第1話「天使1号」
療養施設の個室。目を閉じベッドで横になる奏。
奏「僕は室井奏。高校1年生。といっても1年前から闘病中で高校へは行ったことがない。僕は今日、死を迎える。最新の検査技術によって、今日の18時12分40秒に死ぬことは病気が診断された日からわかっている。だるくて体は動かないが、薬のおかげで痛みや苦しさ自体はほとんどない。両親はすでに他界しており、きょうだいもいないので特別会いたい人もいない。ただ、死が恐くないといったら嘘になる。僕には明日という日は存在しない、死亡予定日時以降に僕は存在しないという事実が理屈ではわかっていてもどうにも理解できずにいる。頭が理解するのを拒否しているような感覚だ。とにかく、なんともいえない恐さだ。当日である今日も、施設の担当看護師がいつもの時間に来てくれるだけで、いつもの朝と変わらない。」
遠くで足音が聞こえる。足音が大きくなっていき病室の前で止まる。
奏「(誰だろう?看護師さんはさっき来てくれたばかりだけど。)」
『コンコン』
誰かがドアをノックする。
奏「はい、どうぞ。」
ドアが開き、見覚えのない女性が入ってくる。見た目は18歳くらいだ。
イチ「はじめまして、奏くん」
奏「は、はじめまして。ど、どちら様ですか?」
イチ「驚かせてすみません。私は天使1号という医療用アンドロイドで、室井譲先生から奏くんのもとへと訪れるように指示されています。」
奏「叔父さんが?それで、その天使1号さんが何のご用ですか?話し相手にでもなってくれるのですか?」
イチ「ご希望であれば、それも可能です。ただ、もっと大切なことが。すみません、あまり時間がありませんので失礼します。」
天使1号は手のひらを奏の額に当てる。
奏「な!今さら熱なんてどうでも・・・」
奏のからだが軽くなっていく。
奏「何だ?何が起こっている?からだが・・・軽い!」
イチ「はい、終わりました。もう大丈夫です。」
からだを起こし、立ち上がる奏。
奏「立てた!急にお腹もすいてきたぞ!こ、これは一体・・・」
イチ「あ、筋力が低下しているので転ばないように気をつけてくださいね。食事も消化にいいものから少しずつ始めましょう。」
奏「いや、そんなことより一体何をしたの!?」
イチ「私には上手に説明できませんが、簡単に言うと奏くんの寿命を半年伸ばしました。正確には6か月前のからだの状態に戻っています。」
奏「そ、そんなことが・・・だって僕の死亡予定日時は今日で精度は99.998%って・・・つまり、僕今日死なないってこと!?」
イチ「ご理解いただけれてうれしいです。」
奏「まさか、こんなことが!まだ、信じられないよ!天使1号さん!」
イチ「はい。よかったです。」
奏「よかったら、一緒に来てもらいませんか?ずっとしたかったことがあるんです!」
イチ「奏くんがご希望でした。特に室井先生から禁止の指示は受けていません。」
奏「ありがとう!行きましょう!天使1号さん!」
イチ「はい、私も人間社会について知りたいので楽しみです!」
奏「あ、天使1号さんって呼びにくいから、呼び方変えてもいいですか?えっと、1号だからイチさんとかは?」
イチ「イチ・・・ですね。大丈夫です!人間のお名前みたいでうれしいです!」
施設から歩いて10分くらいのショッピングモールへ移動する。
奏「(からだが軽い!どこまでも歩いていけそうだ!この1年世の中が白黒のようだったのに、空も鳥も家も、全てが色鮮やかにみえる。世界ってこんなにも美しかったのか!)」
ショッピングモールに着く2人。
奏「着いた!」
イチ「ここですね!これ、何のお店ですか?」
奏「ムーンライトカフェだよ。高校生になったら1度でいいから女の子と来てみたかったんだ。」
イチ「カフェ・・・って何ですか?」
奏「えっと、コーヒーとかを飲むところ?・・・」
イチ「そうなんですね!来る途中に自動販売機がありましたが、あそこでもコーヒーを販売してました。あれとは違うんですか?」
奏「うん、全然違うよ!全く別物!」
