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1-1

 吹き出す鮮血が頬に散った。

 血のついた頬をぬぐう間を惜しんで、反転。

 返す刃で、背後に迫っていた男の喉笛を斬り裂く。


 手ごたえは、やや浅い。

 ひゅっと風が通るような音を吹き、その男は草叢くさむらの中に沈んだ。

 まだ、息はある。

 すかさず間合いを詰め、手にした剣で心臓を突いた。


 己の罪から眼を逸らさないためにも、殺めた男の顔を凝視する。

 男の金の双眸そうぼうから炎を吹き消すように光が消え、やがて四肢から力が抜けた。


 ──金の瞳は、『龍』のあかしだ。

 男は、人の姿をした龍の一族だった。

 龍と人の違いは、大きく分けて四つある。


 一、黄金の瞳を持つ。

 二、総じて頑健で力が強い。

 三、寿命が四百年から五百年ほどある。

 四、寿命と引き換えに、人からいにしえの龍に化ける。

 以上である。


 だが、昨今の龍は寿命を削ってまで古の姿──鹿の角に蛇の胴、こいうろこに鷹の爪という、あれだ──はまず見せない。実質、寿命の長い人間のようなものだ。


 龍が屈強な肉体を誇るとは言え、やり方しだいで人間でも龍殺が可能となる。いくらか素質が求められる技術ではあるが、やってできないことではない。


 現に、凱夏がいかがそうしている。

 龍の絶命とともに、周囲の殺気はすべて消失した。恐らくこれで最後だろうが、油断は禁物だ。念には念を入れ、凱夏は用心深く周囲の様子をうかがった。


 まだ昼だというのに薄暗い森は、不帰ふきの森と銘打つだけあり緑が濃い。鬱蒼と生い茂る木々は重たく、沈んだ景色は前後左右どこを見ても変わり映えなし。陰気臭さ満点の雰囲気である。これでは方向感覚が狂うのも道理だろう。


 視覚だけでは心もとないと判断し、凱夏は五感も総動員して気配を探った。

 耳には草木くさきのざわめきと、時おり野鳥の鳴き声が入ってくる。陽が差さぬ森の空気は冷たく、汗ばんだ凱夏の肌から急速に熱を奪った。

 気を鎮めようと肺腑に吸い込んだ空気は――すでに鼻が麻痺していて、とりあえず血の臭いにむせることはなかった。足元の事切れた屍体の数を数えれば、まあ無理もない。


 索敵終了。

 なんとか追手は撃退できたらしい。

 凱夏は息をついて、肩から力を抜いた。緊張が解けた所為か、手にした剣の重みがとたんに鬱陶しくなる。すでに刀身は折れ、血油がべっとりついた剣だ。もう使い道はない上、邪魔なだけなので、これは地面に捨てる。


 開いたてのひらを少し見つめてから、凱夏はそれを握り込んだ。こぶしを血の飛んだ頬へ持っていき、乱暴に甲で拭う。水でそそぐまではいかないが、気休めにはなった。

 ……さて。


「さて。うちのお姫様ひいさまはどこ行った?」


 ぼやきつつ、後頭部うしろで一つに結わいた黒髪をがりがりと掻く。

 凱夏はさんでの行動には慣れている。戦闘前につけておいた目印を確認し、あるじである姫――黎峯れいほうを逃がした方角へ足を向けた。

 さほど時間ときは経っていない。まだ近くにいるはずだ。


(あまり遠くへ行ってくれるなよ……)


 一抹の不安とともに落葉おちばを踏みしめる。だがいくらも進まないうちに、凱夏の視界には見慣れた真紅の長裙きものが現れた。もっと正確に言えば、真紅の長裙きものを着て草叢くさむらに頭だけ突っ込んだ状態の、黎峯を見つけた。頭隠してなんとやらである。


 場違いにのどかな風景を目撃し、凱夏は不謹慎にもやや拍子抜けした。別れてからたいして経っていないとは言え、この有様。姫に遠出は無理だと悟った瞬間である。


「おーい、姫様。終わったぜ」


 声をかけると、黎峯は草叢から頭を引っ張り出した。龍のあかしたる金のまなこで、ぎろりと凱夏を睨みつける。たいそうご機嫌斜めのご様子だ。


 ここで恐縮してみせるのが正しい従僕しもべなのかもしれないが、あいにく凱夏にそこまでの従順さはない。そもそも発見時が尻とのご対面だ。おまけに拗ねた小童こどもそのままの膨れ面、今年で二十はたちになる凱夏よりも年下の外見とくれば、気も抜けると言うものである。


