第42話 求める者、愛す者、知らぬ者
子兎魯が盗賊たちを倒す音で、他の思超家や家主夫婦たちも次第に目を覚まし始めた。彼らは、耳に響く夜間の騒音に恐怖を感じていたが、子兎魯の強い一声によって、その恐れは次第に安堵へと変わっていった。彼らはこの状況が安全であることを理解し、再び心を落ち着けることができた。
「子兎魯さん!何があったんだ!」
と、李光が素早く起き上がると、傍に置いてあった思超書「恐雷説」を手に取った。孫操備も、他の思超家たちも、それぞれの思超書に手を伸ばし、攻撃態勢に入ろうとした。気絶していた司馬章も、この騒がしさに刺激されてついに目を覚ました。
「何が起きたんだ!?」
彼の声は驚きに満ちていた。その状況を整理しようとするかのように、周囲を見回す彼の視線が、子兎魯の姿に集中した。
「大丈夫だ。不審な奴らは、既に潰した」
と、子兎魯は自信に満ちた口調で言った。そして、縄で縛られた五人の盗賊を指差した。彼らは手も足も動かず、完全に捕らえられていた。
「…こんな夜中に何が起きたんだ?」
突然目を覚ました司馬章が、子兎魯の指差す方を見つめ、その光景に驚きの声を上げた。その瞬間、彼は目を見開き、そこに見慣れた顔があることに気づいた。記憶から消えかけていた、しかしはっきりとした印象を持った存在だった。彼がよく知る盗賊の棟梁が目を覚まし、司馬章と視線を交わした。
「あーーーーッ!!!!!」
思わず、二人は叫び声をあげた。フザケた左顎の火傷跡、うざったい全身の汚れと傷の数々。双方の特徴がその瞬間に重なり合い、すぐに彼らの記憶の中で再生された。
「アンタは!」
司馬章が口を大きく開いた。
「てめぇは!」
と虞呑も同時に叫ぶ。
「司馬章!」「純悪の小物!」
「ってオイ!なんでまだそんな名前で呼んでんだよ!まだ馬鹿にしてんのか!」
「だってそうだろ?未だに弱そうに見える人からしか奪おうとしない。クズに変わんないじゃねぇか」
と、司馬章は一切の容赦なく返した。
「せーめーて!"盗賊"と呼べ!そんな回りくどく俺を小馬鹿にした異名を使うんじゃねえ!」
虞呑の叫びは、まるで鎖に繋がれた狂犬のように荒々しかった。周囲があっけらかんとする中、司馬章は軽々しく筆を取り出すと、虞呑の額に当て始めた。
「そんじゃ、もっと簡単な呼び名が良いか。漢字一文字にしよう!」
「お、オイ何する…何すんだコノヤロー!」
司馬章は「屑」と額に書き、筆を片付けて、もう一度虞呑の顔を見つめた。
「うん!とても似合ってるぞ!」
「ああああああああああああ!!!!!!!!」
屈辱に満ちた虞呑の声が夜空に響き渡った。
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翌朝、縄で結ばれた五人の盗賊を連れて、司馬章たちは家を出た。
「司馬章さん、昨日は申し訳ありませんでした…痛みは治りましたか…?」
家主夫婦が頭を下げながら近寄る。
「もう大丈夫。誤解も解けて良かったよ」
司馬章は包帯を剥がし、それを燃やした。まるで昨日のことがなかったかのように、笑っていた。
彼らは、夫婦に大きく手を振り別れを告げた。盗賊を除く全員が笑顔だったが、やがて双方の姿が見えなくなると、子兎魯と諸葛允だけ表情が硬くなった。
「異役思超家…まずはお前たちの名と思超名を言って貰おうか…」
子兎魯が、拘束された盗賊たちを睨みつける。
「は?俺たちは思超家じゃねえ」
「ん?」
「だから、俺たちは思超家じゃねえって!」
盗賊たちは強く言い返すが、冷や汗をダラダラと垂らしており、虞呑を除く四人の奥歯は微かに震えていた。
「子兎魯さん、コイツら本当に違うんだ」
司馬章も手を伸ばして、子兎魯の手をを止める。殴りそうになった子兎魯は歯を食いしばった。
「本当に、思超家じゃないのか?」
「当たりめぇだ!俺たちゃただの盗賊!」
「そうか…」
子兎魯は一呼吸おくと、縄を放り投げた。宙を舞う縄に引っ張られるように、盗賊たちもまた宙を舞った。
「だがお前たちが俺たちを襲ったのも事実。そこで誰かに解いて貰うまでは反省してこい」
縄の後を追い、地面に強く衝突する盗賊たち。一人ひとりが立ち上がろうと足をバタバタさせるから、余計に立ち上がりにくくなる。
誰が始めに立つかで諍いを起こす盗賊たちの声を聞きながら、彼らは村を後にした。
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三日後、山を越えた彼らは揚州に辿り着いた。
「このまま真っ直ぐ歩けば、一つの大きな寺が見えてくる。それが東遊寺。あと一息だ」
諸葛允は指を遠くへ指した。皆、未踏の地に辿り着いた喜びで頬が上がっていたが、竜隋だけが何やら辛そうな顔をしていた。それに気づいた司馬章が彼に声を掛けた。
「竜隋、どうしたんだ」
「…いや、気がかりなことがあってな」
彼は槍をそっと地面に刺し、指を額に当てた。
「東遊寺は、中華中の思超家が集う場所。ならば思超家一族として名高い竜一族も来ているかも知れない。無論、父の死後に当主となった弟も、母も」
「んー…つまり、気まずいってことか」
