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3-3

「……実はアタシも、一回だけこいつにかかったことがある。夢の中のアタシは人間の小娘で、優しい旦那と可愛い息子の三人で、小さな畑を耕して暮らしてるんだ。そんで、大きくなった息子は綺麗な嫁さんをもらって、孫ができて、最後にアタシは皺くちゃの幸せな婆婆ババアになって、死ぬ。……ま、アタシの場合、途中で気づいて抜け出すことができたんだけどね。これが、獅青の槍のわざってやつさ」

「へぇー、おったまげた。すっげえ槍なんだべなぁ」


 明星は瞳を輝かせて翠姫の話に聞き入り、身を乗り出す。

 そんな明星の頭をがしがし撫でながら、翠姫はにっかり笑って頷いた。


「そうそう。で、この『獅青しせいの槍』の声が聞こえた奴が、青州を統べる東嶽とうがくになるって寸法だ。だから逆に言うと、獅青の声が聞こえなきゃ、そいつは東嶽脱落ってことになるね」

「おい、翠姫」


 獅青の声云々(うんぬん)は、一般には知られていないような話だ。それを明日の天気のようにぺらぺらしゃべる翠姫に凱夏は牽制のつもりで声をかけたが、向こうは素知らぬ顔である。


脱落だつらぐしぢまっだら、『とうがぐ』さまはいねぇまんま?」


 訊ねた明星に、翠姫は笑って「いいや」とくびを振った。


「東嶽なしじゃ、この国はやっていけない。聞こえる奴が現れるまで、『獅青の槍』が捜すのさ。まあ、普通は世襲ですんなり決まるがね。こないだくたばった東嶽も、すぐに後釜が据えられるだろう。で、そいつが死ぬまで獅青との付き合いは続く――とこの繰り返しだ」

「ふうん。そっだら、青州でいっとうえれぇ『とうがぐ』さまが、途中でわりいこどしたら? そしだら『とうがぐ』さまをやめちまうの?」


 素朴な問いかけに、翠姫と凱夏は同時に口を閉ざした。

 明星には時々、こういうところがある。本人は無意識に、けれど恐ろしいまでの精度でもって、物事の核心へと切り込むのだ。


 何気なく明星が発した問いかけ。それは今まさに、この国が抱える問題へと直結していた。

 翠姫に代わり、明星の問いには凱夏が答えた。


「一度なっちまったもんは、そう簡単にはやめらんねぇな。その場合は、四嶽――東西南北にいる四州公をまとめてそう呼ぶんだが、四嶽を凌ぐ神通力を持った主上しゅじょうが、東嶽を州公の座から降ろす。それで新しい候補者を東嶽に据えるんだ」

「『すじょう』っで?」

「我が国の皇帝陛下のことだ」


 凱夏は穏やかに告げて、明星の頭を撫でた。


「だが主上が不在のときは、東嶽公も他の州公も、どんな悪事を働こうが誰にも止められない。代替わりさせるには、命を絶つしか方法がなくなっちまう。だから主上は絶対に必要だ。空位は長引かせるべきじゃない」

「空位? そっだら今は、『すじょう』さまもいねぇの?」

「ああ。こちらは御病気で、東嶽公よりも前に崩御されてな。今はちょうど、狭間の時期なんだ」

「ほうが。そっだら、『すじょう』さまがわりいこどしたら?」

「そのときは、四嶽三名が罷免するか……王母が主上に天命を下す、とそう伝えられてるな」

「天命ねえ。はっ! 聞いて呆れるよ」


 するり氷を差し込むように、翠姫が割って入った。棘のある口調で呟くと、翠姫は唇に冷笑を刷いて明星を見つめた。


「ようくお聞き、明星。王母は正道を愛す一方で、悲劇を好む。あの女はたびたび気まぐれを起こしては、地上に厄介ごとを撒いて龍人を試すんだ。娯楽でね。その女神にょしんが撒き散らす試練の名を、アタシたちは天命と呼ぶ。胸糞悪いったらありゃしないね」


 一転して辛辣な物言いとなった翠姫に、明星は眼を白黒させた。だが翠姫は、困惑する明星に気づいていない様子だ。

 怒りのままに、彼女は身の内の激情を吐き捨てた。


「あの女神あばずれめ。よりにもよって今代で、()()()()()()()()()()()()

