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BEYOND SOUL  作者: 史邦ヒスト
東章 東遊寺編
55/58

第55話 霊獣襲来

 空が割れた。 上空にて一筋の影が凄まじい速度で落下してくる。空気との摩擦で陽炎を纏いながら、その影…王明(おうめい)は冷徹な瞳で眼下の戦場を俯瞰していた。


 着地の直前、彼は唇をわずかに動かす。


「……総狩りだ」


 その言葉が風に消えるより早く、王明の身体が変形し、一羽の鷹へと変貌した。大地を叩く衝撃音さえ置き去りにする神速の滑空。彼は白虎塔(びゃっことう)を目指し、銀色の閃光となって空を切り裂いた。



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 白虎塔の頂上付近では、火花の散るような激戦が続いていた。 左腕を深く負傷した鄭回(ていかい)に代わり、竜隋(りゅうずい)が槍を振るう。その身には幻影の龍が巻き付き、咆哮を上げていた。対するは、後方に浮かぶ雲の円陣から無数の雨水の矢を降らせる公孫雨(こうそんう)


「逃がさぬと言ったはずだ」


 公孫雨が放つ本命の狙撃を、竜隋は槍の石突きで弾き飛ばす。降り注ぐ雨の矢は幻影の龍がその鱗で防ぐが、防戦一方の状況に焦りが滲む。 だが、その均衡は「それ」によって無残に砕かれた。


 東から飛来した一羽の鷹。 あまりの速さに、三人が反応できたのは視界の端に銀色の影が映った瞬間だった。


「なっ……!?」


 鷹の鉤爪が、空気を切り裂く。


 一閃。


 竜隋、公孫雨、そして傷ついた鄭回の胸元が同時に深く斬り裂かれた。鮮血が塔の白壁を染め、三人は声もなく崩れ落ちる。王明は地に足を着けることさえせず、血を払う羽ばたきひとつで中央地下へと向かった。


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 地下の空洞では、呂辛(りょしん)の放つ巨大な岩石と、孫遊(そんゆう)が操る猛烈な突風が真っ向から衝突していた。


「そこだッ!」


 孫遊が風を足場に跳躍する。空中に逃れた呂辛の懐へ飛び込み、手にした紅い棒を渾身の力で振り抜いた。呂辛もまた、自らの手足を岩のごとく硬化させてそれを受け止める。


 肉体と肉体がぶつかり合う鈍い音が響く中、その「横」から鷹が突き抜けた。 王明の爪が、格闘中の二人の肩を正確に、そして深く抉り取る。


「ぐあぁっ!?」


 不意を突かれた二人は均衡を崩し、成すすべなく暗い奈落の底へと落下していった。王明は止まらない。その翼は既に南西の朱雀塔(すざくとう)を捉えていた。



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 朱雀塔に漂うのは、苦痛と絶望だった。 肉体に塩を刷り込まれ、ひび割れた肌から体液を流す姜疫(きょうえき)。 肉体に猛毒を流し込まれ、紫色の斑点に覆われた沙悟潮(さごちょう)。 二人は重い喘ぎ声を漏らしながら、互いに最後の一撃を放とうと睨み合っていた。


 だが、彼らにその時間は与えられなかった。 飛来した王明が、二人の全身をズタズタに斬り裂く。宙に舞ったのは、もはやどちらのものかも分からぬ混じり合った血の色だった。二人の意識が消えるより先に、王明の影は青龍塔(せいりゅうとう)へと消えていた。



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 徐刀(じょとう)の剣技は、既に音を超えていた。 対峙する子兎魯(しうろ)は、防戦に回ることしか許されない。銀色の軌跡が網のように空間を埋め尽くし、子兎魯を追い詰めていく。


 その「音速の剣」の合間を、王明は嘲笑うかのように通り抜けた。 まず、子兎魯の右腕を。次に、徐刀の左腕を。 神速の剣士たちでさえ反応を許さぬ速さ。二人は斬られた腕を必死に抑え込み、その場に膝を突く。 王明は背後を振り返ることなく、北の玄武塔(げんぶとう)へと翼を伸ばした。



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 玄武塔周辺の冷え切った空気の中に、嫌な金属音が響き渡る。 巨漢の猪解(ちょかい)は、無数に絡みつく鋼の塊に四肢を拘束され、地に縫い止められていた。身じろぎするたびに鋼が食い込み、鈍い痛みが走る。


