第25話 目的への疑問
司馬章が十歳のときである。彼は眠い目を擦り、夜遅くまで灯りがついていた部屋まで歩き、祖父・司馬典が鳥の絵を描いているのを見た。
真っ赤な鳥だなぁ。こんな鳥、見たことがない。
司馬章はそんなことを思い浮かべながら、鳥の絵を眺めていた。
「なんじゃ、まだ起きてたのか」
司馬典が振り向く。
司馬典は別の筆を取ろうとしたのか、立ち上がってその場を離れた。祖父の背中で見えなかった。
その時、絵の残りの部分も司馬章の目にははっきりと映る。
…なんて美しいのだろうか。
この"美しい"とは、雌鳥の性的な美しさでも、画風の芸術的な美しさではない。自分だけの美の世界が開けたのだ。
同時に、心臓が熱い。メラメラと燃えているような感覚がした。この鳥の紅い羽先から吹き出る炎に温められ、ゆっくりと心の老廃物が流れていく。
司馬章にとって、この鳥は浄土そのものだった。
司馬典が部屋に戻ってきた。
司馬章は早速、彼に尋ねる。
「じぃちゃん。この赤い鳥、なに?」
「あぁ、これはな…"朱雀"じゃよ」
朱雀。司馬章は初めて聞く言葉だった。聴き心地の良い発音を組み合わせた三文字"ス"、"ザ"、"ク"が耳の中を無限に回っている。
「古代中華より、"火の象徴"とされた霊獣の一つじゃ。だから、ワシら火を探求する思想家が憧れを抱く存在でもある」
司馬典は説明をする間に、絵を完成させた。司馬章はさらに近くに寄る。
「ほれ見ろ。お前はこれを見て、何を感じる?」
「えっ…」
突然の質問に司馬章は戸惑いをみせた。
「な〜に、何も感じなかったらそう言えば良いだけじゃ」
司馬章はもう一度、朱雀をよく見つめる。
「胸が…熱い…いや、あったかい」
司馬典は笑った。
「そうか、流石はワシの孫じゃ。お前もそう思うのだな」
司馬章は、祖父の言葉から、この感覚は自分だけのものではないことに驚いた。
____やはり、朱雀には人の心を温める力がある。
司馬章はそう感じた。
「朱雀さまはなァ、こんな逸話があるんじゃ。その昔、中華の家々を燃やして回る大悪人がいた。そいつはついに朱雀さまの怒りを買い、朱雀さまの炎で焼かれる刑に処された。じゃがその炎は大悪人の皮膚を傷つけたりはしなかった」
「えっ!?」
驚く司馬章の顔を横目に、司馬典は朱雀の胸に黄色い点を加えた。
「朱雀さまの炎は地獄の炎ではない。魂に纏わりついた闇を焼き落とす、"浄土"の炎だったんじゃよ」
浄土の…炎…
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司馬章は広げた両手を中央に寄せ、左手で右腕を掴んだ。
『朱雀浄羽』
司馬章の前で広がった炎は鳥の形になり、魏匠に向かって突進した。
『喰ゥ我ァ硬ァァァ!!!』
魏匠が金棒化した両腕で炎の鳥を潰しにかかる。
__両者の大技が激突し、周辺の瓦礫はさらに細かく砕けて宙を舞う。司馬章は左手で支えた右腕を伸ばしたまま、必死にその姿勢を保っている。
「お前の罪は全部ッ!俺が焼き払ってやるんだ!」
司馬章は右腕をねじった。かろうじて金棒の圧力に反発していた火の鳥は、一回転して魏匠に衝突した。
____戦いが終結した。周囲の民家は瓦礫とも呼べないくらいに砕け、地面には穴がいくつも空いていた。お互いの身体からは、煙が静かに消えていった。
___地面に倒れたのは、魏匠の方だった。
司馬章は倒れる魏匠を静かに見届けた。
敗者にかける言葉など侮辱と大差ない。死者なら尚更である。司馬章は黙ってボロボロの身体を引きずるように、その場を去ろうとした。
「見事…だぜ…」
魏匠が言葉を発した。消えゆく命の残り僅かを言葉に費やすつもりだった。
司馬章は去るのをやめ、再び魏匠の方に目を配った。
「"朱雀浄羽"は普通の炎とは違う。対象の身体を無残な姿に燃やしはせず、心臓を浄化するように焼く技だ」
(・・・・・・・・・・・・)
「安心しろ、お前の魂を地獄には行かせない」
司馬章は冠を留め直した。
「ったく…最期まで敬意を払いやがって。俺の命も長くない。最期に、てめぇに言いたいこと全部ぶつけてやるよ…」
魏匠は息を切らしながら言葉を放つ。
その場を離れて楽な最期を望んだが、魏匠の意志を汲み取ろうとする気持ちが勝ったのか、司馬章はそこに居座ることにした。
「じゃあ、1つ目だ。お前の旅の"本当の目的"とはなんだ?」
「言ったはずだ。天上王真理公子に復讐をするために俺の旅はある!」
魏匠はそれを聞くと、豪快に笑った。
「復讐か!…くだらねぇ!」
「何だと!?」
小馬鹿にされたようで、司馬章はカチンときた。
それに、最期に"旅の目的"なんかを俺から聞くのか…
そんな疑問も湧いた。
「それを成し遂げた後のことを、お前は何も考えてねぇだろ」
唐突に、そんな言葉が魏匠の口から出た。
司馬章に返す口もない。彼の未来設計は、天理を倒すところまでで終わっているからである。
「ガハハ、図星か!じゃ、今教えてやる。それを成し遂げた後のお前の姿を」
司馬章は息を飲んだ。信じたくない。自分の復讐が間違っている事実を、それを敵から知らされるなんて。
