【出会いと書類提出】
最初に教室から出た子によって開けっ放しにされてもはや教室と廊下の境でしかなくなった引き戸のレールを跨ぐと左腕をグッと掴まれ衝撃で喉の奥が痙攣する。恐る恐る左に顔を向けるとなんてことはないよく見知った顔。そしてもう一人が並んでいた。
「……びっくりした」
「私も美咲がいてびっくりしたよ~。受けるの? 受けるの? 」
ニコニコ以上のワクワクが抑え切れていない表情で未だに私の左腕を離さないこの子は一年の時に同じクラスで所謂グループが一緒だったシラティ。白老愛子だから、シラティ。
「今日はなんとなく来てみただけ。リンクさんのプロデュースするアイドル、好きだったんだよね。小学生の頃、初めてファンクラブ入ってコンサートにも行ったりしてた」
「へえー、美咲ちゃん、秀才イメージ強いから意外」
シラティよりも先にリアクションをくれたのはその隣のゆるふわハーフツインで、そちらに視線をズラすとシラティが「あれ、ここ絡みあるの? 」と助け船。
「ないよー。でも美咲ちゃん英語で有名だから私は一方的に知ってる」
そうだった。まず私の名前は校門にでかでかと掲げられた「英語スピーチコンテスト優秀賞 函美咲」という垂れ幕で校内どころか通行人ですら目につく形で晒され、授賞した次の全校集会で大々的な形で賞状を頂き、そこでも校長の無茶ぶりに答えてコンテストで発表したスピーチをさせられていた。
さも全国一位のような扱いを受けたがこの上には最優秀賞がいるし何なら優秀賞を受賞したのは私を含めて三人いる。物心ついたときから海外の方が講師に付く英会話に週三で通わされているので英語には今いきなり海外に放り出されてもやっていけるくらいの自信があり、中学の夏休みには毎年一か月の短期交換留学生として選出されていた。
そんな唯一のアイデンティティが最優秀賞ではなかったのが悔やみきれないところ。
そしてこのゆるふわちゃんは乙部有希ちゃんといってこの度のクラス替えでシラティと同じクラスになったのだとか。説明会に来たかったのはこちらの有希で、シラティは受ける気なんて更々なく連れション感覚でここに連れ出されたそう。
「よかった、美咲ちゃんもいるなら安心だ。シラティは絶対受けないって言うし、受けるであろう子たちに仲の良い子は全然いなかったから」
ホっとした表情で「よろしくね」とこちらに愛らしく笑顔を向けてくれるのは有り難いけれど私がオーディションを受ける、受けないという問題以前にこの一瞬で有希の中の仲の良い子に認定されたことに対してはいささか疑問が浮かぶ。
が、もし私が受けると決めたとしても出だしでまず孤独と戦うことにはならなさそうだなと素直に好意を受け取り「よろしく」と返した。きっと相手もこの薄い友情の利用価値をしっかり理解した上での発言。この子、したたかだぞ。
初めての三人での下校は出馬濃厚な子情報の共有タイムに。そこでは底抜けの明るさで敵を作らずどこにでも渡り歩けるシラティの出歯亀力が発揮された。
私が教室の入り口で遭遇した二年のギャル三人衆はまず受けるだろうとか、チア部は徒党を組んでまず全員書類を提出することになっているけれど部長のやる気が異常なだけで実は受けたくない子もチラホラいて、その子たちは書類を提出したフリをするか辞退をするらしいとか。他にも色々、諸々。
「よく情報解禁から二日で仕入れたね」
「一年に関してはなんにもわかんないけどね。でも美咲はノーマークだったわ。ノーマークにして有力株」
「ね。お勉強ガチ勢は絶対受けないと思ってたもん」
なんて持ち上げられるけれどそもそもこの高校に通っている時点でみんなお勉強にガチな時期を経験して篩にしがみ付いた猛者の集まり。働きアリの法則だよ。私は何度選別されても働きアリになってしまっているだけで、ここに来た時点では皆働きアリだったんだから。
何故これだけの進学校でもそれなりにオーディションへの参加志願者が集まるのか。少しリンク氏の話もしておこうと思う。
前述した通りリンク氏は私が小学生の頃、いや、それよりももっと前から芸能プロデューサーとして活動し続け更にその全てを成功という形にしてきた実力者である。その対象は多岐に渡り、どの時代もその時々の需要にマッチしたティーンの憧れとなるアイドルグループであったり、世界的に大成功を収めたロックバンドも存在する。
アイドルに関しては満開の時期のみを買い殺すことなく伝説に昇華した後も各々が輝いていくことの出来る道をしっかりと開拓して導いており、芸能のプロデュースというよりは人間のプロデュースを楽しんでいる方のように思う。
ここに合格することによってその後の自分が惹かれる未来へのプロデュースも始まるようなもの。そんな方が自分の通う進学校というこれまでの規模から見ると圧倒的に狭い世界の対象として厳選するって言っているんだ。なんて確率の上りよう。昨今のアイドルブームも相俟って説明会もそれなりに集まるだろうとは思っていたけれどまさかここまでとは。
とりあえず。第一審査用の書類を書き進める。
身長、体重、基本的な云々。リンク氏がプロデュースしたアイドルへの憧れ。英語を話すことへの自信と実績。勉強するのも嫌いではない。寧ろテストが好き。ヤマを張って必死に覚えた部分がピンポイントで問われた時の快感。答えを導き出した時の爽快感。
ギャンブルに依存する大人は資格試験とか受ければいいのに、なんて思う。
書類にはますはリンク氏の目に留まる為の生意気を存分に振り翳していった。
翌日の昼休み、有希と一緒にシラティに写真を撮ってもらった。二年の階の廊下の隅でとはいえ流石に目撃者も数名いたので私と有希がオーディションに参加するという事実は瞬く間に広まり同じく参加しようとしている子たちやそれまで交流のなかった数日前にクラスメイトになった子たちからも声を掛けられる日々が続いて三日も経てばもはや校内の周知になっていたし、私自身も他学年の参加希望者のことも把握するようになっていった。
「勿体ない気もするけど、出していいんだな? 」
職員室で書類を受け取った担任は若干顔を顰める。
「ご両親には? 」
「親は私がやることを基本的には否定しないんです。私が小学生の頃にアイドルになりたがっていたのを知っていますし。なんなら全国一位の学校に進学したがったのも私自身ですし」
強気に言い張ると「頑固で負けず嫌いなところがあるって書いておくからな」と担任は笑いながら机の一番上の引き出しを開け、他にも誰かの書類が入れられているファイルに私のそれも仕舞った。
職員室のドアを閉めて一息ついて初めて、映画館で着席した時のような、芽吹きたて空気を感じた。