第2話 旅と友
洛陽と長安の間の道中にて。
司馬章は、古びた文書を一心不乱に書き写し終えた。自らの手で炎論の内容を読み解くには、随分と時間がかかった。しかし、ただ左手を差し出すだけでは、あの記されていた炎の力は現れなかった。
「自然に出るものではないのか…やっぱりインチキじゃないか」
と、彼は声を荒げながら、肩を落とした。
思超をうまく使えないと思った彼の心中には、一つの決意が芽生えていた。
「この俺に残された道は一つ。他の思超家の力を借りて、天理を倒すしかない!」
彼は決意を新たにし、一刻も早く仲間を集めるために身支度を整えた。
その時、村で出会った一人の老いた男が声をかけてきた。
「道中、気を付けなさい。最近はいろいろと物騒でね。都市にも田舎にも盗賊がうじゃうじゃいるんだよ」
老男の言葉には、重みがあった。反乱以降、国全体が混乱に陥り、犯罪が一層横行している現実を反映している。
「ありがとうございます」
と、司馬章は頭を下げ、長安に向かって足を踏み出した。
道中、幸運にも盗賊に遭遇することはなかった。かように運が良い日は稀であった。そして、司馬章は時には歩き、時には馬車を借りて、村を出発してから三ヶ月ほどの月日をかけて、ついに長安に辿り着いた。本来なら洛陽から長安までは二十日ほどで着くのだが、見知らぬ地への不安や唯一の家族だった祖父を失った喪失感がなかなか離れなかったからか、事あるごとに近くの村で腰を休めていたため、三ヶ月も経ってしまったのだ。
「こっ、これが…長安!」
水無月の一日目、司馬章は感動に浸りながら、ついに彼の目の前に広がる景色を見つめた。彼が目にしたのは、洛陽のそれよりも遥かに立派な城壁と、その外からでも聞こえる賑やかな音色だった。
この広大な土地こそが、中華最大の都市・長安なのだ。
門番の承認を受けて、巨大な門がゆっくりと開かれていく。
「開門ッ!」という合図に続いて、扉がギィギィと不気味な音を立てながら開く。すると、その奥には魅力的な光景が広がっていた。
「おおおおっ!」
司馬章は、久しぶりに目にする大都市に思わず声を上げた。乱が起こったとはいえ、長安自体には直接の被害がなかったため、市民たちは依然として賑やかに声を上げ、数多の品々が行き交っている様子が見受けられた。かつての故郷・洛陽を思い出させる、輝かしい日々の光景だった。
「かつての故郷を思い出すと、何とも言えない気持ちになるなぁ」
と、彼はふと感慨にふけった。しかし、気を抜く暇もなく、長安の治安がすこぶる良いわけではないことを思い出した。しばらく歩くうちに、彼は人気の少ない路地裏に迷い込み…
「よぉ、若ぇの。金目のもの持ってるよな?」
突然、三人の不良たちが目の前に立ちはだかった。
司馬章はその場に動揺を隠せなかった。彼は身体能力が非常に低く、喧嘩などもまるで勝てる気配がなかった。
「ま、待て。そんなに金は持ってねぇって」
必死に言い訳するも、
「んじゃ着ぐるみ剥がして帰んな!」
と、彼の仮面を剥がすように、暴漢たちは剣を抜き、彼に斬りかかろうとする。
(ま、まずい…!)
危険を感じたその瞬間、運命のいたずらが起こった。司馬章が絶望的に顔を守るために腕を出すと、彼の手から驚くべきことに炎がほとばしり出た。その火花は瞬時に暴漢たちの手を焼き焦がした。
「熱っ!ちぃ!」
と、思わず悲鳴を上げながら、暴漢たちは痛みに慌てふためく。彼らは驚愕に駆られ、逃げ出すことしかできなかった。
(………?)
