門真市駅東商店街奮闘記
『余命100年の嫁』
「まりあと直さん」
結局、一睡もしないまま、ふたりは朝を迎えた。ピピピピと六時のアラームが鳴った。
「おはようございます。稀世さん、六時になっちゃいましたね。大丈夫ですか?目覚めのお風呂かシャワーするなら、風呂のガスつけてきますけど。どうします。」
「おはよう、サブちゃん、ごめんね。朝までついててくれたんやね。ありがという。座ったままで、しんどかったやろ。一緒に寝ようくらい言わなあかんかったわな。気い利けへん女でごめん。ほんま、ごめんね。」
「なに言うてますの。稀世さんに比べたら、全然僕なんか。まあ、先にコーヒーでも入れましょか?それとも熱い緑茶の方がええですか?」
「うん、じゃあ、甘えて、お茶で。お寿司屋さんの湯呑で飲んでみたいわ。で、後で、シャワー使わせてもらってええかな?」
「了解です。すぐ、お茶は入れますね。シャワーは五分もしたら入れますから。じゃあ、一旦、手は放しますね。」
と手を放して、立ち上がろうとすると、昨夜から四時間半、膝座りだったこともあり。痺れで足の感覚が頭と乖離していて、稀世の上に倒れこんだ。
「あっ、すいません。足痺れちゃってて。ごめんなさい。足伸ばしますんで、少しの間、このままでいさせてください。」
「うん、一分でも二分でも、十分でも二十分でもこのままおって。」
三朗に上に重なられた稀世は、明るくなった部屋の中を改めて見回した。六畳間の和室の壁には、「大阪ニコニコプロレス」の門真大会のポスターが五枚張られていた。稀世のデビュー戦のものから、昨日のものまで、毎年のポスターが張られている。今年のポスターは、セミセミからファイナル迄の3マッチ出場の六人が大写しで、初めて全身が掲載されたポスターだった。ほかにも、稀世の名前の入った、赤いスポーツタオルが四本。これも、毎年、少しずつデザインを変えて売られていたのが去年までのものがすべて揃っていた。あと、ちょっと恥ずかしいアイドル風の顔写真の入った去年のうちわもデスクの前の壁に飾られていた。デスクの上には、昨年の大会の時に、いっしょに取ったスナップ写真が2L版に引き伸ばされ、写真立てに入れられて置かれているのが目に入った。(ほんま、デビューからずっとサブちゃん、私の事見ててくれたんやなぁ。ありがとう。)胸の上に覆い重なる三朗の背中を見つめてきゅっと抱きしめた。
三朗も両手を稀世の首の後ろに回しぎゅっと抱きしめ、耳元で囁いた。
「稀世さん、昨晩の僕の言葉、全部本気ですから。まりあさんとの話終わらはったら、もう一回、ゆっくり話する時間下さい。」
「うん。今日は、泣かんようにする。がんばる。」
二分ほどで、三朗の足の痺れがとれ、腕をほどき立ち上がった。先にお茶を入れ、ベッドに持ってくると、「ゆっくり飲んでてください。」と、一階に降りて行った。下の階から、給湯器のスイッチの電子音が聞こえた。
三朗が上がってきて、「頭痛」、「めまい」が無いことを確認すると、一緒にリビングのテーブルに移った。稀世がお茶を飲み終わると、下の階で電子音が鳴った。
「じゃあ、シャワー使ってください。上がったら、この部屋の奥に、おかんが使ってた、鏡台がありますから、メイクはそっちを使ってください。ドライヤーとブラシもありますから。朝ごはんは、ガリおにぎりとカツオのオカカおにぎりでいいですか?」
「何から何までありがとう。朝ごはんは、サブちゃんにお任せするわ。」
ブブブブブブ。バイブが鳴った。画面には「まりあさん」とある。携帯を稀世に渡した。
「今、ニコニコのジム着いて、これから私のバッグ取り出して予定通り七時にはこっち来るって。」
「じゃあ、急いで、シャワー浴びてきてください。まりあさん心配させちゃいけないんで、目の下のクマと瞼の腫れは目立たないように。いつも以上の美人になるように上手にメイクして、僕をどきどきさせてくださいね。」
努めて明るく稀世を送り出した。
稀世がシャワーから出て、二階に上がってくると、三朗は仕事着に着替え、四つの大きなおにぎりとお吸い物のうつわと箸を用意してくれていた。
「目、覚めはりましたか?先に食べます?それとも、メイクしてきはります?」
「うん、寝てないのに、不思議と頭はしゃきっとしたわ。まりあさん来た時に、髪、変に癖ついたら嫌やから、先にドライヤーして、メイクさせてもらうわ。それから、朝ごはんいただくね。」
「じゃあ、ちょっと、下で作業させてもらってますんで、メイク終わらはったら、下に声かけてくださいね。」
「うん、サブちゃん、ありがと。」
三朗は、店の厨房へ。稀世は、奥の三朗の母親が使っていたという部屋へ移動した。母親の部屋には、小さな仏壇があり、おそらく両親のものであろう遺影と、三朗が学生服を着て、校門前で撮られた三人の家族写真が置かれていた。校門には「入学式」の文字が読み取れたので、おそらく、高校へ入学した時のものだろう。稀世は、仏壇の前に座り、お鈴を鳴らし、手を合わせた。(サブちゃんのお父さん、お母さん。素敵な出会いをありがとうございました。サブちゃんはすごく優しくて、素敵な男性になってはりますよ。好きです。めちゃくちゃ大好きです。でも、私、どうしたらいいんでしょうか?お父さんん、お母さん、生きてはったら、こんな、死ぬのが決まってる女とサブちゃんが一緒になんの、絶対反対しはりますよね。サブちゃんの心、惑わせてほんまにすいません。必ず、きれいに、身を引きますので、今日一日だけで結構です。サブちゃんの恋人の気分だけ感じさせてやってください。ほんますいません。お願いします。)
仏壇に、頭を下げ、(お母さん、お借りします。)と隣の鏡台に移った。鏡台の前には、三朗が書いたであろう、「おかあさん、ありがとう。」の文字とクレヨンで描かれた赤いカーネーションの絵の画用紙が置かれていた。
メイクを終え、階段の上から、三朗に声をかけると「はーい。」と返事があり、前掛けで手を拭きながら、リビングに上がってきた。開口一番、
「えっ、どちらさんですか?アイドルがうちに居るはずないんやけどなぁ?」
とふざけた。
「サブちゃんのあほ。しょうもないこと朝から言わんとって。」
「すんません、すんません。でも、今日もかわいさ一番ですよ。」
と行って、コンロの上の鍋からお吸い物を入れてくれた。部屋中にいい香りが広がった。ふと、テーブルの上に置いたままの携帯に目をやると、まりあとのメールの更新履歴が数回、残っていたことに気が付いた。三朗が、お吸い物とお茶を配膳してくれたので、メールの事は、後で聞こうと思い、ふたりで向かい合わせに座り、「いただきます」をした。
ガリのおにぎりもオカカのおにぎりも、稀世の口にすごくあった。お吸い物も、おかわりした。
「サブちゃん、美味しいわ。さすが、プロやなぁ。改めて、感心するわ。」
「僕、いいお嫁さんになれますかねぇ?」
くねっと、しなりを作って三朗がおどけた。稀世は、吹き出して、笑った。
「うん、サブちゃんが女の子やったら、35億の男たちで取り合いになるな、絶対。」
「そりゃ、絶対無いわ・」
三朗も笑った。
ふたりで、朝食をとり終わると同時に、携帯が鳴った。まりあからの着信だった。稀世が取り、すぐ三朗に替わった。もう近くまで来ているとのことで、店から一番近いコインパーキングを説明し、そこから店までの道順を丁寧に説明した。まりあは、何度か向日葵寿司に来たことがあったので、スムーズにパーキングに着き、今から歩いてくるとの事だった。三朗は、下に降り、店の引き戸を開けてまりあを待った。まもなく、まりあが稀世のバッグを肩から掛け、手を振って現れた。
店の入り口で、まりあは三朗に丁寧に頭を下げ、昨日の詫びを述べた。その丁寧さは、三朗は恐縮してしまうものだった。(昨晩中に、稀世さんのところに来られなかったことをすごく気にしてはんねやろな。稀世さんが言うように、本当にいい人やな。)三朗は、さっき稀世がシャワーをしている間に送ったメールと同様に昨晩の出来事を手短に伝えた。精神的に、浮き沈みがあることと、昨晩は一睡もしていないことを付け加えた。ポッポーと鳩時計が鳴った。
まりあは、カウンターから、バックヤードに入り、階段の下から、稀世に声をかけた。
「遅なってごめんな。上がってええか?」
「はーい。今、片付け中ですけど。」
と二階から返事があった。まりあは、三朗に向き直し、
「サブちゃん、昨晩は、ほんまにありがとう。今から、しばらくふたりで話させてな。さっきメールしたけど、午前中に私の知ってる医者の所にセカンドオピニオン聞きに連れて行くつもりやねん。
あと、こんな時に、業務的な話から入らなあかんのつらいねんけど、稀世の予定してたマッチの組み換えや、状況によっては取り消しせなあかん場合もあるから。なんやかんやで、稀世は、うちのメインレスラーやからな。仮に、大きい声出すことになっても、私らだけで話させて。
サブちゃんは、自分の仕事に集中してな。気、散らして、ええ加減な仕事せんようにしてな。今から、仕込みの間は、稀世の事は忘れて仕事に集中してな。じゃあ、上がらせてもらうわ。」
と言い残し、まりあは階段を上がっていった。
「こらぁ、稀世、昨晩、過ちは無かったやろなぁ!そっから聞こか。」
まりあが二階に上がり、一階の残された三朗は、両手でほっぺたをバシバシっっとたたき、気合を入れ直し、米を研ぐための大きなボウルを台下から取り出した。五合炊きの五台の業務用炊飯ジャーに洗ったコメを炊飯釜に入れ、蒸留水を注ぎ、キッチンタイマーをセットした。
ちょうど、魚の卸業者が来て、注文の魚以外に、今日のお勧めを持ってきたというので、その説明をメモに取った。初めて取り扱う魚もあったので、意識を仕事に集中することができた。厨房に戻ると、魚の仕込みに入った。氷塩水につけるものを先に処理し、昼のランチで出す魚の準備に入った。魚をさばき、穴あきのバットにキッチンペーパーを引き、柵を並べた。布巾を掛けては、台下冷蔵庫にしまっていった。
キッチンタイマーが鳴ったので、炊飯器のスイッチを入れた。続いて大鍋に蒸水を入れ強火でガス台にかけた。夜用のマグロ赤身とサバの漬けを仕込み、鯛の昆布締めを準備した。大鍋の湯が沸いたので、火を少し弱め、鰹節を片手二杯振り入れ、一番出汁を取った。味見をして、いつもと同じ味であることを確認した。
続いて、卵焼きを作り、今日使う海苔をカットした。ポッポー。鳩時計が鳴った。七時五十五分だった。その時、二階から、まりあの大きな声が響いた。
「何言うてんねや!立って、歯食いしばれ!」
すぐさま、「バシッ!」っという音が耳に入った。いてもたってもいられず、三朗は、階段下から
「いったい何があったんですか?」
と声をかけると、二階から、
「サブちゃんは、自分の仕事に集中して。こっちの話やから、気にせんとって。」
とまりあの声が聞こえた。
二階が気になり、三朗の手が止まった。その瞬間、突然引き戸が開かれた。
「こらっ、三朗、何、腑抜けた顔して包丁握ってんねん。先代がおったら、蹴り入れられてもおかしない顔してんぞ。」
とニコニコ商店街会長の菅野直が立っていた。七十歳にして元気はつらつ。毎週、市立体育館の道場で、子供達に合気道を教えている商店街の中の電気屋のおばちゃんだ。早くに、ご主人を亡くし、女だてらに電気屋を切り盛りし、元来の面倒見の良さから、ここ三十年商店街の会長を務め「おんな黄門様」とか「おんな次郎長親分」と呼ばれている。三朗も赤ん坊時代には、おむつの世話をしてもらった間柄であり、頭が上がらない人のひとりである。
「な、なんですか、直さん。まだ朝八時前ですよ。」
「あほ、もう八時やろが。年よりの朝は早いねん。昨晩、広義と徹三が昨日の会議の議事録、持って来よったが、余りに中身が薄すぎて、説教してやったんや。三朗は来いへんかったから、今、わし自ら来てやったっちゅう訳や。」
「すいません。三人でいろいろ考えたんやけど、これといって思い浮かばんで。」
「しょうもない言い訳すんな。三人でビール飲んでだべってただけやって、分かってんねんぞ。三朗は、青年部部長なんやからしっかりせえ。今日の昼に食べに来てやるから、もう少し頭使って、なんか考えとけよ。わかったな。」
「は、はい。」
突然の雷雨のように、言いたいことだけ言って、直は帰っていった。(わぁ、広君とがんちゃんもあの勢いで言われたんやろか?昨日、任せっきりで、悪いことしたなぁ。後で謝りのライン入れとこ。)
おしぼりの準備、割箸の袋入れ、醤油さしの補充、テーブルとカウンターの消毒と拭き取り、店内と表の掃除が終わり、中に入るとポッポーと時計が鳴った。(それにしても稀世さんとまりあさん、どうなってんねやろか?さっきのバシッちゅう音って、絶対平手打ちの音やったよな。どうしよ、何気なしに二階に上がるか?「用事あるんで」って嘘ついて二階に上がるか?うーん、どっちにしてもうまくいけへん気がするなあ。)と苦悩していると、階段から足音がしてきた。ひとりじゃない。ふたり分の足音だった。
まりあが前、後ろにうつむいた稀世がいた。稀世は、私服に着替えていた。左頬が赤く腫れてる。(やっぱり、平手打ちやったんや。)三朗が意を決して聞いた。
「お話、終わらはったんですか?」
「うん、サブちゃん、稀世、私の知ってる病院連れて行ってくるから、昨日、病院でもらった紹介状と検査のデータ入ってるディスク貸してもらえるかな?」
「ちょっと、待ってくださいね。」
三朗は、カウンターの奥のテーブルから、病院で預かったA4の封筒を持ってきて、中のディスクと紹介状の小封筒が入っているのを確認した。
「はい、これで全部です。」
とまりあに渡した。
「ありがとう。今から、私の車で行って、昼過ぎになると思うけど、サブちゃんとこでお昼ごちそうになるつもりやから、お願いね。店に戻れる時間読めたら、メール入れるから、しっかり仕事してて。」
稀世は、三朗の方を見ることもせず、ずっと斜め下を見ている。
「じゃあ、行ってくるわ。」
「はい、行ってらっしゃい。お昼、「特上」用意して待ってますからね。」
と見送った。
十一時にランチタイムの営業を開始し、暖簾を出した。携帯を見たが、まりあからのメールの着信は無かった。(さあ、気合入れて、稀世さんとまりあさんのふたりが戻って来はんのを待つか。)
「若大将、おはよう。お昼のランチちょうだい。」
「はいよ、毎度ありがとうございまーす。ランチ一丁、いただきましたー。まずは、あがりでーす。」
いつものランチタイムがいつものように始まった。
ポッポー。十二時五十五分。一時の忙しさが、落ち着き、店内の客も三人を残すだけとなった。バックヤードで洗い物をする前に、携帯を見てみると、まりあからのメールが三十分ほど前に入っていた。「一時過ぎには、戻ります。詳しくは、その時に。上握り二人前をふたつお願いします。」とあった。冷蔵庫を開けて、夜の「特上」用のネタを確認した。「サブちゃん、ごちそうさーん。ふたり分、二千円、席に置いとくでー。」商店街の常連さんの声がした。
「毎度ありがとうございまーす。またのご来店お待ちしてまーす。」
カウンターに顔を出し、声をかけた。
「大将、こっちもごちそうさん。おいしかったわ。ありがとねー。千円置いておくよー。」
「ありがとうございましたー。またのご来店お待ちしてまーす。」
とりあえず、店内は空になった。もうすぐ、稀世とまりあが帰ってくるので、ほかの客がいない方がいいだろうと思い、ちょっと早いとは思ったが、暖簾をしまうことにした。皿を先に流しに出し、テーブルを拭き、暖簾を下げようとしたところ、ちょうど、ふたりが帰ってきた。
「お帰りなさい。すぐ準備しますので、中のテーブル席にかけててください。」
