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欧州での戦い5

相変わらずご都合主義です。今書くとしたらもう少し詳しく書いたかもしれません。アメリカが参戦しない世界ってありえないと思いますが、、日本が日英同盟を継続していたら、英国追従政策を国策としていたら、迷わず参戦するでしょう。おそらく兵力もそれなりに派遣していると思いますが、対米防衛もあってここまで行くかどうか

 遣欧部隊総司令部でもいくつかの作戦案が検討されていた。伊太利亜侵攻作戦が終了し、戦いが陸上戦に移ったことで、打撃部隊や機動部隊が地中海で待機している状況であったからである。護衛部隊は中東から英国向けの石油や日本からの補給品を搭載した輸送船の護衛に忙しく活動していた。英国軍側からは特に何も言ってきてはいないが、黙ってみてるわけにはいかないというのが派遣軍総司令部の考えでもあった。


 そんなときであった。海軍作戦参謀の松永中佐が三つの作戦案を上申してきた。一つは遣欧艦隊機動部隊による大西洋岸の独逸海軍根拠地となっている港湾への空爆、二つ目は護衛部隊による潜水艦狩り、三つ目は打撃部隊による北海の封鎖、であった。作戦計画書を一読した山本大将はすべてを許可し、自ら英国国防省へと出かけていった。


 このころ、独逸海軍は新兵器を繰り出していた。音響追尾魚雷やFAT魚雷である。むろん、現代で使われているほど精密なものではないが、それでも回避は難しく、被害は増大していた。攻撃される前に攻撃するしか今のところ方法がなかった。独逸空軍でもMe262ジェット戦闘機やMe272ジェット戦闘機(史実のP.1101試作戦闘機)、He162ザラマンダージェット戦闘機などが登場し、英国軍を苦しめていたのである。中でも独逸海軍が使う魚雷は脅威であった。ジェット戦闘機は高速であり、大型爆撃機にとっては脅威であった。


 英国空軍による独逸爆撃作戦は今も続けられていたが、被害が大きくなりすぎていた。そんなときに実施されたのが遣欧艦隊機動部隊による空爆であった。このころには欧州でも新型戦闘機が配備され始めており、攻撃機や爆撃機も改良されていた。


 艦上攻撃機<流星>は発動機を排気タービン付の二〇五〇馬力のものに換装され、爆弾搭載量も一〇〇〇kgまで増加し、航続距離も満載時で二五〇〇kmまで伸びていた。最高速度も爆弾搭載時六〇〇kmに達し、何よりも空荷時は戦闘機並の機動が可能であったといわれる。


 艦上爆撃機<彗星>も発動機を排気タービン付の一六五〇馬力のものに換装され、各部が強化されたため、爆弾搭載量も八〇〇kgまで増加し、航続距離も満載時で二○〇〇kmまで伸びていた。最高速度も爆弾搭載時六○〇kmに達していた。


 新型艦上戦闘機<海燕>は排気タービン付の二〇五〇馬力のものが搭載され、爆弾搭載量も八〇〇kgまでの爆弾が搭載でき、航続距離も満載時で二五〇〇kmまで伸びていた。最高速度は七四〇kmであった。


 これら艦載機は英国にも供与され、特に<海燕>は爆撃部隊の護衛戦闘機として使用されていた。爆弾を搭載しなければ、三三○○kmもの航続距離を持っていたからである。


 四五年になって皇国から新型爆撃機がセイロン、カラチ、アレキサンドリア、ジブラルタルを経由して英国本土に飛来するようになっていた。二〇式爆撃機<深山改>である。 機内与圧ができるようにされており、長時間の高空飛行が可能とされていたことである。<深山改>の要目は次のようになっていた。全長二八.五m、全高七.八m、全幅三八m、自重一万九四○○kg、最大重量三万九一○○kg、最高速度五二四km/h(高度六〇〇〇m)上昇限度九八五〇m、航続距離六九二○km、巡航速度二九三km/h、発動機瑞穂MZU液冷V型一二気筒排気タービン付二○五○馬力×四基、乗員数一〇名、武装二〇mm機銃×四、一二.七mm×四、爆弾最大八六○○kgというものであった。


