第44話 思超会の初夜
東遊寺を照らしていた太陽は赤みを増してゆく。見ているだけで目が焼けそうな茜色に染まりきった頃には、寺を囲う真っ黒な築地塀の向こうへと沈む。ありとあらゆる壁に置かれた松明に火が続々と灯り、夜闇が空を覆い尽くした。
夜が始まった。
昼間は呑気に語り合っていた男たちが、僅かな談笑をも許さぬ顔を並べている。本堂へ向かう広い石の道をカツカツ…と、静けさと激しさを混ぜたような音を立てながら歩く。
玄黒に使える僧侶たちも、これから始まる行事に心を踊らせることなく、無表情で清掃を終わらせ、本堂前で、思超家たちを出迎えた。その表情、岩の如く。
思超家たちが各々の一年の行動を決定する会議、"思超会"が始まろうとしていた。
そんな中、一つの家の扉が開いた。司馬章たちだ。彼ら五人も支度を済ませ、周りの思超家たちが歩く道に踏み出した。
「いよいよだな。皆」
司馬章が言う。
「うん」
「確か、国中の思超家があの本堂に集まるんだろ?楽しみでならねぇな」
竜隋は、一人違う心境で話した。
「そうとも。だからこそ、俺たちは皆に認められなければならない」
司馬章はその言葉を聞き、笑顔で応じた。
「…だな!」
五人は互いの顔を見つめて頷くと、本堂の方へ歩き出した。
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本堂へと向かう足音の数々には、静けさと険しさが感じられた。無論、全員が無言で歩いていた訳ではない。近くの仲間と会話を交わしている思超家もいた。だが、そういった者たちですら、威圧感を帯びた足音を出していた。
(すげぇ…これが大人ってやつかよ…!)
他の若き四人が緊張感に包まれながら歩いている中、李光はその奥底に興奮を残していた。厳格な年長者たちの物静かな熱意に興奮せざるを得なかった。
本堂の戸がゆっくりと開かれる。敷地内の東西南北から集いし思超家たちが、中に入り、三丈(およそ5m)もの高さを誇る銅製の仏像に軽く一礼をする。本堂自体はそこまで広くはなく、せいぜい六十人が入るかどうかだ。
そして、そこに住職の玄黒がいなかった。それどころか、本堂前を掃除していた僧たちの半分も消えている。
「玄黒さんがいない…!?どういうことだ…」
司馬章は思わず声を出した。
そのとき、四方から仏像を囲んでいた思超家たちの最前列にいた者たちが沼の上にいるかのように、下に沈んでいった。
沈んだ者たちの頭部がついに見えなくなると、後ろにいた思超家たちが一歩前に出て礼をする。
「何が、起こってるんだ…?」
孫操備も目を丸くして驚く。
彼らも下に沈んでいくと、次の者たちが、そしてまた彼らも沈んで次の者たちが…
思超家たちが次々に仏像に礼をしては沈んでゆく。五人は、その光景に何処か不気味さも感じた。
「安全なんだよな…?」
孫操備が竜隋の方に目を遣る。
「…どうだろうか。でも、俺たちもこうするしかない」
彼は曖昧な答えを返して、思超会について家の者に聞いておけば良かったと悔やんだ。
すると、司馬章が自らの裾を整えて言った。
「怖くは無い。これより怖い修羅場に挑んでおいて、こんな処で俺は退けない」
そうであった。祖父の仇を討つために、あの悪魔のような思超家に挑んだのは司馬章だ。そして、国を混乱に導き、都を裏で牛耳る怪物に挑んだのは彼らだ。彼らが出逢い、志をともにした、同じ道に足を踏み込んだ時点で、それぞれの巨悪に挑む旅は切り上げることのできないものとして始まった。
そして、打ち破ったではないか。挑むべき敵を。その過程で、死に身体が触れるような危機と苦難に陥った。これからも、敵の数だけそれを経験するだろう。
「ったく…てめぇは楊国忠と戦ってないくせに、分かった風な口を聞きやがる」
「おい李光!こんな時に仲間割れをするつもりか!」
鄭回を押さえて李光が一歩前に出た。
「…不安上等」
李光はそれだけを言い残すと、仏像に頭を下げながら力強くしゃがみ込んだ。
「李光!」
不安げに名を呼ぶ孫操備の声を聞いた李光は微笑み、床に沈んだ。
「…参った。李光が先に行くとはな」
司馬章が額に手を当てる。だが、とても嬉しそうに頬の火傷痕は動いていた。
「李光の背を追いたくはなかったけど、俺もそろそろ行く。下で会おう」
司馬章は仏像に礼をすると、勢いよく下へ沈んでいった。
「お、俺達も!」
孫操備と鄭回が強く仏像前で踏み込み、思い切り頭を下げた。孫操備の目蓋はこれ以上ない程に力強く閉ざされていた。
すぐに二人も下へと沈み、本堂に残されたのは竜隋一人となった。彼らの後ろにいた思超家たちは、仏前で立ち止まる五人に耐えきれず、反対側に回り込んで沈んだのだ。
彼は静寂の中、仏像の上から堂内を照らす蝋燭台を見つめた。
彼には、別の思惑があった。自身が沈みゆくことを恐れていたのではない。他に理由があり、進むことを戸惑っていた。
(俺は…)
その時、竜隋の感に何かが触れた。背後に何やら気配がする。
「誰だッ!」
彼は気配のする方向へ槍を向けた。
そのとき、振り向いた竜隋の背後…即ち、もともと向いていた方向の前方の柱から、三人の僧侶が現れた。
