表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/32

1-2

「――黎峯れいほう。そのまま適当に、なんでもない風を装ってくれ」


 早口で告げる。

 名を呼ばれ顰面しかめつらの姫を無視して、凱夏がいかはさりげなく半身を開いた。


 ──近い。この感覚は、獣の類ではない。

 今の今まで不審者の存在に気づけなかった焦りが、にわかに凱夏の鼓動を速めた。血が上りそうになる頭を冷まし、意識を戦闘時のそれに切り替える。


 随分と接近を許してしまったが、先方に殺気はない。極めて隠形おんぎょうに長けた者だが、今すぐこちらをどうこうする気はないようだ。

 眼玉だけ忙しなく動かしながら、凱夏はそっと腰に手をまわした。革帯ベルトから飛刀を引き抜き、気配で相手の位置を割り出す。


 不意に、凱夏が注視していた先の木葉このはが揺れた。

 息を殺して相手の出方をうかがっていると、


「ぅひゃ!」


 草叢くさむらから兎を思わせる動きで、小さな影がひょこりと顔を出した。

 凱夏とまともに眼が合うと、その影は慌てて元の草叢くさむらの中へと引っ込む。


「「…………」」


 凱夏と黎峯は、無言で顔を見合わせた。

 差し向かいの黎峯の表情かおが「なんだ、あれは?」と言っている。

 だが凱夏としても、肩をすくめるほかない。

 結局沈黙を破ったのは、どこまでも不機嫌な黎峯の問いかけだった。


「あれは、人のわらべかえ?」

「みたいだな。としは、とうかそこらか」


 武器の構えを解いて凱夏は歩み寄り、草叢から小童こどもを引っ張り出した。


「うひゃぁ!」


 再び、素っ頓狂な悲鳴があがる。

 すぐにおのこだとわかったが、それよりも、引き上げた少年の軽さに凱夏は驚いた。なんの気なく視線を下げて、ぎょっとする。


 その少年の身体は文字通り、骨と皮だけだった。

 凱夏が掴んだ手首は、少年のとしを考慮しても小枝のように細い。穴の開いた襤褸ぼろを纏う下は当然のように素肌で、あばら骨がくっきりと浮き出ている。無論、その顔立ちに小童こどもらしい肉の丸みはない。ごっそり削げた頬と、尖った顎。落ち窪んだ眼窩が印象深い少年だった。


「……汚らわしい」


 口もとを袖で覆い隠し、黎峯が呟く。

 もう何日も風呂に入っていないのか、少年の身体は垢にまみれ浅黒く、すえたような臭いが漂っていた。


「姫様」


 視線で姫を制し、なだめる。

 凱夏は掴み上げた少年を地面に下ろすと、しゃがんで小童こどもに好かれそうな笑みを作った。


「よう、小僧。お前一人か?」


 不帰かえらずなどと名のつく森に、骨が浮くほど痩せた小童こどもだ。連れなどいやしないだろうと思ったが、一応確認する。

 果たして、少年はくびを縦に振った。


わりい。ちょっと見せてくれな?」


 言って凱夏は、少年の藍色がかった黒髪に手で触れた。頭垢ふけだらけの前髪を上げると、額にはまだ生々しい刃傷きずあとがある。

 意識して上げていた口角がわずかに下がった。胸中に苦い思いが広がる。額に一文字の刃傷痕しるしは、この国に古くから伝わる慣習だ。


「なんじゃ、『口減らし』か」

「姫ッ!」


 あまりにもあけすけな物言いに、語気が強くなった。

 やや怒気を孕んだ声で凱夏が咎めると、黎峯はびくりと両肩を震わせた。しかし、すぐに拗ねた顔で「ふん」とそっぽを向く。


 小童こどもじみたその態度に、凱夏はこの姫の将来が不安になった。龍の精神は外見に引きずられる傾向があるが、黎峯はこれでもよわい三十年を経た龍だ。境遇に斟酌しんしゃくの余地があるとは言え、あまりにも幼い。


(それだけ周囲に甘やかされたんだろうから、無理もねぇけど……)


