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BEYOND SOUL  作者: 史邦ヒスト
東章 東遊寺編
48/58

第48話 燕帝変貌

 西方のとある預言者が生誕して756年の刻がたった年。九月のことである。

 六月に長安(ちょうあん)に現れた悪しき賢者たちが、再びやって来たのだ。


 話は司馬章(しばしょう)らが長安を出発した頃まで遡る。唐の兵たちは、司馬章らを見送ると、すぐに戦の準備に取り掛かった。安禄山(あんろくざん)の勢力が、長安周辺にまで迫っていたからである。だが、彼の雇った二名の思超家(しちょうか)は既に討たれた。思超家を失った節度使(せつどし)如きなんぞ、国一の精鋭である我らの敵ではないだろう。彼らには、そんな慢心が僅かにあった。


 愚かなことに、その慢心は、東遊寺(とうゆうじ)にもあった。乱晶(らんしょう)は一癖も二癖もある歪んだ狂者ばかりであり、彼らを傘下に置いた安禄山といえど、その統率は困難で、戦に出撃させずにいると。事実も混入した噂に翻弄され、安禄山をみくびった。国の危機、東遊寺の危機をみくびってしまったのだ。それ故に、東遊寺は長安に一人も思超家を派遣せず、駐留していた諸葛允と子兎露も思超会の参加の為に、東遊寺に引き戻してしまった。


 唐及び東遊寺は、次にやってくる敵の中に、思超家はいないだろうと思っていた。


 その頃、洛陽(らくよう)にいた安禄山は九人の配下を引き連れ、城を出た。安禄山ら十人を先頭に、長槍を持った反乱軍の雑兵たちがゾロゾロと続く。百、二百、三百。弓を持った雑兵たちがゾロゾロと続く。四百、五百、六百。重装備を身につけた勇ましい騎馬がゾロゾロと続く。七百、八百、九百。また、長槍を持った反乱軍の雑兵たちがゾロゾロと続く。最後尾の隊が城門を抜ける時には、兵はおおよそ二万まで数えられた。だが、これだけでは終わらない。


「聞け!我らはここより出陣し、道中周辺の三城からも一万ずつ合流し、全軍で長安を目指す!奸臣(かんしん)楊国忠(ようこくちゅう)の息の根を、必ず止めるのだ!」


 安禄山配下の将が叫ぶ。安禄山の兵たちが雄叫びを上げる。反乱軍は、道を遮る(はえ)やら(かわず)やらを踏み潰して進軍を始めた。軍勢は、長槍や蹄で道を踏み荒らし、田畑を見つけると、全て刈り尽くす。安禄山は、その巨大な躯体にも関わらず、先頭に立って進み、時折、乱晶の異役思超家たちと激しい言葉を交わしていた。


 乱晶は、いずれも恐怖と非常さでのみ語られる者ばかりだ。彼らは、我こそはと気張る兵どもを見て退屈そうな従軍をする一方、長安の富と各々の野望を餌に、密かにその血を沸騰させた。


 行軍後すぐのことである。氾濫していた川を避けて、森林沿いを進んでいた軍は、一つの村を見つけた。いくつもの煙が立っており、家々には米俵が積まれていた。


「…良いところに」


 安禄山が不敵な笑みを浮かべ、呂辛を前に出した。そして、呂辛に何か言葉を授けると、呂辛は赤く燃える球体を掲げて、村の方を向いた。兵たちは、それを見て驚く。もしやあの思超家は、思超とやらで村を滅ぼそうとしているのではないかと。勿論、これから軍のすることは分かっていた。略奪だ。長槍を持った我々が村の民を捕らえ、家屋の破壊を徹底する。金目のものや、食糧、奴隷として売り飛ばせそうな子供、全てを回収した後に火を放つ。そうなることは想定の範囲内であった。だが、今ここで、思超家とやらの魔術を使うことになるとは。噂に聞く程度であった思超を初めて見ることに興奮する兵もいれば、警戒する兵もいた。


