第47話 初夜の閉幕
かくして、第一夜【非思超家への攻撃の是非】は、突如異議を唱えた司馬章ら反対派の勝利で幕を閉じた。されども、会場内に歓声は響かなかった。是非の立場を問わず、今回の議決は東遊寺の危機に具体的な対抗案が現れなかったからである。皆、歯止めの効かない思超家と非思超家の関係悪化を憂いながら、会場を去って行った。
「本―の炎は―う。本―の炎と―、情―と、―望。憧れ―い――の、―り――もの、超―たい壁――に――る―情。――て、誰―から奪―た―、苦し―――りする――を望む――で―ない」
司馬章の脳裏に、またあの言葉が現れる。これで何度目だろうか。思わず頭を抱えてしまう。
「竜隋」
地上へ階段で登る最中、司馬章が竜隋に話しかけた。
「なんだ」
「どうにもならないのかな。俺たちへの誤解は」
司馬章は哀しそうな顔をしていた。劉詠が不正で議論に勝とうとしたとはいえ、司馬章もまた感情論じみた主張をしていた。そして、結果的にそれが罷り通ってしまった。勝利や意志の承認による喜びなど微塵も感じられない。罪悪感のみが残っていた。
「なに、現に長安では半ば歓迎されたじゃないか。田舎の方ではまだ偏見の消失が追いついていないだけだ。俺たちが清く正しい道を征けば、おのずと理解してくれる」
常に冷静な竜隋にしては珍しい、明るい答えだった。それを聞いて、司馬章も自然と笑顔が還って来た。
孫操備も同意だったようで、何も言わずに司馬章の肩を軽く叩いた。
そうだ。俺たちは、もう東遊寺の一員だったのか。全思超家の意志を決めることだってできる。俺たちは、思超家への恨み辛みを消し去ることができるかも知れない。そうすれば、じぃちゃんを超える思想家になれるかも知れない。この仲間たちと共に…!司馬章はそう思った。
階段を登った先にあったのは本堂へ繋がる石の道路だった。地上に頭が接したとき、階段を登っていた人々は天井、即ち地上の道路を透過しながら歩き続けた。足の裏が道路に接したとき、透過は止まり、彼らは地上に戻りきる。再び地上へ戻って来た五人は空腹を覚え、そのまま住居に戻ろうとした。
「…腹減った」
「李光、今日一日は何も食べてなかったもんね」
「しゃーねーだろ。前に見た雷の記録で忙しかったんだからな…うぅ…」
李光は、過去に見た雷の様子を詳しく記録する癖がある。人が何故、雷を畏れ、雷に惹かれるのかを求め続けることを人生も道としている李光らしい癖だ。ただ、食事や睡眠を忘れてその記録に数刻もの時間を使い果たしてしまうことが頻繁にあるため、仲間からは少し心配されていた。
「でも、今から粉を捏ねて麺から汁物を作るのに、まあまあ時間が掛かるぞ」
鄭回の一言で李光は肩をがっくりと落とす。
「勘弁してくれよぉ…」
「あ、あの…」
後ろから声が聞こえる。五人が振り向くと、そこには彼らとほぼ同じ年らしい少女がいた。薄い桃色の長髪が風に靡き、裕福な家らしい整った水色をした着物を着ていた少女だ。あの時の…と、五人はすぐに気付いた。彼女は、東遊寺の僧たちに思超会への参加を止められていた娘であった。
「す、朱雀塔のすぐ側に、料亭があるから…良かったらそこに行くことを…お勧めします…」
彼女はそういうと、南に向かって伸びる石道をゆっくりと指差した。
「本当か⁉︎」
李光は急激に元気を取り戻すと、彼女の顔に近づき、目を輝かせた。李光の影に押し潰されるかのように身体を反った彼女はブルブルと小さく震えながら、コクっと頷いた。それを見た李光は喜んで全身から青白い光を出しながら、その道の上を走り出した。
「速すぎる‼︎落ち着け李光!」
爆速で走る李光の出した土煙を頼りに、孫操備、鄭回、竜隋も後を追って走り出した。司馬章も彼らの後を追い走りだそうとしたとき、
「あの、司馬章くんっ…だよね…?」
「あ、あぁ」
その少女は、少し顔を赤らめながら、何か言いたげな仕草で立っていた。そんな彼女の表情に釣られ、年頃の司馬章もまた、体温が上がってそっぽを向いてしまった。こんな気まずい時間が長引くのも耐えられないし、料亭で李光たちを待たせるのも申し訳ない。そこで、司馬章から言葉を発した。
「料亭を教えてくれてありがとう」
