第27話 それは恐怖で極悪
長安王宮南殿入り口のことである。
司馬章たちと旅をすると誓った・鄭回はガラ空きの門を堂々とくぐり抜け、王宮に侵入した。
門の側には横たわった衛兵たちが現実逃避の意思表示をしている。
「駄目だ…ここの警備を任されてんのに、二人も通してしまった…」
鄭回はバレてもすぐに逃げることができると感じ、平気な顔で南殿を歩き進もうとした。
そのとき、一人の衛兵が鄭回を引き止めた。
「ま、待て…!俺たちが仕事してないからって、勝手に通って良いワケじゃねェ…」
どうやら、この衛兵たちに敵意はなさそうだ。少し安心した鄭回は聞いた。
「どうしたんです?そんなに俺を引き止めたいならちゃんと槍構えて立ってくださいよ」
鄭回に怠慢を指摘された衛兵たちは、しぶしぶ腰を上げて槍を持つ。
「お、お前…思超家だな?」
「そうですけど」
「お、俺たちは敵じゃない…。お前がヤツと戦うためにここに来たのなら、話は不要とは思うが…頼み事があるんだ」
兵士たちは悔しさに溢れた言葉を吐いた。
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「楊国忠を倒してほしい?」
「あぁ!あの暴君を倒せるのは思超家しかいない!」
「俺はその楊国忠を倒しに来たのだが…しかし何故、楊国忠の部下のあなたが?」
兵士たちは皆、唇を強く噛み締めた。
「それは奴を討たなければ、国中の人間が苦しむからだ!」
「じゃあこれまでの楽しかった長安は…」
一人の兵士は、鄭回の言葉をさえぎる。
「いいから聞け!あれは、五年前のことだ…」
___今から五年前、俺は楊国忠とともに長安近くの村を通行した。
作物はのびのびと実り、人々の賑やかな声が聞こえる一方、耳を澄ませば小鳥の鳴き声が聞こえる…そんな平和な村だった。
俺は楊国忠の乗る馬車の左を歩いていた。村人たちは道を開け、頭を下げる。このまま何事もなく村を抜けるのかと思っていたときだった。
一人の子どもが蝶を追いかけて、馬車の前を横切った。
「蝶々さん待って〜」
あの子は三つくらいだろうか。とにかく幼く、無邪気だったので、さすがの楊国忠もこの子の行いを見逃してくれると思っていた。
左を向くと、その子の親らしき民が「おいバカ、やめろ」と言わんとばかりに驚いている。
そう、馬車の開かれた扉から溢れてきたのは平穏な空気ではなく、怒りの空気であった。
「馬を止めたのはお前か?悪童よ」
その顔に怖気ついたのか、その子どもは泣きそうになっていた。
咄嗟に、親らしき男が走って子どもを抱え、楊国忠の前でひざまずいた。
「さ、宰相様!コイツはまだ幼い故、どうかお許しを!」
親による必死の助命嘆願、幼く悪意なき子の怯えた顔、何もできずに立ちすくむ他の村人たち…楊国忠にはこの状況を憐れみ、免じて欲しかった。
「おい、甫。この悪童を殺れ」
なんと奴は子を許すどころか、この俺に処刑執行を命じてきたのだ。
「…は?え、ですが、恐れながら申し上げます!この子は幼く、例も知らぬのは当た…」
「オイ、お前の故郷の命100と、この悪童1つ…どちらが大事かを考えよ」
その言葉は、あまりに衝撃的だった。命は平等であり、決して差異の生まれる天秤にかけてはいけない。この考えはほとんどの人々にとって理想論であるが、ある程度の平等感を人間は持っているはずである。だが楊国忠にそんな感情など、なかったのだ。常に[命の価値]と書かれた天秤を目を埋めていて、人の命を軽視する。そしてその価値観を我々に伝染させてきた。
無論、俺も例外ではなかった。俺は少々葛藤しながらも、最終的には■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
俺は生まれ育った故郷を想う偽物の気持ちに従い、尊き小さな命を奪った。槍が子の肉体から引き抜かれるとき、俺の中で人生最大の罪悪感と苦しみが爆発して、声は出さなかったものの、滝のような涙を流していた。
一方、楊国忠は無表情を保っていた。いや、むしろ幼子の死を悲しむことも、罪意識が芽生えることもなく、喜んだような顔をしていた。
「何をしている。早う持ち場に戻らぬか」
楊国忠は子どもの死体を蹴り上げ、俺に命じたんだ。
「何ということを…」
「フン、小汚い小僧め。私の靴を汚しよって」
村人たちは、無慈悲な悪魔を見つめた。無慈悲な悪魔?確かに、楊国忠もそうかも知れないが、この時は俺が無慈悲な悪魔だった。
