを宣言し、かつ、皇国の影響が強いこともあって東方地域に配される軍は一個軍一個師団二万人に減少、大韓帝国国境に一個軍二個師団、西方には二個軍六個師団一二万人、南方中華人民共和国国境には二個軍六個師団一二万人が配されることとなった。これ以外に首都周辺に一個軍二個師団、予備部隊三個師団が存在する。空軍は四個軍五一二機があり、海上警備隊として「睦月」型駆逐艦四隻、「択捉」型海防艦八隻があった。


 それでも、満州国は独立国として認められず、承認していたのは皇国、東露西亜国、布哇王国、中華共和国、大韓帝国など亜細亜地域の一部の国であった。独立国として認められ、国際連合に加盟するのは建国から三〇年後の一九五九年まで待たなければならなかったのである。


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