「あっ、う、うん…」
「その…司馬章くん…カッコ良かった」
「本当か⁉︎嬉しいよ‼︎」
司馬章は満面の笑みを浮かべた。素直に喜びを表現する彼を、少女ははにかみながら見つめていた。その表情には、尊敬と、かすかな憧れが浮かんでいることは、彼女にしか分からないだろう。
「あのね、司馬章くんが、一番、皆のことを考えているように見えたの。東遊寺のことも、思超家でもない人間のことも」
少女は、少し寂しそうな、しかし確かな意志を秘めた声で言った。その言葉は、司馬章の胸に深く響いた。自分は、ただ仲間たちと楽しく話したい、悲しい思いを消したい、そんな個人的な感情だけで動いていた。しかし、彼女はそれを「みんなのことを考えている」と言ってくれた。彼女の言葉は、まるで彼の心を透かし見る鏡のようだった。
「そこまで…解ってくれたのか…」
「うん…も、物陰から勝手に観ちゃって…」
彼女は、司馬章の言葉に優しく、恥ずかしそうに呼応した。彼女の答えに、司馬章は安堵したと同時に、一つだけ疑問が脳裏に浮かんだ。
どうして、この娘は思超会に参加出来なかったのだろう。
先程の思超会で、自分の主張に賛同した者の大半は、劉詠の不正に対する怒りや、初々しい新参者の勇気に先導されたことを動機としたのだろう。そんな気がした。だが、この娘は物陰から観ていたのにも関わらず、自分の本意の奥を覗くことができたように感じた。いや、そうなのだ。現に、恥じらいながらも、その目は輝いている。自分以上に思超会に参加するのに相応しい人だ。
司馬章は彼女の腰元に視線を移す。そこに袋は提げられていない。ということは、思超書を持っていない…思超家ではないのだろうか。それに、初めて会ったのに、あのような表情をするのは何故か。いや、最後は余計な思考だ。彼は額に手を被せ、やれやれと言わんばかりに最後の思考を掻き消し、自分の思考を整理した。
「…改めて名乗るよ。俺は司馬章。君は?」
「ぼ…ボクは韓美詠。ここの住職の、こ、子です…」
(僕…?)
よく見ると、彼女の服は男物だった。まあ、女性が男装するのは昨今の流行りらしいので特に違和感はなかったが、薄い青の袍(当時の一般男性の日常着)に桃色の帯という相反する組み合わせ。これだけは違和感を感じる。それに、住職の子というのは、おそらく養子のことだろうが、他人に自信を紹介する時、普通は〇〇の「息子」、または「娘」と名乗るはずだ。少し震えた声で「子」と言ったのは、自分が女であることを悟られたくないからなのだろうか。それにしても、変な格好だ。そういえば、何で俺の名前を… それにしても、変な格好だ。
これもつまらぬ思考なのだろう、だが、異常な彼女に対しての思索を止めたくないのだ。そう、この無駄な思考は一つの大きな感情を抑え込むためにあった。
「かわいい」
この韓美詠という人間は恥ずかしさ故か顔を少し赤らめながら話していた。そして自分は、それに平常心で応じていた。はずだった。魏匠との戦い以上に心の臓が熱い。自身の奥義である朱雀浄羽を浴びている感覚。体内は真紅の火炎に満たされていた。
互いに名を名乗ると、再びどちらも黙り込んでしまった。特に、歳の近い女性との面識がない司馬章は、思うように話が出来ないのだ。
これ以上李光たちを待たせてはいけない。もう掛ける言葉はこれしかない。司馬章は一つ決心すると、韓美詠に背を向け、
「思超会で会えるのを愉しみにしてる!!!!」
とだけ言い残し、全速力で料亭に向かって走り去っていった。
「何やってんだ俺!あんな別れ方あるかよ‼︎」
司馬章は走りながら、真っ赤になった顔を抑えた。自分は未だ恋をしたことがない。子どもの頃から周りは男ばかり。女性といえば、よく挨拶を交わしてくれる団子屋のおばさんなどのかなり歳の離れた人しか思い浮かばない。楊貴妃にも、恋心というよりは師としての尊敬の念を抱いていた。故に、同世代の女との会話に慣れていなかっただけなのだ。これもまた、恋愛感情を抱いた訳ではない。自分に言い聞かせる様に、そのような言葉を並べる。
よく分からない気持ちが現れ、消えゆく。そんな中、彼は走り続ける。ふと空を見上げると、そこにはもくもくと夜空に広がる煙が見えた。鼻に意識を移すと、良い匂いがする。