「…俺だ」
「…どういうことだ」
ありえない。天理を倒した後、俺は魏匠のようになるのか。
「ガハハ、それは乱晶について説明しないと分からないがな。お前たち、いやほとんどの人間が乱晶を"思超を悪用する悪党集団"だと思っている」
「当たり前だろう!反乱以前から、一体何人の人間をッ…」
怒り任せに物を言う司馬章を、魏匠が静止して話を続ける。
「いや、正解だ。お前の言う事が正しい。
だが、乱晶を結成し、あらゆる事件を起こした理由を奴らは知らない…」
乱晶の結成、思超悪用の原動力は、司馬章にとって一番不都合で、信じがたいものである。人は皆、自分の考えややり方を脳内で美化している…それに気づけるのは死ぬ間際なのかもしれない。
「それは…復讐だ」
「ふっ…復讐!?」
司馬章は膝を落とす。自分と乱晶は、同じ思考で動いていたのか…と。
「俺たちだって、生まれながらの罪人なんかじゃねぇ。裏切られたんだ。皆、この世界に」
まるで懺悔をするような声をしていた。
長安に長く住む者は分かる。彼は、かつて長安の衛兵隊長だったのだ。
「俺は元々、ここの衛兵隊長だった。だが、楊国忠や文官の連中に毛嫌いされ、虚偽の罪をかけられて引退させられた」
そのとき、魏匠は思い出したくもないことを思い出してしまった。
「かつて俺を慕っていた民衆も、俺が長安を去るとき、石を投げた」
「魏匠…」
司馬章は涙がこぼれそうになった。自分がその立場なら、耐えられなかっただろう。
魏匠ははじめから歪んでなんかいなかったんだ。
大勢の人間に裏切られ、見捨てられ、居場所を失ったから、こうなったんだ。
「同情しろとも思わねぇし、それを理由に罪人になっていい訳でもねぇ。だが、それをキッカケに俺は、長安の奴らに復讐を誓ったんだ…」
魏匠は顔を横に向ける。横には、魏匠の襲撃で崩れた民家や衛兵の死体が転がっていた。
「その結果が…これだ…」
(・・・・・・・・・・)
「他の奴らも、復讐に支配されちまってる。天理は分からんが、奴もまた、この世界を恨んでんだろう…」
人は復讐の生き物だ。なにか被害を受けると、小さな嫌がらせで返す者もいれば、大きな戦争で集団ごと虐殺して返す者もいる。結果として、それは規模のいかんに関わらず、すべて愚かで虚しい行為である。人が愚かなのではない。復讐が人を愚かにするのだ。
魏匠は司馬章を残念に思いながら、また口を開いた。
「お前もまた、俺たちと同じなんだよ。復讐のためだけに旅を続けて…」
「そ、それは…」
魏匠は曇った瞳で続けた。
いよいよ彼は死ぬのかもしれない。
「いいか、これだけは覚えておけ。たとえ相手がどんな極悪人だろうが、復讐しちまったら、ソイツはそれ以上の悪魔になる」
司馬章は黙り込んだ。
「もう一つ聞こう。もし、復讐を捨てて旅を続けるなら、お前は何を目的とする?」
司馬章は少し考える。魏匠の命がチリチリと消えゆく。彼が完全に死ぬ前に答えを出したかった。
俺の目的…
五秒経過した。いや、司馬章の体感で言えば十分もあるだろう。
ついに司馬章は話しだした。
「俺は……」
「__________」
「あ…」
魏匠は完全に死んだ。司馬章の真の目的は聞けなかったが、最終的に自分の罪を懺悔することができた。乱晶の仲間たちには申し訳ないが、乱晶としての魏匠も、思超家としての魏匠も、ここにて終演したのだった。最後の敵が司馬章で良かった。おかげで、本当に誇り高い人生を取り戻したのであった。
一方で司馬章は後悔した。旅の目的を言えずに、魏匠は去る。この思いは、誰に伝えたら良いのだろうか。
正直、彼は焦っていたため、抽象的な考えだけが頭を回っていた。
「俺は…目的を…考え直さねぇとな…」
司馬章は空に浮かぶ満月を見た。
魏匠の死を確認したのか、隠れていた衛兵たちが槍や剣を持って走ってきた。
「よくぞ魏匠を倒してくれた!」
「…」
司馬章は黙ったままだ。他の衛兵が魏匠の死体を槍で突いた。
「よしお前ら!コイツの死体を八つ裂きにしろ!後日晒すぞ!」
衛兵たちが魏匠の周りに群がろうとした瞬間だった。
「やめろ!」
司馬章は大声で叫んだ。怒りに満ちた声、当然だ。
彼は疲れているせいか、叫んだあとに過呼吸を始めた。
衛兵たちは驚いている。魏匠との戦いで重傷を負った彼からはなぜ、魏匠への憎しみが感じられないのか。
司馬章は衛兵たちに背を向け、王宮の方へ歩き出した。
「コイツも…かつては誇り高き衛兵だったこと、忘れないでください…」
司馬章はそう言い残した。
すべてが終わったとき、彼の頭の中で、魏匠の言葉が復唱された。同時に、かつての記憶がふと脳裏に浮かんで来た。
「本―の炎は―う。本―の炎と―、情―と、―望。憧れ―い――の、―り――もの、超―たい壁――に――る―情。――て、誰―から奪―た―、苦し―――りする――を望む――で―ない」
明確には覚えていない。所々で、文の中の文字が欠けたように、声に穴が空く。いつ、このような言葉を受けたのかも覚えていない。
一つだけ、覚えていることがある。この言葉を放ったのは、司馬典だということだ。