思超(しちょう)を知らない奴ら、よーく見ておけ。これが思超…てめぇらには到底理解できない超常よ!」


 呂辛はそう言うと、赤く燃える球体を、村に向かって投げつけた。球は村手前の家に当たり、大きく発火した。広がった炎は瞬く間に村を包み込み、全てを灰にした。


「な…!!!!」


 回収するはずだった金、食糧、人、それらさえも一瞬で焼き尽くしてしまった。兵たちは唖然としている。彼らの中では、今のは襲撃の合図のつもりだった。それを、あの呂辛という思超家は一度の破壊を通して、軍全体の目的を終わらせてしまった。略奪を台無しにした。だが、更地となった村を見た安禄山は笑っている。


「流石だ!こんなちっぽけな村如き、幾らでも術の磨きに使って良い」


 呂辛は安禄山に頭を下げると、兵たちの方を向いて言った。


「覚えておけよ、これが思超家だ。長安では、もっと良いものを見せてやるぜ」


「いーや、テメェらは俺たちの貴重な戦力だ。流れ矢にでも当たって死なれちゃ困るから、戦に簡単に出してやる訳にはいかん」


「…流れ矢如き、俺らには効かないっスよ」


「さてはテメェ、阿喀琉斯(アキレウス)を知らねぇな?ほら、(かかと)以外は不死身だったけど、踵射られて死んだとかいう」


「…?」


「まあいい!!テメェら乱晶は長安の雑魚どもと戦うくらいなら、これから敵になるであろう東遊寺の思超家どもとの戦いに備えておけ!!」





 反乱軍はその後も、思超を用いた村の蹂躙を続ける。そうして、遂に長安に辿り着いた。即座に長安の四方八方へ軍を広げ、包囲陣を形成した。


「あれが反乱軍か…」


「報告によると、五万はいるそうじゃないか」


「こちらは一万。全力で挑まねばな」


「悪しき思超家たちは司馬章どのらが命を駆けて討ち果たした。我らも彼らに恥じぬようにせねば」



 それに…と、城壁を守る二人の兵士の会話を聞いていた別の兵士が、城壁の内側を見回して言った。


「俺たちを信じてここに残った民たちのためにも」


 長安の民たちは、魏匠(ぎしょう)らの襲撃による被害を受けた地区の復旧の為、或いは西への退路を別の節度使の軍に遮られた為に、そのほとんどが長安に残った。加えて、国の皇帝は逃げ、宰相は混乱を悪用し、もはや何を頼ったらいいのか分からなくなっていた。故に民たちは、長安の行く末を一万の兵士に託すしかなかったのだ。それでも、民たちは疑心暗鬼になることもなく、長安を救った司馬章たちに向けた感情のように、希望的な信頼を兵たちに捧げた。


 今や、この場にいる一万人は世界最強だ。たとえ相手が韓信(かんしん)であろうと、曹操(そうそう)であろうと、我らには勝てない。


 一方で、反乱軍は、村々を焼き払い、略奪を重ねてきたが、長安という堅固な城壁と、それに守られる大量の財宝を前に、その統制は極限まで緩んでいた。彼らは長安の一万の兵士を、単なる皇帝に見捨てられた敗残兵と見ており、五倍という圧倒的な兵力差を鼻にかけていた。


 相反する意思を持つ両者が、ジリジリと睨み合う。そして、戦いの火蓋は切られた。


「かかれェェ!!!!!!!!!」


 反乱軍の歩兵たちが、雲梯(うんてい)とともに一斉に突撃する。雲梯の梯子はすぐに城壁の上まで届いてしまったが、その左右にいた兵たちは矢に撃たれて果てた。長安の弓自慢たちが、恐怖を忘れて前線で弓を振るった結果だ。梯子を登った兵士たちも、虚しく矢に当たって落ちていく。東南西北、全ての壁に精鋭がいた。鬼神がいた。


 反乱軍の兵士たちは、それでも彼らに怯むことはない。彼らは「奪う時」だけ、勇敢だった。獅子の形相で城の戸を衝き、弓を浴びせ、撃ち落とされた長安兵を過剰に痛めつけて殺す。それぞれの意義こそ異なるものの、ここは鬼と鬼の殺し合いの場であった。


