第24話 朱雀浄羽
孫操備たちが楊国忠と戦っている頃、司馬章は覚悟を決めて"炎壁"を解こうとしていた。
____再戦の準備は整った。
司馬章は目を瞑り、炎壁に手を当てる。メラメラと燃える炎の壁は、上から徐々に消え去っていく。
炎と空の境界線が地に達したとき、遠くで淡々と民家を破壊していた魏匠が司馬章の気配に気付いた。
「おお!待ってたぜぇ〜!!」
魏匠は嬉しそうに豪快に笑う。しかし、司馬章からすると半分怒っているようにも感じた。きっと少し、ほんの少しではあるが、戦闘を中断し、待たせていた。それが再戦を喜ぶ反面、戦えないことへ怒っている魏匠にしてしまった。
今の彼は、戦闘に飢えている。炎壁に守られていた間に司馬章が何もしなければ、解除後すぐに死んでいたかも知れない。
司馬章の予想は当たった。魏匠は血管が浮き出るほどに怒っていた。
「じゃあ、待たせた分、すんげぇ痛みで殺してやるよ」
魏匠は指をポキポキと鳴らす。ポキポキというよりは、鉄の棒が折れる音に近い。
魏匠はただでさえ強い。もともと長安の護衛隊長だ。この時点で力負けする。加えて、『鉄筋論』という強力な思超も兼ね備えている。わずかな時間で策を考えた司馬章に勝機があるとも言い難い。
そして今、再び司馬章に不利と思われる戦局に傾いた。魏匠がまた、"喰我硬"を使ったのである。
だが司馬章は逃げなかった。両手を金棒にして迫ってくる魏匠相手に怯むことなく頭の冠(後頭部の髪を丸くまとめる布)の紐を外した。真っ黒に輝く髪がサラサラと彼の左前方に流れる。司馬章はそれを掴んで、地面に落ちていた小刀で髪を切った。
「…そうか!死ぬ直前に出家しようってか!」
魏匠は司馬章を馬鹿にしながら金棒を振り回す。魏匠にとって、彼は敗北と死を覚悟している行動にしか見えない。仮に、この場に李光や孫操備がいても、魏匠と同じ思考になるだろう。彼の行動は、今この瞬間、彼にしか理解できない。
そして魏匠は司馬章の頭めがけて、金棒と化した両腕を振り挟む。
司馬章は切った髪を掴んだだけで、何もしない。
…まだだ。
…焦るな。焦れば金棒に突かれて死ぬ。
…遅れるな。遅れれば、頭部を真っ赤に壊されて死ぬ。
『喰我硬!!』
魏匠の金棒が司馬章の頭を終点として振り挟もうとしたとき、司馬章は大きくしゃがんだ。だが、前回と同じようにしゃがんだのではない。ただしゃがむだけでは、次の技に備えるのが大変だ。
だから、司馬章は"二回目の喰我硬"が来ないように、しゃがむ瞬間に、切った髪を高温の炎で燃やしながら少し上に投げ上げた。投げ上げられた髪は二つの金棒に挟まれたときにさらに高温で燃えたことで、金棒の表面を半液状に溶かし、二つの金棒をくっつけたのだ。
魏匠はそれに気づくと、急いで両腕を外に開いて融合部分を断ち切ろうとする。かなり前のめりになったのか、気がつくと魏匠よりも司馬章のほうが高い位置に顔が上がり、彼が魏匠を見下ろす立場になっていた。
「俺は溶けかけの鉄屑を見て、自分の炎なら鉄を溶かせると理解した。だから先ほど、お前が金棒を内側に振る瞬間、高温の炎に包まれた髪でお前の金棒を瞬時に溶かし、融合するのを狙ったんだ!」
くそ!あの壁ぶち壊してもヤツを引っ張り出せばよかった。と、魏匠は後悔した。だが、今はこのくっついた腕(金棒)を外すことが優先だ。魏匠の思超は腕から鉄でできた何かに変化させることはできたが、へばりついた両金棒を元の腕にすることは出来ないようだ。
魏匠は焦るように腕に力を入れる。それも、震えるような小刻みな動きで。
この好機、司馬章が逃すはずはない。彼は両腕に炎を纏った。
…非常識とは言わねぇよ。俺がテメェでもそうしていた。魏匠は、そんな言葉を頭に浮かべて司馬章の方を向いた。
『炎打!!』
司馬章の熱い拳が何度も魏匠を襲う。『炎打』の名の通り、炎を打ち込むような感覚で司馬章は殴り続けた。
「うおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
今使えるすべての攻撃手段の中で、一撃で敵を倒せる技はあるか?いや、あるはずがない。だから、これ以上出せないくらいに技は出し続けるんだ。司馬章は心でそう唱えて殴り続けた。
