第32話 登竜門
右往左往にゆらゆらと、雌しべはゆっくり落ちてゆく。花に種は残さねど、花に色を残して。
時は遡ること十年前、竜隋がまだ十一の少年だった頃だ。
唐の南西部の都市・成都では、特別な力を有する一族がいた。
その名も、"竜家"。この一族は、その性通り、龍を操る技を持つ一族だ。竜隋は、この家の長男として生まれた。
ある日のことである。竜家の当主であった竜隋の父が、重い病を患った。自分はもう長くないと悟ったのか、当主は一家全員を招集し、こう言った。
「次の投手は、竜隋ではなく、竜宋にする」
その言葉を聞き、一族の者は皆、密かにクスクスと笑った。竜隋の弟、竜宋を除いて。
竜隋にとって、竜家の当主決めなどどうでも良かった。だが、自分の弱みを、一族全員の前で晒されたことに悔しさと悲しみを感じた。
そして、その負の感情は、自己嫌悪に繋がった。
(どうして…俺は龍を生み出すことができないんだ!)
竜隋は、龍を生み出すことができなかった。正確に言えば龍の像なのだが、竜家の人間の殆どが、自身の気を龍の像に変化させる思超を使えた。
龍の像には、不思議な力がある。その牙が皮膚に触れると、像であるにも関わらず、本当に噛まれたかのように感じ、その尾に巻かれると、本当に巻きつけられているかのように感じてしまうのだ。
勿論、龍は空像であり、実態は存在しない。存在しないが、確かに人の触覚を働かせている。
そんな龍を生み出し、操るのが竜一族だ。その祖は、後漢末期に墨画を生業としていた男で、絵の中に描いた龍を愛すあまり、絵から龍が飛び出してきたことが始まりだとされている。
_____もちろん、龍を操る術の正体が"思超"であることは、一部の者はご存知であっただろう。
龍使いの名があっての竜一族。龍を操るどころか生み出すことも出来ない者が当主であっては、末代までの恥として、その代は語り継がれることになる。
竜隋の父は、そう思ったのだろう。だが、当主にもなれず、一族の笑い者となっている竜隋をこのまま放っておくのも不憫だ。最期だけでも優しい父で有りたかったのか、しばらくすると、竜隋を近くに呼び出した。
「父上…」
「竜隋、ごめんなァ。お前がもっと幼い頃から、しっかりした稽古をつけてやるべきだった。お前をよく思っていなかった先代(竜隋の祖父)が竜宋ばかりに稽古をつけるようにしてしまった…」
「そんな、俺の努力不足だ!」
「違う…お前は生まれつき、母方の家から忌み嫌われていたんだ。女子のような顔をしていると」
「…」
「容姿なんて関係ねぇんだ。お前が男らしくない顔をしていても、鍛錬を積めば、勇敢な龍使いになれるはずだった。でも、先代も義兄弟(竜隋の伯父、叔父たち)たちも、お前に稽古をつけることを許さなかったんだ。おらァ、父として失格だ」
「…そんなこと、ないっ!俺が強くなろうとしないからだ!」
必死に言葉を返した竜隋に、彼の父は一枚の手紙を渡した。
「…これは?」
「俺の、父としての最後の償いだ。この手紙を持って、洛陽に行け。宛先の男・司馬典がお前にきっと、良い稽古をつけてくれる」
その手紙には、こう書かれていた。
【我が恩師、司馬典へ。
この手紙を貴殿に渡した者が、俺の倅だ。訳あって、良い稽古をつけることが出来なかった。代わりにお前に稽古を頼みたい。
俺の自慢の倅だ。きっと、すぐに歴代当主のように強くなるだろう。 竜晋】
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それから五日後、竜隋は荷物をまとめて洛陽に向かった。道中、父の訃報の噂を聞きながら、溢れそうな涙を袖で拭い、僅か一月で洛陽に辿り着いた。
「ここが司馬典の家…」
司馬典の家の前まで足を運んだ竜隋は、手紙を強く握りしめた。
_____今日から、俺は強くなるんだ。竜一族の名に恥じない龍使いとなるまでは、あの家に帰ることはない。
竜隋は、戸を叩いた。
「司馬典どのはおられますか!」
だが、一向に返事がない。諦めずに二度目を叩く。
