第34話 一時の平穏
私は、火に希望を見出しました。まだ小さな火の粉だけど、今にも消えゆく火の粉だけど、我が身を糧に燃えければ、小さく勇敢な火の玉となるでしょう。
次の日、王宮の外に移され、そこで眠っていた鄭回、諸葛允、子兎魯が朝日が差し込むとともに目を覚ました。
「ようやく目覚めたか」
彼らは目を覚まして右を見ると、彼らに一言かけたであろう李光の姿が見えた。
「…そうか、ここが…そうであるのなら…」
諸葛允は静かに安堵する。
「あぁ、俺たちの…勝利だ!」
李光が力強く答えた。諸葛允は立ち上がると、重い腰をゆっくりと下げた。
「ありがとう。君たちがいなかったら、この長安は、更なる暗黒時代になるところだった」
あまりにも深い礼に李光は動揺したのか、目線を反らして左手で頭をかく仕草をした。左腕には、楊国忠との戦いで負った、千の字形の傷が刻まれていた。
「いや、いいよ!それに、礼を言うべきは俺じゃない。アイツらだ」
そう言って、李光は王宮前の階段に座る三人のうち、二人を指さした。
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「それで、竜隋の思超は何て名前なんだ?」
孫操備がキラキラとした目で竜隋の槍を眺める。
「そうだな。この際、俺の思超についても語るべきか」
孫操備は、新たな仲間・竜隋に心強さを感じており、彼と会話すると、緑の龍のことが脳裏に浮かんだ。
「俺の思超は、護獣式・"使龍道"。龍の空像を操る能力を持つ」
竜隋はそう説明すると、槍先から緑の龍を生み出した。
「で、出た!」
「今のままでは触れることはできない。攻撃の意思が俺にあって、初めて力や重みを持つんだ」
龍は空高くに昇ると、竜隋の槍が下を向くのと同時に急降下した。
「こうして、槍を動かすことで…」
今度は槍をくるくると回す。
「龍の動きを変える!」
龍は、孫操備の方へ真っ直ぐに降りてくる。楊国忠の胸腹部が消し飛ぶ程の威力のある龍が落下してきたと、孫操備は思わず身構えた。
「大丈夫だ。敵意ない者に痛みはない」
龍は孫操備と衝突し、そのまま消えたが、孫操備の身体には傷も痛みも表れなかった。
「す、すごい…」
「これも全部、仙人の名を残した大思超家・司馬典に鍛えて貰ったからできたことだ」
竜隋は少しうつ向き、槍をそっと置いた。
「司馬章、礼を言わせてくれ。そして、亡き師の思いを継ぐものとして、俺も旅に連れてってくれ」
司馬章は竜隋に見つめられ、しばらくは沈黙を続けたが、そのうちに抑えていた嬉しさが溢れ出して来たかのように大声で応えた。
「勿論だ!竜隋!ともに行こう!」
竜隋の心にも喜びが込み上がる。祖父と孫、この二人に会わなければ、今の自分は弱く、愚かなままだったのだろう。
竜隋の頭がそっと下がる。その瞳は一筋の光も通さないように塞がり、その口は温かな微笑みを作っていた。
「三人とも!こっちに来てくれー!」
そこへ、李光がやってきた。
「どうしたんだ?李光」
「三人とも…とくに竜隋と司馬章!これからお前らを皆でベタ褒めしてやるんだよォ!」
李光は意気揚々と二人の腕を掴んで階段の一番上の段に上がった。
「ちょっ…僕は何なんだよぉ…」
孫操備は息を荒くしながら、ピョコピョコと三人の後を追った。
「全員、注目!国を裏で意のままに動かしていた楊国忠を打ち倒した二人だ!」
李光が叫ぶと、階段の下にいた思超家たち、十数人の衛兵たちが顔を上げる。そして、彼らは大きな拍手をした。
「あの二人か!楊国忠を倒した思超家の青年というのは!」
「あの楊国忠を討った君らは英雄だ!せっかくなら、名を名乗ってくれ!」
その言葉を聞き、司馬章と竜隋は表情を固めた。二人は互いに目を見つめ合い、その後に衛兵たちを見ることを三回ほど繰り返した。
李光は、二人の思いを知ったのだろう、次の言葉が出る前に、もう一度大声で言った。
「さぁ!名前もいいが、折角なら、一言つけてまとめて喋ろうじゃないか!まずは、竜隋から!」
そう言って、李光は竜隋の肩を叩く。すると、まるで背中を押されたかのように、竜隋は堂々と話しだした。
「長安の思超家・竜隋だ。楊国忠は、確かに俺の槍で仕留めた」
おおっ。と、小さな歓声が耳に届く。そして、その歓声すら沈黙に変えるのを分かっていて、彼は続けた。
「だが、これで長安に平和が訪れたわけじゃない。思超がある限り、人々は未知の存在を恐れ、未知とされる者たちも人を恐れる」
(なんだ?何を言っているんだ?)