「おや、まだここにいたのですか。思超会はもうすぐ始まってしまいますよ」
「ん…あ、そうでしたか。申し訳ない」
時間をかけて残っていた悩みは、一瞬の気配によってぼかされた。竜隋はその気配のことを考えながら、難なく仏像に頭を下げて、下へ沈んでいった。
「…美詠はいないですね」
辺りを見回した僧侶の一人が言った。
「そのようです」
「ついに思超の話でも大人しくなりましたか。思超だけがあの子の輝く話題でしたから、少し寂しくはなりますね」
「昨年に、沙悟潮さんにキツく叱られましたからね。興味は本物ですが、安易な気持ちで思超の世界に関わってはならないことを、あの子も分かったことでしょう」
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床の中を潜った先に待っていたのは、まるで王宮の正殿(皇帝の国家儀式や使者の謁見を行う王宮の中心)のように高く広い空間。七列の長い机と二百もの椅子が並び、先に来た思超家たちが座っていた。
五人の内、最初に来たのは李光だ。階段のある間の天井から足を伸ばし、着地した後、階段を降りてその空間にやって来た。
「これが、本堂の地下なのか!」
「李光!」
後を追うように司馬章が階段を駆け下りていく。その直後に天井から勢いよく落下して階段に叩きつけられた孫操備と鄭回が現れた。
「痛ェ!」
悲鳴を上げそうになる二人を余所目に、竜隋が静かに階段を駆け下りた。
「司馬章、李光、手形はあるな」
「手形?あぁ、持っているよ」
「会の決定に使うんだ。それじゃ、最後列の机に座ろう」
そのとき、奥の柱から声が聞こえた。
「どうしても!ダメなんですか…」
「ダメです!美詠は思超家ではないでしょう…!」
声のする方をその場の全員が見る。どうやら、ここの僧侶と十七くらいの少女が言い争っているようだった。
「それに、住職は美詠を思超家の道に進ませるべきでは無いと…」
「それでも!私はッ…」
「うるせぇぞ小娘ぇええええええ!!!!!!!!!」
室内に怒号が響き渡る。二列目の机に座り、手を組んで座っていた男の怒号だ。
己に対しての強烈な怒号に、少女はヒッと肩をすくめる。彼女のみならず、周りの思超家たちですら、突然の大声に身体を震わせていた。
「コッチは緊迫感に包まれながらやってんだ!水を差すんじゃねぇ!!!!!!!!!!」
男の第二の怒号が響く。少女は逃げるように後ろを向いて、トボトボと早歩きで戸の外へ出た。なかなか音を通す戸なのか、戸が閉まったあとすぐに、彼女が隠せずに流した泣き声が微かに流れる。
その時、竜隋の中にあった小さな謎は解決した。
(さっきの気配は、あの娘だったか…!)
「あらあら、泣かせちゃったね」
諸葛允がにこやかに呟く。
「沙悟潮…お前の言う事は正しいが、言い方ってもんが あるだろう」
そう頭を抱えて怒鳴った男を諌めたのは、背に長い棒を抱えた赤茶髪の男。孫操備は彼を知ったように小さな声で言った。
「武術家としても名を馳せている"孫遊"だ」
彼の名は思超家の中でも広まっているようで、まだ年は二十代半ばであるが、玄黒を始めとする熟練の思超家たちからの信頼も厚く、多くの異役思超家を討伐・捕縛した実績を持つ。
李光は一つ、孫操備に聞いた。
「なぁ操備、その隣の人は知ってるか?」
「"沙悟潮"だ。あまり、こんなところで云うべきではないのだが…」
彼は固唾をゴクリと飲み、冷や汗を流して静かに続けてこう言った。
「あの人は…元異役思超家だ」
「え!?」と大きな声で反応したい程、衝撃であった。だが、この場で私語を大きくしてしまうと、あの沙悟潮に罵声を浴びせられる。司馬章、李光、それに鄭回は両手で口を抑えた。
「異役思超家でも、更生したと思われる様子であれば受け入れられるんだ。その方が、東遊寺の戦力を増やしやすい」
「竜隋の言う通り、沙悟潮は東遊寺の元で数ヶ月監禁された後に、過去の思超会の決定で東遊寺の一員になったんだ」
今の沙悟潮も随分と荒々しい見た目をしている。煤の混ざったような碧色をしている髪は腰に届くまで伸びており、その右目には大きな傷が一つ。その他小さな傷がいくつか顔に広がっていた。彼だけが、礼儀を欠いているかのように、あちこちが破れかけた服を着ている。肉体は細く筋肉質で、座った状態での座高は四尺(120cm)ほど。相当な背丈の高い男と見えた。
「ケッ!くだらねぇ!」
沙悟潮は腕を組み直し、強く不満を吐き捨てた。
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少女が去り、沙悟潮の怒りも収まったところで、玄黒が参加者が揃ったことを確認し、両手を広げて宣言した。
「ではこれより、"思超会"を開くことを宣言致します!!!!!」
僧が銅鑼を勢いよく鳴らす。その声と、銅鑼の音は会場に大きく響き渡った。
このときには李光だけでなく、初参加の五人全員が、かつてない緊張感と興奮の狭間にいた。
顰めた顔で考える者、不満を持つ者、意思を伝えることを心待ちにしている者、平穏に終わらせたいと思う者…それぞれの意図が交差する、年に一度の会議が始まった。