「おい、司馬章‼︎」
いつのまにか、仲間たちがそこにいた。いや、無我夢中で走っていて、目的地までの軌跡を感じ取れなかっただけだろう。
李光は、料亭の入り口に掲げられた看板を指差し、歓声を上げた。
「さ!とっとと入るぞ」
「さっきまで死人みたいだったやつがよく言うよ」
孫操備は、呆れたように言った。
「馬鹿言うなよ!飯だぞ、飯!飯は人を生き返らせるんだ!」
李光は、胸を張って言った。彼の言葉に、孫操備は苦笑いを浮かべた。
「でも、どうしてあの子は、ここのことを知っていたんだ?」
竜隋は、不思議そうに北の方を見つめた。
「さあな。でも、この東遊寺にいるのは確かだ。明日にはお礼も言える」
鄭回は、入り口の扉に手をかけた。
「それより、早く入ろうぜ!腹が減って倒れそうだ!」
李光は、力一杯に扉を開けた。
料亭の中は、温かい光に満ちていた。木の床は、磨き上げられ、壁には、美しい絵画が飾られ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「うわぁ、すげぇ!」
李光は、目を輝かせながら言った。彼の言葉に、他の四人も感嘆の声を上げる。
店主は、初老の男で、熱い笑顔を浮かべていた。
「いらっしゃい‼︎手前の席が空いてるよ‼︎」
店主は、手前の席を指差した。5人は、店主の言葉に従い、手前の席に座った。
「見ない顔だねぇ。ひょっとして、今回の思超会に初めて参加したもんかな?」
「あぁ‼︎今回が初めてだ‼︎」
李光が威勢よく返す。店主は嬉しそうに頷き、
「そうかそうか‼︎じゃあアンタらが明日の思超会でも頑張れるように、とびきり美味いモン作ってやろうじゃあないの!」
と、五人分の温かい茶を置き、厨房へと向かった。
「いやー、それにしても、助かったなぁ」
鄭回は、湯呑に注がれた水を飲み干し、一息ついた。
「ここには何でも揃ってるんだね」
「宿舎も料亭もある寺なんて、他に見たことないぞ⁉︎」
この中で興奮気味であったのは、李光の次に司馬章だった。彼は幼少期より、祖父の冒険話を幾度も聞いて来たが、東遊寺の話を聞くことは全くなかったからである。
「じぃちゃんめ…俺にこんな場所を知られたくないから、ずっと黙りやがったな?」
司馬章の言葉に、一同からどっと笑い声が溢れる。彼はその瞬間が小さな幸せに感じた。皆、司馬典が大好きだったのだ。自分の祖父が想起されることが、楽しかったのだ。だから、話は盛り上がる。
その時、厨房から、香ばしい匂いが漂ってきた。
「うおお‼︎いい匂い!」
李光は、目を輝かせた。
「楽しみだな」
鄭回は、ごくりと喉を鳴らした。
しばらくして、店主が料理を運んできた。料理は、熱々の牛肉の汁物だった。真っ白な湯気の奥には厚みのあるずっしりとした牛肉と、灯りから届いた光を全て反射するかのような麺、あらゆる色をした野菜が混同していた。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
一同は歓声を上げる。観るだけで食欲をこの上なく増幅させる。李光は真っ先に箸をお椀に突っ込み、熱々の麺を引き出した。
感じたこともない熱さ、唇の感覚、甘辛い味、ただの麺に過ぎないが、神の垂らした糸を啜ったような気分になる。李光は、無邪気な子どものように頬を抑えて喜びの声を発する。
「んん〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
李光は、目を丸くして司馬章たちに目をやる。こいつは美味いぞ。お前たちも食ってみろと言わんばかりに。すぐさま四人はお椀に箸を入れる。司馬章は肉へ
「本当に、美味しいな」
司馬章は、しみじみと呟いた。
「こんな美味しい肉まん、食べたことない!」
孫操備も、李光の言葉に同意した。
竜隋と鄭回は、何も言わずに、ただ黙々と肉まんを食べていた。
五人は、あっという間に肉まんを平らげた。
「おおおお!よく食べるねぇ!!!」
隣の席から声がした。獅子のような茶髪の上に金の輪を冠のように被り、背中に挿した男が、赤い香辛料を振り掛けた地鶏の肉を食べながらこちらを見ていた。