暖簾を肩にかけ、ふたりを店内に招き入れ、暖簾を店の奥に立てかけた。
「二人前ずつでよかったですよね。あがり、すぐお持ちしますんで。」
「ありがという、サブちゃん、ビール二本出してくれる。」
「えっ、まりあさん、車でしょ?」
「後で、夏子に迎えに来させるから。ちょっと、飲まずにいられない気分なんで、先にお願いするわ。」
三朗は、セカンドオピニオンも良い結果でなかったことを察した。(あぁ、よもやの奇跡を期待したけど、あかんかったんか。ふたりとも辛いやろなぁ。)
「はい、ビール二本いただきましたー。ありがとうございまーす。」
努めて明るく振舞い、お盆にビール二本と冷えたグラスふたつと突き出しのあぶった海苔ともろみ味噌の小皿を載せて、ふたりの座るテーブルに配膳した。
「お疲れさまでした。お寿司、すぐ握りますので、五分ほど、お待ちくださいね。」
「ありがとう。急がんでええよ。用意終わったら、サブちゃんも一緒に、ええかな?」
まりあがグラスにビールを注ぎながら言った。稀世は、黙って下を見続けている。
「は、はい。」
大きいサイズの寿司下駄に二人前ずつの特上握りを用意し、吸い物といっしょに配膳した。稀世が好きだと言ってくれた、たけのこご飯のいなり寿司も入れてある。
「はい、お待ちどうさま。向日葵寿司、特上二人前ずつでございまーす。どうぞ、ゆっくり、お召し上がりくださいね。」
「特上にしてくれたんかいな。昼から、ゴージャスすぎるなぁ。なあ、稀世。」
「昨日、稀世さんに食べてもらわれへんかったから。」
「あっ、サブちゃん、うちの女の子たちみんなから、「ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味しかったです。」って伝言言うの忘れてたわ。ごめんごめん。ほんま、いつもごちそうさま。ありがとうね。桶は、警備員室で預かってもろてるはずやから、後で取りに行ってな。じゃあ、いただこうかね。さぁ、稀世、いただこか。そんで、サブちゃんも、店閉めたんやったら、少し、ビール付き合ってや。グラス持っておいでよ。」
「は、はい。」
三朗が、稀世の横の席に着くと、まりあがビールを注いでくれた。稀世は、お寿司は食べているが、ビールには口をつけていない。重苦しい雰囲気の中、硬い表情で、まりあが切り出した。
「サブちゃん、午前中、私の知り合いで、元々京大病院で脳神経外科やってて、今は、親のやってる総合病院継いでる医者に、昨日の検査データ見てもらってんけど、ここの病院のお医者さんと同じ結論やったわ。残念やけど。」
「そ、そうですか。残念です。」
「知り合いの医者が言うには、運悪く髄膜種が異形性髄膜種って質の悪いやつなんやけど、神経を巻き込んでるがゆえに、がんの痛みを感じてないよう作用してるんやろうって。抗がん剤治療や放射線治療すると体力も落ちるし、がんそのものの痛み以上に、副作用のしんどさが尋常じゃないらしいねんな。
脳へのショックは絶対避けなあかんちゅうことやから、プロレスは残念ながら引退して、がんの痛みが出るまでは、入院治療やなくて、今まで通りの生活をするのがええんとちゃうか、って言う提案を受けたんやわ。で、ここからが稀世も一緒に話し合っていきたいんやけど、ええかな?」
「は、はい。」
「サブちゃん、確認するけど、昨日、稀世とサブちゃん、お互いに好き合ってるってこと確認したって聞いたんやけど、それは稀世への同情や哀れみから言うてんのとはちゃうよな。」
「もちろんです。まりあさんの前で改めて言うの、恥ずかしいんですけど、五年前に初めて会った時から好きです。昨日、結婚してくださいって言った気持ちは間違いなくほんまもんです。ただ、稀世さんには、断られてしまいましたが…。」
「サブちゃん、ありがとね。私は、以前から稀世がサブちゃんに好意持ってんの知っててんけど、お互い、もう大人やし、口出すことでもないなあって思っててな。
ただ、昨日の今日で状況が大きく変わってしもたから、稀世の母親代わり、姉代わりの立場で、私からサブちゃんにお願いや。結婚は、サブちゃんのその後の籍の履歴の事もあるから、置いとくな。ただ稀世の最後までいっしょに居てやってほしいねんけど・・・。」
四人掛けのテーブルを長い沈黙が襲った。
ガラガラガラ!突然、乱暴に引き戸が開けられた。瞬間的に三人の視線が入り口に向いた。
「こらーっ!三朗!暖簾降ろして、何隠れとんねん。昼から来るって言うてたやろ!」
菅野直が店に飛び込んできた。あまりの剣幕と有無を言わさぬ勢いに、三人とも声が出ない。直は、三朗がテーブル席にいるのを確認すると、
「おいこら、あほボン三朗、何、女ふたりもつれて飯食ッとんねん。お前、わしをなめてんのか。」
とテーブル席にずかずかと近づいてくる。(あっ、直さん来るの完全に忘れてた。しかし、タイミング悪い時になんやねん。とりあえず、一旦帰ってもらわんと。)何とか、三朗が気を取り直し言った。
「な、直さん、今、お客さんと大事な話してんねん。あ、後で、直さんとこ必ず行くから、一旦、帰ってもらわれへんかな。お、お願いやから。」
虫の鳴くような三朗の声を無視して、テーブル席の横に立ち、稀世とまりあの顔を覗き込んだ。
「!!あ、あんた、「デンジャラスまりあ」か?」
直が叫んだ。まりあはあっけにとられて言葉が出ない。
「なんや?なんで三朗の店に「デンジャラスまりあ」がおんねん。」
「な、直さん、まりあさんの事、知ってんの?」
「知らいでか、あほボン。「デンジャラスまりあ」言うたら、ケガさえしてなかったら、当時の全日女子プロレスの頂点とってた伝説のレスラーやないか。ケガで引退して、2005年に全日女子プロが解散してから見ることなくなってしもたんやけど、わし、めちゃくちゃファンやったんや。こら、三朗、おまえわしとの約束無視して、なんで「デンジャラスまりあ」と飯食ってんねん。」
まりあと稀世は目を点にして、直の事を見つめている。
「まりあさん、稀世さん、すいません。この人、ここニコニコ商店街の会長の菅野直さんっていって、今日の昼に来るっていうの、僕が完全に忘れてしまってて、本当に大事な話の最中にすいません。」
「大事な話ってなんや?」
「直さん、関係ない話やから、ほんま、一旦引いてくださいよ。」
「あかん!十数年ぶりの「デンジャラスまりあ」を前に、簡単に引けっかいな。ここであったも何かの縁や。私も話に参加したろ。おい、三朗、分かりやすく説明せんかい。」
直は、勝手に椅子を隣のテーブル席から引っ張ってきて、席に着いた。
「三朗、わしの約束無視した罰や。わしの寿司握れ。」
と命令した。まりあが、落ち着きを取り戻し、
「良かったら、一緒にどうぞ。」
と寿司下駄を直の前にずらした。
「えっ、ええのか?それも、「デンジャラスまりあ」に譲ってもらって。」
「どうぞ。先にお約束されていたとは、私たちも存じておりませんでしたので。失礼いたしました。」
「いや、悪いのは「デンジャラスまりあ」じゃなくて、このあほボン三朗じゃい。こ奴の母親代わりに面倒見てきて、一昨年、親父がなくなってからは、父親代わりでもある中、わしを蔑ろないがしろにする三朗が悪い。また、こいつがなんか迷惑かけてしもてるんやないんか?こんなばばあですが、こいつの親代わりですから、話に加えてくださいまし。」
勢いに負けて、三朗が話そうとするが、嘘つき扱いされ、話にならない。そこで、まりあが「稀世、サブちゃんの親代わりってことやから、話していいね?」と確認を取り、まりあが昨日からの事の顛末を直に話した。話の途中、直は、涙を流し、共感し、三朗の態度に激怒した。約二十分の説明が終わり、直は腕組みをして考え込んだ。一分の沈黙の後、自ら手酌で三朗のグラスにビールを注ぎ、一気に飲み干した。
「つまり、昨日、稀世ちゃんが余命半年と分かった。ふたり目の医者に聞いてもその判断は揺るがなかった。入院するより、普通の生活で寿命を全うする方がええやろう。稀世ちゃんとあほボンの三朗はお互い好き合っとる。あほボンの三朗は、五年間、稀世ちゃんに「好きや」いうのを隠してた。それが、昨日の段になって、急にプロポーズした。稀世ちゃんは、優しいから、自分が死んだら、あほボン三朗がバツイチになるから結婚せえへん方がいい。で、「デンジャラスまりあ」はふたりの間に入ってどうしよか迷ってる。ってことやな。」
乱暴ではあるが、直は稀世と三朗の事を、実に的確にかつ簡潔に、この二日間の事をまとめ上げた。すっかり、その場の仕切り役となり、順番に聞いていった。
「まずは、あほボン三朗、元々はお前がちゃっちゃと告白してたら、こんなややこしいことにはならへんかったんや。重罪やで。確認するけど、稀世ちゃんのことがほんまに好きで、命があと半年でも結婚する意志に間違いは無いねんな。」
「うん。稀世さん以外の女性には興味ないから、バツイチなんて心配してもらう必要はない。稀世さんの最後の一秒迄、いっしょに居たいって思てる。」
「よし、あほボン三朗にしては、男らしいええ返事や。じゃあ、稀世ちゃん、あんたは、こんなあほボンでも三朗の事好きやと。でも、自分死んだら、あほボンが一緒に死ぬとかあほ言うことが重たいし、バツイチになった後のあほボンのこと考えるとあほボンに悪いから結婚はでけへんいうことやな。」
「はい。サブちゃんの事は大好きです。でも、私のわがままで、サブちゃんの大事な人生を縛ってしまうのは私の希望ではないです。」
「うん、あんたの優しい所が無駄にでてるな。まず、あほボン三朗と付き合ってもいいなんて言う女は、今後、未来永劫、絶対出てけえへんから、そこは心配せんでええ。あほボンの後追い自殺は、わしが絶対阻止して、あほボンが死ぬまで、稀世ちゃんの供養させたるから、それも安心しい。そんで、「わがまま」って稀世ちゃんは言うけど、そんなん「わがまま」でも何でもない。「死に行く女の権利」や。稀世ちゃんが、せいぜい「わがまま」言うてくれんと、あほボンは、この告白の五年の遅れをそれこそ一生背負って生きていくことになる。あほボンが、稀世ちゃんみたいなかわいくて優しい子に好いてもらえたなんて奇跡に対して、あほボンは全身全霊かけて粉骨砕身の覚悟で最後まで面倒を見るのは当たり前の事やと思いなさいや。」
「でも、直さん、サブちゃんみたいな素敵な人は、きっと次の人が。」
「大丈夫。あほボンは、この先七代、生まれ変わっても稀世ちゃん以上の人から、好かれることが無いことは、わしが保証する、安心せえ。それに、稀世ちゃん、あと半年、あと半年って言うけど、「まだ半年もある」なんや。だから、結婚して、籍も入れる。籍入れたら、稀世ちゃんの名前「ながいきよ」や。もしかしたら、長生きにつながるかもしれへんやないか。べたな洒落かもしれんけど「笑う門には福来る」や。
そんで、稀世ちゃん、今日でも「余命1ケ月の花嫁」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」の映画でも見てみい。そしたらわかるわ。
ええか、ええ女は、最後に男に尽くさせたるのが仕事や。このあほボン三朗はこう見えて優しい男や。喜んでやりよる。そこは、わしが保証したる。
ただ、一個だけ老婆心で言うとくと、赤ちゃんだけは諦めてな。トンボやカエルやないから、さすがに半年では赤ちゃん生まれへんから、中途半端になったら、赤ちゃんがかわいそうやからな。」
「で、でも。」
「あーうるさいな。ええちゅうたらええの。あほボン三朗を最後に男にしてやったって。これは、私からのお願いや。」
「は、はい。」
「で、最後に、「デンジャラスまりあ」やけど、あんたの大事な稀世ちゃん、あほボン三朗だけじゃ心配やろうから、わしも含めて、稀世ちゃんの新しい家族ということで認めてくれへんかな。あんたもいつでもここに来たらええ。あんたも含めてみんな家族や。ええかな。」
「はい、直さんにそこまで言ってもらえたら、それがええと思えてきました。稀世とサブちゃんの事、よろしくお願いします。」
「よっしゃ、そしたら、最短で結婚式や。三朗、六曜の入ったカレンダーもってこんかい。」
「えっ、直さん、「ろくよう」って?」
「だからあほボン言うんや。三朗、結婚するなら、「大安吉日」やろ。一日でも夫婦生活楽しみたかったら、最短で結婚や。親代わりのわしと「デンジャラスまりあ」がオッケー出しゃ、それで決まりやないか。」
三朗は、カウンターの奥にかけている予約記入用のカレンダーを取ってきた。みんなに見えるようにカレンダーをテーブルに広げた。直がそこでも仕切った。老眼鏡をかけてカレンダーの日付の数字の下を見ていく。
「今日、月曜日が大安か。ということは、6日後、次の日曜が大安やな。よし、今日は、これから婚約式や。結納道具は写真館の笹井醇一のところで借りて来たる。あと、稀世ちゃんの今日の着物もな。そんで、今から日曜まであれば、みんなに声かけられるやろ。稀世ちゃんは、なんかこだわりの宗教あんのか?」
「いえ、別にないです。」
「じゃあ、人前式でええな。「デンジャラスまりあ」は日曜日大丈夫かいな?」
「はい。大丈夫です。団体も練習日なんで、練習中止にしたらメンバー全員来れます。」
「よっしゃ、じゃあ、結婚保証人は、わしと「デンジャラスまりあ」で決まりやな。ちなみに、稀世ちゃんは、ドレスと白無垢どっち着たいんや?」
「えっ?えっとですねぇ、うーん、ドレスかな。」
「おっしゃ、今度、わしと試着しに行こ。ここの商店街の笹井んとこの写真館に貸衣装あるからな。あほボンには何着せたい?タキシードがいいか?」
「ううん、サブちゃんは、できたら今の仕事着がいいかな。」
「おっしゃ、じゃあ、三朗は一番きれいな仕事着、クリーニング出しとけよ。」
「は、はい。」
「招待客は?」
「私は、まりあさんと団体のみんなが来てくれたらうれしいな。学校の時の友達は縁切れてるから、それだけかな。」
「僕は、広君夫婦とがんちゃん夫婦くらい。あとは、直さんに任せますわ。」
「じゃあ、公民館か市民会館の会議室でええな。あー忙しなってきたで。稀世ちゃんと「デンジャラスまりあ」は夕方まで、こっちに居れるんかいな?」
ふたり同時に頷いた。
「おっしゃ、じゃあ、四時に戻ってくるからな。三朗、商店街の打ち合わせは、猶予やるわ。しっかりと話し進めとくんやで。じゃあな。」
直は猪のように、店を出ていった。一気に向日葵寿司の店内に静寂が戻った。ポッポーと鳩が鳴いた。午後一時五十五分だった。わずか、五十五分で、婚約から結婚まですべてが決まった。
三人、顔を合わせて吹き出した。
「あー、お昼まで何を悩んでたんやろ。直さんのおかげで、なんか一気に嵐の空が晴れに変わったって感じ。まあ、直さんが大嵐みたいな人やったけど。
サブちゃん、まりあさん、これからもよろしくお願いしますね。」
「こちらこそ。稀世さん、まりあさん、すいませんでした。直さん、僕の家、昔からよお来てて、家族みたいなもんです。あの年でまだ合気道の師範やってる達人で、言うこと聞けへんかったときは、よお投げ飛ばされました。でも直さん、あれでいて、めちゃくちゃいい人ですんで、無茶言いますけど、よろしくお願いします。」
「稀世、サブちゃん、まずは婚約おめでとう。お似合いのふたりやと思うよ。これからも仲良くね。精一杯お祝いさせてもらうわ。」
ぐぐーっ!稀世のお腹の音が店内に響いた。顔を真っ赤にして稀世が言った。
「緊張が解けたら、お腹すいちゃった。直さんもほとんど食べずに行っちゃたんで、今から、二回目のいただきますね。」
「うん、サブちゃん、新しくビール三本出してきて。三人で乾杯しましょ。」
「はい、ビール三本いただきましたー。ありがとうございまーす。」
稀世とまりあが大笑いした。三人での乾杯のビールは、今までで一番おいしいビールだと稀世と三朗は思った。
