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真面目に地獄行き

作者: 村崎羯諦

「厳正なる審査の結果、新井様の地獄行きが決まりました。大変申し訳ございません」


 真向かいの椅子に座った担当審査官が、残念そうな表情を浮かべてそう告げる。五十歳の誕生日、急性心筋梗塞で突然死してから一ヶ月。審査結果が出るまでの間、天国でも地獄でもないこの場所でずっと待たされ続けていた私は、彼のその言葉に耳を疑った。さすがに冗談ですよね。私が震える声でそう尋ねると、審査官は首を横に振り、残念ながら本当ですと答えた。


「そんな馬鹿な……理由を教えてください、理由を! 私は生前何の犯罪も犯していませんし、周りに迷惑をかけてきたわけではないはずです。何もしてないはずなのに、どうして!?」

「すごく簡単に答えさせていただくのであれば、何もしてこなかったからでしょうね」


 審査官が机の引き出しからファイルを取り出し、中に入れられていた資料を私に手渡してくる。これは死んだ人間が天国行きか地獄行きかを決めるために用いられる審査基準表です。審査官がファイルを元の場所に戻しながら私にそう説明する。


「一番上の、審査基準指針というところを見てください。そこに審査基準がどのように策定されているかの指針が記載されています。文書言葉で若干わかりづらいので説明しますね」


 審査官がこほんと咳払いをした後で、淡々とした口調で説明を始めた。


「ちょっと昔、三十年前とかそこらへんですかね、その時は生前の世界の道徳や倫理観をベースに審査を行い、天国行きか地獄行きかを判断していたのです。なのですが、ご存知の通り、生前の世界において価値観のパラダイムシフトが起こり、唯一絶対の道徳や倫理観というものがなくなってしまったんです。言い換えると、多様性を重んじる世界になり、いろんな価値観が生まれたことで、何が絶対的に正しいのかよくわからなくなったということです。


 今まではすべての人間が正しいと信じる価値観をもとに判断を行ってきたものですから、そうなると天国行きか地獄行きかの判断が上手くできなくなってしまうんです。死後の世界といっても、構成員のほとんどは生前世界の人間ですから、あまりにも判断基準が生前世界とずれていると我々も糾弾を受けるんです。それに、昔は各審査官の裁量が大きかったので、癒着や偏見が混じりこんでしまうという問題もずっと昔から言われ続けてきたんです。


 そういう歴史的背景から、この審査基準というものが作られたんです。審査基準の策定にあたって一つの大きな方針が定められまして、天国行きか地獄行きかどうかは道徳や倫理観ではなく、生前の世界においてどれだけその人が愛されていたのかによって判断しましょうということになったんです。ここまでで何か質問はございますか?」


 担当審査官の説明に私は疑問をぶつける。


「その人がどれだけ愛されていたかなんて、誰にもわからないじゃないですか……」

「ああ、そこは大丈夫です。どのようなデータを使うべきかという指針が決まってまして、その人の死によってどれだけの悲しみが生まれたのかというデータを使って、判断することになっています。もっと細かく言いますと、我々が開発した技術を使って、その人間が死んで一ヶ月の間、その人間の死によってどれだけ悲しみの感情が生まれたのかを実際に計測しているんです。新井様がお亡くなりになってから一ヶ月間、天国でも地獄でもないこの場所に留まっていただいたのはそういう理由からなんです。もちろん、悲しみの感情を単純に積み重ねるわけではなく、色々と細かい計算や特別な事情の配慮はあるんですが、基本的にはこちらの感情をベースに点数を算出し、その値が基準値未満であれば地獄行き、基準値以上であれば天国行きということになっているんです」


 担当審査官の説明を聞きながら、私の頭の中に受け入れがたい事実が思い浮かんでくる。もう死んでいるにもかかわらず、背中を冷たい汗が伝うのがわかる。天国行きか地獄行きかは、その人間の死をどれだけの人間が悲しんだのかによって決まる。もしこの男の言うことが本当であるのだとしたら、それはつまり……。私の考えを感じ取ったように、審査官が私の目をじっと見つめながら聞いてくる。


「この基準はつまりですね、生前にどれだけ豊かな人間関係を築けていたのかということを見ているんです。新井様は独身でいらっしゃいますよね。加えて身寄りはなく、友人もいらっしゃらない」


 審査官の指摘が私の胸を射抜く。


「しょ、職場の人たちはどうなんですか? 私は死ぬ三年前まで何十年も〇〇株式会社で働いていました。泣いて悲しむまではいかなくても、彼らなら多少なりとも私の死を悲しんでいるのではないですか?」

「うーん、もちろんそこらへんも調査対象に入ってはいるのですが、彼らはそもそも新井様の死をまだ知らないようですね。退職後も新井様が職場の方と交流があったら別だったかもしれませんが、数年前に会社を退職した人が今どうなってるのかなんて、知らないことの方が普通ですからね」

「でも私はちゃんと真面目に勤労し、税金だって国に納めてきました。そこらへんの脳足りんとは社会に対する貢献度で大きく優ってるはずです」

「人間の価値を決めるのは結局人間ですよ。それに税金だって、自分から喜んで支払っていたわけではなくて、法律で決まってたからにすぎないじゃないですか」

「そ、それでも、私みたいな善良な市民が地獄行きだなんてこんな基準間違っているのでは……」

「もちろんそこはおっしゃる通りです。この審査基準にも欠陥は多く存在します。昔であれば、新井様は天国行きになっていたのかもしれません。でもですね、完璧な審査基準なんて存在しないのですから、そこは仕方ないことなんです」