「あなたは確か…?」
「孫遊だ。俺は君らと十も歳の差はない。かしこまらずに、友のように接してくれ。よろしく頼む」
肉を食べ終えた孫遊は、真っ赤な棒を手に取ると、司馬章たちの席に移った。
「よっと」
孫遊は席に座ると、七枚の金貨を纏めた紐を机に叩きつけた。司馬章らの手持ちの金と同等の価値だ。
「今宵は俺が奢ろう。君らを歓迎するつもりと思ってくれ」
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それから五人は孫遊と、肉や饅頭やらを食べながら、賑やかに談笑をしていた。
「孫遊さんも反対票に入れてくれたんだな!」
司馬章は口の周りを光らせた脂を拭うことも忘れ、嬉しそうに言った。
「あぁ、そうだ。沙悟潮の助けもあったが、まさか君があの劉詠の主張を打ち破るとは思わなかった。内心少し痛快だったよ!…ま、最後まで傍観をしていた俺が偉そうに言うことではないか」
孫遊は愉快に笑いながら、酒をすすった。
「にしても、僕たちにまで酒をくれるなんて…お金は大丈夫なの?」
孫操備は不安そうに尋ねた。孫遊の属する孫家は代々、思超家の主流派として東遊寺を支えてきた家柄だ。とはいえ、今回の思超会で何もしていなかった自分にまで、奢ってもらうのは申し訳ないと感じた。
「気にしないでくれ。司馬章、君は東遊寺に久しぶりに風穴を開けてくれた」
孫操備は少し寂しそうに俯いた。「僕たちにまで」司馬章も含めた「僕たち」だと思ったんだろう。しかし、また司馬章…。自分には興味がなくて当然ではあるが…
「そして君らが長安で異役思超家とそれに堕ちた楊国忠を討ったこともそう‼︎ちゃんと東遊寺まで話は届いていたよ」
孫遊は、俯いていた孫操備の肩を叩いた。孫操備の顔に光が戻り、まるで無邪気な子どものように笑顔になった。
その分かりやすい感情の動きに寡黙な竜隋が珍しくクスッと笑い出した。
「俺はね、議論の勝ち負けなんかどうでもいいんだ。東遊寺は、思超の暴走を抑え、秩序を保つためにある。だが、最近はどうも世界から吹く風が冷たくって、俺たちを痛めつけるから俺たちまで荒っぽくなって、大切なものを見失いかけていた」
彼は顔を曇らせ、再び茶を飲んだ。
「…君たちは、未熟故にこれからもここで皆に理解されるのは難しいと思う。だが、その率直な心と、既存の権威に臆さない姿勢は、まさに今の東遊寺に最も必要なものだ」
孫遊は司馬章たちを一人一人見つめた。
「長安や思超会で勇気を魅せた司馬章、早くから楊国忠の悪意に牙を剥いた孫操備、一家に認められずとも使龍術を覚えた竜隋、身を削り仲間を守り抜いた鄭回…全てが素晴らしかった!」
「俺は!?」
李光がツッコミを入れると、場は再び明るい笑いに包まれた。
「しかし、司馬章。君の祖父、司馬典さんには世話になった。あの人は、本当に偉大な思想家だった。だからこそ、君らが思超会に参加してくれたことは、俺にとっても、そして東遊寺にとっても、希望なんだ」
孫遊の言葉は重く、そして温かかった。
「だがな…」
孫遊は急に声を潜め、辺りを見回した。
「正直、このままでは東遊寺の存在意義が危うい」
彼の表情は真剣そのものだった。
「さっきも言った通り、世界から東遊寺に吹く風は冷たい。そして、もっと強くなっている。具体的に言えば、これまで小さな村々で破壊を繰り返すだけであった異役思超家集団・乱晶が反乱軍に属したことで、活動範囲がより大きくなったこと。それと、楊国忠のように東遊寺が把握できない範囲での異役思超家が増えたことだ。現に、楊国忠は死後に思超の保有が判明して、あろうことかその時に異役思超家に指定された」
竜隋は茶を飲み干すと、警戒するように訊いた。
「その言い方からすると、異役思超家による被害だけが一向に顕になっている…ということか」
「あぁ。それもあって、異役思超家による非思超家の死者も月々増えているそうだ。」
司馬章は深くため息をついた。
「乱晶…天上王真理公子…」
その時であった。
「あれは…嘘だろ…最悪の時にィィィィ!!!!!!!!!!!」
孫遊が座っていた席の更に奥の席から叫び声が響いた。料亭内は一気に騒然となった。