「結納式」
午後四時、暴走トラックのような勢いで直が店に飛び込んできた。
「三朗、稀世ちゃん、「デンジャラスまりあ」居てるか?日曜日で、公民館抑えてきたで。商店会側の参加者もほぼ決まった。今日の六時半からこの店で結納の儀、七時から、お披露目会するで。」
「今、降ります。ちょっと待ってください。」
三朗の声が二階からして、バタバタと降りてきた。
「お疲れ様です。直さん。それにしても、たった二時間でそこまで決めてきはったんですか?稀世さんとまりあさん、団体のみんなに連絡とってますんで、ちょっと待ったって下さい。ひとりひとり、お祝いの言葉もらったりで、なかなか進まないんですよ。あと、まりあさんからですけど、毎回「デンジャラスまりあ」って呼ばずに「まりあ」って呼んでくれるよう言っておいてくださいとの伝言です。」
「よし、まりあの件はわかった。それにしても三朗、「たった二時間」ってなんや。「善は急げ」ちゅう言葉知らんのか。だからお前はあほボンやねん。それは、さておき、ちょっと耳貸せ。」
「えっ、改めて、なんですか?」
「どうせ、おまえの事やから、ろくに貯金もあれへんやろうし、指輪買ったる甲斐性もあれへんやろ。どうや?」
「はい、そこまで考えてなかったってこともありますけど、どうしたらええんですかね。」
「そこでや、三朗のお母ちゃんの指輪と真珠のネックレス、まだ置いてるやろ。あれな、おまえの親父さんも、いざ結婚するっていうとき金無くてな、わしがプレゼントしたった物なんや。なかなかのええ代物やねんで。お前が持っててもしゃあないから、それを稀世ちゃんにあげるのがええと思うんやけど、ええか?」
「僕は、かまいませんよ。おかんも大事にしてたものですから、稀世さんが使ってくれたらうれしいです。」
「よっしゃ、じゃあ、今から先に取って来い。きれいに、クリーニングして結納までにパッケージしてくるわ。それと、「するめ」と「こんぶ」は店にあるよな?」
「昆布はなんぼでもあります。するめはあたりめ?それとも裂きイカですか?」
「あほか、おまえは。どこに裂きイカ結納で使うやつおんねん。きちんと烏賊の形した干し烏賊や。」
「は、はい。大丈夫です。それが?」
「結納で使うんや、今すぐ出せ。そんで、稀世ちゃんの着物選ぶのにサイズが必要やから、首の付け根、要は肩口から足首までの寸法と足のサイズ聞いてきてくれ。六時に着物持ってくるから、そっからわしが着付けするから、忘れんようにトイレ行っとくように伝えておけよ。ほら、メジャー貸したるから、三分で用意せえ。あと、稀世ちゃんとまりあちゃんに七時からのお披露目会に呼ぶ人おったら声かけてもろとけ。急げよ。」
「はい。」
三朗は、あわてて、二階に上がり、稀世とまりあに直からの要望を伝えた。母親の鏡台から、指輪とネックレスを出す間に、まりあが採寸して、サイズを書いたメモを三朗に渡した。お披露目会は、社長と夏子が電車で来て、帰りはまりあの車で帰ることに決めたとの事だった。三朗は、慌てて、厨房に降り、昆布とするめを袋に入れて、指輪とネックレスといっしょに直に渡した。
「お前、何、四分もかかってんねん。まあええわ。ちなみに、今晩は予約客入ってんのか?」
「いえ、今日は予約は無しです。」
「しけてんなぁ。まあええわ。じゃあ、またあとで来るから、お披露目会に来てくれた人に出せる、寿司の準備はしとけよ。みんな祝儀持ってきてくれるやろうから、「今日は貸し切り」いう紙、表に貼っとけよ。酒の準備は酒屋の金義にわしから言っとくわ?」
「はい。寿司は大桶で五つ。三十人前くらいあればいいですかねぇ。」
「せやな、足らんかったら、途中で握ってやったらええやろ。じゃあ、またあとでな。」
三十分ほどすると、直が再び大きな荷物を抱えて戻ってきた。稀世とまりあが出迎えた。
「あほボンは?」
「いま、サブちゃん、大桶が足りない言うて、総合体育館に桶の引き取りに行ってます。」
「そうか、じゃあ、あほボンは後にして、稀世ちゃんとまりあちゃんには結納の段取り表、渡しておくわな。まずは、一回読み通してんか。まりあちゃんは稀世ちゃんの親役。わしはあほボンの親役や。
最近では、結納せえへん人が多いみたいやけと、これからの夫婦生活の、いわゆるスタート地点やから、わしはしっかりとやるべきやと思ってる。結納って言うのは、単に両家のあいさつって言うだけじゃなくて、夫婦生活が平安で、末永く続くことを神さんにお願いする儀式でもあるんや。神さんもやることやらんと味方してくれへんよってな。」
「ああそれで、鶴亀の置き物や高砂の人形が出されるんですね。」
とまりあが言った。
「さすが、まりあちゃん。よお、分かってるやないか。鶴亀のように長生きしよな、ってな。鶴亀は千年万年言い寄るけど、実際には鶴の寿命は四十年。長生きの代表のガラパゴスゾウガメでも二百五十年。千年万年って誰が言いだしてんってなもんやな。水増しにほほどがあるわなぁ。笑うでなぁ。
ただ、高砂人形は、「夫婦お互い髪に霜の降るまで」って願いがきちんとあんねん。そうやねん。稀世ちゃんみたいにええ子は、きっと神さんが味方してくれるはずやからな。わしは、きちんと結納せんかったから、旦那は早おに逝ってしもたけどな。結納ないがしろにしたこと、後悔してるわ。」
稀世とまりあは直の話を神妙に聞いた。
「あつ、そんで先に言うとくけど、あほボンは甲斐性あれへんから、貯金そんな持っとれへんねん。だから稀世ちゃんには、結納金の代わりに三朗の母親が使ってた真珠のネックレスを受け取ってほしいねん。指輪も母親のものを使ってほしいって思てんねん。」
「えっ、そんな大事なものいただけませんよ。サブちゃんのお母さんにも悪いですし。」
「ええねん。今日から、三朗には、母親以上に稀世ちゃんが大事な人になるんや。さっき話して、三朗も納得してる。指輪はサイズがあるから、一度、合わせてみてくれるか?」
直がカバンからクリーニングが終わったばかりの指輪のケースを取り出し、稀世の右手に乗せ、一度自分ではめるよう促した。指が入りきらないであろう予想を裏切って、サイズはピッタリだった。
「これも、何かの縁やな。きっと、三朗の母親も喜んで祝福してるってことやろ。」
直が、珍しくしんみりと言った。
「あと、こっちの荷物は、結納の時に使う道具やから、置いといてんか。例の鶴亀や高砂人形入ってるから。あと、まりあちゃん、今日の来客決まったか?」
「はい、うちの社長と稀世の弟子がひとり来ます。日曜の結婚式は、私と団体の十五人全員参加です。会場の方は、大丈夫ですか?」
「大丈夫や、うちの商店街から三十五人ほどの出席になるから、五十人は入れる会場押さえてるから、大丈夫や。じゃあ、六時に稀世ちゃんの着付けに来るからな。稀世ちゃんのリングコスチュームのイメージに合わせた、赤基調の振袖や。カメラ屋に店一番のええ着物用意させてっからな。稀世ちゃん、色白やから、きっと映えるやろな。結納終わったら、暖簾出して、店の前で四人で記念撮影や。わしも、楽しみや。」
「何から何まで、ありがとうございます。どうして、そこまでしてくれるんですか?初対面の私に。」
「うーん、建前は、あほボンの親代わりやからってことやねんけど、ほんまのところは、湿っぽい話になるけど、わしには、十八歳で事故で死んだ孫がおったんや。稀世ちゃんによお似た、かわいらしい子やってんで。着物のよう似合う子やった。夢一杯の高校三年生の夏に、通り魔事件に巻き込まれてしもて刺されてしもたんや。やりたいこと、山ほどあったやろうに。それが、突然、予告も無く命を絶たれたんや。
だから、稀世ちゃんには、最後の一分一秒迄、精いっぱい生きてほしいねん。それに協力できんねんやったら、なんでもわしはやるで。こんなかわいこちゃんに余命半年何て言う意地悪な神さんとかて喧嘩したるわ。それ以外にもあんねんけど、それはまたおいおいに。まあ、ばばあのわがままに付き合ったってんか。」
「そんなことがあったんですか。直さんには感謝しかありません。今日、いや、これからもよろしくお願いします。」
と稀世が直に深々と頭を下げた。直は照れて、頭をかきながら、店を出がけに言った。
「まずは、稀世ちゃんは、自分の幸せを一番に考えや。周りに、気を遣うのはそれからでええよ。じゃあ、次の段取りがあるから、行くわな。あほボンにも結納の段取り書読ませといてな。じゃあまたあとで。」
直が店を出て行って、入れ替わりで三朗が寿司桶を持って帰ってきた。
「あっ、サブちゃん、今、直さんと入れ違いやったんやで。途中で会った?」
「いや、反対側から帰ってきたから、会ってへんよ。」
「なんで、体育館以外にどっか寄ってたん?そういえば、結構時間かかってたし。」
「へへーん、そこは後のお楽しみのサプラーイズってね。さーて、仕込み始めなあかんなぁ。」
「えっ、サプライズってなに?」
「内緒―っ。」
「あーん、けちんぼ。あっ、直さんから、「結納の段取り書いた紙読んどけよ。」って預かってるし。それにしても、直さんってええ人やね。」
「うん。あー、でも全面的にだまされたらあかんで。ええとこもあるけど、僕なんか、30年虐げられてきてんねんから。くわばらくわばら。じゃあ、厨房入ってるから、なんかあったら声かけてください。」
ポッポー。鳩時計が五時前を告げた。
そこから、怒涛の一時間だった。広義と徹三が手伝いに来てくれた。カウンターの中から、ふたりに稀世とまりあを紹介した。四人で、テーブル席の配置を変え、直が持ってきた結納道具を指示書に合わせて配置した。同じ商店街の酒屋の武藤金義が、お祝いの神酒樽と四本の木槌を持ってきた
「サブちゃん、おめでとう。直さんから聞いたで。おっ、このかわいこちゃんが稀世ちゃんか。天国の先代とひろ子さんも喜んでるな。じゃあ、七時過ぎたら、お邪魔するわな。」
「武藤のおっちゃん、ありがとうね。今、手放されへんから、また後で挨拶させてんか。」
カウンターの中から三朗が返事した。続いて、巻きずしを作りながら悪友のふたりを呼んだ。
「広君、がんちゃん、頼みあんねんけど。ちょっとカウンター中入ってきてくれへんかな。」
ポッポー。五時五十五分を鳩時計が告げた。
「おーい、稀世ちゃん、まりあちゃん、手空いてるか?店の前出てきてんか。」
直の声が、店の外から響いた。稀世とまりあが表に出ると、後部のハッチバックが開いた、「笹井写真館」と大きく書かれた、白い軽バンが停まっていた。
「醇一、着物、このふたりに渡したって。」
笹井醇一が、高級そうな平べったい、紙の大きな箱を二段、おそらく草履が入っているであろう箱と「和装小物」と書かれた段ボール箱を後部荷室から降ろし、稀世とまりあに渡した。直も助手席から、手持ちの木箱を持って降りてきた。
「さあ、稀世ちゃん、変身タイムやで。まりあちゃんも手伝ったってんか。醇一は、次は六時半にな。カメラにフィルム入れんの忘れなや。」
「直さん、今時フィルムなんか使わへんで、今はデジカメや。そんで、稀世ちゃん、「初めまして」やねんけど、バタバタしてるみたいなんで挨拶は、また後で。まりあさんも三朗の事、よろしくお願いします。カメラマンの笹井醇一でしたー。」
と直とふたりに声をかけ、軽バンで去っていった。
「おいこら、三朗!準備進んでるやろな。あと三十分やぞ。二階のあんたのお母ちゃんの部屋、借りるぞ。絶対、覗いたりすんなよ。」
直が、厨房で作業する三朗の後ろを通り抜けながら言った。稀世とまりあもそれに続いた。三朗は、包丁を握りながら、「はいはい」と返事した。
二階の三朗の母の部屋に入ると、直は仏壇の前に座り、お線香をあげ、手を合わせた。
「大将、ひろ子、あのあほボンの三朗も今日、結納して次の日曜日に結婚することになったで。めちゃくちゃかわいいお嫁さん連れてきてくれたで。三朗の晴れ姿、天国から見てやったってな。なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
直は、振り返ると稀世に言った。
「さあ、着付けに入ろか。下着残してみんな脱いでしもて。」
言われるがままに、服を脱いだ。脱いだ服は、まりあがハンガーにかけ、壁につった。直は、眼をくりくりさせて言った。
「稀世ちゃん、すごいおっぱいやなあ。「巨乳」?、いや、これは、「爆乳」いうやつやな!おっぱいだけなら、亡くなった孫以上のサイズや。ありがたや、ありがたや。」
と稀世の胸の前で、直は手を合わせ何度も拝んだ。
直は、まりあに、「ここ抑えて」、「この帯持っとって」、「わし、手、届けへんから、ここをこう、あそこをこうして」と指示を出しながら、着付けを進めていく。約十五分かかって、着付けと小物のセットが終わった。
「さあ、これから、お化粧やな。元がええから、やりがいがあるな。稀世ちゃん、肌がきれいやから、ナチュラルメイクが似合うやろな。」
「直さん、私、着物着たの初めてなんですよ。だから、どんなメイクがいいのかわからないんで、よろしくお願いします。」
「あいよ。それにしても、よお似とる。まるで、心亜が生き返ったようじゃ?」
「「ここあ」・・・さん?」
「さっき話した、十八で死んでしもた、わしの孫じゃ。いかん、涙が・・・。ちょっと待ってもろてええかな。」
直は、ハンカチを目に当て、ぐっと息を詰まらせた。二十秒の後、
「よっしゃ。スタートしょうか。」
稀世の後ろに立ち、鏡台の鏡越しに、確認をしながら、直がメイクを進めていく。最初は、年寄りのするメイクに不安があったが、決して古臭いものでなく、現代の若者にあった自然なメイクと、その時々の直の心遣いが心地よかった。
「直さん、ところで、三朗さんのお母さんの遺影の写真と、直さんってちょっと似てはりますよね。」
「そうかいな。」
「はい、なんとなく輪郭とか目鼻立ちが似てるような気がして。サブちゃんのお父さん、お母さん、生きてはったら、私、謝らないかんかったかなって思って、代わりに直さんに聞いてもらえたら、サブちゃんのお母さんに話をした気になれるかなって。」
「謝らないかん事ってなんや。わしでよかったら、聞いとくで。」
「じゃあ、お言葉に甘えて、サブちゃんのお父さんとお母さんに聞いてもらってるつもりで話させてもらいます。私、安稀世は、三朗さんの事が大好きです。三朗さんも私の事を好きと言ってくれました。
今回、直さんのおかげで、結婚することになりました。お父さん、お母さん、先にひとつお詫びしておきます。私、あと半年の命しかありません。三朗さんを半年後にはバツイチにしてしまいます。お父さん、お母さん、生きてはったら、こんなポンコツな女やったら、きっと三朗さんの事、「やられへんわ」って、きっと言わはったと思います。
だから、謝ります。こんなポンコツな女ですけど、最後まで、三朗さんといっしょに居させてください。三朗さんには。迷惑と負担をたくさんかけるかもしれませんが、どうか、お許しくださいね。以上です。」
稀世の後ろで、直の手が止まり、肩が震えている。再び、直の頬に涙がつたう。
「稀世ちゃん、あんたほんまに優しいなぁ。あほボン三朗にはもったいなさすぎる嫁や。ただ、ひとつ、あんた間違えてることがある。」
「えっ、なんですか?」
「今から話すことは、絶対に三朗に内緒にできるか?まりあちゃんも。」
ふたりは、顔を合わせ、アイサインをかわし、そっと頷いた。
直がゆっくりと話し出した。
「三朗には、三十年内緒にしてきてんねんけど、三朗の母親、ひろ子は、実はわしの娘なんや。驚いたか?このばばあが三朗のほんまの祖母やねん。三朗は、そんなこと全く知らんから、「商店街のうるさいばばあ」としか思ってないけどな。少し長くなるけどええか?」