 私はがっくりと項垂れる。さすがに言いすぎたのかと思ったのか、審査官はおずおずと慰めの言葉をかけてきた。


「いや、でもですね、地獄と言っても想像してるよりかは大分マシなところですよ。以前は劣悪な環境だったんですが、最近は改革も進んで、9時5時で苦役労働も終わるようになってますし、何なら何もすることがない天国の人たちよりも生活に張りが出るというか」

「そういう問題じゃないんです!!」


 私は審査官に向かって大声で喚いた。審査官が眉をひそめて私を見つめ返す。その目には同情と、そして誰からもその死を悲しまれなかった人間に対する侮蔑が含まれているような気がした。審査官が先程とは異なるファイルを取り出す。こちらが新井様の交友関係を見落としているということも十分ありえますので、救済措置として異議申立て制度というものが存在します。審査官がパラパラとファイルをめくり、そしてお目当ての書類を見つけたのか、手を止める。


「異議申し立て制度というのは、名前の通り、もう一度審査および調査を行うように申請を行うものです。色々と手続きは煩雑ですが、そこまでおっしゃるのであればこの制度を使うのもありかなと」

「手続きというのは一体どういうことをすれば……」

「一番最初に用意していただきたいのは、新井様の死を悲しんでくれる可能性の高い人間のピックアップです。今この場でもいいです。自分の人生を振り返ってみて、誰か自分の死を悲しんでくれそうな方を挙げてください」


 私は頭を手で押さえ、必死に自分の人生を振り返る。生まれた時、小学校に入学した時、中学校に入学した時。その時には確かに、私の周りに両親や友達がいた。子供の頃の両親は晩年よりもずっと優しくて、いつも笑っていた。友達だって、決してたくさんいたわけではないが、休み時間や放課後にいつも一緒にいた友達が数人いた。名前は……もう思い出せない。彼らとは高校進学以降交友がなくなり、成人式で少し挨拶を交わしただけ。彼らが私の死を知ることはおろか、知ったところで遠い昔に一緒に時間を過ごしただけの私の死を、心から悲しんでくれるとは到底思えなかった。


 高校進学、大学進学。この時期から少しずつ、私の思い出から登場人物が減っていく。理由なんてわからない。親とは不仲になったものの、いじめられたこともなかったし、露骨な仲間はずれにあったこともなかった。人と関わるのが苦手。ただそれだけだった。他の人からどのように思われているのかが神経質なほどに気になるようになって、他愛のない雑談ですら億劫になった。そして、気がつけば私は一人で過ごす時間が増えていき、楽な方楽な方へと流れていった。きっと誰にだって苦手なことはあって、私の場合はそれが人と関わることだった。ただそれだけの話だった。


 苦労続きの就職活動の末に何とか採用された会社。給料も福利厚生も良くないこの会社に対して、体調を崩して退職するまでの何十年間、身を粉にして尽くしてきた。中途採用されたよそ者に邪魔をされ、望むような出世はできなかった。それでも、自分を採用してくれた会社への恩義から、必死に働いてきた。部下も同僚もいた。喧嘩し合うほど憎しみあっていたことはなかったけれど、彼らとの間にはどこか壁があったような気がする。それはきっと長い間積み上げられてきた私の人間関係の癖のようなものがそうさせていたのかもしれない。


 就職後からは仕事だけの単調な毎日が続き、記憶の中の時間が加速度的な速さで過ぎ去っていく。友達も恋人もいない一人ぼっちの休日。両親の死。過ぎ去っていく思い出の中に、私と心を通わせてくれた誰かの姿は見当たらなかった。普通に生きてきたはずだった。人に迷惑をかけたり、犯罪に手を染めたり、そんな誰かに非難されるようなことはせず、まっとうに生きてきたはずだった。ただ、真面目に生きていたからと言って、そのご褒美として誰かが私の友人になってくれるということはなかった。私の人生の後半に、誰かと打ち解け合ったり、腹を割って話すという思い出は存在しない。そして、とうとう体調を崩し、長年勤めていた会社を退職。それから……。


「……いません」


 審査官が私の方をちらりと見て、再び手元の資料へと視線を戻した。わかっていた。異議申し立てをしてもう一度調査を行ってくれたとしても、私の死を悲しんでくれる人間が誰一人として見つからないことを。そして、結局私の人生は、そのような人生だったということを。


「頑張って……頑張ってきたんです」


 かすれるような声で私はそうつぶやいた。どうしようもないこの気持ちを、少しでもわかってもらいたくて。


「守るべき家族もいなくて、苦しみをわかちあう友達もいなくて、それでも頑張ってきたんです。愛されたいという気持ちをぐっとこらえていたんです。辛い仕事にも耐えて、孤独にも耐えて、必死に歯を食いしばって、必死に……頑張ってきたんです」


 審査官が一枚の書類を机の上に置いた。書類の上部には審査結果報告書という文字が書かれ、その下には私と名前と、地獄行きという無情な言葉が印字されていた。そして、審査官は片手に判子を持ったまま、私の方を見上げ、答える。


「その頑張りを、少しでも人間関係の構築に向けることができたら良かったんでしょうね」


 その言葉を聞いた瞬間、私はその場で泣き崩れた。そして、真向かいに座った審査官は小さくため息を付いた後で、机の上の書類に対してポンと判子を押した。

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