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BEYOND SOUL  作者: 史邦ヒスト
東章 長安編
8/63

第8話 思超家殺し

 司馬章(しばしょう)孫操備(そんそうび)李光(りこう)の三者が、楊国忠(ようこくちゅう)打倒を志すことで一致した三日後


 夏の湿ったような風が都・長安(ちょうあん)を包み込んでいた頃。 思超堂(しちょうどう)の空高くを、一羽の大きな鷹が円を描くように飛んでいた。その鋭い目は、地上の様子をじっと見下ろしている。


「おや、この長安に鷹などいただろうか」


 庭先で古い書物を片付けていた学者たちが、その影を見上げて首を傾げた。

 人の行き来が激しいこの場所に、鷹がこれほど近くまで降りてくるのは、とても珍しいことである。

  鷹は急に速さを増して降りてくると、地面に触れるかというその瞬間、羽が着物へと変わり、翼が手足へと一瞬で姿を変えた。そして、一人の男となって石畳の上に降り立ったのである。


 黒い髪、黒い服、黒い靴。肩には、鳥であった名残のように鷹の羽が服の上からへばりついている。背丈は彼らより頭二つ分大きい。


「ひっ、人……!?」


 学者たちは身を守るように驚いた。

 降り立った男は、乱れのない動きで立ち上がると、一人の学者を強い眼で見つめた。


孫操備(そんそうび)はいるか」

「な、何の用でしょうか……」


「……奴を殺しに来た」


 その瞬間、周りの空気が一気に冷え込んだかのような恐ろしさが漂った。学者たちの背中に冷たい震えが走り、怖さのあまり全員が後退りしていた。

 一歩、二歩、三歩、転倒。転び、尻餅をついてもなお、後退の足は止まらない。

 そんな彼らに男は、そっと平手を差し出す。


「お前たちのような、“持たざる者”に手を出すつもりはない。ただ、孫操備(そんそうび)を引き渡してくれればよい」


 男は淡々と言葉を重ねるが、学者たちの震えが止まるはずもなかった。

 汗が額を伝って胸元へ走る。視線はかすかに震えている。

 その場にいる学者たちは、誰一人として彼の目を見ることができなかった。


「僕が、その孫操備(そんそうび)だ」


 学者たちの背後から、青少年が一人現れる。孫操備(そんそうび)だ。

 操備(そうび)思超堂(しちょうどう)の入り口にある階段の上から、男の目を強く睨み落とす。


「皆さn、本当に安心してください。こいつは『思超家(しちょうか)殺しの王明(おうめい)』。何があろうと思超(しちょう)を持たない皆さんを殺めることはありません」


 操備(そうび)は冷静な口調で、彼らの不安を和らげる。

 学者たちは、おそるおそる立ち上がる。袖についた砂が落ちるように、死の恐怖もパラパラと崩れ落ちる。

 王明(おうめい)と呼ばれた男は、操備(そうび)を睨みあげると、低い…寡黙な軍人のような声でつぶやいた。


「……自ら出てくるとはな」


 王明(おうめい)が、迷いのない足取りで孫操備へと歩み寄る。地響きがするような体重でもないのに、彼が歩くたびに、その場の全員が言葉にできない重圧を感じた。


 彼が階段に足をかけた途端、腰に帯びていた刀に手を当てる。

 学者の中には、「ヒッ!!」と小さく悲鳴を上げる者もいる。

 澄んだ抜刀の音。王明(おうめい)の目は、静かに彼を捉える。


「待て。ここで僕とアンタが戦えば、皆が巻き添えになる。安全な戦場へ連れて行こう。ついて来い」


 王明(おうめい)は無言ではみ出た刃をしまう。柄からそっと手を離すと、何も持っていないことを示すように両手を挙げた。孫操備(そんそうび)の提案を受け入れ、戦いの場を変えることに応じたのである。

 孫操備(そんそうび)は一瞬だけ学者たちに顔を向けると、軽い笑顔を見せ、そのまま思超堂(しちょうどう)の中へと消えたいった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 思超堂(しちょうどう)・地下の間


(修繕が間に合ったのは良かった…)


 操備(そうび)は安堵したように全体を見回す。

 司馬章(しばしょう)李光(りこう)の決闘後、操備(そうび)がたまたま思超堂(しちょうどう)に訪れていた思超家(しちょうか)に修繕をお願いしていたためか、あちこちに大きく点在していた亀裂は綺麗さっぱり無くなり、全体を覆う石材はより強固なものになっていた。