「司馬典どのはおられますか!」
沈黙が続く。家を間違えたかと不安になりそうだったが、念の為、最後にもう一度戸を叩くことにした。
トン、トン、トン
焦りも混ざった音だ。
「司馬典どのはおられっ…」
「誰じゃあ…こんな早朝に何用かの」
いきなり出て来た司馬典が、空を見上げる。日は完全に真南に登っており、どんな捉え方でも早朝とは思い難い。
「もう…昼なのか、んじゃしゃあない」
司馬典は、ボサボサの白髪を撫でながら、竜隋の目を見た。
「お初にお目にかかります。司馬典どの。」
恐る恐る声を掛ける竜隋。目を擦る司馬典に手紙を差し出した。
「…フムフム、竜晋からか。あの小僧、最近会わなくなったと思ったら、とんだ面白い頼み事をしおって」
司馬典は、ニヤニヤしながら手紙を読み終えた。
「なるほど。その竜晋の倅が、お前ということじゃな」
竜隋は両手を合わせて前に突き出しながら礼をとった。
「竜晋の子・竜隋です。何卒、よろしくお願いします」
司馬典は灰色の顎を撫でた。
(竜晋曰く、女子のような容貌をしていると聞いたが、眼差しは勇敢な兵士そのものじゃな。女子のような見た目だからって、強くなれないと決めつけて稽古もつけなかった先代の馬鹿にはがっかりじゃ)
「良かろう。竜晋は我が弟子であった男。ならば倅のお前も我が弟子じゃ。二代に渡って竜家の繁栄に尽力してやろう」
竜隋は、もう一度深く礼をした。
「ありがとうございます」
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司馬典は、孫に思超の存在を知られたくなかったため、洛陽の城郭から少し離れた山で修行することになった。
「さぁ、まずは修行場の制作じゃ」
「修行場の制作…?」
いきなり何を言っているんだ、と竜隋は不安になりながら頷いた。
「さて、目の前に二つの岩山があるが…片方を儂がブチ壊す。もう片方をお前がブチ壊せ」
「…え?」
司馬典は相変わらずわけのわからない言葉を並べる。竜隋は少し、呆れていた。既に七十を超えた老齢だから、ボケが進んでるのではないのだろうか。
竜隋がついに何か意見しようとしたときだった。東の山に向かって手を伸ばしていた司馬典が、力強く言葉を放った。
『火龍断』
言葉を発した瞬間、広げた掌の中心で圧縮された火の玉がものすごい速度で岩山に向かって飛来した。あまりの疾さに、竜隋の目には火炎の残像が龍の形をしているように見えた。
その速度で岩山に衝突した火の玉は、巨大な十字の爆発を起こしたあと、その岩山を跡形も無く消し飛ばしてしまった。
「今の、本当に先生の技ですか…?」
その速度と威力に驚くのも無理はない。常人どころか、あらゆる世界の仕組みでも引き起こす事は不可能に近い現象が目に写ったのだ。
だが、司馬典は涼しい表情をして答えた。
「名のある思超家は皆、これしきのことは息を吐くように出来るぞ」
そう、これはかつて勇名を哲学者の間に刻んだ大思超家・司馬典が使える限りの力を使って起こした技ではなく、名のある一般の思超家にとっての基本攻撃と何ら変わりない程度の技だったのだ。
「な、何を言います!こんな技が平気で使われたら、この国はとっくに海に沈んでいる!」
「だから、大抵の思超家は思超の適用範囲を狭めるんじゃ。狭い範囲で使う思超の技は、爆発のような大きい被害を出したりせんが、一点にその分の力が集中しておる。お前の父も祖父も、普段山を壊す力を有しながら生活していたんじゃよ」
竜隋は膝を落とす。
できるわけがない。司馬典という普通の思超家を代表する男と、自分との格差を感じ、全身が諦めを感じていた。
「さぁ、次はお前の番じゃ」
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『現龍』
竜隋は力を込めてその言葉を放つ。だが、竜隋の背中から現れたのは、小さなトカゲの像だった。
「ぶ……………」
「ぶわあっはっハッハッハ!!!!!」
その小さなトカゲを見た司馬典が大笑いをした。流石に竜隋もこれにムッと来たようで、