「翠姫、口を慎め。明星の前だぞ」


 凱夏が指摘すると、翠姫ははっとして口をつぐんだ。


「ごめんよ、明星。みっともないとこを見せちまったね。怖かっただろ?」


 翠姫はそう言い、先ほどとは打って変わった優しい声音で明星を撫でた。その指先で、明星はふるふると頸を左右に振る。


「翠姫さまをこええど思ったごど、一度いつどもねぇよ。それに、翠姫さまはいっずもきらきらひがってで、べっぴんだ。みっどもなぐなんがねぇ」

「あは! ありがとう、明星。でも、アタシに『様』はいらないよ。アタシはねえ、人間びいきなんだ。お高くとまった龍よりも、人間が大好きなんだよ」


 花のような笑顔を振りまいて、翠姫は屈託なく告げる。横目でそれを確認した凱夏は、翠姫に見えない角度でこっそりと胸を撫で下ろした。


 龍は人に比べ、良くも悪くも情の濃い生き物だ。押し並べて愛憎の振れ幅が大きい。ゆえに翠姫ほど成熟し、年経た龍でさえ稀にこういったことが起こる。


 人より温和で愛情深い反面、激すると苛烈極まりない。

 それが、龍のさがだった。


「なあ、お師匠。そっだらおらにも、これがら王母さまの『てんめい』があっがなぁ?」


 翠姫の話で不安になったのだろう。ふと凱夏を見上げて、明星はそんなことを訊いてきた。

 こんなとき、明星を見ていると堪らなくなる。彼は貧しい里での暮らしも、口減らしで森に捨てられた境遇も、すべて天命だとは思っていないのだ。


「――明星」


 凱夏は腰をかがめると、明星と瞳を合わせてこう言った。


「王母は常に、悲劇をもって龍人を試す。だが明星、お前は天命に屈するな。みずから膝を折る者に、あの性悪女は決して微笑まない。女神にょしんを見返してやれ。お前には、その強さがあるはずだ」

「んだ!」


 闊達な明星の笑みにつられ、見ているこちらの心にも光が灯る。

 やっぱり小童こどもは国の宝だよなぁと思いながら、凱夏はさっさと不穏な話題を転じることにした。


「にしても翠姫。『獅青の槍』とはいかねぇまでも、お前の持ってる大刀だいとうも結構な業物だよな。銘はなんて言うんだ?」


 翠姫の大刀は、長柄に金の唐草文様、刀身に雲龍の彫物ほりものと、華やかな意匠が施されている。さらに、滑り止めだろうか。まじないのような朱色の文字がびっしり書かれた布が、ぐるぐると柄に巻きつけられていた。

 一見すると装飾用の大刀にも見えるが、見る者が見れば実践で使い込まれていることがすぐにわかる。


「ああ、こいつは――」

わたしの守護も忘れて何をしているの⁉ お前たちは!」


 翠姫の言葉を、耳慣れた負けん気の強い声が遮った。

 言わずもがな、我らが黎公主様の御登場である。ずんずんと歩を進める、今日の姫の足取りは切れがいい。服装を以前の長裙ちょうくんから胡服こふく――黎峯風に言えば、庶民着に切り替えたせいだろう。さしもの黎峯も、素っ裸に外套一枚となれば袖を通さざるを得なかったらしい。


「めんごいなぁ、黎峯さま」


 明星がにこにこ笑い、そんな感想を漏らした。

 胡服はもとが騎馬民族の衣装だったこともあり、造りは動き易さが重視されている。具体的には、筒袖の短い上着と長袴子ズボンを組み合わせた格好だ。


 凱夏が胡服を買い求めたのは青州だったので、色は青州人が好む水色。袖ぐりや腰巻に黒布こくふを配し、要所には花紋が散っている。意匠に煩い姫のため、これでも凱夏なりに気を遣ったつもりだった。

 ほう、と黎峯に魅入る明星を、姫は小蠅を払うような仕草で退けた。


「じろじろと見ないでくれる? 不愉快だわ。視線で汚される」

「す、すまねぇ。黎峯さま」


 申し訳なさそうに、明星は紅い瞳を伏せる。こんなやり取りも、もう通算何度目だろうか。そろそろ慣れて欲しいものだが。

 やれやれ、と凱夏が(たしな)めようとした矢先、


「なに莫迦なこと言ってんだかねぇ。汚されるほどの器量かい? お前は?」


 あからさまな揶揄を乗せて、翠姫が毒を吐いた。

 途端に黎峯は顔色を変える。


「なんですって? お前、誰に対してものを言っているか、わかってるの?」

「もちろん。十()並みの器量の姫さん相手にだよ?」

「な……凡民ぼんみんの分際で!」


 やばい、とここで凱夏は両名の間に割って入った。

 黎峯は翠姫が最も嫌う類の龍であるし、その逆も然りだ。最悪の相性と言っていい。


「黎峯! 翠姫は今でこそこんな姿なりだが、これでも血筋は高貴なんだぞ? なんせ天下に名高い青龍東家(とうけ)、青州東嶽公の実娘むすめだからな!」


 黎峯と明星。

 意表を突かれたらしい二名は、そろって同じ動きで翠姫を見た。


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