 その目の前から、楚器(そき)が音もなく歩み寄る。その周囲には、冷たく光る十本の刃が、まるで意思を持つかのように浮遊していた。


「無駄な足掻きだ、猪解」


 楚器の声は冷徹で、死罪宣告に近い響きを持っていた。彼は一歩、また一歩と距離を詰め、十本の刃の先端を猪解の急所へと向ける。


「肉屋が愛した豚を殺すように、せめて楽にやってやろう。……さらばだ」


 刃が放たれようとしたその瞬間、猪解の喉の奥から、地響きのような笑い声が漏れた。


「ヒッ、ヒヒ……。笑わせんじゃないってなぁ、楚器。おいを殺すだと? この程度でおいが止まると思っているのか……」


 猪解の全身の血管が浮き上がり、拘束している鋼がミシミシと悲鳴を上げ始める。彼の瞳からは理性が消え、底なしの飢餓感が溢れ出した。


「見せてやるってなぁ……俺の真の姿。天竺(てんじく)の神々さえも震え上がった、究極の悪食をなぁ!!」


「な……!? 身体が、膨れ上がって……」


 そこには、もはや人間はいなかった。 鋼の拘束を力ずくで引きちぎり、巨大化した猪解がいた。その姿は、黒い天竺の鬼を彷彿とさせる悪食の怪物…


鳩槃羯羅(くばんきゃら)!!!    まとめて喰ってやるってなぁあ!!」


「そう来たか…!!」


 猪解は周辺の地面ごと、敵である楚器を飲み込もうと大口を開ける。楚器は巨大な牙を紙一重でかわし続け、怪物の額へ刃物を叩き込む。 その、巨大と矮小のぶつかり合いの最中。


 王明が急降下した。 彼はまず、楚器の顔面を鷲掴みにすると、そのまま石壁へと叩きつけた。頭蓋の砕ける不気味な音が響く。 空中。王明の姿が鷹から巨大な虎へと変じる。 着地を待たず、虎となった王明は猪解の太い首筋へと食らいついた。


「ガ、アアアアアアッ!!」


 断末魔の雄叫びを上げ、巨体が地に沈む。王明は再び空中で鷹に変化し、戦場を去った。



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 天理(てんり)の「阿睿朱魔(あえいしゅま)」がすべてを呑み込んだ後、そこには音のない死の世界が広がっていた。立ち上る黒煙を切り裂き、空から一筋の銀光が突き刺さる。


 空中で人型へと回帰した王明の抜刀は、もはや視認できる速度を超えていた。 無機質な金属音が一度だけ響き、次の瞬間、絶対者であったはずの天理の首が、手折られた花のように宙を舞う。


「お前は……王明(おうめい)……!?」

 司馬章(しばしょう)の驚愕が乾いた空気に漏れる。だが、王明の冷徹な殺意は天理一人に留まらない。彼は着地の勢いそのままに地を滑り、驚愕に固まる司馬章の懐へ潜り込んだ。


「あ……」


 抵抗の間もなかった。王明の刃が司馬章の左肩を深く貫き、引き抜きざまの切先が彼の鼻先を鮮烈に切り裂く。


「っ……がふっ!」


 熱い血が噴き出し、司馬章は崩れ落ちる。視界が赤く染まる中、司馬章は信じがたい光景を目にした。王明の背後、首を失った天理の死体が黒い砂状の物体へと崩れ、猛烈な勢いで蠢き始めたのだ。砂は磁石に吸い寄せられる鉄屑のように結集し、骨を組み、肉を編み、またたく間に白磁の皮膚を張り直していく。


「…………」


「不死か……」


「そのうえ万象を統べる力だ。お前たちで敵うようなものではない」


 王明の低く、地を這うような呟き。司馬章は全身を戦慄が駆け抜けるのを感じた。目の前の男たちは、人間という枠組みをとうに捨て去っている。


 ここからは、もはや戦いという概念すら生ぬるい、地獄の三つ巴が幕を開けた。


「死なぬというのなら、死を上回る速度で切り刻むまでだ」


 王明が再び肉薄し、天理の四肢を標的に鋭い斬撃の雨を降らせる。その刹那、司馬章が死線から這い上がり、王明の背後から炎を解き放った。


「王明ェェ!!」


 渦巻く猛烈な火炎。だが、王明は背後を見ることなく、刀の腹で熱波をいなし、その反動を利用して司馬章へ凄まじい回し蹴りを見舞う。その一瞬の隙を、再生を終えた天理は見逃さない。


