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?-1

 ――きらきら、きらきら。


 夕暮れの光を浴びて、金色きんいろ頸飾くびかざりが朱金に輝いている。

 五匹の龍があしらわれた、綺麗な頸飾くびかざりをかけた少女が、声を上げて泣いている。


 泣き喚きながら、少女はその頸飾くびかざりを力いっぱい、地面に叩きつけた。

 それでも血のように赤い残照を弾いて、頸飾くびかざりはきらめく。

 美しく。残酷なまでに美しく。


 ――きらきら、きらきら。


 頸飾くびかざりを拾った少年は、それを少女に手渡そうとして、押し返された。

 少女は拒んだ頸飾くびかざりを、拾った少年のくびにかけてやった。

 泣き腫らした眼で、涙に枯れた声で、少女は言う。

 貸してあげる、と。

 そんな彼女の金の双眸は、今胸にある頸飾くびかざり以上に美しい、と少年は思った。


 ――きらきら、きらきら。きらきら、きらきら。















































 ふと、少年は空を見上げた。

 頭上は手を伸ばせば届きそうな、満天の星空だ。

 里で見たよりもはるかに美しく、きらびやかで、広大な夜空。

 師匠の横に腰を下ろし、少年は時を忘れてその光景に魅入った。


 少年とその師がいるこの森は、不帰の森。その、巨木が倒れた跡地だった。隙間なく頭上を覆う緑の天蓋に、ぽっかりと丸い穴が開いている。緑穴りょくけつの向こうに、宝箱をひっくり返したような星天せいてんが広がっていた。


「いい夜だ」


 榛色はしばみいろの眼を細めて、師匠が言った。


「私は宵が好きだ。この静けさを気に入っている。そら」


 手を持ち上げ、師匠は夜空の一点を指差す。

 星夜で一際ひときわ大きな輝きを放つ、白銀の星。その下にはうっかりすると見落としてしまいそうな、小さな紅星あかぼしが寄り添っている。


「お前はあの夜空に浮かぶ、小さな星だ。まだそのまたたきは幼い。だがわかるか? あれは希望の光だ。いずれは誰かを救い、導く、尊い輝きだ」


 師匠は柔らかいはしばみの瞳を、夜空から少年に転じて言った。


「――ゆえに、お前の名は『  』」


 その言葉に驚いて、少年は師匠の顔を穴があくほど見つめ返した。

 だって、里ではそんなふうに言ってもらったこと、なかったから。物心ついたときから自分には名前がなくて、それが普通で、当たり前だったから。これからもそれが続くと、思い込んでいたから。

 だから嬉しさよりも、ただただ純粋に驚いていたのだ。


「……どうだろうか?」


 こちらの顔色を窺うように師匠が訊ねる。心もとなげに。

 師匠には「常に堂々としたひと」という先入観があったので、これに少年は再び驚いた。


 あんな強そうな龍に襲われても返り討ちにして、姫に何を言われようと涼しい顔の師匠が、こんな小さなことを気にしてくれている。

 自分のような、名無しの小童こわっぱのために。

 ぽかんと口を開けたまま少年が黙っていると、


「やはり、気に入らんか?」


 いよいよ心配そうに眉を下げて、師匠は訊き直した。


「そ、そっだらこどねぇッ!」


 声を裏返させて、少年は否定した。むしろ嬉しい。

 今まで生きてきた中で、一番嬉しい。息が止まるほど。声が詰まるほど。

 伝えたい言葉は全然足りなくて、気持ちだけでぶんぶん頸を振る少年を見て、師匠はようやく口もとを緩めた。


「そうか、安堵した」


 優しく微笑むと、師匠は拾った小枝で地面をなぞる。文字を書いているんだ、とすぐにわかった。でも、その意味はわからない。

 彼は、字が読めなかったから。


「これで、『 』と言う。こちらが『 』だ。連ねて『  』と読む」


 少年は食い入るように字を見つめ、その場で憶えた。

 これが、自分のなまえ。

 ほかの誰でもない、自分だけの『名前』だ。


 生まれて初めて自分の名に触れる。師匠の筆跡を指でたどっていると、ぽん、ぽんっという軽妙な音が背中から聞こえた。


 焚火たきびの音だ。夕飯ゆうめしが焼けたようである。師匠はは焚火に放り込んだ「食材」を木の枝で突くと、彼の前で掲げて見せた。見たこともない、黒っぽい芋虫だ。

 師匠は苦笑いを浮かべ、枝を手に持ったまま肩をすくめた。


「見た目は不恰好だがな。こいつは芋虫の中では一、二を争う美味うまさで有名だ。おまけに栄養価も高い。騙されたと思って喰ってみろ」


 こんがり焼けた芋虫を受け取って、一口食べてみる。

 ――おいしい。


「うめえ! おら、こんなうめえもんはずめで喰っだッ!」

「それは良かった。まだ山ほどあるから、たんと喰え。ただし、お前は絶食で胃腸が弱っているだろうからな。よく噛むのだぞ?」

「んだ、お師匠っしょう!」


 笑顔で頷き、またぽんっと皮のはじけた芋虫を木の枝でほじくり出す。


下手物げてもの喰いめ……。これだから人間さるは好かんのじゃ。いっそ二人まとめて腹を壊してしまえ、野蛮人が」


 焚火を挟んだ向こう側から、げんなりした姫の声がした。

 途端に師匠は眉間に皺を寄せ、「やれやれ」という感じで姫に応じる。


「ですから、壊さんと申し上げているでしょう、何遍なんべんも。それにこいつは、えびと同じ味がする珍味だ。姫も試しに一度、召し上がってみては? 外はカリッ、中はじゅわっと――」

「口を閉じろ野人やじん! それ以上言ったら殺すっ‼」


 こちらに振り向きざま、姫は鬼気迫る表情で師匠を遮った。


「それはそうと『  』! 貴様、これはいったいどういう了見じゃ!」


 姫は師匠の名を呼んで、大きく腕を振り上げた。

 かの師の名を、『  』と──。


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