第20話 兵法家
孫操備は李光を連れて王宮南殿に向かっていた。長安の住民たちの避難が着々と進む中で、いよいよ敵との戦闘に備えた顔をしている兵士たちが、門の前に6人ほど立ち塞がる。
「何者だ!」
一人の衛兵が声を荒げた。一人ひとりの表情が徐々にこわばる。
孫操備たちに答える義理はなかった。彼は黙って一人の衛兵に近づき、『三離防』で打撃に反発する力を分散させながら蹴り飛ばした。屈強な衛兵がまるで人形のように軽く飛ばされる。
そして孫操備は『三垂行』で蹴り飛ばした衛兵たちに少し追い討ちをかけると、李光とともに去ろうとしている。
すぐさま、衛兵たちは槍を構えなおして二人を追いかけようとしたが、上手く立ち上がることが出来ずにいた。立ち上がった者も、走り出そうと足を一歩踏み出しただけで転んでしまった。
「思うように進めない!」
ごめんね。
と、いわんばかりに孫操備は一瞬振り返り、手を合わせながらペコッと頭を下げた。
「孫操備、今のも新しい技か?」
李光が興味津々に聞く。魏匠との戦いで疲れていた顔が嘘のようだ。
「三垂行は身体を支える力を三つに分散する技だ。普段、頭上から垂直に棒が刺さってるとしよう。この技を受けたやつは頭と両肩の三箇所に棒が刺さったような感覚になるんだ。この棒は姿勢を意味する」
つまり、姿勢という頭上から垂直に刺さっている棒が三つに分裂し、両肩に二つが移ることで身体のバランスが取れなくなるのだ。
「もちろん、しばらくしたら効果は解かれる。それまでは彼らに我慢してもらおう!」
「そうだな」
二人が南殿を抜け、中央との連絡通路に入りかかろうとしたときだった。
扉の前で宙に浮く碁盤を触っている一人の男が二人の前に立ちはだかった。二十代後半だろうか。いずれにせよ、彼の背後からは異常な闘気が湧き出ていた。
二人は互いの顔を見合わせた。しかし、「あの人と知り合い」だというような表情ではなかった。
男はニヤリと笑い、碁盤上の駒を一つ前に滑り進めた。
「君らの実力、見せてもらおうか」
李光は孫操備の方に巨大な駒が進んでいることに気づき、声を出そうとしたが、手遅れだった。
大きな駒が孫操備の頭上に直撃し、孫操備がその場に倒れる。彼はこめかみから血を流し、泡を吹いた。
「孫操備!」
李光にも容赦なく駒が飛んでくる。だが李光は痛む身体に電流を流し、襲いかかる駒に拳を突き出した。
『雷兵撃!』
雷の拳が駒を受け止める。彼は向かってくるすべての駒を弾き返した。次は男の番だ。李光は孫操備を起こすと、男に飛びかかった。
男は反撃する様子もなく、かといって逃げる素振りもなかった。李光の拳が彼の鼻先に近づいたときに、男は両手を上げて、降参の合図を見せた。
「君たちの実力はよく分かった。私は味方だ」
二人は手を止めた。一体どういうことだろうか、二人は混乱した表情をしながら顔を見合わせた。
「味方…?」
「あぁ、悪いけど実力を試した。君たちが楊国忠を倒せるかどうかのね」
男の顔には安心感があった。やはり楊国忠という国の要人を敵とみなす彼らにとって、衛兵という敵だらけの空間に置かれていたからだろう。そんな中、男の言葉には、なにやら安心できるものがあった。
「私は兵法家 兼 思超家の諸葛允だ。よろしく」
諸葛允はニコッと笑った。先程の闘気が嘘のようだ。操備が油断していたとは言え、一撃で戦闘不能にした諸葛允はおそらく、司馬章も含めた自分たちよりも強いだろうと李光は感じた。
思超家に詳しい孫操備が諸葛允を李光に紹介した。
「李光!諸葛允って、三国時代の名軍師・諸葛亮孔明の子孫で現代(唐の時代)の孫氏と呼ばれる、あの諸葛允だよ!」
李光がそれをきっかけに思い出す。
「そうだ!俺以上に思超堂で多く話題に上がった名前のヤツ!アンタ、こんなに有名人なのになんで思超堂に来なかったんだよ!」
「ごめんよ。訳あって、行く暇がなかったんだ」
「訳?」
諸葛允は思超堂について語りだした。
「私は楊国忠直属の思超家なんだ。思超堂の必要な金を楊国忠から貰う代わりに仕えていたんだ。だが、金を貰うと言っても、思超堂の存続に足りるか分からないほどの少ない金しか貰えなかった。もっと金を求めれば、さらなる働きを求められる。それに見合った働きをすれば、資金援助の口約束だけされて忘れられる…その繰り返しだ」
孫操備が周りを見渡した。楊国忠の間者が近くにいるかも知れない。それに、裏切り者の諸葛允が自分立ちよりも先に命が狙われる可能性が高い。彼の話を聞きながら、孫操備は警戒していた。
「そして奴は思超堂の破壊を裏で計画していた。だから私は一月前から、裏切ろうと決めたんだ」
李光が嬉しそうに聞く。
「ってことは、一緒に戦ってくれるのか!?」
「もちろん!と、言いたいところだが、急いだほうがいい。既に仲間が楊国忠と戦っているんだ」
もう一人の仲間、その言葉に二人は目を丸くした。味方の多さによる喜びと、既に衝突している驚きが混同していた。
「もう一人の仲間?」
「あぁ。道家の子兎魯だ。彼もまた、楊国忠に反旗を翻した思超家だよ」
道家とは、諸子百家の一つ。春秋時代の哲学者、老子の説を奉じた者たちの総称である。万物生成の原理である道の思想を基礎に、無為自然による処世を説いた。
李光や孫操備の掲げる思想は完全に個人用の、言い換えれば他に奉じる者がいない又はごく僅かな思想であるのに比べ、子兎魯の思想は太古より多くの人が奉じていた中華の代表的な思想の一つである。
「あいつのことだ。もうしばらくは耐えてくれると思うよ」
その諸葛允の言葉に二人は焦った。
「ちょっと待てよ!?耐えてくれるって…負ける前提じゃないか!?」
「何を言ってるんだい?勝てるわけないじゃないか」
諸葛允はきょとんとした目で李光を見ている。
「李光。つまり、楊国忠は僕たちの想像を遥かに超える強さがあるということだよ」
孫操備がうつ向いて伝えた。
「大丈夫さ。子兎魯が倒れる前に私らが参戦すれば楊国忠にも勝てる」
諸葛允が北を向いた。まるで、王宮中央で楊国忠と戦っている子兎魯に期待と願いをかけている目だった。