 戦いから三刻が経過した。戦況は相変わらず。城壁の一面も落ちぬまま、反乱軍の兵数だけが削られてゆく。安禄山はその様を見て、少しいらいらしながら部下に指示を出していた。彼の背後にいる、乱晶の面々は退屈な顔を並べている。そんな中、天理(てんり)だけが何かを悟ったかのように不敵な笑みを浮かべていた。


「安禄山様‼︎ご報告です‼︎」


 戦局は突如、大きく変わった。発端は一人の伝令の言葉。安禄山は顰めた顔を元の表情に戻し、問い直す。伝令はそれに大きく頷いた。


「そうか…そうだったのか…‼︎あの楊国忠はとっくに死んだのか‼︎」


「はい‼︎その後、(よう)一族は長安兵士により(ことごと)く粛清され、楊貴妃(ようきひ)も処刑されたようです‼︎」


「……あ?」


「ですから、楊国忠の親族にして、奴の宰相入りを促した、楊貴妃らも死んだと…」


 その言葉が終わるより速く、「ドン」という衝撃音が響いた。 重厚な矛が一閃し、伝令の首が空高く舞う。重く、太い矛が、唸るように首を吹き飛ばした。矛を持つ手からは、少量の血が滴る。飛ばされた伝令兵の首から跳ねた血ではない。力強く握りしめた故に皮膚を裂いて現れた、安禄山自身の血であった。


「なぜだ…なぜなんだァア…」


 冬を越え、山から降りてきた熊のような一声。いつもの豪快で陽気なそれとは程遠い、下向きの顔。矛から血を払い落とした安禄山は、怒り任せに地に突き刺した。


「なぜ、貴方まで死なねばならねぇんだァアアアアアァァ!!!!!!!!!!!!!!!」


 この乱の原因は楊国忠だ。あいつは宮廷を支配し、楊貴妃様と皇帝陛下を自分の踏み台として利用していた。それが我慢ならなかったんだ。挙句の果てに、俺を邪魔者として遠ざけようとした。殺したいほど憎かった。奴さえ死ねば、それで終わるはずだったんだ。 一度反旗を翻し、(えん)の皇帝を名乗った俺を、陛下も貴妃様も二度と受け入れてはくれないだろう。それは分かっている。だが、楊国忠さえいなくなれば、お二人も、この国も救われるはずだった。それなのに、どうしてだ。どうして、貴妃様まで失わなければならなかったんだ…。


 そのまま右腕の装備を外そうとしたので、天理は何かまずいと感じ、念力で安禄山の動きを止めた。安禄山は鬼の形相で天理を睨む。だが、その目には涙があった。母や、歳の離れた姉を失った、小さい童のようにぐしょぐしょの顔をしていた。一人娘を亡くした田舎の少し貧しい父のように、空しさで塗られた顔をしていた。


「何しやがる!!天理ィ!!」


「雑兵との戦いで大将自ら出撃するつもりか。危険極まりないぞ、安禄山どの」


「黙れェ!今の俺の力が在れば、奴らなんぞ!!」


「流れ矢の恐れもあり、我らを出さないのは結構。しかしそれは、皇帝である貴方は尚更征くべきではないということも言える」


「テメェも死にてぇのか!!天理!!!」


阿喀琉斯(アキレウス)の話をしたのは貴方からではないか」


「うるせえええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 安禄山は念力の制止を振り払い、右腕の装備をぶち破り、腕に刻まれた牛の頭の紋章に指を当てた。すると、紋章の目の部分が紫に光り出した。


 皮膚の下で不気味な音が鳴り響く。それは折れ曲がり、再構築される骨格の軋みだった。彼の背筋は異常なほどに盛り上がり、着ていた鎧が悲鳴を上げて弾け飛ぶ。剥き出しになった背中には、どす黒い血管が浮き上がり、そこから湿った黒い剛毛が、植物が芽吹くような速度でびっしりと生え揃っていった。爪は厚く、黒く、そして硬質に変質し、強固な蹄へと形を変えていく。筋肉は、あっという間に膨張し、巨岩のような質量を帯びていく。膝の関節が逆方向に折れ曲がる凄惨な音が響き、彼の身長は瞬く間に、十丈、二十丈と膨れ上がっていった。


