一九五○年日本皇国軍編成
今となってはどう計算したのか不明です。おそらく瑞穂州でも秋津州でも、移民してしばらくは島内の征服に動いたはずです。当然、戦国時代の流儀がなされたはずです。というわけで、人口はかなり多めに見積もっています。史実の日本では第二次世界大戦前で八〇〇〇万人に届かないので、倍数計算、さらに、英国追従政策のため、ある程度の技術力、工業生産力はあったはずなので、GNPは一.五倍から二倍増しと計算していたと思います。
第二次世界大戦時、皇国陸軍は欧州に三五個師団(四個機甲師団および四個機械化師団、二五個歩兵師団、二個砲兵師団)を派兵している。これ以外に航空部隊四個集団など合わせて八〇万人、皇国海軍は艦艇二〇〇隻、航空集団合わせて三〇万人を派兵していた。両軍合わせて一一〇万人にも及ぶのである。交代要員や補充要員を合わせると一三〇万人を超える兵力を送り込んでいたとされる。
うち、戦死傷者は四〇万人を超えていたとされ、行方不明者も三万人近い数であったとされている。その多くが陸軍であったが、これは戦場で最前線に立っていたからであろうと思われた。つまり、この戦いで皇国は三割以上の完全損失を出していたといえる。史実に比べて遥かに少ないのは、日中戦争と太平洋での戦いがなく、純粋に欧州での戦いのみであったからだと思われる。
対して欧州連合国側では五〇〇万人とも一〇〇〇万人ともいわれ、枢軸国側では五〇〇万人とも六〇〇万人ともいわれているが、はっきりとはしていない。民間人を含めれば双方で四〇〇〇万人を超えるとも言われているが、これもはっきりしない。皇国の数字がはっきりしているのは、戸籍制度があり、かつ、欧州に派遣した人数と帰国した人数が把握されているからだと考えられている。
この当時、日本皇国域内の総人口は約一億五〇〇〇万人(扶桑州、台湾州、山城州、瑞穂州、秋津州と関東州や南洋領など領土の皇国人および日系を含めた総数)であり、産業基盤に影響しない潜在兵力は陸軍二五〇万人、海軍六〇万人といわれていた。事実、第二次世界大戦中は扶桑州二個師団、山城州三個師団、台湾州一個師団、瑞穂州三個師団、秋津州二個師団、本土八個師団の合わせて一九個師団三八万人が臨戦状態であった。
戦後、各国は軍縮に向かうこととなるが、国際連合常任理事国たる皇国は紛争に介入を余儀なくされているため、それなりの兵力を装備しなければならなかったといわれる。一九五〇年四月現在、東欧のバルカン半島に三個師団六万人、独逸国内一個師団二万人、東南亜細亜各地に二個師団四万人、計一二万人が駐留していた。また、一九五○年四月、軍編成が大幅に変更されている。
一九五○年皇国軍編成
○陸軍
機甲師団二個
第一機甲師団(山城州ウラジオストック)
第二機甲師団(台湾州)
機械化師団四個
第一機械化師団(扶桑州)
第二機械化師団(瑞穂州)
第三機械化師団(秋津州)
第四機械化師団(沖縄・台湾州)
普通師団一六個プラス一個旅団
第一師団(関東)
第二師団(北海道)
第三師団(東北)
第四師団(中部)
第五師団(西部)
第六師団(九州)
第七師団(瑞穂州)
第八師団(山城州)
第九師団(秋津州)
第一〇師団(北海道)
第一一旅団(関東州)
第二一師団(海外バルカン半島)
第二二師団(海外バルカン半島)
第二三師団(海外バルカン半島)
第二四師団(海外独逸)
第二五師団(海外東南亜細亜)
第二六師団(海外東南亜細亜)
二個空挺旅団
第一空挺旅団(関東)
第二空挺旅団(沖縄)
一個教導旅団
第一教導旅団(関東)
第一特務連隊(特殊部隊)
二個航空群(対地攻撃部隊)
第一航空戦隊(山城州)
第二航空戦隊(瑞穂州)
第三航空戦隊(台湾州)
第四航空戦隊(関東)
陸軍兵力はもともと拠点防衛という意識の上で健軍されている。当初は侵攻敵装備も有していたが、扶桑国(当時)との戦闘に敗北以来、防衛戦重視で部隊編成を行ってきた。例外は日露戦争当時の旅順攻略部隊の編成のみで、これ以降拠点防衛装備のみ配備されている。ちなみに、東南亜細亜や欧州に派遣された部隊も基本的には変わらない。要は運用次第で変わるということであろう。
一九五○年の再編成で一個師団がこれまでの二万人から一万二〇〇〇人に、機械化師団は一万八〇〇〇人に、機甲師団は一万八〇〇〇人に変更され、戦車大隊や飛行大隊、砲兵大隊などが含まれる。主力である歩兵部隊は三個連隊編成となった(バルカン半島および独逸派遣軍は旧編成)。二〇番台の師団番号は基本的に海外派遣部隊に付けられ、一九六〇年以降の部隊編成は各師団からの抽出による。第一教導旅団はいわゆる開発試験部隊で、隷下に特殊部隊を要する。第一一旅団は機械化歩兵一個連隊と一個機甲連隊からなる。
○空軍
二〇個航空団
第一航空団(関東)
第二航空団(扶桑州)