 このころになってやっとという形で多量生産が可能になった(といっても史実の米国にははるかに及ばない)ための投入であった。<深山改>は爆弾などを英国で調達するようにされており、爆弾搭載架も最初から英国のものに準じていた。半年をかけてそろえられたのは一〇〇機であったが、部品の製造が進んだ今はもう少し量産できそうであった。


 遣欧艦隊護衛部隊による潜水艦狩りは進み、北大西洋では独逸海軍の根拠地が減るにつれて、戦いは空と陸に移っていった。遣欧艦隊機動部隊は独逸海軍航空母艦『グラーフ・ツェッペリン』、「ドイッチュランド」型装甲艦『ドイッチュランド』『アドミラル・シェーア』を航空攻撃で撃沈しており、遣欧艦隊打撃部隊は艦隊戦で「シャルンホルスト」型巡洋戦艦『シャルンホルスト』『グナイゼナウ』、「ビスマルク」型戦艦『ティルピッツ』を個別撃沈していた。英国艦隊は「シュレーヘン」型巡洋戦艦(史実の「O」型巡洋戦艦)『シュレーヘン』『ケーニヒス』、仏蘭西「リシュリュー」型戦艦『ジャン・バール』を撃沈しており、独逸海軍および枢軸側には有用な艦艇は既になかったのである。


 独逸艦艇との戦闘において、遣欧艦隊打撃部隊は『長門』『陸奥』が大破し、戦列を離れ、英国海軍は『プリンス・オブ・ウェールズ』『デューク・オブ・ヨーク』、皇国から購入した『榛名』『霧島』が沈没、『アンソン』『金剛』『比叡』が大破して戦列を離れている。英国艦隊は「シュレーヘン」型巡洋戦艦二隻と『ジャン・バール』の艦隊戦に挑んだのであるが、不幸にも『プリンス・オブ・ウェールズ』は第一砲塔基部に直撃を受け、砲塔がターレットからずれた隙間に二発目を被弾したのである。『デューク・オブ・ヨーク』は煙突から飛び込んだ砲弾により、機関室が破壊され、漂流中に駆逐艦隊の雷撃を受けて沈没していた。『榛名』と『霧島』は駆逐艦部隊の雷撃を受け、『榛名』は四本、『霧島』は五本を被雷、巡洋艦の砲弾多数命中させられ、沈没していた。


 英国艦隊は運に見放されていたといえた。皇国艦隊と違ってまとまった艦隊決戦になってしまい、しかも攻撃は後手に回ってしまったからであった。その点、皇国艦隊は先手必勝であったのだ。その理由は水上機の運用にあったといわれる。優れたレーダーを装備していた英国艦隊はレーダーに頼りすぎていたといえる。しかし、皇国艦隊は英国製より劣るレーダーであったため、水上機<瑞雲>を積極活用していたのである。


 このころ、英国では新造戦艦「ライオン」型一番艦『ライオン』が完成していたが、二番艦以降は建造されていない。空母や駆逐艦の建造が優先されたためである。「インプラカブル」型航空母艦、「コロッサス」型航空母艦などであるが、史実ほどに護衛空母は建造されていない。その代わりといえるかもしれないが、水上機母艦を多数建造している。「インプラカブル」型航空母艦は史実では日本攻撃に参加している空母である。


 一九四五年初頭には地中海や北大西洋から独逸艦艇は一掃されており、ほぼ海上での戦闘は終焉していたといえる。こうして戦いは海上から陸上に移ることとなる。そしてこのころから皇国軍独自の作戦が実施されるようになる。当初、連合軍からも反感を買うが、戦争終結後にはある程度理解される作戦であった。



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