「極端に嫌ってる訳ではない。むしろ、弟との中は良好だ。問題は母だ…。もともと俺は母に全く似ていないから、母と母方の家に嫌われていた。一族の中で居心地が悪かったんだ」
「そうだったのか…」
「手紙は偶に寄越してくれるものの、弟の事務報告のような内容ばかり。まぁ、司馬章たちが一緒に考えるような重い話じゃないから、安心してくれ」
竜隋は苦笑いをしながら、話を止めた。仲間が少々不安そうな顔を浮かべながら竜隋を見る。司馬章は、同時に"母"について考えていた。
司馬章は、幼い頃に母親を失っていた_____
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今から十年前、雨が静かに降る日だった。洛陽のある静謐な墓地で、幼い司馬章は、虚ろな眼差しを持った祖父・司馬典と共にいた。霧雨のようにしとしとと降り続く雨は、周囲の景色をいっそう虚無的なものに変え、墓地という場所に独特の静けさをもたらしていた。寒々とした空気の中、彼らの周りにはたくさんの墓石が立ち並んでいた。それらの墓石には、すべて【司馬】と刻まれた名前があり、彼の親族の眠る場所であることを示していた。
この墓地は、彼の家族の悲劇を語る場所には十分だった。司馬家の者たちが、突然の病で命を落とし、ここに安らかに眠っている。司馬章は、祖父とともにこの場所に来たのは初めてではなかったが、今日の雨は特別に心に残るものだった。
「さ。司馬章、帰るぞ」
と、司馬典が優しい声で言った。彼の声は、年齢を重ねた彼にしか持つことのできない深い響きを帯びていた。
お祈りを終えた二人は、ゆっくりと歩みを進めた。しかし、司馬章の足は不思議と進まず、彼は一つの墓に引き寄せられていた。
「どうしたんじゃ、帰るぞ」
と、再度声を掛ける司馬典。だが、若き司馬章の目はその墓の前で止まり、彼自身の思いに浸っていた。
彼の視線の先には、【王蝉華】と刻まれた墓があった。
隣には、【司馬卓】と刻まれた父の墓があり、彼はその瞬間に直感的に理解した。王蝉華が自分の母であることが、彼の心に鮮明に浮かび上がった。
「じぃちゃん。母ちゃんってどんな人だった?」
彼の問いかけは、何よりも無邪気で、その純粋さは周りの雨音に溶け込んでいった。突然、雨が強くなり、まるで小石が叩きつけられるように叩きつける雨粒が、司馬典の背を連続して打った。司馬章の言葉は、祖父の心に深く、そして大きな傷を刻んだ。
その瞬間、司馬典は心臓を押さえ込むようにして、思わず孫を抱きしめた。滅多に見せない涙が彼の目からこぼれ、彼は言った。
「ええか、司馬章!お前は母を見習え!父を見習おうとするなよ!人は皆、母を模範として生きるものじゃから!…なァ!!」
その言葉は、若い司馬章の心を震わせた。父や祖父を見習うことは大事だと、いつも思っていた彼にとって、そう言われることは意外だった。どうして祖父は、そんなことを言うのだろう。瞬間の疑問に、彼は答えを見出せなかった。司馬章は、ただその意義深い言葉を胸に抱え込んだまま、何も言えずじっと黙っていた。
それからの数ヶ月、司馬章は祖父の言葉を考える時間を持った。彼は、自分の母・王蝉華について知ることがどれだけ少なかったのかを痛感した。そして、父方の祖父であった司馬典が、何故そんなことを言ったのかもまったく分からなかった。祖父の言葉を受けて、彼は母について祖父に聞きたいことは沢山あった。しかし、それを話すことで、祖父は病で失った家族のことを思い出してしまうだろう。司馬典の心配をするうちに、聞きたいことを何一つ聞けることなく、当の祖父も今年の初めに死に別れた。
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(母を見習えって、俺に母ちゃんはいないんだよ。一体、どういう意味だったんだ?)
司馬章は、考えを巡らした。だが、そんなことを考えていると、またあの言葉が出てきた。
「本―の炎は―う。本―の炎と―、情―と、―望。憧れ―い――の、―り――もの、超―たい壁――に――る―情。――て、誰―から奪―た―、苦し―――りする――を望む――で―ない」
駄目だ。家族の話になれば、祖父の意味の分からない言葉を思い出してしまう。司馬章は首を振り、顔を上げた。
ふとした瞬間に目の前に巨大な景色が広がった。
「着いたぞ!」
四方に広がる階段、その上にそびえ立つのは城壁のような高さの門や外の築地塀、それに囲まれても尚はっきりと見える塔や堂の数々、こんなに大きな寺は他に存在するのだろうか。
"長安に比べれば"、見劣りしている。東遊寺の第一印象が"ソレ"だ。小さい。洛陽なんかに比べても、小さい。
「都…市…?」
孫操備は口をポカンと開け、高い高い築地塀を眺める。
「都市じゃない。寺だ」
見慣れている子兎魯が腕を組んで答える。
「いや、この広さ…寺にしてはおかし_____」
気づけば、子兎魯と諸葛允は五人の十歩先を歩いていた。孫操備が左右を見ると、学者のような見た目をした者たちの背が続々と奥へ進んで行く。階段の中央で立ち止まっていたのは、彼ら五人だけであった。
「どうした?行くよ」
諸葛允が声をかけ、五人は慌てるように、彼らの背を追って歩き始めた。




