プロローグ
文書データによれば、2006年ごろに書き終えていたもののようです。使わなくなったパソコンから掘り起こしたものです。多少の無理はあるものの、それなりに読めると思うので、簡単な修正のみ、目に付いた誤字脱字のみの訂正です。あまりいじくると小説自体のバランスが崩れそうなので、やめました。
ご意見ご感想は歓迎です。
一八九○年一月、この月の初め、東京市は物々しい雰囲気に包まれていた。四ヶ国の代表が集結し、ある会議を行うことになっていたからである。極東亜細亜、否、亜細亜初となる憲法についての会議であったのである。この会議の結果によっては四ヶ国連合が瓦解し、日本明治政府はその成立を否定されるかもしれない、そういう会議であった。
こうしてやっとという感じで、近代立憲主義に基づく日本皇国憲法の草案が四ヶ国の合意で成立、翌月二月に公布され、翌一八九一年一一月二九日に施行(史実では一八八九年二月一一日公布、一八九○年二月一一日に大日本帝國憲法として施行)されることとなった。この憲法施行により、日本皇国は近代化の第一歩を記すこととなる。
むろん、この会議までには四ヶ国個別の会合が持たれ、草案の細部にまで関する議論が行われていた。それら会合は公式のものとはされておらず、最終的には公式の会議の上で決定されるとされていたが、この会議の開催まで一〇年を要していたのである。
一八六七年一一月九日の大政奉還後、各地で内戦が勃発、一応の安定化がなされたのが一八八○年のことであった。このとき平定されたのは古来から日本といわれている地域であった。しかし、当時の明治政府には更なる問題が降りかかっており、それが扶桑国、瑞穂国、秋津国と名乗る地域との関係であった。結果として、史実のような中央集権国家として日本皇国が成立したわけではなかった。
どちらかといえば英国に似た連合王国、あるいは米国に似た合衆国として成立したといえる。扶桑国や瑞穂国、秋津国といった史実では存在しない日系国家があり、こうした地域を領土として明治政府下に加えるためにはそれなりの譲与が必要であったからである。残念ながら当時の明治政府にはこうした地域を武力で併合することは不可能であった。そういう理由があり、単純な廃藩置県ではなく、米国に似た州制をも採らざるを得なかったのである。
さて、日本皇国とは何であろうか。この当時の日本は史実とは異なる構成であった。北から扶桑州、北海道州、本州(東北、関東、東海、関西、中国の各州に分かれる)、四国州、九州、琉球州、瑞穂州、秋津州で構成された合衆国であった。史実のように単一言語を話す国ではあったが、単一民族かと問われればそうではないといえる。たしかに扶桑州や瑞穂州、秋津州の住民には日本人以外の血も混じってはいたが、それでも日本列島に生まれた日本人の子孫であることは間違いなく事実であった。
そんなわけで、このとき施行された日本皇国憲法も史実の大日本帝国憲法とは異なる点が多いものであった。それは欧州に強い影響を受けていた、瑞穂州や秋津州の意見が取り入れられたためであったといわれている。もっとも大きく異なるのは、軍の政治への関与は否定され、文民統制が強く押し出されたものとなっていたということである。また、議会の権力が強く押し出され、議会の権力が強かったとされる。さらに、史実のように憲法発布の勅語に「不磨ノ大典」などとされていないため、以降、幾度か改定されており、もっとも大きな改定は一九二八年の昭和大改定とされている。
一八八○年、明治政府陸軍は扶桑国陸軍に完膚なきまで敗北している。江戸時代も含めれば都合四度敗北していたのである。そして、瑞穂国や秋津国とは馬関戦争を含めて二度、江戸時代を含めれば都合三度敗北していたのである。これが日本明治政府の置かれた立場であった。明治政府が存在できるのは彼らが日本占領、否、明治政府打倒という行動を起こさないでいるからであった。
少なくとも明治政府はそう考えていた。それは明治政府が彼ら、扶桑国や瑞穂国、秋津国を理解していないが故の考え方であったことが後に判明する。そう、この当時、明治政府は彼らの何たるかという情報はまったくといっていいほど得ていなかった。そして、このことが日本皇国誕生に繋がることとなる。もし、明治政府が彼らのことを理解していたなら、その後の極東亜細亜はまた違ったかもしれないのである。
もっとも、明治政府はこれ以降の会合を経て彼らを理解することとなるが、既に遅く、大日本帝国への軌道修正は不可能であったといえる。彼らは日本人であるとともに欧州的な考えをも強く持っていたのである。それがその後の明治政府の未来を決めていくこととなった最大の原因であった。
こうして最初に述べたように、一〇年という熟成期間を経て日本皇国憲法が公布され、施行された。果たしてこの世界の日本人たちの未来はどうなるのであろうか。それの一端を知るためにこれがまとめられたといえる。
今となっては何からアイデアを得たのか不明ですが、それなりに楽しんでいただければ幸いです