稀世は、驚きが隠せなかったが、三朗の事を知りたかったことと、「私を家族」と言ってくれた直の事も詳しく知っておきたいと思い、黙って頷いた。
直の話によると、五十二年前。1969年、直は商店街の中の菅野電気店に十七歳で嫁ぎ二年目だった。初めての子供をお腹に宿し、幸せの絶頂にあった。当時の日本は高度成長にあり、ベトナム戦争への反戦デモで荒れる東京や大学以外は、平和でのんびりとしていて、門真駅東商店街はまだニコニコ商店街となる前で、今の倍以上、賑わっていた。
直には、七歳年上の姉がおり、近所の大きなレンコン農家に嫁いでいた。姉は、結婚して五年、子宝に恵まれず、その家の舅、姑から、「子をよお産まん、嫁は農家には不要じゃ。」と毎日のように、いけずをされていた。そんな、直の姉に長男の夫は優しくしてくれていたが、その親を黙らすことはできなかった。
そこで、直の最初の子を姉の家に養女に出すことになったという。「ひろ子」と名付けられた、直の長女は、菅野家の戸籍に入ることなく、姉の家の子として育つこととなった。レンコン農家で家は潤っており、建前上初孫となったひろ子を直の姉の義父、義母はかわいがってくれた。しかし、ひろ子が十七歳の時、義父が相場に失敗し、農業の権利を売却せざるを得なくなった。
1986年、バブル直前の新築ラッシュに合わせ、当時の防燃材として建築資材として重宝されていた、アスベスト建材の工場を残った畑に立て、再建を図った。時代の流れも追い風になり、工場はフル回転で、十七歳のひろ子も日々、家の仕事を手伝い、高校を卒業と同時に、フルタイムで土日の休みも無く家業にいそしんだ。
ひろ子が喀血したのは、高校を卒業した最初の夏だった。アスベストによる健康被害が問題になる前で、病院に行っても原因のはっきりしない肺病扱いで、治療は進まず、体調は日に日に悪くなっていった。直の姉もひろ子のことを心配したが、受注の業務の忙しさから、ひろ子は働かざるを得ず、ある日ついに入院することになった。
当時、ひろ子の楽しみは、月に一度、向日葵寿司でお寿司を食べることだった。当時の向日葵寿司は、初代の大将が店を切り盛りし、三朗の父が修行に入り二年目だった。ひろ子と三朗の父は、非常に仲が良く、「寿司職人として一人前になったら結婚しよう。」と将来を誓い合う間柄になっていた。
そんな中、突然のひろ子の入院に驚いた三朗の父は、病院に飛び込んだ。偶然、直も居合わせた病室で聞いたのは、「ひろ子は、あと五年は生きられない。」との厳しい医師の宣告だった。ひろ子は、三朗の父に、「私の事はもう忘れて。」と別れを告げたが、当時二十一歳の三朗の父は諦めなかった。三十五歳で娘ふたりの母親であり、そして電気屋の女将としてだけでなく、商店街でも活躍していた直に相談した。「うちの親父と直の姉の家を説得してほしい。」ということだった。
直は、「余命五年のひろ子と一緒になるのは、あんたにとって重荷になる話やから、考え直しや。」と言ったが、聞く耳を持たず、三朗の父は結婚へと突っ走った。ひろ子もその思いに押し切られ、その翌月に両家の親の反対を無視してふたりで入籍した。飲食店の嫁が喀血しては、客が離れると初代大将も最初、眉をひそめたため、安月給の中、ふたりは激安アパートを借り、三朗の父は向日葵寿司に通い、ひろ子は自宅療養に努めた。
奇跡的にひろ子の体調は一時的にやや改善し、喀血は止まった。その年に、ふたりの間に三朗が生まれた。ひろ子は「一郎」とつけようと言ったが、「郎」の字で赤ん坊が「いい男に育つ」より、「朗」の字は「ほがらか」の意味があり、「三人でほがらかに仲良くずっと長生きしよう。」との三朗の父の意見で、長男であるにもかかわらず「三朗」と名付けられた。ひろ子は、完治しきらない体調にもかかわらず、三朗を大事に育て、三年を迎えた。三朗の七五三のお参りの際に、家族みんなでおみくじを引いた。ひろ子のおみくじは「末吉」で健康運「気を付けるべし」と出た。
二十二歳を迎えたひろ子は、病院の定期診断で、肺がんが発見された。「やっぱり、余命五年やったんか。」とひろ子は落ち込んだが、三朗の父と幼少の三朗に励まされ、結果的に、三朗が高校に入るまで家族と一緒に向日葵寿司の二階で生活した。わずか、十七年弱の結婚生活だったが、ひろ子は笑顔で旅立っていった。三朗の父も三朗もひろ子を笑顔で送った。
直の話は、そこでいったん止まった。しばらくして稀世に優しく語りかけた。
「稀世ちゃん、三朗が「余命半年」と言われたあんたと結婚するって言って、譲れへんのは、父親と母親の姿を見てきたからやろな。三十一年前に、三朗の父親が、ひろ子が「あと五年の命」と言われて、諦めてたら、自分は生まれていないこともあるやろうし、五年と言われたひろ子の命が、家族の愛に支えられ、十七年の思い出を残せたちゅうことがあるんやろな。
そんで、三朗の頭の中には、その生活に涙は無く、何より、ひろ子が笑って旅立ち、家族も笑って送った、幸せな生活を稀世ちゃんとも送りたいと考えての事やと思うわ。
そんなんやから、稀世ちゃん、安心しいな。三朗の父親も母親のひろ子も、稀世ちゃんが三朗と結婚することに対しては、絶対天国で喜んでっからな。「余命半年上等」ってな。それは、わしが保証したる。わしの話は以上や。」
話終わった直は、鏡を見て、血の気が引いた。手がわなわなと震え、真っ青な顔をして叫んだ。
「あかん、稀世ちゃん!あんた何泣いてんねん。化粧、やり直しやないか!まりあちゃんも目、解け落ちてんで!あー、もう六時二十五分や、急いで直さな!」
六時三十分。三朗は、笹井の指示に合わせ、ふたつのテーブルをつないだ席の奥に座って、結納の段取り書を何度も読み返していた。テーブルには、関西式に結納品が並べられている。トントントンと階段を降りる音が聞こえてきた。
赤い生地に金糸、銀糸で鮮やかな刺繍が施された、振袖で直に手を引かれ、稀世が姿を見せた。後ろにまりあも続いている。
「き、綺麗や…。」
三朗は、立ち上がり、口がふさがらない状態で、あほずらをさらしている。
「三朗、そんなん言われたら、わし照れるがな。」
と直がふざけて返すと、みんな大笑いした。
「あ、あほーっ!だ、だれが、直さんに言うてんねん。稀世さんに言うてるに決まってるやないか。」
「あほ、サブちゃん、みんなの前で、恥ずかしいからやめて。」
と稀世が照れながら、三朗の前の席に着いた。稀世の横には、まりあが座わり、三朗の横には直が座った。笹井が大きなカメラを持ち、写真を撮ってくれている。
直がかしこまって
「このたびは稀世様と、私どもの三朗との縁談をご了承くださいまして、ありがとうございます。本日はお日柄もよろしく、結納の儀を執り行わせていただきます。」
と発声し、皆に頭を下げた、三人もそれに続いた。
「長井家からの結納の品でございます。幾久しくお納めください。」
「ありがとうございます。幾久しくお受けします。稀世からの請書でございます。幾久しくお納めください。」
「(中身を確認して)相違ございません。お受けいただきありがとうございました。」
直が目録をまりあに渡し、まりあが請書を直に渡し、双方が口上を交わした。
続いて、三朗が緊張で裏返った声で
「け、結婚記念品として、稀世さんに婚約指輪をお送りします。皆さんの前でお披露目させてください。」
と言った瞬間、みんなから笑い声が漏れた。三朗と稀世は立ち上がり、三朗が、稀世の左手を取り、母親の形見の指輪を稀世の薬指にゆっくりと入れた。直とまりあが拍手を送った。まりあは、涙ぐんでいる。
「本日は誠にありがとうございました。おかげさまで無事に結納を収めることができました。今後とも末永くよろしくお願いします。」
「こちらこそありがとうございました。今後とも末永くよろしくお願いいたします。」
と直とまりあが中締めの言葉を発し、三朗と稀世が立ち上がった。
「本日は私たちのために、このような席を設けていただき、ありがとうございました。これからふたりで力を合わせて幸せな家庭を築いてまいります。今後とも温かく見守っていただきますよう、よろしくお願いします。」
とふたりで、直とまりあに宣言した。そこで三朗が
「ちょっといいですか。これは僕からなんですけど。」
と言って、カウンターの裏からふたつの花束を出した。広義と徹三に最初に稀世に送ったひまわりを買った檜生花店に受け取りに行ってもらった花束だった。最初に直、そしてまりあに「ピンクのバラとかすみ草」の花束を渡した。
「今日は、本当にありがとうございました。花屋の檜興平さんの奥さんからの受け売りですが、ピンクのバラとかすみ草の花言葉は、「感謝」です。おふたりの協力なしには、稀世さんと結婚することはできませんでした。本当にありがとうございました。そして、これからも若輩者の私たちを支えてください。よろしくお願いします。」
とふたりに頭を下げた。
「あほボンの三朗にしては、やるやないか。」
「サブちゃん、ありがとう。そしておめでとう。稀世の事、頼むね。」
とふたりから言葉をもらった。そして、もう一度、カウンターの裏に行き、抱えるような大きさの花束を取り出した。「大量の向日葵とカミツレ」の花束だった。
「おっ、それもわしにか?」
直が茶化した。三朗は苦笑いしたが、すっと真面目な顔になり、
「すんません、これは、稀世さんにです。稀世さんと初めて会った日は、一本の向日葵で始まりました。一本の向日葵の花言葉は「一目惚れ」でした。今日は九十九本の向日葵とカミツレの花束を送らせていただきます。九十九本の向日葵の花言葉は、「永遠の愛、ずっといっしょに居よう」です。そしてカミツレの花言葉は「安らぎ」です。僕の親父とおかんがそうであったように、決して金銭的には裕福ではありませんが、毎日、笑顔で安らかに過ごせるように稀世さんを守っていきますので、どうか受け取ってください。」
と稀世に花束を差し出した。稀世も感極まって、眼に涙を浮かべ、
「サブちゃん、ありがとう。サプライズってこれの事やったんやね。一生の思い出にするわ。ほんまにありがとう。」
と花束を受け取った。笹井が
「はいこっち向いて。」
と写真を撮ってくれた。最後に全員で
「今後とも末永くよろしくお願いします。」
と締めた。
稀世が隣のまりあに
「まりあさん、本当にお世話になりました。そして、ありがとうございました。」
と抱擁する姿を見て、三朗と直もほろっと来た。
「じゃあ、写真撮りますから、お店の前に移りましょう。」
と笹井が声をかけて、店の引き戸を開けると、パパーン、パパパパパーンとクラッカーが鳴り、一斉に、「三朗くん、稀世さん、おめでとうございまーす。」
と広義、徹三を先頭に、商店街のみんなが集まっていてくれた。笹井がみんなを前に
「まずはおふたりで。続いて四人で。そして、みんなで集合写真を撮りましょう。ご協力の程、よろしくお願いしますねー。」
と言い記念写真の段取りに入った。みんな笑顔だった。
「ふたりの夜」
記念写真のあと、みんな店に入り、お祝いの席が始まった。酒屋の武藤金義が持ってきた神酒樽が、店の前に設置され、三朗、稀世、まりあ、直の四人で「おめでとう、よいしょ」の掛け声で鏡割りされ、道行く人にも振舞われた。店の中は、広義と嫁のかずみ、徹三とその嫁さとみがフル回転で、料理と飲み物を配膳して回った。直の宣伝効果のおかげで、店に入りきらない人数が祝福に訪れ、道にまであふれた。大阪ニコニコプロレスの社長と稀世の後輩研修生の夏子も七時過ぎに合流した。
三朗と稀世は、皆と記念写真と祝辞を受けるのに精いっぱいで、飲み食いする余裕はほとんどなかった。会う人会う人が皆、三朗に対しては、「一生ひとりもんの童貞でおるんやと思ってた。」という意味の言葉を掛けていたので、(三十歳、独身、彼女歴無しはほんまなんやなぁ)と稀世を納得させた。夏子は、稀世に抱きつき
「稀世姉さん、三朗さんのもんになってしもたんですね。ちょっと、ジェラシーやわ。」
と言って、甘えている。大阪ニコニコプロレスの社長からは、
「安稀世っていう看板レスラーを失うことは、うちとしたらすごい痛手やねんけど、稀世の幸せの方が大事やから、必ず幸せになってや。五年間、よお頑張ったな。持ち前のファイトとうちで鍛えた根性でがんばりや。また、いつでも遊びにおいで。」
との言葉をもらった。思わず、涙が溢れた。
時間が進むにつれ、乱痴気騒ぎが激しくなり、三朗も稀世もそこそこ飲まされ、昨晩の徹夜の疲れもあり、テーブル席で眠ってしまった。午後九時、直が仕切って、お披露目会は終了となり、お開きとなったみんなは、別の店に流れていった。
まりあが稀世を背負い、二階の三朗の母の部屋まで連れていき、直が着物を脱がせ、ジャージに着替えさせた。はたと、目を覚ました稀世が、直とまりあに言った。
「さっき、三朗さんのお父さんとお母さんに会ってあいさつしました。笑顔で頑張れよって言ってくれはったんです。あー、こんな私のこと認めてもらえてよかったです。」
と言って、再び、鏡台の前の椅子で眠りに落ちた。
「まりあちゃん、稀世ちゃんが椅子から落ちんように、支えといたってな。」
というと、直は勝手知ったるなんとやらで、押し入れから、二組の布団を並べて引き、その一枚に稀世を寝かせてもらった。リビングで紙とマジックを取り出し、稀世の隣の布団の枕の上にメモを置いて、まりあといっしょに部屋を出ていった。
一階の店には、テーブルに突っ伏して寝ている三朗と、ニコニコプロレスの社長と夏子だけが残っていた。まりあが、社長と夏子に
「ごめんね、遅くなっちゃって。近くのパーキングに、車停めてるから、夏子、先に社長送って、それから私んとこ頼むわ。そんで、明日は、稀世のアパートの荷物移すから、ジム寄ってハイエース乗って、お昼に稀世の家に集合な。じゃあ、直さん、今日はありがとうございました。明日もまた来ますんで、あとサブちゃんだけお願いしますね。」
「あいよ。あほボンは任しとき。じゃあ、また明日よろしく頼むわな。」
直は、三人を店の前まで見送り、暖簾をしまった。三朗が寝てるテーブルに水の入ったコップを持ってきて
「三朗、三朗。こら、起きんかい、あほボン。」
といって頬をたたいた。
「うーん、あー、直さん、すんません。すっかり飲まされてしもて。稀世さんは?」
「お前が、酔っぱらって無茶苦茶するから、愛想つかして、出ていったぞ。」
「えっ、うそ。あー、稀世さーん。」
と入り口の扉に向かって、駆け出したが、足がもつれて、転倒した。
「うそや、うそや。だからお前はあほボンやねん。まりあちゃんが二階まで背負ってくれて、もう着替えて、おまえの母親の部屋で寝てるわ。昨日、寝てへん言う話やったから、今日はそっとしといたり。いちおう、サービスでお前の布団も横に並べてるけど、寝込みを襲うような卑怯な真似だけはするなよ。何なら、わしが一晩寝ずの番したってもええねんぞ。」
「直さん、それは堪忍してください。僕もおとなしく寝ますから。」
「三朗、今日の昼にも言うたけど、「半年では、赤ちゃんは生まれへん。」っていうことだけは、頭に置いとけよ。もしものことがあったら、つらい思いをすんのは稀世ちゃんなんやからな。わかったか。」
「う、うん。わかってる。稀世さんといっしょに居られるだけで十分や。」
「なら、ええ。親父さんとお袋さんに手合わせて、しっかり報告してから寝るんやで。じゃあ、わしも帰るから、戸締り忘れんようにな。」
「うん、直さん、ほんまに今日は、ありがとうございました。これから頑張るんで、よろしくお願いします。」
「ああ、がんばるんは当然や。稀世ちゃん、泣かすようなことがあったら、わしが許せへんで。じゃあ、お休み。」
「はい、おやすみなさい。送らんでええですか?」
「わしの事はええ、はよ風呂入って寝ろ。」