第三航空団(北海道)
第四航空団(東北)
第五航空団(中部)
第六航空団(西部)
第七航空団(九州)
第八航空団(沖縄)
第九航空団(台湾州)
第一〇航空団(瑞穂州)
第一一航空団(秋津州)
第一二航空団(山城州)
第一三航空団(関東州)
第一四航空団(扶桑州)
第一五航空団(山城州)
第一六航空団(瑞穂州)
第一七航空団(秋津州)
第一八航空団(台湾州)
第一九航空団(海外)
第二〇航空団(海外)
二個爆撃航空団
第一爆撃航空団(関東)
第二爆撃航空団(九州)
三個輸送航空団
第一輸送航空団(関東)
第二輸送航空団(西部)
第三輸送航空団(瑞穂州)
二個早期警戒管制団
第一早期警戒管制団(関東)
第二早期警戒管制団(台湾州)
防空指令所一〇〇箇所
その他
戦後、陸軍航空隊と海軍基地航空隊(母艦航空群および対潜哨戒部隊を除いた部隊)を統合して発足した第三の軍である。基本的に領空侵犯などに対する迎撃任務を中心とする。例外は輸送機部隊と爆撃部隊で、海外派遣部隊への緊急展開も任務に含まれるため、長大な航続力を有する機体が採用されている。
独逸から得た技術で開発が進んでいるが、未だ完全にジェット化にはいたっていない。制空戦闘機はジェット化がなされている。
○海軍
・聯合艦隊(司令部は非常事態時創設)
戦艦六隻
航空母艦五隻(別に練習空母一隻)
指揮巡洋艦三隻
防空巡洋艦一二隻
防空駆逐艦一二隻
駆逐艦四八隻
強襲揚陸艦六隻
潜水艦三四隻
陸戦隊三万六〇〇〇人(三個師団)
母艦航空隊五群
その他補助艦艇多数
基地航空隊二五六機(対潜哨戒機部隊)
その他救難飛行隊など
・沿岸警備隊
駆逐艦二四隻
海防艦四八隻
その他多数
・海上保安部隊
大型巡視船一二隻
中型巡視船二四隻
小型巡視船四八隻
その他多数
艦隊指揮重巡洋艦『畝傍』『大淀』『仁淀』
戦艦「大和」型戦艦『大和』『武蔵』『信濃』『播磨』
「紀伊」型戦艦『初瀬』『敷島』
航空母艦「翔鶴」型航空母艦『翔鶴』『瑞鶴』『雲鶴』
「大鳳」型航空母艦『大鳳』『海鳳』
練習空母『扇鶴』
防空巡洋艦「高千穂」型防空巡洋艦『高千穂』『松島』『橋立』『厳島』『富士』『朝日』『和泉』『浪速』『吾妻』『春日』『筑紫』『薩摩』
防空駆逐艦「秋月」型防空駆逐艦『秋月』『照月』『涼月』『初月』『新月』『若月』『霜月』『冬月』『春月』『宵月』『夏月』
「陽炎」型駆逐艦三六隻
「夕雲」型駆逐艦一二隻
強襲揚陸艦「秋津」型六隻
潜水艦
「香椎」型潜水母艦四隻
「潮」型潜水艦二〇隻
「竜」型潜水艦一四隻
海兵師団
第一海兵師団
第二海兵師団
第三海兵師団
対潜哨戒飛行隊
<南海>二五六機
・沿岸警備隊
「松」型駆逐艦二四隻
「択捉」型海防艦四八隻
・海上保安部隊
「会津」型大型巡視船一二隻
「留萌」型中型巡視船二四隻
「鴻」型小型巡視船四八隻
「燕」型巡視艇一二八隻
海軍は日本で最も巨大な軍組織であった。その組織の中に本来の艦船運用だけではなく、陸軍戦力(陸戦隊)、空軍戦力(空母搭載機)、そして警察機構(海上保安隊)を有するからである。その防衛担当区域もオホーツク海から南シナ海、中部太平洋とかなり広大であるから当然といえたかも知れない。主要軍港は蘇論(秋津州ソロン)、三田冠(瑞穂州サンダカン)、高雄(台湾州)、佐世保、呉、舞鶴、ウラジオストック、横須賀、大湊、大泊、択捉であり、空母の定型港は三田冠、佐世保、呉(練習空母)、横須賀、舞鶴、択捉、戦艦の定型港は蘇論、高雄、佐世保、呉、舞鶴、横須賀であった。
現在、聯合艦隊は編成されていないので、このような分散配備となっている。現状でもっとも脅威と考えている方面は東南亜細亜であり、中華中央であったから、この方面は重視されていたのである。東南亜細亜は各方面で独立紛争や戦争が起きており、中華中央も内戦状態であるから軍の展開が重要とされていたのである。特に海軍陸戦隊は紛争地に近い三田冠、高雄には師団が、佐世保、呉、横須賀には連隊規模で配備されていたのである。
この時点で欧州には陸軍は四個師団、海軍は戦艦一隻、空母一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦八隻を派遣しているが、独逸への派遣軍は技官を除いて年内に撤兵の予定であったが、バルカン半島に派遣している三個師団と海上戦力は当分の間続きそうであり、交代部隊の派遣が検討されている。
ともあれ、今回の再編は世界大戦終結による軍縮への第一歩といえた。英国ほど植民地を有しない皇国は必要最低限と思われる軍備を充実させようしていたのである。なぜなら、この当時、国内開発(台湾州、扶桑州、瑞穂州、秋津州)がまだ進んでいなかったからである。軍備より国内開発、という未だ健全な国内政治であったといえるだろう。