第38話 迫る離京の刻
楊貴妃の死から三日後のことである。司馬章、孫操備、李光、鄭回、竜隋の五人は、諸葛允と子兎魯から彼らの部屋に呼び出された。
「君たちは、"思超会"に参加したことはあるかい?」
諸葛允の質問に、竜隋以外の四人は首を傾げた。
「そういうものがあることだけは知っている。年に一度、国中の思超家たちが集まって会議をするのだろう?」
「そうだ竜隋。私ら思超家は、思超というこの世の常識を覆す魔術を持っているから、それを誤った方向に使わないように、それぞれが一年間をどのように過ごすのかを話し合って決めなければならない」
李光がおそるおそる質問した。
「あ…その、思超会に参加しなかったらどうなるんだ…?」
「別に参加は努力義務だよ。だが、正式な思超家に認められるためには、一度でもいいから参加しなければならない。もし、一度も参加しなかった者が思超家であると上に知られた場合、"異役思超家"として、粛清対象になることもある」
諸葛允は彼をジッと見つめた。
「君は運が良かったんだよ李光。だからこそ、今のうちに参加しなければならない」
李光は図星を突かれた。思超を覚えてから今年で七年。思超堂の中でこそ威張ったように己を持ち上げていたが、長安の外にその名が届くことはなかった。諸葛允たちも、多忙で思超堂を訪れることが滅多になかったため、李光と会うのはこの年が初めてだった。
「君たちもだ。立派な思超書を常に持ち歩いて、思超家じゃないなんて誤魔化しは効かないからね」
そう言って、諸葛允は五枚の木札を配った。
「思超会の行われる、"東遊寺"への入場手形だ。本来なら、自分自身で手形を貰いに行かなければ行けないが、こんな大事件のあとだ。私が馬乗りに依頼の文を送って貰ったんだ」
木札には、それぞれ〈司馬章〉〈孫操備〉〈李光〉〈鄭回〉〈竜隋〉と大きく彼らの名前が書かれていた。
「今は酉月(八月)。思超会は亥月(十月)の中頃に始まる。良ければ、我々と共に東遊寺へ行かないか?」
司馬章は首を縦に振った。
「宜しく頼む」
「…そうか。我々は三日後にここを出る。それまでに荷物をまとめてくれ」
そのとき、一人の兵士がドタバタと彼らの部屋に転がり込んだ。
「思超家の皆様!ぜひ王宮までおいでください!」
________________________
王宮に来た彼らが見たのは、一生贅沢できるほどの大金と、塩、香辛料、米などの食糧だった。
「これは…!」
「悪しき国賊・楊国忠が隠し持っていた財産であります!民から奪い得た、言えば汚い金ではございますが、その悪を討ちし皆様が持つべき金!皆様が使うとなれば、ここの民も喜んで賛同するでしょう!」
兵士たちは興奮気味に話す。
李光と鄭回は興奮が動作に表れており、ぐるぐると金貨の山を回りながら見つめる。孫操備は、平静な顔を保ってはいたものの、固唾を飲み、冷や汗を流していた。
子兎魯がボソッと呟いた。
「これ…全部、町民たちの金だったよな…」
「えぇ!ですので、長安を救った皆様にお渡しするのです!」
彼らは沈黙した。正直、今の自分たちに金の心配事はない。それでも大金を目の前に、それも頂いてくれと言われたら、手を伸ばそうと考えてしまう。
そのとき、司馬章が六人の前に出た。
「食糧だけ貰います」
「ええ!?」
兵士たち、そして李光が驚いた。
「な、何考えてんだ…?一生豪遊して暮らせる金だぞ!?」
「確かに欲しいと思ったよ」
「そ、そうだろ!」
「…あの反乱さえ、なければね」
司馬章は、少し歩いて空を見上げた。
「俺のじぃちゃんが死ななければ、俺は天理を倒そうと思うことなく、旅に出ることもなかった。そしたら、先人の知識を受け取るだけの日々が続いていたかもしれない。そのときの俺だったら、多くの書や紙を買うためにそのお金を欲しがっていた」
そして司馬章の脳内は戦火で灼き尽くされる。
「でも、運命は残酷だった。あろうことか、俺たちは愛していた炎に故郷を壊され、唯一の家族だった祖父も死んだ…それで、天理を倒す決意から旅に出た。残酷な運命は、俺を世界へ向けたんだ」
「こうなってしまった」よりかは「この道を選んだ」だろう。だが、後者もまた、良くも悪くも運命によって捻じ曲げられた選択であった。
「俺は、旅に出た。そうだろ?」
司馬章は孫操備たちの方を振り向いた。つい先程まで金に目が眩んでいた三人も、司馬章の瞳から離れることはできなかった。
「このお金はここの発展に使ってほしい」
司馬章は、まるで大金を頂いたあとのような顔で、大金を断った。