直は踵を返し、入り口から出ていった。静まり返った店の中で、冷たい水を飲み、風呂を沸かして、この一日半を振り返った。(今までの三十年間を超える濃さの三十時間やったなぁ。あぁ、ちょっと疲れた。親父、おかん、報告は明日にさせてくれな。お仏壇じゃなくて、お墓に行くわ。)
風呂を上がり、寝巻のスウェットに着替え、元母親の部屋に入った。枕の上に、直の字で「絶対、過ちを犯すなよ。直より」とあった。(いったいどこまで、僕のこと疑っとんねん。)横の布団に寝ている稀世は、反対側の壁を向いていて、残念ながら顔は見えない。
(寝顔くらいは見てもええやろ。襲うわけとちゃうから、なあ直さん。)と自分に言い訳しながら、稀世の反対側に回り、寝顔を覗き込んだ。幸せそうな顔をして、すやすやと眠っている。(あぁ、良かった。明日からは、ずっと一緒やで。頑張っていこな。)とほっぺに軽くチュッとした。ぴくっと、稀世が反応し驚いたが、寝返りを打ったおかげで、三朗のふとん側から顔が見れる角度になった。
「稀世さん、この二日間お疲れさまでした。今晩はゆっくり休んでくださいね。おやすみなさい。」
三朗も布団に入り、稀世の寝顔を見てながら寝息を聞いているうちに自然と眠りに落ちていった。
翌朝、朝六時、携帯電話のアラームで三朗は目を覚ました。いつもと違う風景に、やや戸惑ったが、周りを見回し自分の部屋のベッドではなく、元母の部屋で布団で寝ていたことにがわかった。そしてすぐに、隣に寝ていたはずの稀世の姿が無いことに気付いた。布団は丁寧に片づけられていた。断片的な昨晩の記憶をつないでいった。(たしか、直さんが、「お前が、酔っぱらって無茶苦茶するから、愛想つかして、出ていったぞ。」
って言ってたような?あれは直さんの冗談やったような気もするが。うーん、自信がない。とにかく、稀世さんを探さなきゃ。)
慌てて飛び起き、隣のリビングへ。誰もいない。その奥の三朗の部屋を見た。やはり無人だ。(愛想つかして出ていったちゅうのは、ほんまやったんやろか。あわてて、携帯を取り出すが、稀世の番号を登録していないことに気が付いた。半泣きになって、一階の店に降りた。店も無人で昨日のテーブル配置のままの状態だった。店の扉が少し開いていることに気が付いた。(昨日、直さんが帰った後、確かに締めたはずなのに)嫌な予感が頭をめぐり、背筋に冷たいものが走った。
「稀世さーん。」
叫びながら、飛び出したところ、店の前にころがっていた、昨日の回収忘れであろう、ビール瓶に足を取られ、顔から転んだ。起き上がり、道の左右を見たが朝の通りに人影はない。通り1本ずつ左右に走り南北の通りを見てみたがどちらも無人で、猫が歩いているくらいだった。
(もしかして、昨日はすべて夢?)転んだ時に泥だらけになった手を払い、顔の泥を払った。肩を落とし、店に戻り、泥の着いた手を見てると、涙が出てきた。(とりあえず、顔と手、洗わなきゃな)と、浴室に行き、ドアを開けた。
「きゃーっ、ちかん!のぞき!でばがめー!いやーつ!」
叫び声と同時に、洗面器が飛んできた。洗面器が三朗の眉間にあたり、眼から火花が出た。スローモーションで目の前を落ちていく洗面器の向こうに、左手で胸を隠して、右手は洗面器を投げた後のアフタ―スロー中の稀世の裸の姿が目に入ったが、その場で後ろに倒れ落ちた。
「サブちゃん、サブちゃん、大丈夫?ごめんね、覗きと勘違いしてしもて。」
と稀世の呼ぶ声に、三朗はうっすらと目を開けた。後頭部に柔らかい感覚と目の前には白いバスタオルと心配そうにのぞき込む稀世の顔があった。
「稀世さん、出ていったんじゃなかったんですね。よかったー。」
稀世の膝枕から、急に起き上がった、三朗の右手が稀世の身体に巻いたバスタオルの胸の部分に引っ掛かり、胸がはだけた。
「きゃーっ、サブちゃんのエッチ!」
稀世の右掌底が三朗の右顎に決まり、再び三朗の意識は闇の中に落ちていった。
次に、三朗が目を覚ました時は二階の布団の上だった。稀世は、赤いニコニコプロレスのジャージに着替えていた。
「あっ、サブちゃん、目覚めた?ごめんね、いきなりサブちゃんが私のお風呂覗いたり、バスタオルとったりするから、つい洗面器投げて、掌底入れちゃって。ごめんなさい。
でも、サブちゃんも悪いねんで。いくら夫婦になったからって言っても、ノックも無しにお風呂の戸開けたり、いきなり巻いてるバスタオルとるようなことしちゃいや。」
「(事の経緯を思う出して)ごめんなさい。朝起きて、稀世さん、居なかったんで、どこかに出て行っちゃたかと思ってパニックになってしもて、すいませんでした。稀世さん、悪気はなかったんです。どうか許してください。」
と三朗は、布団の上で土下座した。
「うーん、サブちゃん、ちょっとお仕置きするから、目つぶって。」
(えっ?平手打ち?まあしゃあないか。)三朗は、目をぎゅっと閉じて、来たるべき衝撃に備えた。
「ちゅっ。」
唇に柔らかい感触が。
「これからは、お風呂覗いちゃいやよ。お仕置きの「ちゅ」!」
「えっ?」
三朗は、右手の人差し指と中指で自分の唇をなぞった。(いましがたの感触は?)
「さあ、仕込みもあるやろうし、起きてよ。今日は、私が朝ごはん作ったからね。ちゃっちゃと食べて、動くで!」
稀世は、リビングのキッチンに向かった。
暖かいご飯に、卵焼き、お味噌汁にお漬物。おいしそうな香りが漂っている。
「さあ、サブちゃん座って。プロのサブちゃんみたいに美味しくできてないけど、食べてください。」
「はい、喜んで。稀世さんの手料理が食べられるなんて夢のようです。いただきまーす。」
両手を合わせ、三朗は卵焼きから箸をつけた。
「うまーい。さっぱり味で最高でーす。味噌汁も絶妙なみそ加減で、ベストっす。僕は最高に幸せです。」
「もお、サブちゃん、そんなにおだてないでよ。ニコニコで調理係もやってたから、調理の基礎くらいはできるけど、サブちゃんの料理と比べたら、素人料理なんだから。」
「いやぁ、なんといっても僕の前に稀世さんがいて、顔を見ながらふたりで朝ご飯が食べられる。それが、何よりのごちそうですよ。稀世さんのごはんだったら、10人前でも、100人前でも食べられますよ。
「もー、あほ。はよ食べて、仕込みの準備して。洗濯と掃除は私がやるから。」
甘い、甘い時間が向日葵寿司の二階に流れていった。
うきうきした気分で、鼻歌交じりの仕込みはいつもと違って、楽しかった。カウンター越しに、店を掃除する稀世を見るのも楽しかったし、厨房の奥の廊下から2階へ洗濯物を持って上がる稀世の姿を見るだけでも幸せだった。
仕込みが終わって、稀世が入れてくれたお茶をふたりで飲むのも、今までにない時間で格別だった。リビングのテーブルで、三朗が聞いた。
「今日、まりあさんが夏子ちゃんたちと稀世さんの部屋の荷物運んでくるんですよね。何時ごろの予定ですか?」
「まりあさんからは、大きい家具は、必要なものを今日伝えることにしてて、服や靴と当面の生活用品だけお願いしてるから二時間ほどで作業は終わると思うんよ。昼からの作業だって聞いてるから、三時から四時になるんとちゃうかな。」
「じゃあ、一時半に店閉めて、片づけ終わったら、二時から一時間ほど付き合ってもらえますか。」
「うん。大丈夫やと思うんやけど。」
「じゃあ、僕の家の墓参り、付き合ってください。親父とおかんに稀世さん紹介したいんで。ここから歩いて十五分の所にありますから小一時間で行ってこれますから、お願いします。」
「こちらこそ、お願いします。是非とも連れて行ってください。」
「商店街の人たち」
昼のランチタイムは、いつもと違い、ほぼ満席の状態が続いた。昨日、忙しくて来られなかった、夜のお店の人や、留守をしていて、直さんから、三朗と稀世の結納披露について聞いていなかった人が、次々とやってきては、三朗と稀世に、「おめでとう」の祝福と、「がんばりや」と激励をしていってくれた。中には、「三朗の結婚は無いもの」と決めつけていた分、感動が大きく、店でうれし泣きしてくれる人もいた。(サブちゃん、みんなに愛されてんねんなぁ。)と稀世は感心した。
商店街の人たちは、ほぼ全員が、金額の大小はあるものの、祝儀を持ってくるか、その日のお釣りを受け取らずに帰っていった。昼から、こんなにビールが出たのは、親父の時にも無かったと思った。稀世が初めてながらもしっかりと配膳、下膳をしてくれたのでことはスムーズに進んだ。一時半に、最後の客が帰り、洗い物とカウンターとテーブルの清掃が終わると鳩時計が鳴った。
稀世は、普段着に着替え、三朗は上をTシャツに着替え、仏壇からろうそくと線香とライターを袋に入れて、出かける準備を済ませた。
「じゃあ、稀世さん、出かけましょうか。まずは檜さんとこ行きますんで。檜さんは、商店街の生花店です。例の、花言葉教えてくれた店です。昨日は、ご主人の興平さんと奥さん来られなかったんで。墓参りの花買うのといっしょに、稀世さんの紹介とお礼を言いたいと思って。」
「うん、是非とも。私もお礼言いたいから、連れてって。」
向日葵寿司を出て、檜生花店に行く途中で、「お好み焼きがんちゃん」に顔を出し、徹三と奥さんのさとみに昨日の手伝いのお礼を告げた。さとみが徹三の制止を振り切って「うちも広君とこも「かかあ天下」やから、稀世ちゃんもサブちゃん尻に引いてええねんで。」とアドバイスしてくれた。最後に「いつでもふたりでお好み食べに来てね。」、「稀世ちゃんとかずみさんと三人で女子会しよね。」とさとみが優しく声をかけてくれた。
続いて、西沢米穀に顔を出した。広義とかずみが優しく迎えてくれた。ここも、かずみ主導で喋りまくり、「サブちゃん、めちゃくちゃ奥手やったから、女の子の扱いなれてへんから、気に食えへんことあったら私んとこに言いにおいでな。私からガツンと言うたるからな。まずは、お友達になろな。」、「3バカトリオ集まると、グダグダになるまで飲みよるから、店にうちのバカとがんちゃん来たときは注意しいや。」と警告していたようだ。
本来の目的地の檜生花店にやってきた。主人の興平は配達で出ていたので、奥さんが優しく、稀世と三朗を迎えに来てくれた。
「稀世ちゃん、初めまして。この子が、サブちゃんぞっこんの「向日葵の君」なのね。ほんと、サブちゃんが言うように、「向日葵」のイメージの感じのええ子やなぁ。おばちゃんも好きになってしもたわ。」
と稀世を強く抱擁した。
「昨日ね、五時前にサブちゃんが、「おばちゃん、向日葵の子と結婚することになった。」言うて飛び込んできて、びっくりしたがな。まあ、その前に直さんからサブちゃんの結納があるって聞いたところやってんけどな。
「結婚に際してかっこいい花言葉あるかな?有ったら教えてほしいねん。一世一代の大舞台やから、かっこつけたいねん。」ってね。そんで、私が、向日葵そのものの花言葉が、「あなただけ見つめてる」、「あなたを幸せにします」いう意味があるんよ。そんで、本数で言うと十一本で「最愛」、九十九本で「永遠の愛、ずっといっしょにいよう」いう意味になるんよ。って教えてあげたの。
そしたら、迷わず「九十九本用意しとって。後で広君かがんちゃんに取りに来てもらうから」ってね。もう、知ってる店からかき集めたんやで、九十九本。
そんで、感心したんは、「直さんと稀世ちゃんの先輩にも世話になったから、お礼したいから、知恵出して。」ってね。サブちゃんの優しいとこ出てるわ、っておばちゃん母性本能久しぶりにくすぐられたわ。サブちゃん小さい時からね…。うふふ」
「ちょっと、おばちゃん、ストップストップ。今から墓参り行かなあかんから、おしゃべりは、そのへんにしといて。おばちゃん、話しだしたら、二時間でも三時間でもしゃべり続けてまうから、それはまた今度にしてんか。」
「あぁ、そやね。ごめんごめん。先代とひろ子さんの分やね。今回はお墓やね。じゃあ、これね。」
と仏花を2セット用意してくれた。
「ほんで、これは、稀世ちゃんに、ガーベラとスイートピーよ。「頑張れ」と「門出」って花言葉なの。おばちゃんからのささやかなお祝いね。これからよろしく。」
と稀世にも花を包んでくれた。
「ありがとうございます。落ち着いたら、また来ますんで、その時ゆっくり話聞かせてください。」
と稀世が頭を下げた。三朗がすかさず言った。
「檜さんとこ来るときは、二時間タイマー持って行きや。そうせんと、おばちゃんの話おもろいから、気が付いたら半日仕事になってるで。」
みんなで笑った。
「じゃあ、ありがとうございます。興平さんには、また後日、ご挨拶させてもらいます。」
とふたりで頭を下げて店を出た。
歩きながら稀世が言った。
「直さんもそうやねんど、さとみさんもかずみさんも檜さんのおばちゃんも、ここの商店街のひとらみんな「ザ・大阪のおばちゃん」って人ばっかしやな。私もじきに「大阪のおばちゃん」になるんかなぁ?」
「稀世さん、できれば堪忍してほしいです。いつまでも、かわいい稀世さんでおってください。」
「どうしようかなぁ。」
ふたりであまりに大声で笑うので、通りすがりの人たちが不思議そうに振り返っていた。
お墓に着き、三朗は墓地に置いてあるバケツとたわしで墓をごしごしと洗った。稀世は、花入れを掃除し檜生花店で買った花と入れ替え、墓の周りの草をむしった。一通りの掃除が終わり、ろうそくに火をつけ、線香をくべた。ふたりで霊前に手を合わせた。
「親父、おかん、こんな僕も結婚することになりました。隣にいるのが稀世さんです。僕にはもったいない素敵な人です。親父とおかんみたいに笑顔が絶えない家庭を作っていこうと思ってます。応援してください。」
「お義父さん、お義母さん、昨日お仏壇の方にはご挨拶させてもらってますが初めまして、三朗さんと結婚させていただきます稀世と言います。素敵な息子さんを生んで、育てていただいてありがとうございました。三朗さんと頑張っていきますので、温かく見守っていてください。よろしくお願いします。」
ふたりで、お墓に一礼すると、稀世の携帯が鳴った。夏子からのメールだった。「あと十五分くらいで着きます。」との事だった。
「じゃあ、稀世さん、戻りましょうか。かずみさんと檜さんの奥さんに捕まった分、遅くなっちゃいましたね。賄い、食べる時間あるかな?」
「私は、大丈夫。荷物入れてる間に、サブちゃんは食べてな。」
「ごめんなさい。そうさせてもらおうかな。」
「うん、そうして。荷物入れ終わったら、みんなにお礼のお寿司出してあげてほしいの。その時に私もいただくわ。」
と言って、稀世がもじもじしてる。
「なんですか、稀世さん、またおトイレ?」
「あほ、違うわ。(もごもごもご)」
「えっ、なんですか?」
「あのね、腕組んでいい?」
「モチのロンでオッケーですよ。」
稀世は、左手にガーベラとスイートピーの花束、右腕に三朗の左腕。ご機嫌で三朗に言った。
「この間の、「頑張るぞ」って歌教えて。」
「結婚式の準備開始」
稀世と三朗が店に帰るとほどなく、大阪ニコニコプロレスを両サイドに大きくロゴが入ったハイエースが店の前に着いた。
「稀世姉さん、夏子でーす。荷物、段ボールで八箱ありますけどどうしましょうか?」
と夏子が元気に店に入ってきた。三朗がカウンターの奥から出てきて、
「夏子ちゃん、お疲れさまでした。昨日に引き続きありがとう。今日は、特上寿司食べて帰ってな。」
「わーい、三朗さん、あざーす。」
「車、長いこと店の前停められへんから、荷物八箱くらいやったら、店の中入れて、昨日、まりあさんが停めてたコインパーキングに車動かしてもらえるかな。稀世さん、今、二階の部屋片づけてるから、先に荷物入れちゃってくださいな。」
「了解でーす。」
