【ゾンビたちの悪意】
おっとりと柔らかな雰囲気で緊張なんて欠片もしていない様子の岩内楓。
映画が大好きで女優志望だというどこかサブカルチックな雰囲気の松前香織。
ビジュアルピカイチでそこに立っているだけで目の保養になる八雲百合子。
尋常でないピアノの腕前と絶対音感の持ち主だというお嬢様の古平巴。
一年が自己紹介を卒なく熟す。一人が終わるとその子の名前が塊となってステージに向かって飛んでくる。また自己紹介をしては、轟音。その繰り返しの中で特に大きく声援が上がっていたのは岩内楓と八雲百合子だった。そうか、こうやって声援がバロメーターとなって容易に比較できてしまうのか。
「吹奏楽ソロコンクール全国金賞受賞した経験もあります、恋人はサックスの川上真奈美です。よろしくお願いします」
「モリキヨ名義で歌ってみたを投稿しています、森清香です。今日も夜の九時に新作が上がりますのでそちらもよろしくお願いします」
「小さいけれどこう見えてバスケ女子の赤平佳代です。跳躍力なら誰にも負けません」
少し硬くなっているのが見て取れるけれど特に大きな事故を起こすこともなく其々の持ち時間を過ごした戦友たち。佳代からマイクが有希に渡り、有希が口元にマイクを近づけた途端に今までより数段上がったような歓声が飛んだ。
有希は困ったように一度微笑んで「あの、私、喋りますよ~」と慌てることなくアドリブでその場を収める。
「ありがとうございます。改めまして、乙部有希です。アイドル大好き、アイドルになりたいその一心でここまでやってきました! 今日は皆さんを幸せな気分にするパフォーマンスをお見せしたいです! 」
そこまでを十五秒しっかり使って話すと再び怒号にも聞こえるような勢いのある歓声が沸く。困ったような、それでいて満足げな笑顔で有希から私の元に届けられたマイク。一斉に視線がこちらへ集中するのを実感する。こんな完成されたアイドルの自己紹介の後に私は何を言えばいいんだ。
十五秒を埋める簡単な紹介文は数日前からずっと脳内を反芻させてきた。それでいい。その刹那、私の口からついて出たのは英語だった。
「こんにちは皆さん、函美咲です。グローバルなアイドルになって世界中の人の心を震わせるようなドラマチックな活動を魅せていきたいです」
そこまでを英語で言い切り、よろしくお願いしますと日本語で締めた。ここに立たされて初めて英語に変換されたそれに私自身も驚愕する。会場にも一瞬間が生まれたものの数秒後には有希程とまでは勿論言わないけれどそれなりの歓声を浴びることができてここにきてやっと恐怖心が薄れた気がした。
しかし、大きな壁はここからだ。右には少し下を向いて固まったままの茅乃。
「ここだけ、頑張って」
マイクから離れたオフの声を茅乃に届けると彼女は小さく頷きゆっくりとマイクに手を伸ばす。けれどそれは分かりやすく震えていて、なんとか口元でマイクを保とうと努力する両手に私の両手も添えて安定させるのを手伝う。
意を決したように顔を上げて観客の頭より少し高い、空虚に目線を合わせながら茅乃は静かに口を開いた。
「南茅乃です。今日は精一杯パフォーマンスをさせていただきます。よろしくおねがいします」
騒動には触れず、その代わりに深く一礼をするも会場は静かなままだ。
顔を上げて観客に向き合う形になってやっと少しばかりの拍手がパラパラと。面白がって単発を大きく鳴らす音が時折響くくらい。
どうして事実を知らない人たちが虚構に踊らされて楽し気に一人の女の子を傷付けているのだろう。想像を越えた仕打ちに全身の血液が沸騰しそうになってはいたけれど一番痛みを感じて俯いてしまっている茅乃を放った行動を今取るべきではない。
アイコンタクトで茅乃の隣に立つボーイッシュな先輩にマイクを取るように促し、両手が空いた瞬間に右腕を茅乃の背中に伸ばし、添えた。
三年の二人の自己紹介も終え、一年だけを残し後段すると客席からは見えない位置に来た途端に茅乃が崩れ落ちる。
「やっぱりしんどい。ステージに立つのが怖い」
涙で潤い出した瞳を瞼ではなく両手で覆うように隠した茅乃に誰も声を掛けられなかった。
今日のステージのために仕立てられた色鮮やかな衣装のスカートがこの薄暗いステージ袖に、そして何よりこの重苦しい空気に対してあまりにもミスマッチ。
こんな状況のすぐ近くでこのような事態を引き起こした当人たちの歓声が響き渡る。どうしてそこに茅乃の名前は無いんだ?
「……ごめんね茅乃。でもこれで茅乃の未来を守ってあげられる」
座り込んだままの茅乃の方を抱いて耳元で囁く。
私はこれから、ドラマを作る。