 暗い諦観に沈んでいると、不意に凱夏の袖を少年の手が引いた。


「『くちべらす』っで?」


 訛りの強い口調で少年が訊ねる。

 やや吊り気味の、紅玉のような瞳に見つめられて、凱夏はなんと答えるべきか迷った。


「ああ、気にすんな。そんな深い意味はねぇから」

「けんど、おらみでにいらねぇ子のこど、『くちべらす』って言うんでねが?」


 問いではなく、確認する口調で少年は訊き直す。いやに落ち着いた少年の言動に戸惑っていると、またしても黎峯が要らぬ横槍を入れた。


「ほう。卑しいながらも、ようものの道理がわかっておるわらべではないか。あっぱれじゃのう」


 貴族らしい言い草で、黎峯は冷ややかにわらう。

 この物言いには、さしもの凱夏も腹に据えかねた。

 姫を怒鳴りつけようとしたとき、


「おら、あっぱれなんて言われだのはずめてだ。へへへ」


 へらりと少年が黎峯に笑いかけた。口もとに小さな八重歯をのぞかせ、小童こどもらしい笑顔を披露する。

 そんな少年を眼にし、黎峯は居心地悪そうに視線を逸らした。追い討ちをかけないあたりに、この姫にも善意があるのだと凱夏は自分に言い聞かせた。


 そうだ、彼女はまだ若い。変われるはずだ。

 でなければ、『頸飾くびかざり』の主に黎峯が選ばれるわけがない。


「いらなくなんかねぇよ」


 少年を眼を移し、柔和な声を心がけて凱夏は言った。

 ほえ、と少年が凱夏を見上げる。もう一度、凱夏は繰り返した。


「お前はいらなくなんかない。小童こどもは国の宝だ」


 かつて、凱夏が師から譲り受けた言葉、そのままを口にする。

 少年は紅い瞳をまたたかせて、凱夏に訊き返した。


「おら、いらなぐね?」

「ああ。いらなくねぇ」

「そっだら!」


 突然、少年の語気が強まった。居住まいを正すと地面に両手をつき、傷ついた額もそこへ押しつける。


「そっだら、おねげえだ! おらを『おっしょう』の、弟子にしてくんろ!」


 呆気にとられた凱夏と黎峯は、大口を開けて土下座する少年の姿を眺め続けた。





 凱夏は、少年に『明星あかぼし』と名づけた。

 何故わざわざ命名したかと言うと、明星には名前がなかったからである。


 この国では、龍は玉音ぎょくおん、人には和訓わくんで名をつけ、龍人りゅうじんを問わず名には思い入れがあるのが普通だ。龍は特に極端だが、人も産まれた子には丹精込めた名をつけるし、例えば死産の場合なども大抵の親は名を残す。明星はかなり、特殊な環境で育てられた小童こどもだと推測できた。

 ……まあ、当の本人は呑気なもので、与えられた名を楽しげに舌で転がしていたが。


 ぱちん、と視線の先で火花が散る。

 凱夏はいったん思考を止め、こうこうと赤く色づく炎に枯枝かれえだをくべた。


 ふと、空を見上げる。

 頭上は手を伸ばせば届きそうな、満天の星空だ。都で見るよりはるかに美しく、荘厳な夜空に、凱夏はしばし時を忘れて魅入った。


 この森は覆いかぶさるように茂る木々のせいで、星月ほしつきを仰ぐ機会があまりない。外界と切り離された森の閉塞感に精神あたまをやられ、最後は死に至ることも多いと聞く。


 そんなわけで明星を拾ったあと、凱夏がまずおこなったことは、寝床ねどこの確保だった。凱夏が今腰を下ろしている場所は、巨木が倒れた跡地である。


 隙間なく頭上を覆う緑の天蓋に、ぽっかりと丸い穴が開いている。緑穴りょくけつの向こうに、宝箱をひっくり返したような星天せいてんが広がっていた。


 いい夜だ、と思う。

 凱夏は空が好きだ。

 中でもとりわけ、夜空が好きだった。


 ――私は宵が好きだ。この静けさを気に入っている。

 ――そら。お前はあの夜空に浮かぶ、小さな星だ。

 ――まだそのまたたきは幼い。だがわかるか?

 ――あれは、


 希望の光だ。

 そう指差して言った、師の心地良い声が蘇る。

 少し感傷的な気分になっていた凱夏は、焚火たきびから聞こえてきたぽん、ぽんという軽妙な音に意識を引き戻した。夕飯ゆうめしが焼けたようだ。


 空から視線を下ろすと、好奇心満々のていで焚火にかじりつく、明星の姿がある。凱夏は焚火に放り込んだ「食材」を木の枝で突き、明星に見せた。

 枝の先端に刺さっているのは、黒っぽい蛾の幼体こどもだ。

 要するに芋虫である。


「見た目はアレだけどな。こいつは芋虫の中じゃ、一、二を争う美味うまさで有名なやつだ。おまけに栄養価も高い。騙されたと思って喰ってみろ」


 こんがり焼けた芋虫を受け取ると、明星は躊躇なく口へ運んだ。もぐもぐと小動物のように頬張る明星の眼が、大きく見開かれる。

 明星は声を弾ませて凱夏に言った。


「うめえ! おら、こんなうめえもんはずめで喰っだ」

「そりゃ良かった。まだ山ほどあるから、たんと喰え。ただし、お前は絶食で胃腸が弱ってるだろうからな。よく噛むんだぞ?」

「んだ、お師匠っしょう!」


 笑顔全開で明星は頷き、またぽんっと皮のはじけた芋虫を木の枝でほじくり出した。


下手物げてもの喰いめ……」


 焚火を挟んだ向こう側から、げんなりした黎峯の声がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