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「…それ以降、楊国忠だけはいつか討たねばならんと誓った」
話を終えた兵士は悔し涙を流していた。
「ま、アンタも悪いけどな。命令とはいえ」
鄭回が目線を上に向ける。
「あぁ。俺はあれから毎月、その子を弔いに行っているが、その度に石を投げられた。当然の報いだ」
鄭回はこの兵士に呆れておらず、むしろ心から同情した。先程の「アンタも悪い」という言葉を揉み消すように対象を変える。
「……アンタも悪いが、本当に石を投げるべき相手は楊国忠だ。他にもそんなことがあるんだろう。全部、話してくれ」
「あぁ。主にもう一つある。これも同年のことだが……」
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この年、西方世界の超大国・アッバース朝との戦争で失った人材を埋めるため、楊国忠とともに西部の村へ向かった。
この村は日照りの影響で耕地が荒れ果て、住民は皆痩せていた。あまりにも哀れなものだから、ここで引き返して欲しかった。
楊国忠はこの村の村長に伝えた。
「先月のアッバース朝との戦で西部の男を少々失ってしまった。西域に城を建てるための人材が不足してる故、この村の男を全て、徴集させて貰うぞ」
それを聞いた村長は驚いた。無理もない。タダでさえボロボロの状態である村に、唯一の働き手である男まで徴収されてしまえば、皆が飢え死ぬかもしれない。
「え!それでは困ります。この村はとても貧しく、男どもを失ってしもうたら、農業が成り立たず、多くの女子供が飢え死んでしまいます!」
俺の予想通り、村長は反対した。二人の話し合い…いや、村長の必死の説得の末、徴収の代わりに租税を多めに納めることで合致した。
はずだった。
ここからは奴の私兵から聞いた話になる。そいつの話によると、楊国忠はその日の夜、私兵を20人ほど引き連れて村にやって来た。兵士たちは皆、矢に火をつけていた。
「やれ」
奴の…楊国忠の合図で、私兵たちは火を放った。
これはなんのことか分かるか?
"限界まで搾り取った用済みの村の残りカスを、略奪する"ということだ。
これを語った私兵は良識があったらしく、略奪するフリをしながら村中を駆け回り、その惨状を目に焼き付けていたらしい。あちらこちらで家は焼かれ、物品はことごとく奪われていた。
「男は近隣の城に連行しろ!」
「女は好きに犯せ!」
「ガキは奴隷として売りとばすからどんどん捕まえろ!」
「老人は使えないから殺せ!」
他の私兵が発した声の一つ一つが悪魔のような声だったという。
翌朝、村は焼け野原になった。人はいない、家もない。そこにいたのは、死体好きのカラスとハゲワシのみだった。
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鄭回が話を聞き終えたとき、ふと頭に浮かんだことを口に出した。
「まさか…五年前に邯鄲で晒し首にされてたのは…」
「ん?今、なんと」
兵士たちはつばを飲み、鄭回の目を見つめる。
「五年前、俺が邯鄲にいたとき、興味本位で処刑場に来たことがあったんだ。そこで首が晒されていたのだが…そいつは西の偉い将だったらしい」
兵たちは顔を下げる。
「そいつはおそらく、俺たちが話した西部の村近くに城を構えていた節度使だ」
「…ということは!」
そう、楊国忠は農村襲撃の罪を辺境の節度使に被せて処刑することで、面子を保っていたのだ。
楊国忠の悪事を語っていた兵士が腰を上げる。
「…もう耐えられん。俺は一刻も早く楊国忠を討ち、国中の人間の幸せを勝ち取りたい!だからきょうりょ…」
「だからここにいるじゃないか。俺は楊国忠と戦いに来たんだ」
衛兵たちはよし、と拳を上げて小さく喜んだ。鄭回は、隊長かと思われる、悪事を語った兵士に聞く。
「名前は?」
「岳甫だ。よろしく頼む、思超家」
「思超家ではあるけど、そんな名前ではない。鄭回だ」
二人は互いに握手を交わした。
「先に言っておくが、岳甫さんらは思超家じゃない。思超堂の仲間から聞いた話だと、楊国忠は凶悪な思超を使えるという。悔しいかもしれないが、俺が中心となって戦わせてくれ」
「なるほど、思超家には思超家を…か」
目の前を塞ぐ敵がいない今、鄭回は衛兵たちを連れて血みどろの空間への歩みを進めていた。




