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――きらきら、きらきら。
夕暮れの光を浴びて、金色の頸飾りが朱金に輝いている。
五匹の龍があしらわれた、綺麗な頸飾りをかけた少女が、声を上げて泣いている。
泣き喚きながら、少女はその頸飾りを力いっぱい、地面に叩きつけた。
それでも血のように赤い残照を弾いて、頸飾りは煌めく。
美しく。残酷なまでに美しく。
――きらきら、きらきら。
頸飾りを拾った少年は、それを少女に手渡そうとして、押し返された。
少女は拒んだ頸飾りを、拾った少年の頸にかけてやった。
泣き腫らした眼で、涙に枯れた声で、少女は言う。
貸してあげる、と。
そんな彼女の金の双眸は、今胸にある頸飾り以上に美しい、と少年は思った。
――きらきら、きらきら。きらきら、きらきら。
ふと、少年は空を見上げた。
頭上は手を伸ばせば届きそうな、満天の星空だ。
里で見たよりもはるかに美しく、きらびやかで、広大な夜空。
師匠の横に腰を下ろし、少年は時を忘れてその光景に魅入った。
少年とその師がいるこの森は、不帰の森。その、巨木が倒れた跡地だった。隙間なく頭上を覆う緑の天蓋に、ぽっかりと丸い穴が開いている。緑穴の向こうに、宝箱をひっくり返したような星天が広がっていた。
「いい夜だ」
榛色の眼を細めて、師匠が言った。
「私は宵が好きだ。この静けさを気に入っている。そら」
手を持ち上げ、師匠は夜空の一点を指差す。
星夜で一際大きな輝きを放つ、白銀の星。その下にはうっかりすると見落としてしまいそうな、小さな紅星が寄り添っている。
「お前はあの夜空に浮かぶ、小さな星だ。まだその瞬きは幼い。だがわかるか? あれは希望の光だ。いずれは誰かを救い、導く、尊い輝きだ」
師匠は柔らかい榛の瞳を、夜空から少年に転じて言った。
「――ゆえに、お前の名は『 』」
その言葉に驚いて、少年は師匠の顔を穴があくほど見つめ返した。
だって、里ではそんなふうに言ってもらったこと、なかったから。物心ついたときから自分には名前がなくて、それが普通で、当たり前だったから。これからもそれが続くと、思い込んでいたから。
だから嬉しさよりも、ただただ純粋に驚いていたのだ。
「……どうだろうか?」
こちらの顔色を窺うように師匠が訊ねる。心もとなげに。
師匠には「常に堂々としたひと」という先入観があったので、これに少年は再び驚いた。
あんな強そうな龍に襲われても返り討ちにして、姫に何を言われようと涼しい顔の師匠が、こんな小さなことを気にしてくれている。
自分のような、名無しの小童のために。
ぽかんと口を開けたまま少年が黙っていると、
「やはり、気に入らんか?」
いよいよ心配そうに眉を下げて、師匠は訊き直した。
「そ、そっだらこどねぇッ!」
声を裏返させて、少年は否定した。むしろ嬉しい。
今まで生きてきた中で、一番嬉しい。息が止まるほど。声が詰まるほど。
伝えたい言葉は全然足りなくて、気持ちだけでぶんぶん頸を振る少年を見て、師匠はようやく口もとを緩めた。
「そうか、安堵した」
優しく微笑むと、師匠は拾った小枝で地面をなぞる。文字を書いているんだ、とすぐにわかった。でも、その意味はわからない。
彼は、字が読めなかったから。
「これで、『 』と言う。こちらが『 』だ。連ねて『 』と読む」
少年は食い入るように字を見つめ、その場で憶えた。
これが、自分のなまえ。
ほかの誰でもない、自分だけの『名前』だ。
生まれて初めて自分の名に触れる。師匠の筆跡を指でたどっていると、ぽん、ぽんっという軽妙な音が背中から聞こえた。
焚火の音だ。夕飯が焼けたようである。師匠はは焚火に放り込んだ「食材」を木の枝で突くと、彼の前で掲げて見せた。見たこともない、黒っぽい芋虫だ。
師匠は苦笑いを浮かべ、枝を手に持ったまま肩をすくめた。
「見た目は不恰好だがな。こいつは芋虫の中では一、二を争う美味さで有名だ。おまけに栄養価も高い。騙されたと思って喰ってみろ」
こんがり焼けた芋虫を受け取って、一口食べてみる。
――おいしい。
「うめえ! おら、こんなうめえもん初めで喰っだッ!」
「それは良かった。まだ山ほどあるから、たんと喰え。ただし、お前は絶食で胃腸が弱っているだろうからな。よく噛むのだぞ?」
「んだ、お師匠!」
笑顔で頷き、またぽんっと皮のはじけた芋虫を木の枝でほじくり出す。
「下手物喰いめ……。これだから人間は好かんのじゃ。いっそ二人まとめて腹を壊してしまえ、野蛮人が」
焚火を挟んだ向こう側から、げんなりした姫の声がした。
途端に師匠は眉間に皺を寄せ、「やれやれ」という感じで姫に応じる。
「ですから、壊さんと申し上げているでしょう、何遍も。それにこいつは、蝦と同じ味がする珍味だ。姫も試しに一度、召し上がってみては? 外はカリッ、中はじゅわっと――」
「口を閉じろ野人! それ以上言ったら殺すっ‼」
こちらに振り向きざま、姫は鬼気迫る表情で師匠を遮った。
「それはそうと『 』! 貴様、これはいったいどういう了見じゃ!」
姫は師匠の名を呼んで、大きく腕を振り上げた。
かの師の名を、『 』と──。