イチ「なるほど!つまりカフェのコーヒーは別格においしくて、奏くんはコーヒーが大好物ってことですね!」
奏「い、いや、そういうわけではないんだけど・・・僕が頼むのココアだし・・・コーヒーは苦くてちょっと・・・」
イチ「あ、そうでしたか。とても難しいです。」
奏「とにかく!店に入ってイチさんがいっしょに席に座ってくれればそれでいいんです!飲み物の種類や味はささいなことです!(身もふたもないことを言ってしまった。)」
イチ「今のでとてもわかりやすくなりました!私食べたり飲んだりできないから、安心しました!」
ココアを2つ注文して、席に座る2人。流れる沈黙。
奏「・・・」
イチ「・・・」
奏「・・・そろそろいきましょう。」
イチ「あ、もういいんですか?わかりました!よかったらもっといろんなところに連れて行ってください!人間の社会についてもっと知りたいんです!」
その後ショッピングモール内の施設でボウリングやカラオケ、バドミントンなどを楽しむ2人。イチも見よう見まねで雰囲気で楽しんでいる。
奏「いろいろ付き合わせてしまってすみません。」
イチ「いえ!人間の世界を少し知ることができて私も楽しかったです!こちらこそありがとうございました。」
奏がふと時計をみると18時20分。
奏「本当に18時12分を過ぎた・・・僕にとって存在しないはずの時間・・・僕が存在しないはずの世界・・・夢じゃなかったんだ・・・」
イチ「奏くん・・・今度は私が一緒に行きたい場所があります!」
奏「え?どこですか?」
イチ「室井先生の研究室です。」
奏「叔父さんの・・・」
室井博士の研究室に着き、研究室のドアを開ける。
イチ「ただいま戻りました。」
室井「おかえり!天使1号!」
奏「こんばんは・・・」
室井「奏くん!久しぶり!ということは成功したんだね。遅かったから心配したよ。」
奏「すみません。ついうれしくなっちゃってイチさんを連れまわしてしまって。」
室井「イチさん・・・ああ、天使1号のことだね。たしかにイチの方が親しみやすくていいね!僕もそう呼ぶことにしよう。」
奏「そんなことより叔父さん!これはどういうことですか!?」
室井「君の死亡予定日時を変更したんだよ。イチから聞いているだろう?」
奏「それは聞きました!現にこうして生きていられています。でも、わからないことが多すぎて理解できません・・・。」
笑顔から真顔になる室井。
室井「そうだね。これはきちんと話しておかないとね。真実を全て受け止める覚悟はあるかい?」
奏「あります!僕は本当はもう死んでいるはずだったんです!何でも受け止めます!僕のからだに何が起こったか教えてください!」
室井「わかった。とりあえず座って落ち着きなさい。」
一呼吸おいて話し出す室井。
室井「天使1号・・・イチは僕が造った医療用アンドロイドだ。造ったといっても量産型の医療・介護用アンドロイドを改良して機能を追加しただけだけどね。」
奏「機能を追加・・・」
室井「そう。追加したのはもちろん寿命を操作する機能だ。事故など外的要因による死を除いて、私たち人間の寿命は細胞内に存在する核DNAの遺伝子とミトコンドリアDNAのテロメアによって決まっている。そしてミトコンドリアDNAのテロメアに作用する物質がミトテロメアンだ。」
奏「ミトテロメアン・・・」
室井「そう、そしてイチは経皮的に提供者からミトテロメアンを抽出して貯蔵することができる。そしてそれを被提供者に経皮的に投与することができるんだ。」
奏「あ、あのときの・・・」
イチが奏の額に手を当てた場面を思い出す。
室井「その結果、死を迎えるはずの君の細胞たちは生き永らえることができたというわけだ。今回君に投与されたミトテロメアンはちょうど半年分だから、君のからだは半年分前の状態にもどったと考えるとわかりやすい。」
奏「なるほど・・・え、ということはそのテロメアン・・・って!!」
室井「そう。君に投与されたミトテロメアンは君以外の人間から抽出したもの。君に与えられた6か月は他の誰かが生きられた6か月ということだ。もちろん、提供者自身の希望と同意に基づいて抽出されたものからそこは心配いらない。」