 黎峯がまだ若い――とは言え、龍の寿命は四、五百年だ。実齢は三十代半ばだったと凱夏は記憶している――ことを差っ引いても、偉大なる龍の威厳は欠片も見あたらなかった。


「すげえ顔だな」


 凱夏は苦笑して、黎峯の白い容貌かおに腕を伸ばした。髪についた木葉このはを取ってやろうとしたのだが、それは当の本人、いや本龍の手によって撥ね退けられた。

 龍たる金色こんじきを宿した、黎峯の瞳が鋭さを増す。凱夏の手を払う動きに合わせて、姫様ご自慢の長い黒髪がさあっと流れた。


 龍と人を分かつ外見的特徴は、実質この黄金おうごんの眼しかない。しかしこと黎峯に限っては、それ以外の要素も際立っていた。

 艷やかな黒髪、染み一つない白磁の肌、上等な絹の長裙きもの。そして、混じり気のない澄んだ金の瞳。すべて黎峯が高貴な血筋であることを物語っている。


「妾をかような目に遭わせるとは、どういう了見じゃ! この役立たず!」


 少女らしい透明感のある声で、黎峯は本日通算五度目の罵倒を発した。

だが、さすがは腐っても姫。台詞も発声も乱暴な所作も、不思議と品良く決まっている。出自とはかくも偉大だ。

 もっとも逃亡の身である以上、これらは早急に矯正せねばなるまいが。


「へいへい。悪うございました」

「誠意がちっとも感じられぬ! やり直しじゃ!」

「すまん、悪かったよ。この通り謝るからさ」

「駄目じゃ! 許さぬ!」


 と、ぷりぷり怒る外見一七歳、実齢三十路過ぎの少女は肩をいからせる。

 それを眼にした凱夏の肩には、忘れかけていた疲労がどっと押し寄せてきた。根性で背筋を伸ばすが、そんなこちらの努力をおかんむりの黎峯が知る由もない。


「大体貴様、公主こうしゅたる妾にその物言いはなんじゃ、無礼な! 卑しき従僕の分際でかような口を利くなぞ、向こう千年、いや万年早い! 恥を知れ!」


 我が堯国ぎょうこく公主、黎峯様は大変ご立腹だ。

 しかし、「恥を知れ」とこの状況で言われても。


「あのなあ、姫。よく考えてみてくれ。人の俺が、龍の姫をあからさまに公主ひめ様扱いなんかしたら、それこそ危険だろ? 俺たちは天下のお尋ね者なんだ。誰かが小耳に挟んで、『はっ、あんなところに姫が!』ってなことになりかねんし」


 むしろその危険が高いからこそ、黎峯には伏せて、わざわざ「不帰かえらず」などと前置きのある森を突っ切っている。いや無論、追手を撒く意味もあるが。


「それは、そうやもしれぬが……」


 凱夏の言も一理あると思ったのだろう。近隣ではもっぱら、自殺の名所として有名な森を爆進しているなどとは夢にも思っていない黎峯は、反論に窮して言葉を詰まらせた。


「だろ? そんなわけで姫には、この森を抜ける間にその姫語やら姫服やらを全部庶民、それも人民のものに直してもらう。慣れるまではちょっと大変だと思うが、辛抱してくれ」

「な、なんじゃと⁉ 妾に、人間さるの真似事をせよと言うのかえ⁉」


 猿、というのは人間の蔑称だ。この国の支配階級には龍が据えられるため、下位である人にはこのような差別用語が存在する。

 人に紛れる以上、あとで矯正する必要があるが、ひとまず凱夏は頷いた。


「ああ。それとこれからは、原則偽名を名乗ってもらう。落ち着いたら、どこかで適当な呼び名を考えよう。あんまり目立たねぇやつ。ちなみに『様』はつけないぞ、呼び捨てだからな」


 重ねて告げると、黎峯は一瞬呆けた顔で凱夏を見返した。すぐさま呑み込めなかったらしい。やがて理解が及ぶと、白い頬を朱に上気させて黎峯は憤慨した。


「偽名……呼び捨てじゃと? 莫迦ばかも休み休み言え!そのような恥辱、承服できるわけなかろうが⁉ 卑しき従僕風情が我が名を貶めるに飽き足らず、あまつさえ名指しで呼ばうなど! 万死に値する非礼じゃ!」


 と、激しい抵抗に遭う。

 この主張に関しては、黎峯が特別駄々をこねているとも言えない。凱夏はどうやって姫を説得したものか、頭を抱えた。


 そもそも龍という生き物は、名前の扱いに恐ろしく固執する種族だ。そのこだわりたるや、己の名に誓った約束は死んでも遵守するという徹底ぶりである。

 だから別に黎峯でなくとも、「偽名を使い、格下からの呼び捨てを通せ」という要求は、龍にとって非常に呑み難い条件だった。ましてや黎峯は正真正銘、骨の髄まで生粋の姫君である。凱夏の求めは無謀と言っても良かった。


 しかし、だがしかしだ。黎峯が今後生き残るためにも、これはなんとしても承服させねばならない。

 凱夏はその場で腰を落とし、かがみ込んだ。目線を黎峯に合わせると、噛んで含めるようにこう言って聞かせた。


「無理でもなんでも、やってもらうしかないんだ、姫。追手もまさか、直系の公主ひめにそんなことができるとは夢にも思っちゃいない。そこが狙いだ。ここはえて、人に成りすましてくれ。眼さえ隠せば、多少変に思われてもまず露見バレない。そこんとこさえ我慢できりゃあ、あとは――」

「嫌じゃ! かような恥辱に晒されるくらいなら、妾は自害する!」


 半ば予想していた反論に、凱夏は声を低めて訊ねた。


「本当にそれができるのか? ()()?」


 あえて尊称をつけず、名を口に上げる。


「っ!」


 眼に大粒の涙をため、黎峯は口をつぐんだ。桃色の唇をぎゅっと結び、今にも奥歯を噛む音が聞こえてきそうである。視線に力があれば射殺さんばかりの双眸を向けられたが、凱夏は微動だにしなかった。

 しばし、両者無言の駆け引きが続く。


「で……でき……」


 震える声で黎峯が言いかけたときだった。

 かさり、と生物が葉を揺らす音を凱夏の耳がとらえた。


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