表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BEYOND SOUL  作者: 史邦ヒスト
東章 長安編
9/63

第9話 力の差

 地下の間は、血と焦燥に満ちていた。

  司馬章(しばしょう)李光(りこう)が、窮地に立たされた孫操備(そんそうび)を救うべく割って入り、三対一の構図が出来上がる。


「三対一だぜ。諦めて去れ!」


 李光(りこう)の叫びが冷たい石壁に反響する。しかし、対峙する虎…王明(おうめい)は動じるどころか、うつむいたまま肩を揺らした。

 その口元から漏れるのは、卑屈な嘲笑。まるで、(かご)の中で出口を求めて右往左往する二十日鼠(はつかねずみ)を眺めるような、冷酷な眼差しが二人を射抜く。


「三対一、か。……三対一の間違いではないのか?」

「……何を言っている?」


 李光(りこう)が眉をひそめ、一歩踏み出した瞬間であった。

 王明(おうめい)の姿がかき消え、細長い影が地を這い進む。 反応する暇もなかった。王明(おうめい)の体は瞬時に一匹の毒蛇へと変じ、李光(りこう)の足首へ鋭い牙を突き立てる。

 毒は瞬く間に身体を駆け巡り、李光(りこう)は声を上げることなくその場へ崩れ落ちた。


李光(りこう)!」


 司馬章(しばしょう)の声をよそに、王明(おうめい)は元の人の姿へと戻る。

 倒れ伏す李光(りこう)の背を強く踏みつけ、彼は冷然と言い放った。


「この俺とお前たちとの力量の比が、三対一であるということだ」


 それは傲慢な宣言ではない。不動の事実であった。

 彼ら三人が全霊を賭して挑んだとしても、王明(おうめい)という怪物の三分の一にも満たない。故に、操備(そうび)は二人の参戦を嫌がったのだ。この絶望的な実力差を初めから分かっており、自らの命を身代(みが)わりにして二人を逃がすつもりであった。

 しかし、二人は加勢に現れた。そして、片方が倒れた。


 王明(おうめい)は宣言すると、真黒な袖を軽くめくり、静かに抜刀した。


「まずい!逃げろ!司馬章(しばしょう)!!」


 司馬章(しばしょう)は荒い息を押さえて王明(おうめい)の元へ歩く。朱色の羽織との見分けがつかない程の大炎が身体を多い、轟々と煮えたぎっている。

 操備(そうび)が制止するも、今の司馬章(しばしょう)の耳には届かない。李光(りこう)を守ろうとする焦りが、内に眠る【世炎論(よえんろん)】の炎を燃え上がらせた。

 司馬章(しばしょう)は右拳に烈火を(まと)わせ、両足から火炎を噴射する。その勢いで王明(おうめい)に向かって飛びかかる。


炎打(えんだ)!」


 渦巻く烈火とともに、彼の拳が王明(おうめい)の胸に炸裂した。煙と火花が四方八方に広がり、何かを焦がす音が空間中に広がる。

 司馬章(しばしょう)は歯を食いしばり、もう一度力を込めて拳を押し出す。火炎が激しさを増し、王明(おうめい)の身体を骨まで焼き尽くさんとする。


 だが、煙が消え掛かった瞬間、司馬章(しばしょう)は絶望した。

 王明(おうめい)は、生身で…人間体で… 「炎打(えんだ)」を無傷で受け止めていたのだ。

 驚きの声を上げるまでもなく、彼は王明(おうめい)に蹴り飛ばされる。


 司馬章(しばしょう)はすぐに立ち上がりもう一度王明(おうめい)に「炎打(えんだ)」を打つ。だが、拳が当たった先、兵装風の黒い服越しの胸には何も響かない。王明(おうめい)も、顔色一つ変えずに佇んでいる。そこに苦痛も快楽も恐怖も安堵もない。


