第23話 欲の世界
諸葛允は卓上の駒で渦を描いた。斜線陣を迎え撃つため(楊国忠から見て)右側に迎撃が偏ってしまった肉樹はすべて、大きな駒々の回転に飲み込まれ、小さな肉の塊に分解された。
これが"車懸りの陣"である。車輪が回転するように次から次へと新手の部隊が攻撃をするため、他の陣形より攻撃力を発揮しやすい。諸葛允はこれを敵の目前で行うことで、限界まで先が読めないようにしたのだ。
「流石は兵法家!孫氏の血筋も口先だけではなかったようだな!」
楊国忠は笑いながらヒゲを撫でる。前衛の肉樹を粉砕した駒々が今度は三角形に集合して、突撃した。
「魚鱗の陣で食い込め!」
諸葛允は卓上の駒を三角形に揃え集めて前に滑らせた。左手の指はさらに速く動いている。
駒は矢のような速さで楊国忠の頭に衝突した。駒のの重みで楊国忠の後頭部を支えていた椅子の背もたれが強く割れた音がした。同時に、楊国忠は額から血を吹き出し、後方へ頭から倒れる。
孫操備と李光は顔を真っ赤にした。まるで、諸葛允に憧れ過ぎて恋している疑いのある顔だ。李光に至っては白目になっていた。
「まさか、こんなんで終わったわけじゃないだろう。だが、お前は武人ではない。次にこれを喰らえば死ぬ」
諸葛允は一瞬ためらったが、一呼吸終えると言葉を続けた。
「今すぐに環境をもとに戻せ。今宵で宰相を辞め、地下牢に入ると誓え。そうしたら命までは奪わん」
情けの言葉をかけてはいたが、唇からは血が出ていた。許せなかったのだろう。思超を使って裏で悪事を働いていたこと、保身と権力のためだけに大罪人の天理と手を組んだこと、人より優れても尚、人のために尽くす思超家を見下し、思超堂を冷遇したこと。楊国忠の行動すべてが諸葛允の離反動機になっていた。
楊国忠はこのような状況下に置かれても、悪意ある笑みを浮かべていた。いや、このような状況下に置かれている故に喜びが止まらないのだった。
「貧相な身体をしておるくせに…よくここまで耐えられたものよ!」
なんだと!?なんて言葉は返って来なかった。
諸葛允は楊国忠の言葉を最後まで聞かずに、地面に横たわっていた。
「え!?諸葛允さん!?」
孫操備は驚きのあまり、危険を顧みずに諸葛允のもとに駆け寄った。だが楊国忠は、諸葛允をエサに孫操備を攻撃しようと思わない。ブツブツと何かを喋っていた。
「ひぃ〜、ふぅ〜、みぃ〜、」
孫操備は諸葛允の顔を観察した。彼は気持ち良さそうに寝ているような顔にも似ていれば、すべてを放棄した絶望の顔にも似ていた。
「なんで、なんでこうなったんだ…!」
孫操備の顔は貧乏ゆすりのように震え、真顔と笑顔が交差した。
ハハッ
笑顔になる度に無意識に声が出る。
「コイツが倒れたのは酒だ。この"酒池肉林空間"は発動後に一秒ごと、空気中の酒の濃度が増しておる。具体的にどれほど増したのかは知らぬが、発動後一刻が経過したとき、私以外のすべての生物が死ぬ程の酒の濃度に達する」
(一刻とはおよそ15分)楊国忠がこの説明をしている時間は、酒池肉林空間が生成されてから四半刻が経過していた。並の人間はここで酔いつぶれて倒れる。楊国忠の話を聞き、孫操備がそれを理解した瞬間、孫操備も酒に酔って倒れた。
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楊国忠は快楽の絶頂を全身全霊で感じていた。従姉妹を利用して政界に参戦し、皇帝から様々な権利と富を得た。私兵で密かに略奪を行っては、隠蔽する。天理に出会ってからは、超人的な能力・思超を獲得した。それを悪用しては権力と私財を肥やす。これほどまでに贅沢な人生があるものか。彼はそう感じていた。
「人間には、食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求が存在する。だが、私はそれらを遥かに上回る欲望があった。…………………"堕落欲"だ!!!!!!!」
弱者を犠牲に至福の時間を過ごす。弱者の有り様を差別的な目で鑑賞しながら椅子に座り続ける。それが楊国忠の求めていた人生の完成体。それがもうすぐ叶うのだ。
彼は明日には王になる。皇帝とその妃がいない長安で、人々は彼に服従せざるを得なくなるだろう。
彼は来月には皇帝になる。王都を見捨てて逃げた無能皇帝は、対照的に王都を襲う賊軍どもを返り討ちにした彼に、その地位を禅譲せざるを得なくなるだろう。
彼は今年中に神となる。弱者には考えられないようなな圧政を敷いて、反乱の希望すら見せない社会…すなわち楊国忠だけが永久に安堵できる社会が完成されるだろう。
もちろん、ここまで来るのに相当の努力を重ねてきた。だが彼は、後世で「人類史上、最も堕落を極めた人」として語り継がれる自分像にうっとりしていた。
誰にも越えられない、堕落の壁に私が立つのだ。
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孫操備、李光、諸葛允、子兎魯の四人は楊国忠の下で倒れている。楊国忠にとっての、邪魔者が倒れたのだ。
「もはや私の道を阻むものはいない!地獄の紂王よ、見ているか!私は今、お前の求めていた永久の堕落にいるぞ!私こそが、堕落そのものなのだァァァ!!!」
楊国忠は笑った。
過去最高に清々しく笑った。
このまま日が昇るまで笑おう。邪魔者はもう少しで完全に死ぬのだから。
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長安王宮・西殿前
そこには、十名ほどの兵士たちが深刻な顔で話し合っていた。全員、ここの衛兵らしい。話の内容は、反乱軍への恐怖、魏匠への対処、孟寧から市民を如何にして守るかについてだったが、一人が少しだけ論点をずらすと、二、三人が補足してズレを広げた。やがて話がバラバラになったが、しばらくすると、別の一つの話題に統一された。
今後、長安はどうなっていくのだろうか。についてである。
長安の市民たちは、絶望の未来しか待っていない。反乱軍に命を奪われるのか、楊国忠一人の贅沢のためだけに命を削りながら捧げるのか。長安衛兵として、楊国忠の護衛も担当しなければならないが、思想までは擁護できない。皆、楊国忠に大きな不満があったのだ。