 男の鼻面が、内側から押し出されるようにして強引に前へと突き出す。鼻腔は大きく広がり、そこから吐き出される息は、もはや人間の呼吸ではなく、熱い蒸気を伴う猛牛の噴気だ。

 額の両端からは、皮膚を突き破って二本の巨大な角が不気味に伸び、彼の瞳から黒が消え失せた。濁った琥珀色の瞳が爛々と輝き、かつて人間だった男は、天を仰いで身の毛もよだつような大咆哮を上げた。


「これが…安禄山様の…力…!?」


 背後にいた乱晶たちは驚きのあまり、思わず身構えてしまった。だが、そんな無礼、今の安禄山にとってはどうでも良かった。巨大な牛の怪物となった安禄山は、長安の方向を見ると、一目散に突撃しに駆け出した。


「何なんだあれは…!?」


「安禄山どのの“思超(しちょう)”だ」


「思超!?あの人、思超使えたのか…というか、なぜ天理が知っているんだ」


「安禄山どのの思超…『牛魔王列伝(ぎゅうまおうれつでん)』は成体式(せいたいしき)の思超。”牛魔王(ぎゅうまおう)”に成る力だ」


「牛魔王に成る…力…」


 城壁下で戦線が膠着する中、長安兵たちは奥で何やら音がすると、音のある方へ目をやった。

 驚愕の一言に尽きる。伝説上でしか聞いたことがない、巨大な牛の怪物が、こちらに向かって走って来ている。長安兵たちは目前の反乱兵らを振り落とすと、大急ぎで牛の怪物に弓を引いた。


 無数の矢が怪物の頭に降り注ぐ。しかし、それらは全て意味を為さなかった。怪物の黒き皮膚を貫くどころか、傷つけることすら不可能であった。兵士たちの射撃も虚しく、牛魔王・安禄山は、馬にも劣らぬ速度で戦場を駆け、遂に城壁に衝突した。


 中華…いや、世界一を誇る城壁は、たった一度の衝突で、粉々に砕かれてしまったのだ。土煙が天を覆い、長安の象徴であった堅牢な城門が、まるで乾いた粘土細工のように脆く崩れ去る。一瞬の静寂。それは恐怖が支配する静寂だった。


 瓦礫の山から這い出した長安兵が見たのは、立ち込める土煙の中からゆっくりと立ち上がる、巨大な影。地響きのような咆哮が、兵士たちの鼓膜を震わせ、魂を凍りつかせた。その姿は、妖そのもの。隆起した筋肉は鋼よりも硬く、頭上から突き出した二本の角は、天を衝く槍のごとく鋭い。瞳には、理性など微塵も感じさせぬ紅蓮の怒りが宿り、鼻腔からは猛々しい熱気が噴き出している。


「奴は人間ではない……! 怪物だッ!」


 誰かが悲鳴を上げたのを合図に、鉄の規律を誇った長安兵たちは、武器を投げ捨てて雪崩を打って逃げ惑う。


 しかし、牛魔王と化した安禄山の進撃は止まらない。巨大な足が地面を叩くたび、大地は裂け、衝撃波が周囲の兵士を木の葉のように吹き飛ばす。かつて彼が憎み、嫉妬した長安の栄華が、その一歩ごとに踏みつぶされ、瓦礫へと変わっていく。


 崩落した城壁の隙間から、安禄山は宮城の奥深くを見据えた。 その視線の先には、今は亡き楊貴妃の幻影と、憎き楊国忠に仕えた兵士たちがいる。 もはや言葉は届かない。愛憎は猛火となって彼を焼き尽くし、ただ破壊衝動だけが、この巨大な肉体を突き動かしていた。


 崩壊した城壁の向こう側で、世界で最も華やかな都・長安は、一夜にして地獄の業火に包まれようとしていた。

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