次々と荷物が店の中に運び込まれ、段ボール箱の山ができた。その上に、白い箱が乗っている。五分ほどで作業は終わり、ハイエースは一度出て行った。十分ほどすると、夏子と同じく研修生の陽菜とまりあがエコバックを持って入ってきた。
「サブちゃん、この子たちがどうしても、稀世のお祝いしたいって聞かないもんだから、さっきケーキ買って、いま、スパークリングワイン買って来てんやけど、荷物整理終わったら、上の部屋借りてちょっとお祝いさせてもらってええかな?」
「ぜんぜん、ノープロですよ。片付け、終わる時間読めたら、下に声かけてください。今日もいろいろお世話になっちゃってますし、夏子ちゃんと陽菜ちゃんの分もお寿司握りますんで。時間あるなら、ゆっくりしていってくださいね。」
「ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうわな。よし、サブちゃんのオッケー出たから、まずは荷物、上の部屋に上げて行こか。夏子、陽菜頼むで。」
「はーい。」
ふたりが、最初の箱を担いで、二階に向かうと、まりあが三朗に寄ってきて聞いた。
「サブちゃん、昨日、やったん?」
さすがに、研修生といえどプロレスラーだ。息が切れることも無く、大きな箱八つが、あっという間に店から消えた。最後に、夏子が白い箱に入ったケーキを
「三朗さん、これ、冷蔵庫に入れておいてもらえますか。」
と預けに来た。ケーキの箱を受け取り、厨房から二階の稀世に向かって
「稀世さーん、今から、夜の部の仕込みに入りますんで、何かあったら声かけてくださいねー。」
「はーい。一時間は、箱、片すのにかかると思うんで、お仕事に集中してなー。」
とやり取りした。
仕込みが終わり、大桶ひとつと小桶四つ、寿司を握っていった。四人分十二人前を握り終わった時、直が大きな風呂敷包みを持って店にやってきた。
「おい、三朗、昨日はオイタせんかったやろうな。稀世ちゃんは上か?」
「はい、稀世も一昨日、一睡もしてなかったんで、よう寝てましたよ。今日は、昼のランチは配膳下膳手伝ってくれて、さっき、がんちゃんとこと広君とこと檜さんとこ挨拶言って、墓参りしてきたところですわ。今は、まりあさんと、ニコニコプロレスの研修生の子ふたりが、稀世のアパートから、服やら靴やら、身の回り品持ってきてくれはって、上で整理してます。」
「そうか、逃げられてなかったらそれでええ。失礼するで。」
階段下から、直は声をかけた。
「稀世ちゃん、直やけど、上、失礼するで。」
しばらく、ガタゴトとものを動かす音と振動が響いていたが、静かになった。夏子が二階から降りてきた。
「三朗さん、大まかな整理は終わりました。すいません、さっきのケーキで、お祝い女子会させてもろてていいですか?陽菜ちゃん、昨日来られへんかったから、稀世姉さんとシャンパン飲む気バリバリなんで。」
三朗は冷蔵庫からケーキの箱を出して、夏子に渡した。
「直さんも含めて女子会なん?」
と夏子に聞いた。
「おい、あほボン三朗、聞こえたぞ。おまえ、後で覚悟しとけよ。」
直の声の後に、二階から女の子らしい甲高い笑い声が響いた。
「じゃあ、夏子ちゃん、後頼むわな。楽しんでおいで。お寿司もできてるから、ケーキ食べ終わって、落ち着いたら降りておいで。」
「ありがとうございまーす。じゃあ、今しばらく、女だけで楽しませてもらってますね。」
(直さんから、夏子ちゃんまで、年の差半世紀以上。年の差、約四倍。女子会って奥が深いなぁ。)
午後五時、大いに盛り上がってる、二階の部屋から陽菜のものと思われる悲鳴が上がった。
「きゃーっ、これ何なんー。まりあさん、稀世姉さん、なっちゃんも直さんも見てくださいよー。」
「いやー、変態やん、こんなん。」
「これ、稀世姉さんに似てますよ。どう思いはります、まりあさん。」
「わー信じられへん。」
陽菜と夏子の声が交互に響いた。遅い賄い飯を食べて、ゆっくりと休憩していた三朗の背に電撃が走った。(もしや、あれが見つかったのか?)さーっと、血の気が引いていくのが分かり、ぶるぶると手足が震えた。
どたどたどたと、五人の足音が、近づいてくる。(逃げるか?いや、逃げ切ることは、できないやろう。ならば、開き直るか。稀世さんとまりあさんはともかく、直さんは、それで納得するやろか。ましてや、先ほどの声は、夏子ちゃんと陽菜ちゃんのものや。あの子たちの行動は全く読めへん。)と考えているうちに、二階から降りてきた五人の女性に囲まれてしまった。陽菜の左手には黒いビニール袋が握られている。(ああ、やっぱり・・・)
夏子がビニール袋の中身を一つ一つみんな見せながらカウンターに並べていく。順番に三朗の呼吸は浅くなり、脈拍はこれまで経験がないくらい早く打っていた。並べられたものは七つに及んだ。陽菜が持って降りてきた黒い袋は、一昨日、稀世が家に来た際、いの一番に、袋に入れ、押し入れにしまったまさにそれそのものだった。陽菜が、第一に声を上げた。
「三朗兄さん、説明してもらいましょか?」
魔女裁判で清教徒の裁判員の前に立たされた魔女か、ゲリラ軍に捕まった正規軍の捕虜の気持ちが、三朗には瞬時に理解できた。(何を言っても、許されることは無い。)何も言えずに、固まっていた。直とまりあの視線は鋭くそして冷たいものだった。夏子は、デモ隊の隊長のごとく興奮している。陽菜は明らかに酔っぱらっている。稀世は、三朗と目を合わせようとせず、左下に視線を向けて動かない。
「さあ、兄さん、黙ってちゃ、何もわからへんやないですか。これは何ですの?」
とカウンターに並べられたものの中央のものを取り上げて、三朗の顔の前に突き付けた。酒臭い、陽菜の吐息が三朗の顔にかかる。
「なんも、言えへんのやったら、私が読み上げましょか。」
左手に持ったDVDを皆に見えるように円弧を描き
「ぽちゃむき、Hカップ女子レスラーAVデビュー140分スペシャル。」
ひとつのDVDのタイトルを読み上げると、端から取り上げ、どんどん読み上げていく。
「「ショートカットのぽっちゃり美女、街角ナンパ即はめ」、「巨乳ダヨ!全員集合!5人でバスト600センチ祭り」、「悶絶レッスルマニア、女子プロレスヘビー級バトルロイヤル」、「ひとめぼれ、プロレスリング上の女神Gカップチャンピオン」、「太った女の子は好きですか?すみからすみまで全部見せちゃいます」、「巨乳ギャルレスリング、KGW2019ベスト180分」。兄さん、かなりマニアでんなぁ。こんなん目当てで稀世姉さんに近づかはったんですか?ちょっとなんとか言うて下さいよ。こんなもんがどっさり黒い袋に入って、押し入れの中に。稀世姉さんへのセクハラですか?」
酔って、真っ赤になった顔で三朗に詰め寄る。
「そ、それは、一昨日、稀世さんが、急にうちに来ることになって、い、急いで袋にまとめて押し入れに隠したDVDです。それは、間違いありません。すいませんでした。」
稀世は相変わらず、黙っている。夏子が陽菜に乗っかって三郎に問う。
「三朗さん、いつもこんなん見てはるんですか。」
「は、はい。」
「思いっきり、変態ですよねぇ。巨乳マニアでデブ専ですか。どうなんですか。私らのこともそんなエロい目で見てはったんですか。」
「(もごもごもご)」
「えー、何言うてはりますの。みんなに聞こえるように言うてください。巨乳マニアでデブ専の兄さん。」
今度は、陽菜が毒を吐く。
「(もごもごもご)」
「聞こえませんよ、なんですか?男やったら、はっきり言うてください。」
夏子があおる。
「あのなぁ、僕は、巨乳はともかく、デブ専ちゃうわ。ジャケット見てください。どこがデブやねん。みんな健康的でええやないですか!デブちゃいます。「ぽちゃむき」で「ぽっちゃり」で、「ヘビー級」やないですか。どこがおかしいんですか。
僕は、健康的で大きい、稀世さんがタイプなんです。だから、夏子ちゃんも陽菜ちゃんも対象外なのでエロい目でなんか見たことないです。それにAVから稀世さんじゃなくて、稀世さんからAVなんです。一昨日迄、稀世さんに好いてもらってるなんて思ってませんでした。三十歳、童貞、彼女歴ゼロでした。憧れやった稀世さんイメージしてAV見て何があかんのですか。今は、稀世さんがいるんで、もう不要です。捨てるなり焼くなり好きにしてくださいよ。このAVたちに何の未練もありません。捨ててもらっても結構です。こころから、AV達にありがとうと伝えてさようならです。稀世さんさえおってくれはったらAV全部捨てても、我一片の悔いなしです。」
三朗は一気に話し切り、息が切れている。一同、静まり返った中、「カカカカ」と直が笑い、前に出た。
「この勝負、あほボン三郎の勝ちやな。三朗が言うように「デブ」と「ぽちゃむき」、「ぽっちゃり」、「ヘビー級」は別物やな。そんで、稀世ちゃんおったら、AVはもう要らんと。おまけに、お世話になったAVに「ありがとう」やとさ。三朗のやさしさがそこに出とるわ。
わしもAVは好きやないけど、今の七本のDVDのジャケット見たら、どれもなんか稀世ちゃんに雰囲気似てる子ばっかりやないか。これを昨日以降に買っとったら、許されへんところやがな。ましてや、この二日間、ひとつ部屋で夜を共にしていながら、稀世ちゃんを大事に思って手を出せへんかった三郎の意志をわしは信じたい。」
「直さん、そうですね。ジャケット見てたら、販売年とそのころの稀世の髪型や、髪の長さが近いような気がするしなぁ。どの女の子もエロさより、健康さの方が出てるやないの。AVなんて男やったら持ってんの普通やと思うし、陽菜と夏子、あんたらこそ稀世の事、「デブ」と思ってんのか?私は、直さんの意見に着くわ。サブちゃんは無罪。さあ、これで、裁判は、2対2や。後は、稀世次第やな。」
みんなの視線が稀世に集まる。稀世は、真っ赤な顔をして、
「私は、サブちゃんがAV捨ててくれるんやったら、全然問題ないです。これから、買われたらいややけど、サブちゃんの事信じます。これからは、私だけを見てくれると信じます。それに、恥ずかしい話やけど、私もサブちゃんに似てるAV男優のビデオ見たことあるから、おあいこです。なっちゃん、陽菜ちゃん、サブちゃんを攻めるのはやめてほしいかな。」
「おっしゃ、稀世ちゃんがそういうんやったら、これで終わりやな。三朗、明日、これブックオフでお別れしてこい。はい、この件はこれでおしまい。」
直の「おんな黄門様」と言われる裁きで、第一次長井家「AVは浮気なのか事件」は無事解決を迎えた。
三郎は、よくわからないうちに、事が纏まって、ほっとすると同時に、この先、直とまりあにますます頭が上がらなくなった。稀世は三郎と目を合わせ、くすっと笑った。
直の「大岡裁き」もとい「菅野裁き」で長井夫婦への最初の難関を軟着陸させ、店のテーブルで、引っ越し作業への慰労会へと進めることとなった。稀世とまりあと直の向かいに夏子と陽菜が座った。三朗が、特上握りの小桶とみんなで食べられる大桶で直の追加分も含めて十三人前の寿司を並べた。陽菜は、まりあからこの後ビール禁止の命令を受けた。酔いがさめるにつれて、自分のやらかしたことの重大さに気付いたのか、夏子と共に三郎に謝りに来た。先ほどのAV騒動は、完全にノーサイドとなった。女子会二次会は、お寿司パーティーとなった。半分ほど、桶が開いたところで、直が紫の大きな風呂敷包みを持ち出した。中から、出てきたのは「ウエディングドレスカタログ」だった。稀世と夏子と陽菜から「キャー、素敵」と歓声が上がった。稀世が席の中央で、両サイドの席のまりあと直の席に夏子と陽菜が付き、まりあと直は向かいの席に移った。ニッセンのカタログくらいあるドレスカタログはずっしりと重かった。
「こんな重たいの持ってきてもらってすいませんでした。」
と稀世が直にお礼を言った。
「何言うてんねん、稀世ちゃんの一生一代の晴舞台やないか。稀世ちゃんは、わしの孫みたいなもんや。気にせんとな。それよりも、気に入ったやつあったら、付箋貼っといてな。候補絞ったら、笹井に言うて、取り寄せるから、試着に行こな。」
「直さん、私らも試着できないんですかー。」
夏子が聞いた。
「まあ、笹井に言うたるけど、取り寄せは結構手間かかる言うてたから、笹井ンとこにあるドレスでよかったら、わしから言うたるわ。」
「きゃーっ、結婚する予定も見込みもないけどドレスは来てみたかってん。陽菜ちゃん、お互い、ドレスとタキシード着て交互に写真撮ってSNS上げようや。」
「こらこら、直さんは、稀世のために重たいカタログ持ってきてくれてんねんから、あんたらは後。まずは、稀世。決めていきや。ところで、お色直しはするんか。」
「うん、そこまでは考えてなかった。まずは、カタログ見てみるわ。」
その後も、稀世と夏子と陽菜はキャーキャー言いながら、ページを進めていた。どんどん付箋の数が増えていく。そんな、光景をカウンターの中から、三朗は見守った。
約一時間かけて、候補が絞られてきたようだった。六時を過ぎて、一般客が入ってきだしたので、女子会は三次会と化して二階に上がっていった。三朗は、改めて直とまりあに礼を告げるとともに、先ほどのAV事件の味方のお礼を述べた。ふたりして、「あんたが、稀世を大事にしてる間は味方してやるよ。泣かしたら即地獄行きやで。」とすごまれ冷汗が出た。
夜の部の営業は、昨日のお披露目会と違って、従来の客の入りに戻り、三朗ひとりで十分こなすことができる仕事量だった。寿司を握り、配膳し、下膳する。下膳してバックヤードに入った際、二階から響いてくる黄色い声が耳に入った。(女の子は、あんなカタログ一冊でよく何時間も盛り上げれるもんやなぁ。)と感心すると同時に不思議に思ったが、楽しそうに話し、笑っている稀世の声を聴くのは楽しかった。
午後八時、女子会三次会は、お開きとなった。候補のドレスは四着に絞られ、金曜日の午後に笹井写真館で試着の予定となったらしい。直の口利きもあり、夏子と陽菜も五千円で二回写真を撮ってもらえることになったと喜んでいた。このことが後日、檜写真館に大きな影響を与えるきっかけになるとは、その時には誰も気づいてはいなかった。三朗はふざけて「直さんは、ドレス写真撮らはらへんのですか?」と聞くと、「お前、ふざけたこと言うとったら、生駒山に埋めんぞ。」とデコピンされた。稀世もみんなも腹を抱えて笑っていた。おでこは痛かったが悪い気はしなかった。
稀世の大正のアパートの家具については、テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、電気ポット、洗濯機等、ここにそろっているものは、夏子たち若手に譲ることになったとの事だった。それ以外の家財は、明日、ここを整理して、木曜日に稀世が電車で戻り、再び夏子と陽菜が運ぶのを手伝ってくれることになった。「夏子ちゃん、陽菜ちゃん、悪いけど木曜日、また稀世さんの事、頼むわな。」と三朗もお願いした。
夏子が、ハイエースを取って戻ってきた。まりあと陽菜が乗り込んだ。乗りがけに、まりあが言った。
「サブちゃん、日曜日はええ式にしよな。楽しみにしてるで。それと今晩、私はサブちゃんに賭けてっから、頼むで?」
「はい。いろいろとありがとうございました。ところで賭けってなんですか?」
「まあ、いろいろあるから。結果は、稀世から聞くから、頼むで。」
(?)何を言ってるのかわからないまま、ハイエースは大阪市内に向けて出発した。
稀世は、再び直と二階に上がっていった。三朗は残った客の対応に戻った。午後9時半、最後の客が勘定を済ませて、暖簾を片付けた。下膳してシンクにたまった食器類を洗い、木桶と塗り箸は布巾で丁寧に吹き上げ棚にしまい、それ以外は食器乾燥機に入れた。カウンターとテーブルをふき取り清掃を済ませ、ごみを表に出した。(稀世さんと直さん、まだ話してんのかな?)
