【赤ペンとアイドル適正】
自宅に帰り自室の定位置。ベッドに背中を預けてテーブルに向かい、返却された例の紙を開く。
有希との帰り道でこの紙にどう赤ペンを入れられていたのかという話しには一切ならなかったのは、お互いが競争相手でもあるということを一次審査の時以上に意識していたからだと思う。
例えばここで二人とも落ちていたら、思い出も思い入れも何も根付いていないこの状態、きっと明日からはここまで引っ付きはしなくなる。それだけ私たちは薄く賢い縁を結んでそれなりに充実した日々を送ってきた。
……高校生の男子のような字だ。
壮大な脳内から想像していた達筆とはかけ離れたその赤字に魅了されながら、彼の魂胆を読み解く作業に没頭する。
自信のあった特技の欄には二重丸が付き「動画の出だしを英語で、なるべく難しい言葉を選んで」とある。
意外だったのが趣味。悩みに悩んで半ば適当に書いた、趣味【勉強】。
そこには花丸が大きく付けられ「とても良い!ここを推そう!」と具体的な策ではなく単なる感想が興奮気味に添えられている。他にもPR動画を作るにあたってであったり、きっと個人的な感想なんだろうと思うような赤文字がちらほらと雑に綴られて感極まる。
ただ、唯一の違和感が一つ。
各項目の総括のような自己PRにも同じような部分に同じようなコメントが書き込まれている中、小学生の頃からリンクさんのプロデュースするアイドルに憧れていてこのオーディションを受けることにしたという部分は上から赤線を二重に引かれ、潰されていた。
赤ペンを参考にしながら一分に収まる、一分をしっかり使った原稿を作って何度も何度も部屋で一人リハーサルを重ねる日々を送る。
編集なんて凝ったことをできる技術を持ち合わせてはいないので一発撮り。どの動画も羞恥心なしでは見られず、没になった動画がフォルダにどんどん溜まっていって、心を落ち着かせるために机に向かって参考書を開き、無心で数式を解き歴史を学ぶ。
そんな日々のある一日、有希に撮影の手伝いを頼まれた。
「美咲ちゃんはただカメラ構えて立っててくれればいいよ。シラティは合図したらこの曲を流してほしい」
放課後、学校をバックに立ち位置やカメラに映る自分を確認する有希は普段と何も変わらない。変わらす可愛らしく整えられている。
下校や部活等、様々な目的を持ってここを道とする生徒が彼女を避けて行き交い好奇の目に晒されているのにも関わらず有希は堂々とそこに存在している。
「何するの? 」
「普通に踊るよ~。フルで踊り切るから、もし私が間違ったり止まったりしてもカメラも曲も止めないでね」
カメラの映りを確認しに私たちの元へやってきた有希に尋ねるとそう言って、入念にチェックしたベストの立ち位置に戻っていく。印をつけたその位置に立ち小さく一息つくとこちらに向き直って大きく丸を作って見せた。カメラの録画ボタンを押す。
「……カメラ押したよ」
「え、めっちゃ周りに人いるんだけど良いんかな」
シラティが動揺しながらも曲の再生ボタンを押す。流れてきたのは去年の日本ミュージック大賞を受賞した、リンク氏がプロデュースするアイドルの世界的にヒットした楽曲だった。イントロから何の恥じらいもなく踊り出す有希。
バキバキ踊るわけではない、でも愛嬌を振り撒きながらサラサラと舞う姿は可憐で通行人の目を引くほどの魅力を放っている。
気が付くとギャラリーが常にカメラに写り込んでいて、曲がサビに差し掛かった時にはもはや彼女のダンスを多くの人がわざわざ見に来ていたのではないかと錯覚するような景色になっていた。右横を向くシーンでそこに仲の良い友達がいたのか特定の子たちに向けて手を振ったり、通りがかりの男子からからかうように飛んだ野次にもピースサインを向けたりしながら約四分間踊り続けていた。
「ありがとうございました~。お騒がせしました~」
曲終わりのポーズで数秒静止した後、緩くふにゃふにゃとした声で四方八方に頭を下げながらお礼を口にすると称賛の拍手が送られた。
「あ、ごめん美咲ちゃん。もうカメラ止めていいよ」
そう私に伝えながら小走りでこちらに戻ってくる有希はすでにアイドルだった。
「これのどの部分を提出するの?四分くらいあるけど」
「この動画だけじゃないよ。家で部屋着で踊ったやつと、制服のこれと、あと街でおめかしバージョンを撮って編集で繋げる。多分使うのはサビと間奏部分だけになると思うけど」
一発で一分を撮り切る選択以外にどんな方法があるんだと思っていたけれど、まさかそれを行う人がこんな身近にいるとは。「そんなん出来るの? 」と聞くとなんでもないことのようにサラッと「簡単だよ」と返された。
「だから日曜に街で撮るのも付き合ってほしいの。極力迷惑にならないように朝の五時くらいにやることになると思うんだけど」
有無を言わさない雰囲気もあったけれど何より有希の自己プロデュースの先が見たくなり、自分でも驚く速さで「全然いいよ」と受け入れていた。全然いいよ。意識的に使わないようにしていた後ろに打ち消しの付かない全然。それが自然に出てしまうくらい彼女は衝撃だった。
「私もいいんだけどさ、踊るのサビだけで良くない?他の箇所は使わないんでしょ?」
シラティの素朴かつ最もな疑問が飛ぶ。
「種を撒いたんだよ。後々PR動画で私を見た時にあのとき見かけた踊ってた子だって思い出すでしょ?一回忘れて二回出会った方が意識に残りそうじゃない?」
先ほどの録画を確認して「やっぱ自分見るの恥ずかしいな~」と少し頬を赤らめる。そんな生理現象でさえも彼女の可愛いの定義に基づいて行われているのではと勘ぐってしまうくらい、したたかな純朴。これはあまりにも脅威。