司馬章は、自らが意図せず放った炎に驚き、目を丸くした。出したいと願っても出せなかった炎が、今この瞬間、まるで彼の意志とは無関係に放たれたのだ。
「コイツ、思超家だ!逃げろ!」
一人の暴漢が叫ぶ。
「他を当たるぞ!」
その声が響き渡り、三人は尻尾を巻いて逃げ去った。
「???」
司馬章は状況を理解し切れず、戸惑いながら呆然と立ち尽くした。彼に降りかかった危機が、彼の思わぬ能力の発現によって無事に解決したのだから、当然である。
「へー。君、やるじゃん」
その時、彼の耳に明るい声が響いた。同い年くらいの少年が、柔らかい笑顔で近づいてきた。焦りや恐怖は消え、彼には敵意がないことがどこか安心感を与えた。
「……君は?」
司馬章は不安を抱えながら訊ねる。
「僕は孫操備だよ。君と同じ思超家だ」
と、青年はさわやかな笑みを浮かべながら自己紹介をした。そして、彼は司馬章の手を優しく引っ張り、立ち上がらせた。
「よいしょっと」
「ありがとう」
と、司馬章はほんの少しだけ微笑んだ。同じ思超家として、彼が思超を使える条件を知っているかもしれないと考え、質問を続ける。
「操備、教えてほしい。今の炎はなぜ使えた?」
「え?自分が思超家だったって知らなかったの!?」
孫操備は驚いた表情を浮かべる。
「いや、思超家は自分の血で書を書いたらなれるって聞いたけど、書いたあとは炎を出そうと思っても出なくて…」
司馬章は、自らの思いを必死に語った。
孫操備はふと思い当たった様子で言った。
「その時、書いた書はどこにやった?」
「近くの机に置いたけど…」
司馬章は言葉を続けようとしたが、操備は彼の言葉を遮るように説明を始める。
「思超は、自分の書いた思超書を常に持っていないと使えないよ」
「え!?(何でそれを言わなかったんだよ、じいちゃん!)」
司馬章は心の中で叫んだ。
「君の腰に巻いてる袋の中に思超書があるだろう。今、君は思超書を身に着けているから思超を使えたが、もしそれを腰から外してしまったら、何も使えなくなってしまうんだ。」
司馬章は自らの腰にかけた袋に手を当て、指でなぞった。
「そうだったのか」
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「君、名前は?」
「俺は司馬章。洛陽出身の炎を操る思超家だ」
「よろしく」
と子供のような無邪気さを漂わせて、二人は握手を交わした。
「操備、俺と旅に出てほしい」
と、司馬章は思いを口にした。
「急になんで?」
驚きつつ、操備は問い返した。
「俺は天上王真理公子という男に祖父と故郷を奪われた。奴は俺に、復讐をしに来い。と伝えて去ったんだ」
(天上王真理公子…反乱軍の思超家か)
「今すぐにでも復讐したいが、今の俺じゃ勝てない。だから、思超家の仲間を集めて奴に会おうと思う」
司馬章は冷静に話した。孫操備は終始黙って聞いていたが、口を開いた。
「僕を…天理を倒すための旅に連れて行くのか」
「俺のワガママだ。厳しい旅になる。無理して旅に誘おうとはしないよ」
孫操備の目がキラリと輝く。
「その話、乗った」
「本当か!」
彼は続けた。
「どんな危険な旅でも、どんな理由でも構わない。旅をして見たいんだ」
司馬章は安堵と喜びに胸がいっぱいになった。二人は、互いに目標を共有する仲間となり、これからの旅の希望に胸をふくらませた。
「でも、仲間を集めるって言ったけど、他にはどうするつもりなんだ?」
操備が尋ねる。
「長安には、仲間になるかもしれない思超家が集まっていると噂がある。まずは彼らを探し出し、協力を求めるつもりだ。自らの力だけではどうにもならないから」
と司馬章は決意を示した。
「それなら、まずは思超堂に行こう。あそこの情報は豊富だから、良い仲間を見つけられるかもしれない」と操備が提案した。
「よし、行こう。きっと良い仲間が待っている」
と司馬章は応じ、二人は思超堂へと足を運んだ。
「…よろしく、孫操備」