まるで、大きな財産を得たかのように_____
________________________
「…それで、食糧だけ貰って帰って来たんですかぁ〜!?」
「お前らは何もしてないだろうが…」
子兎魯が強欲な弟子たちに頭を抱える。弟子たちは皆、大金が来なかったことに文句を垂れ流している。
「あんだけ金があれば、僕ら絶対豪遊できましたよ〜」
「そうそう。紙だっていくらでも買える!」
「それなのに食いもんだけって…」
「お前らなぁ…無為自然はどうしたんだよ」
子兎魯は溜め息をつく。弟子たちはどこまで強欲で我儘なのだ。早いとこ追い出したい。
「そうだ、思超会の日が近いから俺は長安を去る。ここの館主に一言伝えたいから、探してきてくれ」
「は〜い」
ま、ああいう腑抜けた人間もまた、規則や関係に縛られることなく自分を表現できるから、それこそ自然な生き方なのかも知れない。
子兎魯が思考に浸っている間、思超堂の館主は彼の弟子たちに連れられ颯爽とやって来た。
「これはこれは子兎魯どの」
「館主どの、俺はしばらくここを離れます。その間、頼んでおきたいことがあるのです」
「おや、なんでしょうか」
子兎魯は頭陀袋(僧侶が乞食の際に使用する、ぶら下げた袋)のようなものから鏡を取り出した。
「この鏡を堂の中心に飾っておいてほしいのです」
「は、はぁ…」
館主は困惑している。その弱々しい返事を耳にするたびに、子兎魯の背筋は冷たくなる。改めて、長安を襲撃した二人の思超家がここを狙わなかったことに救いを感じた。
子兎魯は次に、弟子たちに話した。
「そして、お前たち。今日から思超書に血を記すことを許そう。もう十分、無為自然の理念は教えた。これからは独立して己の道を貫いてくれ」
「え!?」
それは突然の解禁であった。子兎魯は、無為自然の理念を理解できるものは一握りだ と、弟子が思超を習得しようとすることを頑なに拒むことで有名であった。そんな彼が、何の前触れもなく思超を習得することを許可したのだ。
彼の弟子たち、館長、周りの学者たち…子兎魯を除いた人のほとんどがザワザワと小言を交わした。
「まぁ、そういうことで」
皆が騒ぐ中、子兎魯は思超堂をあとにした。
「…先生、どうしたんだ?」
弟子たちは、思超を会得する喜びよりも、子兎魯の残した解けない謎に囚われ、筆を取る気になれなかった。
思超堂前で、子兎魯は諸葛允と合流した。
「諸葛允、もう一枚の鏡は持っているか」
「あぁ。持っている」
諸葛允は、いつものように平然と話す子兎魯に聞いた。
「なぁ、ホントに必要あるのか?」
「…俺の勘だがな」
________________________
さて、この頃王明は何をしていたか。
彼は孟寧を討ち果たしたあと、民衆の歓声の中、鷹になって王宮へ向かっていた。
孟寧撃破と同時に、もう一人の襲撃者の気配を感じなくなったからだ。加えて、王宮には思超家の気配がした。ひ、ふ、み…四つほどか。
俺なら奴らを蹂躙できる。四つの首を掲げて、民衆に捧げよう。彼は、そう考えた。
だが、彼は冷静だった。争いは強者が乱入すると、その激しさを増す。突然、空から襲い掛かかってきた怪物をようやく討ち、その安寧に浸る民衆がまた犠牲になるのだ。
彼もまた、義賊であった。
「…来い、勝者は広い広い地で殺してやる」
彼は人に戻り、王宮を睨みつけながらそう言うと、再び鷹になって空へ飛び去っていった。
________________________
司馬章たちが宿に戻ると、部屋には不思議な剣が置かれていた。
「…なんだコレ!?」
司馬章は崩れ落ちるように膝を着き、剣を拾い上げた。
白々と光る刃先、少しの曲がりも許さない直線が続く。柄は獣の皮でできているようで、龍の鱗のように細かく模様が刻まれていた。そして鞘。裏には抽象的な男の絵が刻まれていた。それも、不気味なほどに細長く。だが何よりも彼らの目を引いたのは、表に深く刻まれた四字だ。おそらく、この四字が剣の名前だろう。
『天地開闢』
この名は別の意味で有名だ。天地開闢とは、中華を中心とする世界の始まりを記した神話である。
___天地が未だ形を成さずに混沌としていた時代とも呼べぬ虚無の流れに、盤古という神が生まれた。この盤古の誕生をきっかけとして天地が分かれ始めたが、天は一日に一丈(約3.333m)ずつ高さを増し、それにつれて地も同じように厚くなっていった。天地の境にいたも姿を一日九度も変えながら一丈ずつ成長していった。そして一万八千年の時が過ぎ、盤古も背丈が九万里の大巨人となり、計り知れない時が経った末に命が尽き果てた。盤古の死後、左目は太陽に、右目は月に、血液は海に、毛髪は草木に、涙が川に、呼気が風に、声が雷になった___
これが天地開闢。万物万象の祖は、無限のような成長の末、朽ちて あらゆる"何か"に分かれた。