「お客さん引けたんで、店閉めました。上あがっていいですか?」
「サブちゃん、お疲れさまー。今日の夜はなんも手伝えなくてごめんね。サブちゃんのケーキ残してるから、上がってきて。」
二階に上がると、直と向かい合って座り、ノートにいろいろと書き込んでいる最中だったようだ。ノートのページをめくろうとすると
「ダメっ。まだ見せたらへん。」
と言って、稀世にノートを取り上げられた。直がキッチンに立ち、紅茶を入れて、冷蔵庫からかわいらしいケーキを出してくれた。
「すいません。直さん、今日もいろいろと、ありがとうございました。ずっと二階から楽しそうな声してはりましたね。じゃあ、いただきます。」
「せやな、孫に囲まれてるようで、わしも楽しかったわ。夏子と陽菜はちょっと行儀から教えたらなあかんけどな。」
と言って笑っていた。稀世は、奥の部屋に行き、何やらごそごそしている。三朗がケーキを食べ終わろうとする頃、稀世が大きなボストンバックを手に部屋から出てきた。
「遅くなってすいません。直さん、お願いします。」
「おっしゃ、じゃあ行こか。」
「えっ、ええええ、どこ行くんですか?もう九時ですよ。ねえ、直さん、稀世さんをどこに連れて行かはりますの?何があるですか?」
「お前は何も知らんでええ。じゃあ、稀世ちゃん、借りていくで。」
「えっ?」
「サブちゃん、また連絡するわな。しっかり戸締りしてね。」
とふたりは部屋を出て行った。リビングには、三朗ひとりが残された。部屋の隅には、黒いビニール袋が残されていた。
ひとり残され、直が稀世をどこに連れて行ったかもわからず、風呂に入り、洗濯機を回し、リビングでひとり寂しくビールを飲んだ。すっかり、三日前のさみしい部屋に戻ってしまった。三朗の携帯が鳴った。稀世からのメールで「先に寝ていてください。」とだけあった。稀世に電話を掛けたが、コールが鳴るだけで、途中で圏外のコールに変わった。三朗は、何やら、不吉なものを感じた。
「商店街女性部会設立」
水曜日の朝、アラームが鳴る前に三朗は目が覚めた。時計は午前五時を示していた。突然いやな感覚に襲われ、隣を見た。いつ稀世が帰ってきてもすぐ寝られるように、敷いておいた布団は、昨晩と同じ状態だった。稀世が帰ってきた様子はない。あわてて、稀世の携帯に電話をするが、「おかけになった電話は、現在電源が…。」のコールが流れる。何度コールしても変わらない。メールの着信も見たが、昨晩の「先に寝ていてください。」のメッセージの後は、何も履歴が無い。「至急連絡ください」とメールを送った。
(稀世はどこへ行ってしまったんや?)不安感だけがどんどん大きくなっていく。(直と出かけた帰り道で何かあったのか?それとも、)胸に手を当てて、昨日一日を、振り返って、三朗は血の気が引いた。(朝、稀世の風呂を覗いたこと。風呂場で稀世のバスタオルをまくってしまったこと。みんなの前で秘蔵のAVコレクションを暴露されてしまったこと。思い当たる不祥事が多すぎる。)もう一度布団をかぶって、寝ようとしたが、不安に頭が支配されてしまい、眠ることができないまま、時は過ぎていった。
朝五時五十五分。一階から引き戸が開く音が聞こえた。あわてて、三朗は階段を駆け下り、カウンターに飛び出した。そこには、稀世がひとり立っていた。足元がにふらふらしている。昨日出かけるときの持って出たはずの、ボストンバッグは持っていない。
「稀世さん、何かあったんですか?今までどこにいたんですか?いったい、何をしてたんですか?」
黙って、稀世は、カウンターの中に入ってきて三朗に言った。
「ごめん、サブちゃん、今はひとりでそっとしといて。ごめんね、十一時にはお店手伝うようにするから。」
とか細い声で呟いた。稀世の目は真っ赤に腫れている。寝不足で充血した瞳でなく、明らかに泣き腫らした眼をしている。
「ごめん、ちょっと休ませてもらうわ。ほんと、ごめん。ごめんね。」
「稀世さん!」
稀世の背後から三朗が声をかけたが、稀世は振り返ることなく、
「サブちゃん、本当にごめん。ひとりで休ませて。」
と言い残し、二階の奥の部屋に入っていき、その後、襖が開かれることは無かった。
(いったい、この一晩の間に何があったんや・・・。)ひとり、腕を組んで考え抜いたが、自分に非があることしか思い浮かばない。
(あれだけ、目が腫れてしまうくらい泣かすことを僕はしてしまってたんか。どう謝ったらええねやろうか。とりあえず、稀世さんが起きてくるまではどうしようもない。あぁ、頭の中がグルグルや。)三朗は、熱いシャワーを浴びながら、女心を理解できない自分のふがいなさと、接し方がわからない経験のなさを悔いた。そんな中、既婚者の広義と徹三に意見を求めることを思いつき、急いでシャワーを出た。夜遅くまで営業している徹三は起きるのが遅いと聞いていたのを思い出し、米屋の広義なら朝7時過ぎれば電話しても迷惑にならないかと思い、先に仕込みに入った。
仕込みをしながらもあれこれ考えるので、分量を間違えたり、同じことを繰り返したり、米をこぼしたりと散々たる作業になった。一番出汁は、考え事に捕らわれ鰹節を煮出しすぎ、ダメにしてしまった。ポッポー。時計が鳴った。(後五分で、広君に電話や!切りのいいとこまで済ましてしまお。)
携帯を取り出し、広義の電話を鳴らした。3コールでつながった。
「おはよう、朝早くごめんな。広君を既婚者の先輩として、アドバイスもらいたいねんけど、今、時間ええかな。」
「なに?こんな時間にたいそうな話なんか?」
「うん、昨日、夜に稀世さん、直さんに連れられて出て行って帰ってけえへんかってん。六時前に帰ってきてんけど、出かけた時に持って行ってた、カバンがあれへんし、なんか、すごい泣いた後みたいな顔で帰ってきてんやんか。そんで、そっとしといてくれって言って部屋にこもってしもてん。
ちなみに、昨日、稀世さんの風呂覗いてしもたり、風呂上がりのバスタオルまくってしもたり、秘蔵のAVコレクションが見つかったりしてんねん。これってなんか関係あんのかなぁ。」
「うん、それだけじゃ、なんも言いようないなぁ。」
「でも、無断外泊して、泣いて帰ってくるって尋常やないやろ。広君とこのかずみさん、そんなことあったか?」
「うちのかずみは、泣くような玉とちゃうからなあ。ただ、俺は、家追い出されて、一晩泣きながら家の戸をたたき続けたことはあるなぁ。あっ、ちょっと待ってな。」
電話の向こうで何か話し合っている声が聞こえる。しばらくすると、妙によそよそしく
「サブちゃん、とりあえず、そっとしといたり。きちんと帰ってきてんねやったら、大丈夫やろ。ちょっと忙しいから切るわな。ごめんな。」
と言われ、電話を切られてしまった。(うーん、何かにおう気がするけど、それが何のにおいなんかが全然わからへん。経験の無さが足引っ張るなあ。まあ、八時になったら、がんちゃんにも聞いてみるか。それか、直さんに直接聞いてみるか。)と仕込み作業に戻ろうとしたところ、引き戸ががらっと開けられた。
「おい、三朗、稀世ちゃんは?」
直が入ってくるなり聞いてきた。
「朝六時前に帰ってきましたけど、いったい昨日何があったんですか?直さんもずっと一緒やったんですか?えらい目腫れてましたけど、なんか泣くようなことあったんですか?」
「お前は、知らんでええ。ちょっと上がらせてもらうで。絶対おまえは上がってくんなよ。」
直は、それだけ言うと勝手にカウンターに入り、バックヤードから二階に上がっていった。(いったんなんなんや。ほんまにわからん。)
しばらくすると、直がひとりで降りてきた。
「三朗、わしは、ちょっとお前の事見直したぞ。まりあも褒めてくれると思うぞ。稀世ちゃんは、ランチの時間までは、ゆっくり寝させてやってくれ。絶対、そっとしておいてやれよ。じゃあな。」
「いや、直さん、説明してくださいよ。直さーん。あぁ、行ってしもた。」
何も聞きたいことを聞くこともできず、逃げる猫のように素早く、直は店を出て行ってしまった。(あぁ、これで頼れるのはがんちゃんだけか・・・。)
八時になり、徹三に電話を掛けた。7回目のコールでようやく繋がった。
「もしもし、がんちゃん、朝早くにごめんな。三朗やけど。」
「ああ、サブちゃん。さとみです。てっちゃんまだ寝てるから。こんな時間に何?」
「さとみさん、おはようございます。ちょっと相談事あって、がんちゃんにかけたんですけど。うーん、さとみさん、ちょっと聞きたいことあるんですけどいいですか?」
「なに?」
「あの、昨日、うちの稀世、夜に直さんと出て行って帰ってけえへんかったんです。そんで、朝六時に帰ってきたんですけど、なんか、すごい泣き腫らした目してて、「そっとしといて」って二階の部屋に入って出てけえへんのです。で、さっき直さん来て、「昨日何してはったんですか?」って聞いてもなんも答えてくれんとすぐ帰っていってしもて。どうしたらええのかわからなくて。変な質問で、すいません。」
少し、間が開いて
「サブちゃん。私から答えてあげられることは何もないわ。ごめんね。じゃあ、電話切るね。」
と取り付く島もなく電話を切られてしまった。(広君とことおんなじ反応や。いったい何があったんや。)ますます、三朗の頭は混乱した。
いつもより、二十分ほど多く時間がかかりながらも、仕込みと掃除を済まし、朝ごはんを食べに二階に上がった。九時半になるが、奥の部屋の襖はまだしまったままだった。様子を覗こうかと思ったが、稀世の「そっとしといて。」との言葉が脳裏に浮かび、そこは我慢した。お茶漬けをのどにかき込んでいると、携帯が鳴った。まりあからのメールだった。「直さんから聞いたで。サブちゃんえらい!明日は、夏子と陽菜、思いっきり扱き使っていいからね。」という内容だった。ますます、訳が分からなくなった。
十時二十分、奥の部屋の襖が開いた。
「稀世さん。」
と三朗が声をかけると、
「ごめん、シャワー浴びてくる。昨日みたいに覗かんとってな。」
とだけ言葉を残し、いそいそと稀世は1階に降りて行った。(やっぱり、昨日の覗きが原因か?泣くほどの事やったんや。僕、悪気はなかったとして、最低なことをしてしもてたんやな。ランチ営業終わったら、思いっきり土下座して謝ろ。土下座の帝王イニシャルDになりきって謝るんや。うん、それしかない。)三朗は、覚悟を決めて、開店準備に取り掛かった。
ポッポー。鳩時計が鳴ると同時に、稀世が降りてきた。
「稀世さん。」
三朗が話しかけるが、
「暖簾出すね。あと、今日、商店会の奥さんたち来てくれはるんで、十二時にランチ十二人前準備しとってね。」
とだけ言って、厨房奥に入っていってしまった。十一時の開店と同時に、多くの客が店を訪れ、稀世とゆっくりと話すことができないまま、ポッポーと鳩時計が鳴った。
「おい、三朗、ランチ十三人前。テーブル三つ、借り切るぞ。あと、稀世ちゃんも借りるぞ。店は、お前ひとりで回せるな。」
直が勢いよく入ってきた。
「あー、いらっしゃい。直さん、今日は、何の集まりですか?」
「お前には関係ない。だまって寿司握っとけ。」
直が店の奥のテーブルに着くと、次々と商店街会員の奥さんたちがやってきた。「サブちゃんおめでとう」、「かわいらしい奥さんもらえて良かったね」、「これからは、しっかり頑張らなあかんね。」と口々にお祝いと励ましの言葉を三朗にかけて、直を中心に席についていく。さとみとかずみ、檜生花店の奥さんも来店した。「昨日は遅くまでお疲れ様。」、「結局何本見たの?」、「どれが泣けた?」と稀世に声をかけているのが聞こえた。(ん?何の話や?)と思ったいずれにしても、稀世と楽しそうに何か話している。
カウンターの中で三朗が寿司を握り、十三人前のランチを稀世が運び終わると、
「サブちゃん、後カウンターのお客さんだけやから、お任せして大丈夫やね?私も直さんに呼ばれてるから、今日のお手伝いはここまででね。」
とエプロンを外して、直の横に座った。
直が立ち上がり何かみんなに話しているが、何を話しているかまでは、分からない。ワイワイと盛り上がっているようだ。ポッポーと鳩時計が鳴った。会合は、みっちり一時間でお開きとなった。
「サブちゃん、ごちそうさまー。」
とみんな帰っていき、直とさとみとかずみだけが残った。
「直さん、いったい何の会合やったんですか?昨日、稀世が帰ってけえへんかったことと関係あるんですか?いったい何があったんですか?」
三朗が矢継ぎ早に聞いた。
「一度に聞くな、あほボン。昨晩、商店街の嫁連中と稀世ちゃんの歓迎会をやったんや。そんでな、「ニコニコ商店街女性部会」を立ち上げることになったんや。昨日、夏子と陽菜が、「商店街の活性化は、男に任せとったらあかん。買い物すんのは女やから、女の目線で考えへんと活性化なんかでけへん。」って生意気言いやがってな。
確かに、おまえら青年部に任せとってもビール飲んでだべるだけでなんもないやないか。そんで、檜んとこの由紀恵はんと広義んとこのかずみはんと徹三とこのさとみはんに声かけたら、なんやかんやで十一人、わしと稀世ちゃんも入れたら十三人集まったんや。そんで、女性部会発足で乾杯ちゅうわけや。」
「ごめんね、サブちゃん。朝の電話、そっけなくて。昨日はお酒入ってたから、直さんが、今日、きちんとみんなの意思確認して、発足させようっていうから、それまでは内緒やってんな。」
とさとみが言った。