奏「でも・・・今こうして生きている時間は、本当は誰かの人生の時間で・・・うわあああああ!」
室井「時間がなく被提供者の君の希望や同意を得ていなかったことは謝るよ。僕を恨んでいるかい?」
奏「・・・いえ。感謝しています。取り乱してすみません。叔父さんにも、僕に命を分けてくれた方にも。身勝手かもしれませんが、やっぱりいま生きていられることがうれしい・・・うれしくて仕方ない!」
室井「そう言ってもらえると僕も少しは救われるよ。」
奏「でも、おかしいです。1つ聞いてもいいですか?」
室井「なんだい?」
奏「いとこの由美ちゃん・・・叔父さんの娘さんも僕と同じ病気で去年亡くなっています。なぜ由美ちゃんに使わなかったんですか?」
室井「・・・使いたかったさ。そのためにイチを開発したんだ。でも、間に合わなかった・・・ミトテロメアンの抽出段階までは順調だったが、肝心の投与で実験が難航してね。そのまま娘は死亡予定日時を迎えたよ。」
奏「そう・・・だったんですね。」
室井「気持ちの整理がつかず、1度は研究自体を封印したんだけど、親戚づてに奏くんも娘と同じ病気で死が迫っていることを聞いてね。急いで研究を再開して昨日完成したばかりだったんだ。本当に間に合ってよかった・・・」
奏「本当にありがとうございます。」
室井「ただ、1つ大きな問題があってね。」
奏「何ですか?」
室井「なぜ延長された寿命が半年分だけだったと思う?」
奏「え・・・わかりません・・・」
室井「もちろん一度に大量に投与するリスクを考えてっていうのもあるんだけど。それ以上ミトテロメアンを抽出してしまうと、イチを開発できる人がいなくなってしまうからね。」
奏「え?それってつまり・・・」
室井「そう、君に投与したミトテロメアンは僕から抽出したもの。そして、僕に残された時間も残り少ない。」
奏「そんな!それなら、なぜミトテロメアンを自分に戻さなかったんですか!?」
室井「開発しておいてなんだけど、僕は自然の摂理に逆らってまで由美のいない世界で生きていたいとは思わない。ただ、君は違う。その術があるのであれば、もっと生きるべきだ。由美や僕の分まで。由美もきっとそれを望んでいると思っているよ。」
奏「僕は、僕は・・・。」
室井「さて本題だ。君に残された時間はあと6か月だ。その間にミトテロメアンを確保する必要がある。イチが提供者の側頚部に触れることでミトテロメアンを抽出、保存することができる。そして被提供者の前額部に触れることで投与することができる。抽出量、投与量はイチに伝えれば設定可能だ。ただ、1つだけ約束してほしい。」
奏「は、はい。」
室井「ミトテロメアンの抽出は絶対に提供者自身の希望と同意がある場合にのみ行うこと。希望と同意なき抽出は、一方的に命を奪うことと同義だ。」
奏「はい、わかりました。」
室井「それでもイチは僕にとって、そして人類にとって『希望』だ。君もね。よろしく頼むよ。」
奏「わかりました!」
室井「イチもよろしくね。」
イチ「承知いたしました。」
研究室を後にする2人。
イチ「どうしますか?」
奏「決まっているよ。叔父さんの言われた通りミトテロメアンを提供してくれる人を探す!そして、まずは叔父さんに投与する!」
イチ「博士にですか?でも博士は自分はいいっておっしゃってましたよ?」
奏「いいはずがない。叔父さんのいう通りイチさんは人類の希望だ。そして、その開発者は絶対に人類にとって必要な人だ。それに、由美ちゃんを失って命の重さや尊さは人一倍感じているはず。口ではあんなこと言っていたけどまだ生きたい気持ちは必ず持っているよ。」
イチ「なるほど。でも、どうやって提供者をみつけるんですか?」
奏「うーん・・・それは今から考えるよ・・・」
イチ「今から考えるんですね!それはとてもいいアイディアです!」
奏「・・・ありがとう。」
イチ「それより今日は遅いから施設にもどった方がいいのでは?」
奏「たしかに!大変だ!死亡予定日にいなくなって大騒ぎになっているぞ!」