司馬章(しばしょう)李光(りこう)は三階か…?怪我はどちらも全治したと館長さんから聞いていたが…)


 彼は、背後の殺気を感じ取る…


(…いや、アイツらは…特に司馬章(しばしょう)は、存在を認知されていないはずだ。叶うなら、アイツらはこのことを悟らないで欲しい)


 司馬章(しばしょう)李光(りこう)は、三階で読書に集中していた。思超堂(しちょうどう)内で操備(そうび)王明(おうめい)の戦闘が起こっているとの騒ぎは広まっているが、三階は防音効果の高い空間となっており、わざわざ三階に上がり込んで騒ぎを広める学者がいない限り、すぐに彼らの耳には届かないはずだ。


 二人は終始無言で歩いていたが、だだっ広く綺麗な切り石が張り詰められた空間に、静寂ながらも王明(おうめい)が感心の声を出した。


「ここが戦場か。申し分ない広さだ」


 孫操備(そんそうび)は無言を貫いた。反応する余裕もない。

 操備(そうび)は、視線を極限まで左にずらす。左後ろを歩く王明(おうめい)の肉体を観察していたのだ。筋肉質の体に、常に上から敵の頭を叩けるであろう背丈、鷹のような眼。


(やはりこの男、まともに力でぶつかれば、まず敵わないね……)


 力勝負では到底敵わない。操備(そうび)は視線を落とした。首を斬り落とされるか、ぺちゃんこに叩き潰されるか、滅多刺しにされる結末しか見えない。無意識に、心臓が高鳴る。


 二人は間の中央まで歩いたところで歩みを止めた。

 操備(そうび)が掌を王明(おうめい)に向け、王明(おうめい)をその場で停止させる。王明(おうめい)が指示に応じ、完全に立ち止まったのを確認すると、自身も十歩下がって立ち止まった。


 いよいよ戦いが始まる。司馬章(しばしょう)李光(りこう)のような「闘い」ではなく、敵が明確な殺意を露わにした、敗北が死を意味する「戦い」。

 彼は今にも暴走しそうな息を整え、間合いを保ちながら問いかけた。


「一つ聞こう。なぜアンタは、思超家(しちょうか)ばかりを追い、命を奪う」


 王明は、岩を砕くような重みのある声で答えた。


「この中華から思超家(しちょうか)を無くすためだ……!」


 彼は自らの内に渦巻く思いを吐き出すように続ける。


思超(しちょう)を使う者たちは、その力で“持たざる者”の生の営みを幾度となく脅かしてきた。戦、罪、脅迫、洗脳……。この世に生きる全ての命は、生誕・成長・生殖・死の循環…命の営みに従って生きるから幸福なのだ。思超(しちょう)は、それを侵す(あやかし)の術。俺は、この中華から思超家(しちょうか)を根絶し、生命の楽園を作る」


 王明(おうめい)が右拳をグッと握る。


思超(しちょう)は、営みを壊しかねない毒なのだ」


 次の瞬間、王明(おうめい)の姿が歪んだ。体が膨らみ、黒い衣が茶色の剛毛に変わって全身を覆う。指先は鋭い鉤爪となり、顔は前に突き出て、恐ろしい熊の姿へと完全に変わった。


「最後に思超(しちょう)を使う者となるのは、この俺だ」


 獣の唸り声のような低い声が響く。王明(おうめい)は、その巨体に見合わない速さで踏み込み、操備(そうび)の目の前まで飛び込んだ。

 丸太のような腕が振り下ろされる。操備(そうび)はとっさに体を引き込めたが、熊の腕から放たれた一撃は、よけただけでは静まらない。空気を押しつぶすような風の勢いが操備(そうび)の顔を叩き、床の石が粉々に砕け散った。


 操備(そうび)はすぐさま後方へ下がって、三角形の波紋を生成する。一つの衝撃を三等分し、三つの方向へ分散する【三分之計(さんぶんのけい)】の力だ。

 王明(おうめい)は休む間もなく攻撃を続ける。熊の突進…とてつもない質量が迫る。操備(そうび)は右に足を走らせ、壁を蹴って突進をかわす。

 王明(おうめい)が急に突進を止め、激しく腕を振り回しながら、もう一度操備(そうび)に迫る。

 操備(そうび)の波紋が王明(おうめい)の突きを捉えた。だが、その威力は分散しても肉体への代償は大きかった。青白い波紋は悲鳴を上げるように真っ白に点滅し、分散した力の移譲先…操備(そうび)の左腕・両脚に衝撃が走る。


