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欧州での戦い4

やはり参謀長を置くべきでしょうね。修正も考えましたが、結局そのままです。おそらく、陸軍部と海軍部を置いてということがいいんでしょけどね。


 皇国からの遣欧部隊が海軍だけではなく陸軍も加わったことで、遣欧部隊総司令部がバーミンガムに設置され、総司令官に遣欧艦隊司令官から横滑りする形で山本五十六海軍大将がつき、秋山慎太郎陸軍中将が副司令官および陸軍を統括、北条昭信海軍中将が副司令官および海軍を統括していた。参謀長は置かれず、海軍作戦参謀として松永丈一海軍中佐、陸軍作戦参謀として木本良一陸軍中佐、他に一〇数名の参謀が本国から派遣されていた。遣欧艦隊は古賀峯一中将が代わって指揮を執っていた。


 このころ、英国本土はどうなっていたか、といえば、V-1の攻撃は回避することができていた。V-1は速度が六○○kmと遅く、その多くは仏蘭西の沿岸部から発射されていたため、偵察機による発射地点を確定でき次第、マルタにあった元『龍驤』『龍鳳』乗り組みの海軍航空隊(この時点で英国本土に在った)を差し向けることでその被害は防げたのである。そのため、現地改造の艦上偵察機<彩雲>二二型(ロールスロイス「グリフォン」65エンジン搭載で八〇〇km/hオーバーの速度を持つ)を飛ばせていたのである。


 この作戦を考えたのが、遣欧部隊総司令部海軍作戦参謀として司令部入りしていた松永丈一中佐だった。彼は本来ここにはいないはずの人物であった。彼は塚原中将指揮下の旧遣欧艦隊機動部隊作戦参謀であったから、塚原中将の遣欧艦隊機動部隊が解散した時点で彼も日本に帰っているはずであった。作戦能力を見込まれ、山本大将の命令により、遣欧部隊総司令部海軍作戦参謀として横滑りで司令部入りしていたのである。これまでの陸海すべての作戦立案に携わり、成果を挙げていることから遣欧部隊総司令部内では確固たる地位を確保していた。


 しかし、それもつかの間、今度はV-2号ロケット弾の攻撃を受けることになった。それでも彼はあわてず、空中警戒機型の一七式大艇とこれまでの作戦を組み合わせて可能な限り、発射基地に強行爆撃を行うことでその危機すら一時的に回避することに成功する。


 地中海ではバーナード・モントゴメリー元帥指揮のシチリア島上陸作戦(史実のハスキー作戦)が行われていた。チュニジア、スエズ、アレキサンドリアからの部隊移動は第一護衛隊および第二護衛隊により、損害を受けることなく上陸する。上陸の前に行われたマルタ島および遣欧艦隊機動部隊による空爆、さらに打撃部隊による艦砲射撃は凄まじいものであったとされる。チュニジアからの空爆も加わり、上陸地点の地形が変わるほどであったといわれる。遣欧艦隊機動部隊司令官山口多聞中将は五波のべ一四四○機を投入し、敵陣地への集中爆撃を行った。偵察機による情報を元に精密爆撃を繰り返したため、作戦は順調に進み、一ヶ月を経ずに作戦は終了している。


 余談ではあるが、バーナード・モントゴメリー元帥は気性が激しく、人種的偏見を持っていたとされる。しかし、イタリア本土上陸作戦も含めたこの一連の作戦により、彼の性格は多少なりとも変わっていたといわれる。それは皇国陸軍指揮官竹中次郎大将の影響であったといわれている。寡黙でありながら、命じられた作戦は実行し、結果を残した彼に対する感情的なものがあったのだといわれていた。事実、モントゴメリー元帥は自分たちでは損害が多く、達成が難しいと思える作戦をも彼に命じていたのである。


 その後の伊太利亜本土侵攻作戦においても圧倒的な戦力(英陸軍二個師団、ANZAC陸軍一個師団、日本陸軍四個師団十四万人)がわずか五日で終了させたのである。むろん、ここでも遣欧艦隊機動部隊司令官山口多聞中将は六波のべ一七二八機を投入し、敵陣地への集中爆撃を行った。さらに、伊太利亜北部の独逸陣地まで困難な夜間空爆すら行っている。


 一九四四年九月八日に伊太利亜は降伏し、伊太利亜南部から独逸軍は一掃され、連合軍はさらに北へと向かうこととなる。しかし、ムッソリーニはナチス親衛隊特殊部隊によって救出され、北部伊太利亜に新たに伊太利亜社会共和国を立ち上げ、独逸支配下に入ることとなった。それでも連合軍は着実に北進しており、一〇月には南部伊太利亜の新政権がナチス独逸に宣戦布告している。


 他方、北大西洋では英国海軍と独逸海軍の壮絶な戦いが行われていた。ジブラルタルから英国本土への輸送航路は一時の平穏から新たな戦場と化していた。仏蘭西沿岸で建造されたUボートや英国を迂回したUボートが群狼作戦を行い、ポケット戦艦など水上艦が通商破壊戦を行い、ドーバー海峡では大規模な空戦が行われていたのである。


 ドーバー海峡での空戦は英国側に有利に進んでいたといえる。空中管制機が導入された英国側は四年前とは異なり、余裕を持って迎撃に当たることができた。しかも、日本海軍機の影響ともいえるが、新鋭戦闘機群は航続力が長く、独逸軍機を圧倒していたのである。もっとも、ときおり混じるジェット戦闘機やV-2誘導弾の攻撃には未だ対応できず、被害が出ていた。


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