 三発目。今度は両手で同時に両胸を衝く。火炎は肉体の内部に侵入し、内臓を焼き尽くす…そんな感覚が手に流れる。

 両拳が触れること僅か。王明(おうめい)はビクともしない。相変わらず無表情で司馬章(しばしょう)を眺めている。


 司馬章(しばしょう)は雄叫びをあげ、我を忘れて連撃を叩き込んだ。右、左、そして渾身の正拳。炎は熱を増し、空間の温度を急上昇させる。

 灰がパラパラと落ちる。微量であったが、王明(おうめい)の衣服の表面だけ、軽く焦がし落としたようだ。だが、肝心の王明(おうめい)自身には僅かな傷も入らなかった。

 操備(そうび)が不安の目で見守る。無論、戦えるような体力は残っていない。李光(りこう)は気を失ったまま止まっている。王明(おうめい)とまともに戦えるのは、この場で司馬章(しばしょう)しかいない。司馬章(しばしょう)が止まれば、全員が死ぬ。

 そんなことを考えたのだろうか、今はがむしゃらに殴り続けることしかできなかった。


「くそっ! 吹き飛べッ!」


 自らの願望を叫びと共に吐き出し、司馬章(しばしょう)はなおも殴り続ける。一撃一撃が、岩をも砕き、大木さえ灰にしてしまう攻撃。だが、王明(おうめい)は微動だにしない。その姿は、荒れ狂う火炎の中に立つ不動の岩山のようであった。

 雄叫びの声がさらに高くなる。常人が目視できるか怪しいほどの速さまで加速する。

 王明(おうめい)は飽き飽きしたのか、右手で司馬章(しばしょう)の燃える拳を鷲掴みにした。


「飛べと言われて飛ぶほど、生命は甘くはないぞ……!」


 王明(おうめい)の声が響く。司馬章(しばしょう)を掴む手に血管が浮かんでいた。

 次の瞬間、王明(おうめい)の姿は、人並みの背丈の大猿へと変わった。

 低く構えた手足が司馬章(しばしょう)の腹部を捉える。


 大猿の拳が、司馬章(しばしょう)の腹に炸裂する。

 凄まじい衝撃。司馬章(しばしょう)の体は紙切れのように舞い、地面へと叩きつけられた。石床が司馬章の胸元を圧迫し、骨にヒビが走るような感覚が広がる。肺の中の空気が無理矢理絞り出され、司馬章(しばしょう)は視界が赤く染まるのを感じた。


 頭が上がらない。たった一撃で、戦闘不能と言っても過言ではない状態に追い込まれた。

 大猿は人の姿に戻り、再び刀を引き出す。

 司馬章(しばしょう)は迫り来る黒い影に、視線だけを向ける。


「お前は何がしたい!俺たちが、一体何をしたというんだ!」

「無駄だ、司馬章(しばしょう)! こいつは常人だけの世界を目指す『思超家(しちょうか)殺し』の王明(おうめい)だ。僕たちが思超家(しちょうか)である以上、言葉など通じはしない!」


 苦痛の中でが絞り出した問いに、操備(そうび)が絶望に満ちた声を重ねる。


「そうか…お前、司馬章(しばしょう)というのだな。【世炎論(よえんろん)】に、司馬(しば)性…司馬典(しばてん)の血族といったところか…」


 王明(おうめい)が淡々と話す。彼も、司馬典(しばてん)の存在は認識していた。おそらく、いつか殺すべき敵として見ていたのだろう。こいつは殺し甲斐がある…とでも言いたげな息をしていた。


 王明(おうめい)司馬章(しばしょう)の質問に答えることもなく、その刃先を下へ向ける。

 今度は司馬章(しばしょう)が、王明(おうめい)の強靭の標的となってしまった。洛陽(らくよう)襲撃以来の、半年ぶりの死の実感。感じたくもないのに、死への恐怖と、「死にたくない」という感情が勝手に芽生える。

 顎の奥が震え、首筋に寒気が走る。自分が弱々しく見える。想像したくもないのに、頭には消えかけの蝋燭が映る。

 まるで、己の運命を暗示しているように。


「クソォォォ!」


 司馬章(しばしょう)は叫んだ。死の悔しさをかき消すためか、これから殺される友を救えないことの悔しさか。

 叫びで抗おうとする司馬章(しばしょう)に対し、王明(おうめい)はそっと刃を首に添える。残酷な鉄の冷たさが肌に伝わる。


「案ずるな。楽に殺してやる」


 刃が司馬章(しばしょう)の首の裏の皮に沈む。透明な液を僅かに露わにし、赤き鮮血へと進行する。

 操備(そうび)は叫んだ。それも、司馬章(しばしょう)以上に。しかし、甲高い子どものような叫びは、心まで獣に染まった漆黒の男に響くはずもない。その刀は確実に下へと力が働いていた。