下の者たちは困惑した。槍使いの発言に、誇らしい勇姿の表象は感じられず、ただただ心の曇る言葉だけが耳に渡る。
「あなた達は、思超家が化け物の仲間だと思っている。そうだろう?」
その言葉に、その場の全員が動揺した。あるものは釘を刺され、またあるものは庭に埋めた黒い日記を掘り返されたのだ。
理解が追いつかない者が左に一人。彼こそが、その言葉に何よりも衝撃を受けた。
「ここ長安は、思超家と非思超家が共生する良い都市だ。俺も旅をしないのなら、死ぬまでここに住んでいたい。でも、その外は違う。この国では、未だに思超が何故起こるのか、解明されていない。そのため、思超は妖術と何ら変わりない扱いをされた」
竜隋は空を向いた。
「…そして、それを使う思超家は、妖怪とされた」
衛兵たちが息を飲む。思超家が冷遇されない地域は、長安を含めて、中華に数える程しか点在していない。数える程といっても、長安、成都、邯鄲、洛陽、開封、敦煌の六都市に加え、揚州地方、山東半島の一部のみに過ぎない。
近隣の国々も同じく、渤海や新羅ではすべての思超家が根絶やしにされ、倭では古来の神にちなんだ思超を使う一族の生き残りが、国を追放された。
果てしなく続く大陸の東半分…いわば、東方世界では、思超家の居場所はないに等しかった。
「楊国忠が思超を悪用していたこと、それを俺たちが思超を使って倒したことは、後世に書き遺してはならない。伝えてはならない。絶対に歴史にしてはいけない」
竜隋は無感情に、かつ大きく言い放った。透き通った声が都市中に響き渡る。
衛兵たちは驚いた表情で竜隋を見る。竜隋に視線が集まる中、李光が袖で目を擦り、司馬章に目配せをした。
「次は俺だな」
司馬章は、竜隋の言葉を頭の片隅に入れておきながら、彼の一歩手前に出た。
「洛陽からやって来た思超家・司馬章だ。俺は、楊国忠と裏で繋がっていた男、天上王真理公子に祖父を殺された」
竜隋は今にも何か言いたげな顔をしていたが、黙って彼の話を聞き続ける。
「俺は、その天上王真理公子に復讐するために旅に出た。天上王真理公子という男について何か知っていたら、教えてほしい。そして…」
司馬章の冷酷な目に陽光が現れる。
「ここも、いつまでも安全とは限らない。この平穏も、一時的なものに過ぎない。だからこそ、この一時の平穏を存分に味わってくれ!」
司馬章は空高く火の玉を投げ上げた。火の玉は限界まで上昇し、四方八方に爆散した。
なんと可憐な花だろうか。たった一つの火の玉が、空に巨大な花を作っている。衛兵、思超家、城壁外に避難した市民までもが、空に浮かぶ花に見惚れる。
「戻そう。元の長安へ!」
こうして、二人の思超家による襲撃で破壊された納屋を建て直すように、各々が動き始めた。
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「こんなときに猪解さんがいてくれたらね」
諸葛允が袖で汗を拭う。今は夏、暑い日差しに晒されながらの作業だ。
「仕方ない。壊れた家は、魏匠と孟寧に崩されたのが殆どだ。五日もあれば直せる」
子兎魯は楊国忠との戦いで、一番傷を負っていたが、回復力も優れていたため、二日で完治していた。
子兎魯が続けて言った。
「諸葛允、次の"思超会"はいつになる?」
「神無月(10月)の中頃だったとは思うが…そういえばまだ知らせが来ていないな」
「あの五人も、思超会には参加させたいんだよ。じゃないと、いつか勘違いで追われる身になるだろう?」
「確かに…」
諸葛允が、肩を組んで悩み始めた。子兎魯も何か考えているような顔で下を向く。
一方その頃、鄭回と竜隋は木材の上に座って身体を休ませていた。
「…鄭回、その血は何処で手に入れたんだ」
「…悪いが楊国忠に殺られた文官たちの流れた血が、たまたま床の凹みに溜まっていたから、それを採取した」
竜隋は一瞬だけ眉を潜めたが、鄭回が自らの思超を昨夜話していたことを思い出し、槍の柄先で地をグリっと掘り回して立ち上がった。
「そうだな…文官たちの無念は晴らせた。それに、このまま腐り果てるよりは良い。遺体は、外に移したんだろう?」
「あぁ」
竜隋は、鄭回を責めなかった。そして、鄭回が自分自身を責めないように、彼の償いを無償の慈善とした。
「竜隋、これだけは約束させてくれ。俺は、生きてる人間を殺して血を奪ったりは絶対にしない」
「分かっている。お前はそんな人ではない」
鄭回は、それ以上何も言わなかった。二人が指示された作業を終えると、鄭回は衛兵たちからあらかじめ提供されていた家に戻り、複数の線香を炊いた。
(俺のしていることは、間違っているのだろうか)
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その日の夜、司馬章は王宮の屋根の上に立っていた。
「本―の炎は―う。本―の炎と―、情―と、―望。憧れ―い――の、―り――もの、超―たい壁――に――る―情。――て、誰―から奪―た―、苦し―――りする――を望む――で―ない」
記憶に薄い、祖父の言葉が再び頭の中をよぎる。はっきりと記憶にないのに、定期的に頭に顕れて来るから鬱陶しい。祖父を失った悲しみと、天理への怒りが一層込み上げていく。拒絶したい気分だが、考えないようにしようとする程、脳裏からは離れられない。
仕方なく、月光に照らされるしか無かった。
満月に照らされた長安と、周りの平原、更に遠くにある山々の景色は、さぞ美しかろう。このような高い所に辿り着ける者だけの特権とも言える景色。しかし、彼は王宮からそこまで離れていない李の木を眺めていた。
「玉環さま、だっけな…。身分の高い人が、ここにいるはずなんだよ…」
李の木は、花を除いて既に腐りかけており、花の根元が今にも折れそうにいた。
___第三十五話
我が師へ、ありがとう