「何がおかしいのですか!俺だって真面目にやっているんだ!」
と、怒鳴った。すると、一瞬だけ、トカゲの像が大きくなった。
「え…?」
竜隋は驚く。まさか、自分の繰り出す像が大きくなるなんて…
そこには、ほんの僅かに過ぎないが、確かな成長を感じる心があった。
「フヒッ、フヒ竜隋。フッ、今のは、フヒッヒッ!感ジョッッフヒ!か、感情の高ぶりじゃ、ブフゥ!」
笑いを抑えながら、司馬典は伝える。
「か…感情の高ぶりで、トカゲ…フヒッ!いや、龍が大きくなったんじゃ」
そう言うと、司馬典は深呼吸をして立ち上がった。
「思超は、ときに感情の高まりで強くなることがある。どうだ、これまでお前が龍を出せなかったのは、龍を生み出そうとする感情が足りなかったんじゃないか?」
言われてみれば、と竜隋は感じた。竜家の祖は、墨画の龍を愛すあまり、幻像の龍を生み出したという。竜家の者は皆、龍に対する思いが強いから、龍を生み出せるのだ。
「思超とは、そういうものじゃよ。哲学を極めた者が扱える。そして、哲学の対象への理解と感情を深めることで、思超は無限に進化する」
司馬典はやや曲がった腰を強く押しながら。先ほど破壊した山の跡へ歩き出した。
「ついて来い。お前のような"希望ある鯉"は、そうそう居らんぞ」
竜隋は三秒その場で頭が真っ白になったが、その後すぐに、司馬典の後を歩き始めた。
「…はい!」
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(先生、俺は強くなった。だからその力を、先生が生きている間に使って恩返しがしたかった)
竜隋は折れた牢の檻を見つめる。閉鎖的な空間の中でも、竜隋は空を見ていた。
_____この力、先生の孫のために使うことをお許しください
竜隋は槍を持つと、司馬章の肩に手を乗せて、先に歩いた。
「行こうか。互いの因縁に終わりを着ける」
竜隋がそう言うと、司馬章は後ろの囚われていた者たちを見た。
「俺たちのことは良い。もう歩く力はあるんだ」
司馬章は軽く頷き、竜隋の後を追って階段を駆け上がった。
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一方その頃、王宮中央の間では、鄭回が衛兵たちを肉樹から庇ったので、鄭回は全身に肉樹を刺されていた。
「うう…ぐあぁ!」
「一突きを通さぬ固い皮膚も、捻じりながら突き刺していけば、少量といえど効くであろう」
楊国忠の言う通りだった。多方面から鄭回の皮膚に触れた肉樹は、回転しながら力を加えることで、皮膚を捻り破って体内に侵入した。
「そしてその肉樹は、人の血を吸う性質がある!」
鄭回の傷口から体内に侵入した肉樹は、血を吸い尽くしていく。吸い取られた血は、肉樹を介して楊国忠の身体に入り、鄭回から受けた打撲や骨の痛みを和らげて、瞬く間に楊国忠を回復させた。
血を吸い取られた鄭回は"心臓革命"の状態が解け、青ざめた顔をした。心拍のたびに咳き込み、歯はガチガチと音を鳴らす。
「鄭回!」
駆け寄った孫操備にも肉樹は容赦無く襲い掛かる。孫操備は、左手で鄭回を庇い、右手で肉樹を掴み、三等分された衝撃を両脚と鼻に移した。
「李光!鄭回を頼む!」
孫操備はそう言って鄭回を李光に向けて勢いよく転がすと、そのまま楊国忠に向かって飛び掛かった。
『三離量』
楊国忠の脚を掴み、筋肉や骨の密度を両足と頭蓋に集中分離させ、思い切って腹を殴る。耐久性を失った腹部には強力な衝撃が走り、一時的に楊国忠を後退させるも、横から生えてきた肉樹に弾き飛ばされてしまった。
「小癪な…貴様から死ぬか!」
吹っ飛ばされた孫操備は、少々よろつきながらも立ち上がる。行為そのものは勇敢だったが、動き方と釣り合っていなかった。
左右に小刻みに揺れる腕、濁音混じりの呼吸、孫操備は絶望を身体で表現していた。
後方の思超家たちも同じだ。皆、唯一の勝機を失い、楊国忠の力に屈する未来しか考えていなかった。