「天地…開闢…」
翌朝 司馬章は、剣を売り飛ばそうとする李光の意見を押し退けて、宿主の元へ持っていった。
「剣?」
「先客が忘れていったのかと」
宿主は何かを思い出したかのように大声を出した。
「あ、あ゛あーっ!」
「宿主さん!?どうしたんだ!?」
「そ、その剣は確かに先客のだ。だ、だがそいつァただの先客じゃねえ。たしか、大陸の果てに向かうと言って旅立った、"国の裏の英雄"だ!」
「裏の英雄…?」
「そうだ。この国が大干魃に襲われたとき、不思議な力で雨を降らせた…"袁静"という男だ!」
宿主の話によると、袁静は、長く続いた大干魃を終わらせ、多くの人の命を救ったが、「記録に遺すな」と役人に伝えた故に幻の存在とされた男だった。
そして、彼が二ヶ月前にここを訪れており、旅に出る際に剣を置いて行ったという。
「…宿主さん、これを貰ってもいいか」
「あ、袁静さんに返してくれるのか!?」
「その人が旅をしてるなら、何処にいるかも分からない。その人に会えるまで、俺たちが使っても良いのなら」
「知らねーよ!俺に聞かれても!ま、置いていったヤツが悪いんだから貰ってもいいんじゃねぇのか。この際、兄ちゃんが貰っちまえぃ!」
「よし!じゃあ貰ってくよ」
司馬章は勢いよく剣を持ち上げると、金の入った小包を置いて宿を出た。
「ありがとう!この剣は、袁静っていう人にいつか届けるよ!」
司馬章の背を追うように、孫操備、竜隋、鄭回、最後に李光が「じゃ」と言って宿を出ていった。
彼らを見届けた宿主は肘を着けた。
「…この前の袁静といい、兄ちゃん達といい、思超家っつーヤツらは不思議なモンだなァ」
五人が宿を出て広場まで歩くと、五人は輪になった。
皆が真剣な眼で見つめるのは、司馬章。そして、彼も真剣な目で四人を見つめていた。
「皆、ここまで俺のために戦ってくれてありがとう。でも、これは旅の始まりに過ぎないと思うんだ。俺の祖父を殺した天上王真理公子は、俺たちが戦った思超家よりもずっと強い筈だ。だから、これから想像以上の過酷な冒険になる」
洛陽が襲撃されてはや八ヶ月。衝動的に始まった旅。あらゆる不安と迷いが足を引っ張り、長安に辿り着くことでさえ半年をかけた。辿り着いた都で、孫操備と出会い、思超堂で李光と出会い、王明という男に敗れたことで思超の世界の厳しさを知り、治癒のために鄭回と出会った。長安を襲って来た魏匠と激戦を繰り広げた末に勝利し、楊国忠を倒しに王宮へ向かった先に竜隋に出会った。そして、もう一人の師と別れた。
こんなに記憶を圧迫するような年は今年だけだ。でも、自分がいつの間にか望んだ冒険はこれではない。魏匠との戦いを経て、天理への復讐だけを追い求めていたいわけではないことにも気づいた。
祖父を超えた偉大な哲学者…何にも囚われず、すべてを超越した賢人…そうだ。俺がなりたかったのは__
「それでも、この旅を楽しんでほしい」
全員が、は?と声を出しそうになる。
「もう、天理に復讐するためだけに旅をするのはやめだ。俺は、じぃちゃんが望んでいた夢を、恩師が幼い頃に叶えられなかった夢を…失ったものを取り戻すために旅をしたい」
司馬章は大きく息を吸うと、大声で叫んだ。
「俺は!智の盤古になる!どんな垣根も越えて、どんな思想の真理も受け入れて、じぃちゃんがあの世でも腰抜かすような大賢人にッ!」
「なるために、協力してくれェーッ!」
全員、ポカンとしている。が、その表情はすぐに笑顔に変わった。
「当たり前だよ。ったく、何でこんなに僕の人生を面白くしてくれるんだろーね。君は」
孫操備が笑った。
「俺もだ。せっかく俺より強いんだ。ついて行かない理由なんてないだろ?」
李光が腕を組みながら頷く。
「ふふ、いーじゃん」
鄭回は聞き流すかのような反応をしていたが、心臓の動きから、喜びが顕著に現れていた。
「そうだな…先生も、そっちの方が嬉しい。何より俺が、お前の行く末を見てみたい」
竜隋も、いつになく笑顔だった。
「そうと決まれば、さっさと荷車に乗ろうぜ!」
李光が手を上げて、東に向かって走り出した。他の三人も走り出した。
「みんな、ありがとう」
司馬章は彼らに手を伸ばし、走り出した。