「でも、朝まで飲んでたわけやないでしょ。それに、稀世さん、めっちゃ目腫らして帰ってきたんですけど、それは何なんですか?」
「ごめん、それは、私に責任が。発足会と稀世ちゃんの歓迎会は午前一時には終わってんけど、直さんが、あんたDVDよおさん持ってたやろ。「世界の中心で愛を叫ぶ」と「余命1ケ月の花嫁」持ってるか?っていうから、「持ってます。」っていうたら、「稀世ちゃんに見せたってくれ。」いうことになってな、稀世ちゃん、うちに来て、「一本だけ見よか」って見だしたら、エンジンかかってしもて、朝まで二本一気に一緒に見てしもてん。一緒に、めちゃめちゃ泣いたよなぁ、稀世ちゃん。」
とかずみが頭を下げた。
三朗の頭の中で、すべての謎が、今、繋がった。膝の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「おい、あほボン、どないしたんや。」
「いや、稀世さんが朝まで帰ってけえへんかったことと、泣き腫らした目、みんな僕に責任あると思ってたんで・・・。あー、良かった。」
「サブちゃん、ごめんなさい。私が、帰った時にきちんと説明してたらよかってんけど、映画の主人公に感情がどっぷりはまり込んでたから、薄幸の美女の気分になり切っててん。自分で「美女」言うたらあかんけどな。」
稀世が笑った。「わかるわかる。」、「あの映画見たら、そうなるよね。」、「せやな、稀世ちゃんは悪くないで。」と三人が稀世をフォローした。ちょっと間をあけ、三朗が直に聞いた。
「じゃあ、朝一に直さん、うちに来たのはなんやったんですか?二階に上がって、すぐに帰ったやないですか。あれも気になってたんやけど。」
「あれはやなぁ、昨日、夏子、陽菜組とわし、まりあ組で賭けをしてたんや。」
「賭け?そういや、まりあさんもそんなこと言ってましたけど、なにを賭けてはったんですか?」
「昨日、夏子と陽菜がお前のAV暴露して、おまえ「全部捨てる。」って言うたよなぁ。夏子と陽菜は、夜、わしが稀世ちゃん連れだして、お前ひとりになったら「絶対AV見る。」って言い張るんや。わしとまりあは、おまえの味方で「今の三朗は、そんなもん見いへん」ってな。そしたら、「賭けをしよう」言うことになって、AVのケースに全部セロテープで封したったんや。それが剥れとったら「見た」、そのままやったら「見てへん」言うことで、陽菜がトラップとして、リビングにあの黒い袋目立つように置いていきよったんや。
そんで、わしが朝一に確認に行ったいうことや。喜べ、三朗。わしとまりあちゃんの間では、三朗株はストップ高やぞ。稀世ちゃんからもな。わしらが賭けに勝ったから、明日の稀世ちゃんの引っ越し作業は、夏子と陽菜はただ働きや。カカカカカ。」
直が楽しそうに高笑いした。
「あー、すっきりしました。僕、ほんま、さっきまで昨日の稀世さん帰って来なかったこと、そのAVか朝のお風呂の覗きか稀世さんのバスタオルまくっておっぱい見たことに原因あんのちゃうかちゅうて悩みまくってたんですから。」
「えっ、サブちゃんのAVってなに?それに覗きにおっぱい見たって?」
「えー、それ聞いてない。聞かせてー。」
「わしも覗きとおっぱいの話は聞いとらんぞ。あほボン、説明せい。」
とかずみとさとみと直が絡んできた。三朗が真っ赤な顔をして、うつむき、ぼそっと言った。
「それは堪忍してくださいよー。」
「サブちゃん、自爆!」
稀世もお腹を抱えて笑っていた。
「笹井写真館と稀世からのサプライズプレゼント」
木曜日、稀世は電車で、大正のアパートに向かった。夏子と陽菜が大物家具や家電の引っ越しを手伝いに来てくれていて、ニコニコプロレスのハイエースで運んでくれた。まりあと直との三郎のAVのことで賭けをして負けた夏子と陽菜は「ただ働き」ということになっていたが、そういうわけにもいかないので、昼食に上握りをごちそうした。
一通りの引っ越しが終わり、アパートを解約し、住民票を移そうと考えたが、入籍と二度手間になっても面倒なので、住民票は日曜日の結婚式の後に入籍と合わせて異動手続きをすることにした。今日一日は、これといった大事件は起こらず、日曜日からの波乱の同居生活も一息ついた。夜の営業を終わった後、三朗と稀世は、明日の笹井写真館でのドレスの試着の話題で楽しい時間を過ごした。ふたりで、寝室で布団に入ると稀世が三朗に言った。
「明日は、サブちゃんの夢叶えてあげるね。」
「えっ?何?」
「それは、明日のお楽しみ。じゃあ、おやすみなさーい。」
(僕の夢叶えてくれるってなんやろ?)いろいろ考えながら、三朗も眠りに落ちた。
金曜日、ランチタイムが終わると、夏子と陽菜がやってきた。稀世のドレス試着の後、直が口利きした笹井写真館にある衣装限定でふたりで写真を撮るためだった。一昨日、稀世が持ち出して、行方不明になっていたボストンバッグは笹井写真館に置いてあった。笹井が稀世に言った。
「一昨日嫁から預かった稀世ちゃんの荷物クリーニング出して、全部きれいになってるで。新品同様やで。」
三朗には何のことかわからなかった。
笹井の奥さんの雅子が稀世と夏子と陽菜を衣装室に連れて行った。残された、三朗が笹井に話しかけた。
「結納の時は、いろいろありがとうございました。稀世さんも写真見せてもらうのすごく楽しみにしてましたよ。」
「アルバムにしてもろてるから、今日の夕方には届くはずやから、今日持って帰りや。それにしても今日は、長期戦覚悟しときや。女の衣装決めと写真撮影は半日掛かりやで。あの感覚は、男にはわからんけどなぁ。サブちゃん、店の方はええのか?」
「はい、今日は八時からの貸し切り客だけなんで、七時までに戻れば大丈夫です。まだ二時ですから、それまでには、終わりますよね?」
「わからん。うちの嫁も好き者やからなぁ。どこまでこだわんのか次第やな。あと、稀世ちゃんからのサプライズもあるしな。」
「えっ、サプライズって何ですか?稀世さんに聞いても教えてくれへんのですよ。」
「俺が言うてしもたら、サプライズにならんやろ。稀世ちゃん、「サブちゃんの夢叶えたんねん。」って鼻息荒かったで。」
(うーん、僕の夢って何のことやろか?)
衣装室の中からは、「きゃーきゃー」、「素敵―!」、「かわいい!」といった黄色い声が漏れ聞こえてくる。とにかく楽しそうだ。
一時間ほどして、稀世がメイクと着付けを済ませて、雅子に手を取られて出てきた。真っ白なウエディングドレスに、白い長手袋。頭にはキラキラと輝くティアラ。メイクの効果もあって、いつもの稀世を別人に見える。
「き、綺麗や…。」
三朗は固まった。稀世は恥ずかしそうに首をかしげる。夏子と陽菜が後ろから出てきて
「三朗さん、稀世姉さん、すごいきれいやろ。カタログのモデルみたいやろ。あれ、何、固まってんの?」
と三朗を茶化す。笹井がスタジオのライトをつけ、カメラの三脚をセットする。バックを白いレースのカーテンに変更し床に真紅のカーペットを敷き、雅子が稀世を中央に立たせ、ブーケを持たせる。
「あー緊張するわ。サブちゃん、私どう?」
「めちゃめちゃ綺麗ですよ。稀世さん日本一、いやきっと世界一ですわ。改めて惚れてしまいます。」
「あほ、みんないてる前で何、言うてんの。恥ずかしいやんか。」
もじもじしていると、笹井が声をかけた。
「さあ、四着写真撮るなら、どんどんいかんと時間無くなりますよー。さあ、シングルカット1、テイク1行きますよ。さあ、稀世ちゃん、すました顔からねー。」
フラッシュがたかれる都度、笹井は雅子とモニターで確認しながら、稀世の立ち位置や角度を微調整していく。表情も「すましてー」、「ほほ笑んで―」、「はにかんで―」、「笑って―」、「伏し目がちに―」、「遠くの方みてー」、「瞼を閉じて、いいこと想像してー」と指示が出る都度、三,四カット写真を撮っていく。小物と変え、グリーンバックやカラーカーテン等背景を変え、十五分で百カットは取っただろう。(今まで知らんかった、稀世さんの表情がどんどん出てくるなぁ。さすが、笹井さん。プロやわ。)三朗は、時がたつのを忘れて、見惚れていた。夏子と陽菜もうっとりして撮影風景を見入っている。
「じゃあ、サブちゃんも入ろうか。」
雅子が三朗をカーペットの上に案内する。緊張していると、雅子が優しく三朗に言った。
「自然でいいのよ。自然で。醇一さんの指示を頭で考えるんじゃなくて体で感じてね。」
「さあカップルカット1,テイク1行きますよー。まずは正面向いてねー。」
続いて、「見つめあって―」、「腕組んで―」、「サブちゃん、稀世ちゃんの頭に手を添えて―」、「指輪はめようかー」とどんどん進んでいく。笹井の指示がいいのか、乗せ方がうまいのか、気分もほぐれ、自然体で写真が取れていく。
「じゃあ、カップルカット1のラストにキスいこか―」
「えっ?ここで?」
「サブちゃん、ファーストキスってことないやろ?照れんとチューいっちゃおうねー。」
「い、いや、まだ二回しかキスしてもろたこと無いから。僕からっていうのは経験ないんで、どうしたらええのか・・・。」
夏子と陽菜が冷やかす。
「あほ、サブちゃん、そんなん言わんでええやんか。もう、あほ、ばか、知らんわ。」
みんな、笑った。
「じゃあ、稀世ちゃん、リードで行こうか―。」
ドレスの着替えを三度繰り返した。カラーのドレスが二着。そして最後に再び真っ白なウエディングドレス。約三時間かかって、稀世のドレス写真が撮り終わった。雅子が稀世に「お疲れ様」とミネラルウォーターを渡した。
「夏子ちゃん、陽菜ちゃん、次行こうか―。」
と笹井が声をかけるとドレスルームから、タキシードを着て、頭をポマードで固め、男装した夏子とウエディングドレスを着た陽菜が出てきた。さっきまでと同じように、ハイテンションで、笹井が、おだて、褒め、持ち上げて、写真を撮りまくる。稀世もふたりに頼まれたのか、ドレスのまま、ふたりのポーズやふたりの撮影風景をスマホで撮っている。
「じゃあ、稀世姉さんも一緒に。」
と夏子が声をかけ、三人での写真撮影となった。今度は、三朗にスマホ写真係が回ってきた。三人とも楽しそうで、キャーキャー言ってはしゃいでる。稀世のこんなに砕けた笑顔を見るのは初めてで、三朗も楽しかった。
「じゃあ、ここで交代ね。」
と陽菜が言い、夏子とドレスルームに雅子と入っていった。稀世は、三朗の横に来て
「サブちゃんもご苦労様。疲れたでしょ?」
「ううん、めちゃくちゃ、楽しんでるよ。稀世さんきれいやし、夏子ちゃんも陽菜ちゃんもはじけてるの見てるの面白いわ。」
「今から、なっちゃんと陽菜ちゃん、男役交代するから、もうちょっと付き合ってな。最後には、サブちゃんにご褒美あるしな。」
「えっ?ご褒美って?」
「それは、最後のお楽しみにね。」
と稀世は不思議な笑みを浮かべた。
今度は、男役になった陽菜とカクテルドレス姿の夏子が出てきた。再び、撮影会が始まった。あっという間に六時を迎えた。
「さあ、サブちゃんの仕事の仕込みもあるから、最後、行っちゃおうか。雅子ちゃーん、稀世ちゃーん準備できてるかなー?」
ふと気が付くと、稀世がいなくなっている。
「はーい、ばっちりよ!」
と雅子の声がする、ドレスルームの方を見ると、稀世がリングコスチュームでスタジオに入ってきた。コスチュームは新品同様にクリーニングされ、真っ白なリングブーツもきれいに磨かれ光っている。(サプライズってまさか!)
「さあ、サブちゃん。「男の夢」の時間よ。」
スタジオの中央で、三朗は、稀世にコブラツイストを掛けられた。笹井がほほ笑みながら聞いた。
「サブちゃん、気分はどうかなー。」
技を掛けられた状態で、三朗は、
「めちゃくちゃ痛いですけど、最高でーす。」
と満面の笑みで答えた。連続してフラッシュが瞬いた。笹井が笑いながら言った。
「じゃあ、次、「卍固め」行こうかー。」
「コブラツイスト」、「卍固め」、「首四の字」、「ジャパニーズ・レッグ・ホールド」、「縦四方固め」、「上四方固め」そして最後に「M字ビターン」と三朗の夢の「七種の技」を体験し、それを写真に残すという、「至極の時間」を過ごすことができた。
「あぁ、稀世さん。僕、もう死んでもいいです。いや、もう、魂は天国に行ってしもてますわ。」
とその場にへたり込んだ。稀世が三朗の耳元で囁く。
「あほ、サブちゃん、死んだらあかん。これから仕事やで。」
夏子と陽菜が大声で笑い、言った。
「私らは、結婚するにしてもM男と変態だけは絶対避けよな。三朗さん、白目向いてずっと笑ってたな。やっぱり筋金入りの変態やったんや。」
笹井と雅子も大笑いした。
約四時間半続いた撮影会は、無事に終わり、笹井が
「今日の写真のCDでーす。あと、これが、この間の結納の時の写真。アルバムにしといたからねー。」
と稀世に紙袋を渡してくれた。夏子と陽菜にもCDを渡して、お開きになった。
向日葵寿司迄の帰り道、三朗と稀世は腕を組み歩いた。夏子と陽菜は今日とったスマホの写真を見ながら、後を歩いている。
「サブちゃん、お疲れ様。この後の、お仕事大丈夫?」
「うん、大丈夫。ほんとに楽しかった。撮影っていいもんですね。稀世さんと今日だけで百回もキスしたし、なんちゅうても、夢の七種の技…。忘れられへん日になりました。また明日も、技かけてくださいね。」
「あほ、しょっちゅうやってたら、サプライズでもご褒美でもないやんか。うーん、でも、たまにやったら、ええかな?」