家族の紹介
家族の紹介
書きながら思う…書ききれない
くそばばぁと表現すると悪意があるように感じるでしょうが、大嫌いでもない、正直大好きでもないが死んでほしいとも思ってない。家族という括りで介護をする私、介護される祖母の関係は複雑です。
くそばばぁとでも言わないとやってられないのです。そう陰で呼ぶことで自分なりに折り合いをつけているのです。※もちろん本人に「くそばばぁ」とはいってませんよ。
私の祖母は最強くそばばあ。
不死身?と不安になるほど元気。
いままで大きな病気をすることもなく、家の畑で野菜を作り、庭の草を取ったりしてきたおばあさん。
もちろん年齢的に腰や膝が痛かったり、耳が遠かったりは人並みにあるにある。
私の家族の紹介
【私】三姉妹の中間子。この家の跡取り娘の47歳。29歳に結婚出産したがその後離婚しシングルマザー。性格は明るく活動的で好奇心の塊。悩んで解決する事はとことん悩むが、悩んで解決しないことは悩まず受け入れる。昨年くそばばぁの背骨の圧迫骨折、母の持病の悪化が重なる。娘が進学で引っ越して居なくなることもあり会社勤めを断念。ワンオペW介護になるため仕事を在宅自営業に!
【娘】私の一人娘。19歳。今年から専門学校に進学遠方でひとり暮らし。年寄と暮らす中で優しく育ちました。くそばばぁから依頼される畑仕事をこなし、夕飯などを作ってくれる良いヤツ♡
【母】嫁に来て50数年の74歳。嫁に来た時からくそばばぁの嫁いびりに合う。性格がふわっとしてるのでここの家の嫁が勤まっていると思う。最近は嫁姑の立場が逆転気味。
持病があるが適当に付き合ってる。2年前に軽く脳梗塞、後遺症はないが物忘れなど認知障害の初期の様な症状があり。最近は食事の準備も掃除も自分からやらなくなった。言えばやるのでたまにお願いしてる。持病のせいか一日中ゴロゴロしてる。朝晩の柴犬の散歩は喜んでしてくれる。両耳が赤ちゃんの頃の病気で補聴器なしでは暮らせない。ただ歳とともにガッツリ耳が遠くなり片耳は聞こえていない。
耳が遠い事、運転が不安なこともあり内科と脳神経の通院は一緒に行っている。
【★くそばばぁ★】この話の主人公。最強の94歳。嫁いで70数年、大きな病気をすることも無く今現在の通院は腰痛で成形外科、便秘で内科・・・くらい
週2回のデイケアと2か月に1度のショートステイを利用(本人は行きたくない)
口が悪くいろいろしつこい・「気は心」が口癖・とにかく「ありがとう」と言われたい・あー言えばこー言う・何事も昔のことと比べて今の話が出来ない・外面は恐ろしいくらい良い・耳は遠いが頭はキレる・心の声がダダ洩れ・昨年秋ごろ右ひざじん帯断裂するも復活・年末転倒により背骨を圧迫骨折するも2か月間の寝たきりを経て復活。通院は連れて行っています。
現在は娘以外の3人オールドレディース状態。年増の女だけ。+6歳の柴犬(♂)
そのほかに
【曾祖母】私が学生の時に92歳で天国へ行った。多分認知症が今までの中で一番ひどく。このころから私の家族介護生活が始まっていた。
【祖父】7年前に88歳で天国へ行った。難病持ちで60歳まで生きれないと言われていたらしいが88歳まで生き抜いた。見栄っ張りの格好つけ。
【父】12年前に天国へ行った。母の事が大好きで釣り好きで盆栽好き。とにかく多趣味。難病持ち。難病発症8年目に「延命治療はしない」と最後はあっけなく旅立った。
後半の3人に私の姉妹が居たので学生のころは8人家族。姉妹は20代で結婚して家を出る。
ということで・・・
曾祖母の介護は祖父母、両親、私達三姉妹の7人で協力した介護
父は介護らしい介護は無いまま終わった。
祖父の介護は祖母、母、私、娘の4人で介護
現在!くそばばぁと母のW介護をボッチでやる事になる。
今までの介護生活での出来事を次回から紹介
次回:我が家の介護についてのルール