 操備(そうび)は痛みを堪えようとした。だが、それは王明(おうめい)に時間を与えることと同義であった。すぐさま次の突きが迫る。額から二歩分のところまで拳が迫って来た所で操備(そうび)は回避しようとする。

 だが、もう遅い。今度は顔面に直撃し、飛矢の如き疾さで奥の壁に飛ばされた。

 壁には亀裂が入り、操備(そうび)の背からは血が流れる。


 だが、かろうじて操備(そうび)は生きていた。後頭部に波紋を何重にも貼り付け、痛みを首から下に流していたのだ。無論、おかげさまで背中は大惨事であった。

 血まみれの胴体を引きずって、孫操備(そんそうび)は歩く。


 一方、熊…王明(おうめい)は一歩踏み出すと、その肉体を捏ねられた粘土のようにグニャグニャと形を変えて人の姿に戻っていた。真黒な人影がゆっくりと抜刀し、歩みを進める。


「……俺の思超(しちょう)最大進化論(さいだいしんかろん)】は、如何なる生命にも姿を変えられる。あらゆる命の頂点に立つにふさわしい力だ。勿論、その根源は生命の性質・意義・営みを追求した我が思想にある」


 王明は再び姿を変えた。熊の大きな体が瞬時に縮まり、虎へと変わる。牙は普通の虎よりも鋭く、当たっただけで突き刺されそうな形をしていた。

 じわじわと、虎の王明(おうめい)は歩み寄る。まるで、弱った鹿にトドメを刺す肉食獣のように、操備(そうび)に近づく。


(もう僕が願うのは一つだけ。アイツらは…ここに来ないでくれよ!僕は分かっていたんだ。王明(おうめい)に遭遇した瞬間から、僕の死が確定していることを…!)


 操備(そうび)の不安は、ずっと二人にあった。長年の親友で兄弟弟子・李光(りこう)、会ったばかりだけど、言動の一つ一つが火炎のように熱くさせてくれる最高の友・司馬章(しばしょう)。あの二人は、こんな怪人の餌食になどなって欲しくはない。

 操備(そうび)は逃げる素振りもなく、立ち止まった。


「生命として相応わしい死を与えてやろう。その思超(しちょう)とともに、楽園の土へ還れ…」


 先程の熊同様、虎が人語を口にする。重厚で残酷で、必然的…そして、本能的な声。そこに慈悲の心はない。

 王明(おうめい)が倒れ込む鹿のような操備(そうび)を見下ろし、その喉笛を噛み潰そうと大きな顎を開く。

 生命は残酷な事実そのもの。

 弱肉強食とは程遠い、人間の世界。その中で一番栄えていると言っても過言ではない大都市・長安。

 そこに存在するこの空間だけが、他のどこよりも荒野であり、草原であった。


 王明(おうめい)の牙が操備(そうび)の喉笛に当たる。

 操備(そうび)は被食者として、十七年の生涯に幕を閉じ、子もいないので完全な「滅び」に繋がる。

 なんて生命として、営みとして、不憫であろうか。

 王明(おうめい)の眼の奥底には慈悲こそなかったが、哀れみはあった。


 そのときであった。


 バチ、バチ……という不穏な火花の音と共に、一本の紫の光が走った。

 雷光が虎の背を衝き、火花が虎の横腹を撃つ。

 王明(おうめい)は左に転がり飛び、壁に衝突した。


「助けに来たぞ、操備(そうび)。なーにひとりで戦ってんだよ」

「そこの虎、ここからは俺たちも相手をさせてもらう!!」


 操備(そうび)は嬉しそうに嫌がった。ありがたそうに拒絶した。

 来て欲しくはなかった。二人も王明(おうめい)に目をつけられるから。

 来てくれて嬉しかった。まだ諦められなかったから。


 凄まじい速さで王明(おうめい)の前に割り込み、操備(そうび)を救ったのは、駆けつけた李光(りこう)司馬章(しばしょう)であった。

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