戦いは悲惨なものである。司馬章だって、反乱さえなければ、祖父の教えのもとに立派な思超家になって、炎の術を学問中心に使っていたはずだ。旅をしてから、司馬章は思超を覚えた。だが、それは戦うことにしか使わなかった。復讐をするために仕方が無いことなのだが、学者であった自分が今こうして戦っていることが辛かった。この戦いは、初めて自分の限界を超え、自分の心をいじめたのだ。
司馬章は全身がひどく傷んでいることに気づきながらも、攻撃の手を緩めなかった。それは勇気であり、小さな穴犠牲であった。
「おおおおおおおおおおおぁ!!!!!!!!」
そして司馬章は、魏匠を吹っ飛ばした。限界まで追い込まれた腕が反発して、想像以上の力を発揮したのだろうか。とにかく、魏匠は多く見積もって五歩(8メートル)ほど飛ばされ、瓦礫に叩きつけられた。魏匠と強く衝突した瓦礫からは土煙が舞う。
司馬章はありったけの力を振り絞って魏匠を吹っ飛ばした。彼はもう、死んでいるだろう。生きていたとしても、自分と戦えるほどの状態ではない。そう信じて、司馬章はトボトボと王宮に向かって歩こうとしていた。
「待っ…てろ。操備、李光…。今すぐ、行くからな!」
何故だろうか。友のことを想うと、自然と元気が戻って来る。くたびれた肉は緩み、熱と土で汚れた皮膚は汗とともに流れ落ちる。魏匠と戦う前の自分に戻った気がした。
行こう、友の待つ戦場へ。司馬章は歩みを進める。もう怖いものは何も無いなんてことはないが、心が折れる度に、友が治してくれるのだ。友のことを考えるだけで、恐怖は克服できるのだ。そんな友を、ここで失うわけにはいかない。
その時だった。背後の瓦礫から音が鳴った。人が出てくる音だ。司馬章は振り返る。
まさか…
そのまさかである。あの男は瓦礫の中から脱出し、くっついていた金棒の腕も真っ二つに引き剥がした。
「ハァ、ハァ!!こんなに俺の闘争心を掻き立てたのはてめぇが初めてだ!!武人でもなんでもない、ただの思超家のお前が!」
魏匠は喜んでいた。それは、強者に会えた喜びというより、短時間で弱者との戦いと強者との戦いを同時に行えたことへの喜びであった。
「だが、この俺を超えることは出来ない!俺の勝利で終わる!」
魏匠はそう言うと、地面に拳を当てた。地面には、拳の跡がはっきりと刻まれており、まるでここからが本番であるかのような力加減を示していた。
「構えろ!司馬章!てめぇの息の根はこの俺が止めてやる!」
「…来い!」
…ここで決着をつけるんだ。
俺が不利なとき、俺は炎の壁に籠もって凌いだが、アイツが不利なとき、アイツは逃げも隠れもしなかった。スゴイや、魏匠。命を賭ける戦いなのに、こんなにも敵に敬意を感じたことはなかった。
だからこそ、お前をここで倒す
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お互いはしばらく間合いを取り合うと、ほぼ同時に攻撃を開始した。
『炎打!!』
『鉄骨拳!!』
魏匠の力強い無作為な拳を、司馬章の反射的な拳で受け止める。
「言っとくが、てめぇの旅はここで終わりだ!」
魏匠が言う。
「この旅は終わりなんかじゃない!祖父の意志を汲み上げる、始まりなんだあああっ!」
司馬章が反論する。この意志こそが、司馬章の戦いの原動力なのだ。
だが、意志という抽象的な言葉で勝負が片付くことはない。物理的な面で見ると、炎を纏ったただの拳が鉄の質量を持った拳とぶつかれば、明らかに前者のほうが痛い。
先程の戦いから続いていたことだが、司馬章の手は真っ赤に腫れていた。彼は、それを必死に堪えていたのだ。
拳のぶつかり合いが続く中、魏匠は司馬章の腕に異変が起きたことを分かった。
「ガハハ!痛がってんじゃねぇか!なぜ一度退かねぇ!」
この魏匠の問いに司馬章は胸を張って答えた。
「ここで退くもんか!俺は最後まで、お前を侮辱した戦いはしない!」
「じゃあこの技でも逃げるなよ!!」
そう言って魏匠は両腕を再び金棒に変えた。
「また来るか、"喰我硬"!!」
来る。これで三度目だ。
司馬章はこの技の出し合いで戦いが終わると感じた。
きっと、魏匠はアレで終わらせようとしている。
ならば、こちらも最後の技を出そう。
「あばよ!なかなか楽しかったぜ!司馬章ォ!ガハハハハハハハ!!」
魏匠が別れの挨拶を早めに伝える。
司馬章は両手を広げ、指先から三歩(4m〜5mほど)まで炎を広げた。
じゃあな、魏匠
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『朱雀浄羽』
司馬章は、そう呟いた。