「纏めて消し去ってやろう」


 天理が冷然と掌を掲げると、その中心から高圧の紫色の光線が爆発的に射出された。空気が焦げ、空間そのものが軋みを上げる。


「うおおおおおお!」


 司馬章が足裏から炎を爆発させ、上空へと跳躍。天理の脳天に、命を削り出した炎の蹴りを叩き込む。同時に、王明は地を這う影のごとく肉薄すると、空中で巨大な熊へと変貌。その筋骨隆々の顎で、天理の右脚を根元から力強く喰いちぎった。


 だが、天理は眉一つ動かさない。 欠損した部位は即座に黒い砂から再生し、同時に放たれた不可視の斬撃が、熊の姿をした王明の胸を深く十字に裂く。


「……ぐ、おぉっ……!」


 致命的な一撃。大量の血を吐きながらも、王明は即座に人型へ戻り、着地の余波で司馬章を瓦礫の彼方へと殴り飛ばした。そして、王明の姿が不自然に陽炎のように揺らぎ――突如として消失する。


「消えた!? いや……これは……」


 司馬章が目を凝らすが、そこには塵一つ見当たらない。 王明は自らの肉体を、人の目には見えない極小の虫へと変え、無数に増殖させていたのだ。


 静寂が訪れたかと思った次の瞬間、天理を取り囲む上空一帯が、黒い影で覆い尽くされた。数百体、数千体に分裂した極小の虫が、一斉に人間の王明の姿を取り戻し、空を埋め尽くす。


「          百獣奔騰(ひゃくじゅうほんとう)          」


 何百人もの王明。 彼ら全員が、着地までの刹那にそれぞれの鳥獣へと姿を変える。 咆哮を上げる獅子、鎌首をもたげる大蛇、空を隠す巨翼の鷲、猛進する野猪。


「万象を統べるというのなら、この“生”の濁流に耐えてみせろ」


 ありとあらゆる生物の軍勢と化した王明たちが、中心に立つ天理へと全方位からの総突撃を開始した。 天理は闇の球体、闇の鞭、闇の衝撃波と、持てる限りの攻撃手段を尽くして応戦する。しかし、獣たちの圧倒的な速度と、絶え間なく押し寄せる物量の前には、全能のことわりさえも無力だった。


 天理の全身は絶え間ない暴威に晒された。腕からは鮮血が絶え間なく吹き出し、骨は粉々に砕かれるまで殴打され、その肉体は原型を留めぬほど無惨な異形へと成り果てた。 そして仕上げと言わんばかりに、本体である人間の王明が放った一太刀が天理の背を貫く。 天理の身体は、崩れ落ちるように真っ黒な砂となって霧散した。


 その光景を前に、司馬章はただ呆然と立ち尽くしていた。 不死であり全能を謳う天理が、王明一人にここまで一方的に追い詰められるとは。 「万物に成る力」――確かに強力だが、本来なら全能に届くはずがない。しかし、その懸念を王明の神速と、あまりに卓越した戦闘の才が覆してしまった。 それは司馬章にとって、新たな絶望の顕現でもあった。


「最後の肉の一片まで叩きのめす。不死の貴様に相応しい終わりだ」


 王明は冷たく言い放つと、標的を司馬章へと戻した。 閃光。再び司馬章の肉体を刀が裂く。


思超家(しちょうか)の運命を恨め」


 再び地面に叩きつけられた司馬章を見下ろし、王明は刀に付着した血を静かに振り払った。


「どうだ。あの殺し具合なら、もう蘇れるだろう」


 王明が視線を戻すと、舞い散っていた黒い砂が一点に収束を始め、天理がその姿を再構築していく。


「私の復活にかかる時間まで理解するとは……なかなかの観察眼だな」


 復活を遂げた天理が淡々と告げる。王明は微塵も揺らがぬ声で返した。


「“百獣奔騰”の最初の一撃で、貴様は一度、虎の爪によって絶命していた。だが、次の獣が飛びかかる刹那、貴様は即座に復活した。……どうやら、受けた損害の大きさに比例して、復活までの時間は長くなるようだな」


「……正解だ」


 天理は闇の剣を生成する。王明は虎になり、天理を睨みつける。


 今ここで、二人の勝敗が決されようとしていた。

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