 その時、一つの大炎が漆黒の獣を包んだ。司馬章(しばしょう)の肉体から噴火するように火柱が立つ。

 王明(おうめい)は予測しなかった展開に対応できず、火柱が直撃した。炎は皮膚を焼き、鉄を歪ませる。

 熱さのあまり、王明(おうめい)は刀から手を離し、後方へ背を反った。

 そう、死の際において、司馬章(しばしょう)思超(しちょう)がかつてない暴走を見せたのだ。傷口から溢れ出したのは血ではなく、内臓を焼き焦がさんばかりの猛烈な火炎であった。噴出した炎は王明(おうめい)の身体を包み込み、地下室を真昼のような明るさで照らし出す。


「なっ……!」


 火ダルマとなった彼は、仰け反った状態で天井を仰ぐ。致命的であろう一撃を受けてもなお、その背を地に着けることはない。たったまま、動くことなく、火が消えるのを待っている。轟々と真っ赤に燃える大炎は、そんな王明(おうめい)と張り合うように揺らめいていた。


 少しして、司馬章(しばしょう)が薄く目を開けると、視界の端で王明(おうめい)が肩で息をしていた。

 その体には、先ほどの炎が刻んだ生々しい火傷の跡が残り、焦げた臭いが鼻を突く。


「ハァ……ハァ……。何だ…今のは…」


 王明は恨みがましそうに司馬章(しばしょう)を睨んだが、その視線はすぐに足元へと移った。

 そこには、未だ意識を失ったままの李光(りこう)孫操備(そんそうび)が転がっている。

  王明は腰の刀を抜き放った。冷たく光る刃先が、無防備な司馬章(しばしょう)の首筋へと再び向けられる。


「ク……くそ……」


 司馬章(しばしょう)は必死に声を絞り出すが、四肢は鉛のように重く、指先一つ動かすことが叶わない。

 王明は司馬章(しばしょう)の懇願を歯牙にもかけず、ゆっくりと剣を振り上げた。


 だが、刃が振り下ろされる直前、王明の動きがぴたりと止まった。彼は不審げに首を巡らせ、地下室天井を仰ぎ見る。その眉間に深いシワが刻まれた。


(これは……まさか、奴らか!?)


 王明の脳裏を過ぎったのは、ある不穏な予感であった。彼は忌々しげに剣を収めると、地を這う司馬章(しばしょう)を見下ろし、冷徹な伝言を投げつける。


「お前たちより優先して殺すべき奴が、この近くにいる。今回はここで退かせてもらう」


 言い終えるや否や、王明の姿は一羽の鷹へと転じた。翼を大きく広げ、思超堂(しちょうどう)の吹き抜けを旋回しながら、彼は夜の闇へと消え去っていった。



 後に残されたのは、重傷を負った三人と、静まり返った地下の間だけである。

 司馬章は何とか体を動かし、仲間の元へ這い寄った。


操備(そうび)李光(りこう)!」


 二人の体を揺さぶる。幸いにも、呼吸は浅いながらも続いていた。


「頼む、目を覚ましてくれ……!」


 涙混じりの叫びが虚空に消えようとしたその時。

 地下の間の隅、影に潜んでいた一人の男が、音もなく歩み寄ってきた。古びた着流しを纏った、博識そうな学者風の男である。


「……?」


 司馬章(しばしょう)が警戒する間もなく、学者は倒れた二人の胸元に静かに手を当てた。そして、困惑する彼を見据えて、穏やかな声で告げた。


「この二人の意識、俺が取り戻そうか?」


――――――――――――――――――――――――


 思超堂(しちょうどう)を抜けて、長安(ちょうあん)上空を飛ぶ王明は飛行中、杞憂をしていた。


司馬章(しばしょう)か…まだ未熟だが、放って置くと世の災害に成りかねない。今はまだ炎だが…いずれ…それをも越えた何かになる…!)


 王明の脳内にふと現れる記憶。

 耐火にも優れた肉体であったのにもかかわらず、傷を与えた大炎。右腕についた忌々しき火傷。


 一羽の怪鳥の禍々しい軌道は変わることがなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